No.630357

【SPARK8新刊】ほしあいのそら(藤原義孝)

りくさん

「義孝集」を元にした藤原義孝の一次創作です。SPARKには「うた恋い。」で参加しますが、「うた恋い。」とは完全に別人です。■平安プチ「日日平安」に参加しています。スペースは「東3ヨ60a」です。

2013-10-22 08:02:59 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:1020   閲覧ユーザー数:1020

10/27 SPARK8新刊の冒頭です。

3章構成で序と終がついています。サンプルは序の部分です。

 

本自体は、二部構成で、小説の前半部分と、小説を書くのに元にした藤原義孝関係の資料集の後半部分です。

紙面イメージについてこちら で確認できます。

 

※ 一次創作です。一般的に知られている義孝像とかなり違います。ご注意ください。

 

端諸

 

 

 暗い空に届けようとするかのように、竿の先につけた灯火が幾つも幾つも高く掲げられている。今夜、男たちの出払った屋敷の主は女人たちだ。

 ふだん奥に引きこもって風にも当たらない姫君たちも、几帳を立て扇を広げつつして簀子までやってきて、盆に張った水に星々を映している。闇にも鮮やかな夏の襲(かさね)を翻すほどの強さではないけれど、風に乗って彼女たちの香りが小川のせせらぎのように流れ出来る。

 そう考えれば、頭上にある数々の明かりはまるで水面に集まる蛍のようじゃないかと、少年はふっと笑みを零した。その思いつきを誰かに伝えたかったのだけれど、母と姉妹たちは手元にやってきた星々に夢中で彼の相手をしてくれそうにもなかった。

 早く二の兄上が帰ってくればいいのに。兄弟の中で彼を最もよく理解してくれる年の離れた次兄は、父とともに宮中の行事に侍っていた。

 彼はひとり階(きざはし)に腰掛けて、肘をついた。夜気が心地よい。ひとつ上の兄と、三つばかり下になる弟は池近くに挿した竿の下で遊んでいる。男子である彼らにとって星合は、好きに夜更かしのできる日という以上の意味はないのだろう。

 その様子をぼんやり眺めていると、ふわりと衣を揺らして、東の対へ歩いていく汗衫(かざみ)姿の少女が視界に入った。白い薄絹がまるで蜻蛉の羽のように見えたのだ。

 あれは……。

 彼は母親たちを窺い、けれど、声はかけずに彼女に続

いた。透渡殿(すきわたどの)を下りたところで追いついて、「どうしたの」と声を掛ける。今日ばかりは総角(あげまき)にした少女はゆっくり振り返り、大きな黒曜石の瞳で物言いたげに彼を見上げた後で、ううん、と首を振った。

「気分でも悪いの、筑摩君(つかまのきみ)」

 最後の言葉を聞くと、彼女は引き締めていた口元を少し歪めた。あれ、いけないことを言ったかな、と彼は、すぐに「ごめんよ、千女君(ちめき)」と謝った。

「ううん、違うの、桂君のせいじゃないの」

 頭を振って強く否定する。はっきりと物をいう質(たち)だから、彼女がそう主張するのなら、それは本当なのだろう。どうしたの、と重ねて尋ねると、彼女は家の者が集まった簀子を気にする素振りを見せる。「秘密にするよ」と保証されて、やっと重い口を開いた。

「あのね、星が見たいの」

 え。少年は目を丸くした。今日、七月七日は乞巧奠(きこうでん)。まさにふたつの星を見るための夜ではないか。それなら、と彼は彼女の手を取って、もと来た方に導こうとした。今日ここにいる女たちの中で彼女ひとりが血の繋がりを持たない。そこからの遠慮があるのだろうか、と。

 しかし、彼女はもう一度首を振った。

「水盤に入れた影じゃなくて」

 じっと彼を見つめる。

「本当の星が見たい」

 それから、袖で天を示した。

 おや、と少年は思った。星合の空といえば、水鏡の映すもの。今までずっとそうしてきたけれど、確かに直接眺めていけない理由はないだろう。同時に、彼女の失望も理解できた。手元に設えた盆に星影を捉えて楽しんでいる人たちの前で、ひとりぽかんと頭上を仰いでいれば、なんておかしな女の子だろうと思われるかしれない。そうでなくても、つい数ヶ月前に桃園(ももぞの)にやってきた少女は、その時点でかなり風変わりな子どもだった。

「いいよ」

 彼はにっこりと笑った。

「じゃあ、行こうよ」

 彼は彼女の手を取り直し、東の対の前を素通りして庭の端で階を下った。下男のひとりに言って絲鞋(しかい)を取って来させて履くと、そのまま彼女を引いてすたすたと歩いて行く。

「どこに行くの?」

 不安げに彼女は問うけれど、彼は「星を見に」と答えるばかり。やがて敷地の境界であるのっぺりとした築墻(ついがき)が見えてきた。桂君? と首を傾げると、彼は、ほら、と片隅を指さした。

 昔から多くの桃を植えた御薗であったがゆえに今でも桃園と言われるその周辺では、未だに古い木を備えている第(だい)も少なくない。桃園中将の屋敷もそのひとつだった。もっともたくさんの家屋敷と妻を持つ家の主人は、常にその名で呼び習わされるわけではかったのだけれど。

 そこには、年老いた果樹と、ふたつほどの切り株があった。一本だけ夜に腕を伸ばす幹はかなり古びていて、すでに太い枝を数本切り落としていた。

 不安げに桃の木を見る少女の肩に両手を添えて、彼は「こうして枝を落とせば、新しい芽が下から出てくるんだって、桃という木は」と教えた。ほっとした表情になって、彼女は「じゃあ、この株も?」と尋ねる。

「ううん、それはもう寿命を終えてしまったんだ。とても、

とても昔からあったんだというよ」

 さあ、と彼は再び手を取って彼女を切り株へと誘(いざな)う。そこに腰を下ろすと、背後にある青々とした桃の枝は彼らにとっての天幕のようになった。

「きれい」

 目が慣れてきた。空に流れる天の川と、挟んでお互いを求める牽牛、織女の二星がよりはっきりと現れる。うっとりと見つめる、少女の横顔こそが綺麗だと少年は思った。しかし、一転、彼女は眉を寄せて俯く。

「帰りたい……。筑摩に戻りたい。どうしてお父様は私だけ都に置いていってしまったの」

「ここが嫌い?」

 彼はそっと彼女の頭を撫でた。

「ううん……。ここのおうちは好き。桃園の姉君も、桂君もいるもの」

 彼女は考えて、ちょっと楓君は怖いけど、と上の兄については正直に告白した。

「でも、前みたいに野を歩きたいの。水に張った星じゃなくて、天にある星を見たいの……」

 自身もまだ幼い桂君には、父親たちの事情は詳しくはわからない。けれども、一度自由を与えておいて奪われてしまった彼女の悲しみは察することができる。姫君として育つのなら、彼女たちの選択肢は少ない。こんな風に決まり事から離れて気ままに星を愛でるのも、今の時期に限られるだろう。まだまだ先のことではあるが、そのうちにやってくる大人の時間をふたりとも予感している。

「じゃあ、僕が叶えてあげるよ」

 少女は、帰れるの? と首を傾げたので、彼は、それは無理だけど、と微笑んだ。

「だって、千女君は父上をおひとりにできないだろう? いつかは筑摩から京に戻られるのだもの」

 だから、代わりに。

「僕の妻になればいい……。どこへでも連れ出してあげるよ。紫野でも交野でも」

「本当?」

 彼女は瞳をきらきらと輝かせた。暗闇の中、頬が薔薇色に染まる。

「そうだよ。ふだんは姫君で僕の妻だけど、ときどきは僕の弟君になって一緒に月夜を駆けるんだ」

 それはとても素敵な思いつきに思えた。彼女はぎゅっと彼の手を握り返して、やっと翳りのない笑顔を見せる。

「嬉しい。本当に約束してくれる?」

 それなら私は桂君の妻になる、そう言った彼女は彼が知る誰よりも可憐だった。

 彼は契りのように、彼女に頬寄せる。愛らしい少年少女が揃った中将の子どもたちの中でも一際美しい小さな貴公子がいきなり近づいたので、彼女の動悸も高鳴った。

「約束するよ」

 星明かり、天の原には散りばめられた数多の星々と、強く煌めく一対の恒星。まるでふたりで雲居にいるかのようだった。

 彼は頷く。

「来年も、その次の年も、ずっとずっと」

 高く差し上げたその、掌の先には。

「君に、見せてあげる」

 このほしあいのそらを。


 
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