No.591362

白くなった猫と空回りする妹といつも通りのあやせたん

もうアニメも終わりですね。続きはネット配信で

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2013-06-26 12:59:18 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:2003   閲覧ユーザー数:1909

白くなった猫と空回りする妹といつも通りのあやせたん

 

 

「私と……付き合ってください」

 

 先輩は覚えていないかもしれない。けれど、ここは先輩が2ヶ月前に妹を連れ戻しにアメリカ行きを決心した思い出の場所。

 その思い出の場所に先輩を再び呼び出す。そして桐乃が選んで先輩が気に入ってくれた白いワンピースに身を包み精一杯の想いを伝える。

 私の16年の人生の中で最も勇気を振り絞って口を開いた瞬間だった。

 

「く、黒猫。それって……どういう意味だ?」

 先輩の顔は真っ赤になっている。私の告白の意味を理解している。にも関わらず言葉の意味を尋ね直してくる。

 それは男としてちょっとずるいと思う。でも、私はもう勇気の歩を踏み出している。今更引くつもりはなかった。

「付き合ってというのは、一緒に秋葉原やゲームセンターに行って欲しいという意味ではないわ」

「そ、それじゃあ」

「私を貴方の彼女にしてくだしゃい……あっ」

 つい噛んでしまった。せっかく格好よくキメようと思ったのに。

 でも、私がどういう意味で先ほどの言葉を述べたのかはこれで伝わったはず。

 

「その……黒猫ってさ、俺のことが好きなの?」

 先輩は視線をキョロキョロとさ迷わせながら尋ねた。

「ええ。私以上に先輩のことが好きな女はこの地上にいないと断言できるほどに好きよ。貴方の妹にだって負けないわ」

 告白を果たした勢いを駆って大胆な言葉を伝えてみる。

「そ、そうなんだ」

「私は……貴方になら全てを捧げても良い。人間としての生涯を先輩と全うしたい。前世だけでなく来世も。私は貴方のことを愛しているから」

「そ、それは嬉しいなあ……」

 嬉しいと言いながら先輩の顔は引き攣っている。私の告白を喜んで受け入れてくれていないことは明白だった。

 

「先輩は私のこと……好き? それとも……嫌い?」

 恐る恐る問題の核心に触れる。 

 私だけ好きでも男女交際はできない。

 でも、それを確かめてしまうのは私としてはとても恐ろしい行程でもあった。

 だって、もし先輩に振られるようなことがあれば……私はきっと失意のどん底から立ち直れないに違いないから。

「え~とぉ……俺は……その……」

 先輩はとても困った表情で空を見上げた。戸惑いが揺れる瞳によく現れている。

「先輩は……私のことが嫌い? どうしても付き合いたくないの?」

 ちょっとずるい聞き方をした。

「そ、そんなことはないぞ。俺は黒猫のことが大好きだあっ! 俺的彼女にしたい子ランキングでぶっちぎりの1位獲得だぞ」

 思った通りに先輩は大声を張り上げてくれた。

 私のことが好きだというその声を聞いて安心する。そして同時に欲が湧き出てくる。告白した初期目標を達成したいという衝動が体中を駆け巡る。

「じゃあ……私とお付き合いしてくれる?」

「いや、だから、それはな……急に答えを出すわけには……」

 先輩の声が再び小さくなって要領を得なくなる。

「……他に付き合いたい女の子がいるの?」

「そんなのいないって! 俺的彼女にしたい子ランキング1位はお前だって言ったろ」

「じゃあ、何で?」

 先輩の顔をジッと覗き込む。今、目を逸らしたら一生後悔する羽目に陥る。

「そ、それは……」

 先輩が唸りながら俯いてしまった。はっきりしない先輩。でも、この姿は告白前からある程度予想していたものではあった。

 

「私がどれだけ貴方への想いを募らせても……貴方には妹よりも想ってもらえないのかしらね? 私は貴方の一番になれないのかしら?」

 ちょっと大げさに嘆いてみせる。私はこの告白における最大の難関を感じずにはいられなかった。

「いやいやいや。俺はそんなガチなシスコンじゃないからな!」

 先輩は首を横に振ってシスコン疑惑を否定した。これこそが私の恋の最大の難関だった。

 先輩はガチなシスコン。だけどそれをほとんど認めようとしない。その2つの相反する要素が面倒な形で重なり合って先輩は妹以外の女の子との恋愛に消極的な姿勢を見せてしまう。私の想いに対しても例外じゃない。

「じゃあ、私との交際の可否を巡っては桐乃は関係ないの? そう断言できるの?」

「ああ。まるで関係ないね。俺と黒猫の問題だろ」

 先輩は私から目を微妙に逸らしながら答える。

「本当に? 誓えるの? 嘘ついたら……呪うわよ」

 爪先立ちになりながら先輩の顔を覗き込む。すると先輩は諦めたように頷いてみせた。

「…………嘘です。確かに桐乃のことは気に掛かっている。認めるよ」

 私は更に先輩の顔を至近距離から覗き込む。

「それは先輩が本当は禁断の領域に足を踏み込んで桐乃と付き合いたい。妹の全てをモノにしてしまいたい。そういう風に解釈していいのかしら?」

「いいわけがないだろうが!」

 先輩は激しく首を横に振る。

「あら? てっきり、私は先輩が桐乃と禁断の恋を味わいたいのだとばかり」

「そんな事実はどんなパラレルワールドを探っても出てきません!」

 先輩はムッとした表情を見せる。先輩が桐乃とどうなりたいのかは私にとっても謎のまま。桐乃が先輩とどうなりたいかはもう少し分かり易いのだけど。

「私は貴方が重度のシスコンであることを受け入れるわ。二股も目を瞑るわ」

「そんな事実無根を受け入れるなっ」

「その前提を知った上でもう1度考えて頂戴。私を……貴方の彼女にしてくれるかしら?」

「そ、それは……」

 先輩は目を反らした。

 

「できれば……この場で返事を聞かせてくれると嬉しいわ」

「今、すぐにか?」

「その方が、いいわ」

 時間が経つほど告白そのものを曖昧にされてしまう可能性が高い。そして何より小心者の私には告白待ちの状態を何日も耐えられる自信がない。

「………………分かった」 

 先輩は私の両肩を握った。男の人らしい大きな手に掴まれてドキッとする。

「じゃあ、言うからな」

「ええっ」

 激しすぎる心臓の鼓動音をBGMに先輩の返事を待つ。

 先輩は顔を真っ赤にしながら大きく息を吸い込み、そして──

 

「黒猫……俺は」

「このぉ……泥棒猫ぉおおおおぉっ!! お兄さんをたぶらかしやがってぇええええええぇっ!!」

 

 先輩からの告白の返事は1人のヤンデレの怒声によって掻き消されてしまった。

 

 私の恋の成就にはまだまだ難関が待ち構えていた。

 

 最近になって私は2つの屈辱的なことを認めなければならなかった。

 その2つの事象は私のこれからの人生に大きな悪影響を及ぼす可能性が高いので修正する必要がどうしてもある。

 

『静まりなさい……我が右腕よ……ただ話しかけるぐらいで震えてどうするの?』

 

 その1つ目は、自分が考えていた以上に臆病な人間だということ。大切な人に自分の想いを伝えるのが怖くて仕方ない。想いを伝えようと意識するとすぐに体が震え出す。先輩と会っても喋るのを止めてしまったり、違うことを口走ってしまう。

 堕天聖黒猫ともあろう者が人間如きに臆するなんて本当に情けない。

 ううん。そうじゃない。桐乃曰く邪気眼中二病と呼ばれるような現在のあり方を身に付ける前から私は自分の想いをちゃんと伝えられたことがない。だから友達もいない。意思疎通がとても下手だった。

 他の人間にはいとも簡単にできることが私にはできない。私は自分が他の人間とは違うということを幼い頃から強く意識せざるを得なかった。

 そんな他者との違いの自覚が私を堕天聖黒猫へと誘った要因の1つであることはおそらく間違いない。

 けれど邪気眼中二病患者として他者を遠ざけていれば済んでいた時はまだ良かった。孤高の孤立を気取っていれば気分が却って良かったのだから。

 でも、今はそれじゃあいけない。あの人には邪気眼中二病な態度のままじゃ通じない。

 

 先輩は私が邪気眼中二病でも認めてくれる寛容な男性。でも、とても鈍感だから私の心の中まで理解してくれているわけじゃない。そして基本巻き込まれタイプなので自分から恋愛ごとに動く人でもない。そしてさらに悪いことに恋愛に対して臆病ですぐに悪い方に解釈する。おまけに重度のシスコンと度し難い。

 

『だから、どうしても私から先に気持ちを伝えないといけないわよね。中3の冬からずっと渦巻いてきた先輩へのこの切ない想いを……』

 

 この春に同じ学校に通うようになってから何度もこの気持ちを伝えようと思ってきた。

 でも、できなかった。先輩が鈍感すぎたこともある。強力なライバルの存在や、桐乃の留学中の隙を狙うのはアンフェアだと自分を戒めたことも理由に挙げられる。

 だけどやっぱり根本的な問題として私がとても臆病で気持ちを伝えられなかったということが大きい。

 だから私はまず自分が臆病者であることを認めなければならなかった。認めた上でどうすれば勇気を振り絞れるのか考える必要があった。

 

 そしてもう1つ。こちらの事象を認めるのは本当に屈辱的なことで仕方ないのだけど。

 

『ルリ姉って自分から負けに行ってるよね? その私服で男の子誘いに行くつもりなの? バカなの? 負け志望なの?』

 

 どうも私は美的センスが良くないらしいということだった。

 思えばマスケラの夜女王を模倣して初めてゴスロリ装束を作った時からそうだった。妹の日向は私のセンスを小馬鹿にしてくれ続けた。

 小学生の戯言と最初は聞き流していた。けれど、桐乃、先輩、沙織と気軽に喋れる存在が増えるに連れて、私の美的センスは問題視される機会が増えていった。

『アンタさ……その格好はコスプレなの? マジなの? 後者だったらチョー受けるんですけど』

 特に桐乃には出会ったその日から馬鹿にされ続けてきた。しかも悔しいことにあの丸顔は読者モデルで世間一般では卓越した美的感覚を持っていると賞賛されている。この分野で私に勝ち目は薄かった。

 それでも当初は桐乃をスイーツと呼んでそのセンスを無視していれば良かった。アキバでは渋谷のセンター街にいそうな女はケバいと倦厭される。アキバとコミケを勢力範囲とする限り大きな問題はなかった。

 でも、これが特定の男性の好感を得たいとなると全く別の次元の話になった。先輩はオタクにかなり染まっているものの感性は一般人のそれ。私の私服も奇妙なコスプレぐらいにしか思ってくれない。

『黒猫は制服がよく似合ってるんだからさ……たまにはコスプレじゃなくて可愛い私服が見たいんだが』

 私のファッションセンスでは彼の気を惹けないことは明白だった。

 だから私は好きな男性の心を掴むために、自分の美的センスが一般向きでないことを認めて助力を請う必要があった。

 

 結論を言えば、私は孤高の万能夜女王(ナイト・オブ・クイーンメア)としてではなく無力な五更瑠璃として謙虚に振舞うことを求められた。

 そして謙虚に振舞うとは……高坂桐乃に師事することを意味していた。

『……服を選ぶのを手伝ってもらえないかしら?』

『アンタが? 自家製のコスプレやめて既製品にすんの?』

『そうじゃなくて……私も“普通”の洋服っていうものを着てみたくなったのよ』

『…………ふ~ん。まっ、いいけど』

 私は彼女に洋服のコーディネートを頼み込んだ。桐乃から最愛の兄の一番の座を奪ってしまうために……。

 自分が汚い人間なのだと心の中で思わずにはいられない。けれど、それでも先輩の一番になりたかった。

 そう考える一方で桐乃とも引き続き良い関係を保ちたいとも考えていた。自分の欲深さに我ながら呆れてしまう。先輩も桐乃も両方欲しいなんて。

 でも、それは私の本当の望み。譲れない望み。

 先輩が桐乃をアメリカから連れ戻そうとした時に気付いてしまった。

 私は先輩と桐乃の2人がいて本当の意味での幸せになれるのだと。

 だから私は自分の幸せを最大限に強欲に追求してみようと思った。

 

そしてコミケ終了から数日後、その機会は訪れることになった。

 何故アタシがあんなことをしたのかと問われれば、子供だったからとしか答えようがない。我ながら取り返しのつかない幼稚なことをしてしまったと反省はしている。

 あんなこととは、御鏡さんを巻き込んでの兄貴に対する猿芝居のこと。兄貴がどれぐらいアタシのことを想っているのか確かめた昨日の一幕。

 その結果は満足でもあり、望ましくない未来を呼び込むことになった。

 

 最近の兄貴の態度にはイライラさせられることがとても多い。

 その原因は……兄貴が最近やたら女の子たちに好意を寄せられているから。

 沙織はまだいい。あの子は感謝の念が強い好意だから。

 でも、黒いのはダメ。あの子の好意は本気すぎる。

 アタシがアメリカから帰ってきた時、2人は既に付き合っているんじゃないかと何度も疑った。それぐらい2人の仲は親密になっていた。

言い換えれば、アタシを必要としない強い絆が2人の間には生まれていた。

アタシは2人が付き合うことで、兄貴も黒いのも離れていっちゃうのではないかと内心でビビッていた。

兄貴を誰か他の女の手に渡したくもなかった。いずれは誰かと付き合って結婚なんて展開が待っているのかもしれない。でも、それが今であって欲しくない。

黒いのは重度のオタクというアタシのもう1つの顔を受け入れてくれている大切な友達。あやせや加奈子に喋れないことも黒いのには喋れる。

アタシの大切な人同士が結ばれるのは悪いことじゃない。少なくとも誰だか知らない馬の骨に渡すより全然マシ。兄貴と黒いのは多分アタシが世界で唯一認められるカップル。

でも、だけど、兄貴と黒いのが結ばれてしまったらアタシの居場所がどこにもなくなってしまいそうで怖い。今までのような関係をきっと維持できない。

 だからアタシは黒いの動きを苛立ちながら警戒し続けた……。

 

 黒いの兄貴に対する好意は日を追って明白になっていった。何故兄貴があの熱視線と火照った顔の意味に気が付かないのか謎で仕方ない。

 あれだけたくさんのエロゲー&ギャルゲーをプレイしてきたというのに、まだ女の子のちょっとした表情の違いの意味に気付かないのだろうか?

 それはともかく黒いのはいつ兄貴に告白してもおかしくないほどに想いを募らせている。

 アキバ系な服を好む黒いのがアタシにファッションコーディネートを依頼してきたのも今思えばその一環だった。

 それは黒いのなりのサインに違いなかった。兄貴に対する求愛のサインであり、アタシに2人の仲を認めて欲しいという承諾のサイン。

 でもアタシはそのサインを素直に受け取ることができなかった。地味子に対して数年来冷たい態度を取り続けているのもそのサインを受け取れないから。

 そんなアタシが京介を奪おうとする黒いのの想いを受け入れるなんてできなかった。

 でも、アタシは確信せざるを得なかった。夏コミを見て。黒いのが兄貴に告白する日はもう目前に迫っていると。アタシたち3人の時間はもう終わってしまうのだと。

 アタシは大いに焦った。そして焦った結果が、御鏡さんを抱き込んで兄貴を焦らせ、気持ちをもう1度アタシの方に向けさせようとする急造にして稚拙な作戦だった。

 作戦は発動する前から黒いのに看破されてしまった。酷く怒られ呆れられた。

 結果として、兄貴がアタシのことをとても大事に想ってくれていることは確認できた。

 けれど、その代償としてアタシは黒いのの背中を押すことになった。すなわち、アタシは黒いのの告白を止められないポジションに立たされることになったのだ。

 

「キツいな……ちょっと」

 

 自分で撒いた種とはいえ、なって欲しくない展開に自分から誘導してしまった。

 黒いのが告白すれば、兄貴は戸惑うだろうがきっと受け入れるに違いない。

 だってあの2人は既に互いに好き合っているのだから。

 

「よっぽどな邪魔でも入らない限り……兄貴と黒いののカップル誕生かあ」

 

 呟きながら、アタシは自分がその“よっぽどな邪魔”を期待している可能性に気付く。

 本来ならその“よっぽどの邪魔”とはアタシ自身のことのはずだった。けれど、御鏡さんの件で下手を打ってしまったアタシにはこれ以上2人の仲をどうこうする権利はない。

 となると、他に邪魔になりそうな存在は……。

 

『加奈子だって殺せるよぉ』

 

 突然、何の脈絡もなくあやせの顔が思い浮かんだ。

 何故あやせなのかは分からない。

 あやせと兄貴はほとんど面識がないはず。だけどこの間のゲームのことから、たまに2人は会っているっぽかった。アタシに内緒で……。

 でも、あやせは兄貴に対して露骨に嫌悪感を表す。殺すとか通報するとかそんな台詞がすぐに飛び出す。アタシのためなのだろうけどちょっと勘弁して欲しい。アタシはアタシ以外の人間が兄貴の悪口を言うのを許せない。

 そんなあやせが兄貴と黒いのがくっ付くのを邪魔するとは思えない。兄貴が他の女とくっ付けばアタシに付きまとわなくなるとあやせは喜ぶだろう。それが合理的な思考。

 でも、何故かそれにも関わらず、アタシの勘はあやせが2人の恋愛成就の障害になると告げている。もし、その勘が事実だったと仮定するのなら……。

 

「アタシはあやせに邪魔をして欲しいの? それとも邪魔して欲しくないのかしら?」

 

 それが問題だった。

 あやせが勝手に動いて兄貴と黒いのの仲を潰してくれるのならアタシは自分の手を汚さずに望んだ結果を得られる。兄貴も黒いのも失わずに済む。悪いのはみんなあやせ。

 でもその展開は、その結果はアタシが望んでいるはずなのに……あってはならない結末な気がしてならない。

 そうなった未来を考えると胸が苦しくなって頭が締め付けられてすごく気持ち悪い。

 

「あ~ん、もおっ! 何だってのよ、一体っ!」

 

 気が付くとアタシは玄関を飛び出して走り出していた。行き先なんか分かんない。何をしに出て行くのかも分からない。でも、だけど……走り出さずにはいられなかった。

 

『あやせ、貴様ぁっ! よくも俺の乙女心を弄んでくれたなぁっ!』

 8月中旬、暑い真っ盛りのわたしの部屋。両手首に手錠を嵌められたお兄さんは何かよく分からないことを喚いています。

『弄ぶ? 何を言ってるんですか? わたしはお兄さんには手錠がよく似合うと思ったから嵌めているだけですよ。新しいお洒落ですからね。うふふふふ。うふふふふふふ』

『てっきり告白されるのかと思ってワクワクしてきたら……最初からヤンデレモード全開に入ってやがるよ、こん畜生っ!』

 お兄さんは両手を振って必死に手錠を引きちぎろうとしています。もちろん、そんなことは無意味です。手で引きちぎれるような代物なら、警察が犯人逮捕時に使ったりするわけがないのですから。

『甘い声で電話かけてくるから……あやせたんが遂に俺の魅力にメロメロになったとばかりに思ったんだが……』

『普通に喋っていただけですよ。セクハラは止めてくださいね。それとも、耳がおかしいようならわたしが切除してあげましょうか?』

 お兄さんの耳を切除して保存しこの部屋のインテリアにすればとてもいい一品になると思います。

 

『…………もういい。で、用件はなんだ?』

お兄さんが話を戻してきました。

『最近、桐乃がとある男性とお付き合いしているという噂を耳にしたのですが。本当ですか?』

 お兄さんは顔をしかめました。

『その話について、あやせはどこまで知っている?』

『残念ながら詳細については全く入ってきていません。桐乃の交際に関する話なのに……完全に蚊帳の外ですね』

 小さなため息が漏れ出ます。最近の桐乃はまたわたしに隠れてコソコソ何かをしています。それが何かは分かりません。

 ただ一つ言えることは、以前のオタク趣味のように徹底的に隠しているのではないことです。ごく自然にわたしの存在がスルーされている気がします。眼中にないというか。

 だからこそ以前の秘密よりも探るのが嫌な気分になります。

『なら、交換条件だ。手錠を先に外せ。そうしたら喋ってやるさ』

 お兄さんがニッと不敵に笑ってみせました。

『わたしとしては自白剤を飲ませて無理やり喋ってもらうという展開の方が好ましいんですが』

わたしもお兄さんに微笑み返します。

『ちなみにその自白剤に副作用はあるのか?』

『服用量を間違えると二度と正気に戻れなくなるという割とお約束な一品ですが、何か?』

『オーケー。俺が自分で喋るから、喋り終えたらこの手錠を外してくれ』

『対価交換的にはそれぐらいですかね』

手錠の鍵をお兄さんの目の前でちらつかせます。

 

『一言で述べれば、桐乃が御鏡っていう超エリートの優男と付き合っているというのは……桐乃の自作自演劇だった』

『ああ。やっぱり』

 頷いて返します。

『驚かないんだな』

『そんな気はしてましたから。桐乃が他の男性と付き合うはずがないって』

『他の、男性?』

『何でもありません。聞き流してください』

 桐乃がお兄さん以外の男性と付き合うはずがありません。だから、弱みでも握られて無理やりというパターンを除けば桐乃が誰かと付き合うなんてあるわけがないんです。

『わたしが聞きたいのは何故桐乃がそんな自作自演劇を行ったのかという点です』

 理由についても予測はつきます。でも、その場合はおそらく……。

『桐乃が何故そんな真似をしたのか俺にはよく分からん』

『……やっぱり』

 桐乃が真実をお兄さんに告げるはずがありません。つまりそういうことでしょうから。

『何でも、家族にどれだけ大事に想われているのか確かめたかったとか何とか。アイツは高坂家の至高の王女さまだってのに、何を今更言ってんだか』

 大きくため息を吐き出すお兄さん。やはりそういうことのようです。桐乃はお兄さんの愛情を試したと。でも、そんな真似をわざわざしたということは……。

『お兄さん。最近桐乃と何かありました? 桐乃を怒らせたり呆れさせたりするようなことは何かなかったですか?』

『桐乃とは顔を合わせれば何かしら難癖付けられて怒られてるからなあ』

 お兄さんに心当たりはないようです。まあ、この鈍感にこんな質問を聞くだけ無駄でしょう。となると──

『桐乃が彼氏云々を言い始めたのはいつでしたか?』

『う~ん。ついこの間の夏コミ、の時ぐらいじゃないかな? あん時、俺たちは初めて御鏡の野郎に会ったんだ。で、桐乃の彼氏疑惑が持ち上がり始めた』

『その夏コミの日にお兄さんと桐乃と一緒にいたのは誰ですか?』

 おそらくは、その人物が桐乃の心をかき乱して自演乙な展開を招いたはず。

『一緒にいたのは桐乃のオタク友達なんだが……あやせは面識無いだろ?』

『いいから、教えてください』

『黒猫と沙織って女の子だよ。2人とも高校1年生で桐乃より1つ年上なんだが、ヲタ仲間ってことで仲良し3人組を形成していつも楽しくつるんでるよ』

『…………そう、ですか』

 やはり黒猫さん、泥棒猫と一緒でしたか。つまり、桐乃は──。

『お兄さんは黒猫さんか沙織さんという方とお付き合いしていたりはしないのですか?』

『俺が黒猫か沙織と付き合ってる? …………いや、それはないからっ!』

 お兄さんの顔が真っ赤に染まりました。付き合っていないにせよ、2人の内のどちらか、いえ、黒猫さんと何かいい雰囲気になる展開を迎えていたのは間違いないでしょう。

 桐乃はそれが悔しくて自作自演劇でお兄さんの愛情を確かめようとした。

『俺は本当に黒猫と付き合ってなんかないからな! ちょっと気になることは言われたりしたけれど』

『いえ、それ以上おっしゃらなくて結構です。大体分かりましたから』

 お兄さんの話を打ち切ります。

 桐乃が焦って行動に移った以上、泥棒猫の接近は相当程度進んでいると考えざるを得ません。これはもう、手をこまねいている事態ではありません。わたしの方からガンガン攻めていきませんと。

 

『それじゃあ、約束通りに手錠を外しますね』

 椅子から身を乗り出して胸を強調する姿勢でお兄さんの手錠に鍵を入れて開きます。

『あ、ああ。ありがとうな』

 お兄さんは警戒しながら手錠を床に置いてわたしを見ています。

 そのまま牽制し合うこと数十秒。たまらなくなってわたしは口を開きました。

『お兄さん?』

『何だ?』

『何故、わたしに手錠を嵌めて性的虐待を行おうとしないのですか? 陵辱劇はどうしたのですか?』

『何を血迷ったことを言ってるんだ、お前は?』

 お兄さんが引いています。自分の欲望を隠しながら。汚いです。まったく。

『知ってるんですよ!』

『だから何を?』

『お兄さんがこの手錠をわたしの両手に掛けてベッドに押し倒して陵辱したい欲望でいっぱいだってことぐらいは!』

 指を差しながらお兄さんの秘めた欲望を暴き立てます。

 わたしは今日ここでお兄さんの毒牙に掛かりママになってしまう運命なのです。お兄さんがお腹の子を認知してくれるか否か。分からないのはそれだけです。

『俺はそんな鬼畜変態じゃねえっての!』

 お兄さんは大声で否定します。いまだ紳士ぶっています。

『嘘ですっ! お兄さんはわたしの純潔を無理やり奪いたくて仕方ないんですっ! わたしに赤ちゃんを産ませたいんです! 子供の名前はセバスチャンでいいですか?』

『そんな犯罪的思考は抱いてないっての! って、あやせの名づけセンス悪すぎっ!』

『いいからっ! 今すぐわたしに手錠を掛けて凄惨な凌辱劇を起こしてください! そして責任取ってわたしを娶るんですっ! わたしは外見だけじゃなくて家事も得意なお買い得物件ですよ。さあ、早くっ!』

 床から手錠を拾い上げて自らの両手に嵌めます。そして身を大きく仰け反らせながらベッドに仰向けにダイヴします。

 これでお兄さんにどんなひどいことをされても抵抗できません。当然お兄さんはわたしに全ての欲望を吐き出すことでしょう。

高坂の姓を名乗るのは黒猫さんではありません。このわたしなんですっ!

『きゃぁああああああぁっ! あやせたんのパンツがチラッと見えてるぅ~~っ!!』

 お兄さんは女性のような悲鳴を上げて

『あやせたんの痴女ぉ~~っ! 変態ぃ~~っ!!』

 随分な言葉を投げ付けながらお兄さんは出て行ってしまいました。

 

『チッ! 逃げやがりましたね、あの意気地なし』

 セクハラ発言は止まらない癖に、指1本触れる勇気はない。それがお兄さんです。

 もしかすると将来の彼女のために操を立てているのかもしれませんが。

『将来の彼女……泥棒猫の動向をよく注意しないといけませんね。もし、お兄さんを奪おうとするなら……』

 力を込めて手錠を引きちぎります。

 わたしの今後の目標が決まった瞬間でした。

 

 私たちの目の前に黒髪ロングのお嬢さま風少女が現れた。

 あれ? この女、どこかで……。

「あっ、あっ、あやせぇっ!?」

 先輩は少女の顔を見ながら身を仰け反らして驚いてみせた。全身が震えている。

「あやせ? …………ああ、去年の夏コミの帰りに遭遇したスイーツ2号のことね」

 桐乃のオタク趣味を全否定して彼女を苦しませた女。先輩や桐乃から話は度々聞いていたけれど、直接に出会うのはこれが2回目。ううん。今大事なのはそこではなくて。

「私が泥棒猫とはどういうことなのかしら、新垣あやせさん?」

 何故この女が私に敵意をむき出しにするかという点だった。この女もしかして。ううん。もしかしなくても……。

「人の男に手を出そうとする恥知らずな女だから泥棒猫と呼んだだけですよ。黒猫さん」

 あやせの瞳孔の開いた病んだ瞳が私を睨み付ける。

「へぇ~。それでは新垣さんは高坂先輩と男女交際をしている仲だと言うのかしら?」

 私も負けずにあやせを睨み返す。ヤンデレは初めてだけど、一般人のキツい視線なら慣れている。こんなことで負けてなるものですか。

「そ、それは……」

 あやせが一瞬怯む。私はその隙を見逃さずに畳み掛ける。

「先輩は新垣さんともうお付き合いしているのかしら?」

 強い目線で問い質す。

「そんな事実はない」

 先輩は首を横に振った。

 

「ですがわたしはお兄さんにセクハラを、性的虐待を受けているんです!」

 あやせは不敵な笑みを浮かべながら過激な言葉を口にした。

「セクハラ? 性的虐待?」

 先輩に対して更に強い非難の視線を向けてみる。

「あやせはからかうと面白いからちょっと調子に乗ってセクハラまがいの発言を何度も繰り返してきました。はい……」

 先輩はガックリとうな垂れながら認めた。

「先輩は新垣さんと随分仲が良いのねえ」

 鋭く睨む。こんな美人と仲が良いだなんて……。

「だっ、だって、黒猫はそういうエッチな雰囲気を含んだ話をすると固まっちゃうだろ。妹にはそんな話をしようもんなら連続で蹴りをお見舞いされる。だから、あやせ相手にしてたんだって」

「そう言えば先輩は赤城瀬菜相手にもよくセクハラまがいの発言を繰り返しているわね」

 先輩の中では女性のカテゴリーとしてセクハラまがいの会話をしていい、悪いがあるらしい。

「とにかく、貴方がこの底意地の悪い男にセクハラを受けている可哀想な少女だということはよく理解したわ」

 大きく息を吸い込みながらあやせに向かって頭を下げる。

「先輩の彼女として、彼の将来の妻として代わりに謝っておくわ。京介が大変なご迷惑をお掛けしたわね」

「おっ、おい。黒、猫?」

「先輩の彼女? 将来の妻? なるほど。面白いことを言ってくれますね」

 あやせの瞳が細くなる。代わりに狂気の色が濃くなっていく。

 

「さて、どうしたものかしらね?」

 去年の夏コミのあの日からこの女が相当歪んでいることはよく理解している。あやせが相当な暴力を有しているのは先輩や桐乃の反応からも間違いない。

 聞く所に拠れば、拳や蹴りに加えてスタンガン、手錠まで操ってくるらしい。

 どう対処すればこの場を上手く収められるかしら? 私に格闘の心得なんてない。

 ちょっと考えなしに煽ってしまったかもしれない。でもこの女に先輩を譲る気は毛頭ない。なら、私の取るべき行動は……。

「お兄さんを連れて逃げようとしてもそうはいきませんよ。わたしの後ろ以外の道は予め封鎖させてもらいましたから」

「えげつない方向で用意周到なのね」

「完全犯罪の完遂の第一歩は周到な下準備とその実践にありますから」

「完全犯罪、ね」

 ヤンデレは本当に始末が悪い。おそらく本当にあやせの後ろを突破しない限り出口はないのだろう。

 となると、隙を作るか隙ができる状況が訪れるのを待たないといけない。そんなことはこのヤンデレ相手に可能なのかしら?

 

「まあ、心配するな」

 私の頭の上に手がポンと置かれた。

「先輩?」

「何があっても黒猫は俺が守るからさ」

 先輩は私の頭を優しく撫でた。

「…………全身震わせてあやせを怖がっていた分際でよく言うわよ」

 私の頬は真っ赤になっているに違いなかった。

「でもここは私に任せて頂戴。あの子に隙を作って逃走路を確保するわ」

「そうか……俺だとすぐに地雷を踏みそうだからな。黒猫に任せる」

 先輩は頷いてみせた。

 さて、後はどうやってあやせを逆ギレさせない程度に動揺させるかだけど……。

「やっぱり、ヤンデレには正攻法でいくのが一番こたえそうよね」

 自分に都合の良い妄想ばかりを繋げるヤンデレには理屈や論理は通じない。だからこの手の輩には理論ではなく感情で揺さぶりを掛けるしかない。

 そう。私の先輩への想いをぶつけてあやせを動揺させるしかないのだ。

 

「新垣さん。ちょっといいかしら?」

「何ですか、泥棒猫さん?」

 大きく息を吸い込む。私のターン開始だった。

「私はね、先輩のことが好きなの。愛しているの。未来永劫来世においても彼を愛し続けると誓えるわ」

「く、黒猫……」

 私の告白に大きな動揺を見せたのは先輩の方だった。

「先輩は少しの間黙っていて」

「あ、ああ」

「それで、新垣さんの方はどうなのかしら? 先輩を愛しているのかしら?」

 あやせに挑発的な視線を投げかける。さて、プライドの塊であるお嬢さまはどう反応してくれるのかしらね?

「フッ。愚問ですね」

 あやせは鼻を鳴らした。

「わたしがお兄さんを愛しているかなど問題にはなりません。何故ならお兄さんがわたしを愛しているからです」

 胸を叩いて誇ってみせるあやせ。その表情は自信に満ち溢れている。

「わたしはお兄さんに目を付けられ性的虐待を受けた上で身篭って戸籍上の妻になることが運命づけられています。わたしが高坂あやせになる過程にわたしの意志など存在しないのです」

「だ、そうだけど?」

 先輩へと目線を向ける。

「先輩は新垣さんを意に沿わぬ妊娠をさせて妻に娶るおつもりなのかしら?」

「そんな大それたことは考えたこともございません。俺は女の子とおてて繋いで嬉し恥ずかしトキメキ青春を送れればそれで幸せですっ!」

 先輩は首を横に盛んに振りながらあやせの言葉を否定した。

「ということらしいけど?」

 再びあやせへと視線を向ける。さて、ここであやせがどんな反応を見せるかで彼女から脱出できるかどうかの分岐点となるわけだけど……。

 

「嘘。嘘嘘嘘嘘嘘。ウソウソウソウソウソウソウソウソッ!! お兄さんは泥棒猫の前だからって嘘をついていますッ!」

 

 ……ヤンデレが目を剥いて先輩の言葉を否定した。瞳孔が大きく開いていて見てて気持ち悪い。そして怖い。

「お兄さんは私を陵辱したくて仕方がないんです。手錠で拘束してベッドに押し倒して嫌がるわたしを無理やりモノにするんです。何度も何度も妊娠するまでっ! それがTrue Routeなんです! 唯一絶対の道なんです!」

 私は真性のヤンデレというものを甘く見ていたかもしれない。所詮は漫画やアニメやゲームの中にのみ存在する架空のキャラクター記号と高を括っていた。

「お兄さんはわたしを滅茶苦茶にしたい願望を抱えて止まない歪んだ愛の持ち主なんです! 生粋の犯罪者なんです! わたしはその犯罪の犠牲となる哀れな子羊なんです」

 本物の危険を前にして、私は自分が浅はかだったことを思い知らされた。

「ど、どうするんだ黒猫? あやせの奴、無茶苦茶怖いんだが……」

「偶然ね、私もよ。ここまでのヤンデレを秘めているなんて……想定外よ」

 私が先輩への愛情を訴えたように、あやせは彼女が考える先輩の彼女への愛を訴えて対抗する。

 事実無根で論理的には破綻した話なのだけど、想いの強さだけなら私に引けを取らない。

隙を作るどころかいつ暴発するか分からない危ないエンジンに燃料を注ぎ込んでしまった。

「でも、ここであの子の軍門に下る気はないわ」

 大きく息を吐き出して気分を落ち着ける。

「私の先輩への想いがあの子に負けるなんてあってはならないのよ」

 再び瞳を細めてヤンデレを睨みつける。私は負けない。絶対に。

 

「私は貴方が先輩をどれぐらい想っているのか訊いているのよ。先輩が貴方をどう想っているのかではなく」

「だからその質問なら意味がないとさっき!」

「いいえ。意味ならあるわ」

「どうあると?」

 ヤンデレの瞳が鋭くなりギラギラとした眼光をたたえる。

「貴方が先輩のことを好きでないのなら、私はこの身と生涯を掛けて貴方を守るわ」

 彼女に告げる。私の覚悟を。

「それは、どういう意味ですか?」

「私が……先輩のお嫁さんになって、他の女には目もくれないようにデレデレにしてやるわ。それでも不満だと言うのなら……先輩と2人で遠い地に引っ越してもいいわ」

「あ、あの、黒猫さん。それって……こっ、こっ、高校生夫婦ってことですかぁ!?」

「先輩は黙ってて。あやせと決着をつけないといけないのよ」

 先輩の方を見ずに答える。今彼の顔を見たら恥ずかしさで爆発してしまうから。

「さあ、私からの条件は提示したわ。新垣さんの答えを聞かせて頂戴」

 あやせに答えを迫る。

「さあ、貴方は先輩が好きなの? そうでないの? はっきりして頂戴」

 あやせを威圧しながら周囲を窺う。あの子の性格からいって、素直に答えられないのは明白。なら、その迷った瞬間に先輩の手を取って逃げるまで。

 私としては最高の戦術を練り上げた。

 でも、あやせはその更に斜め上を行く存在だった。

 

「わたしはお兄さんのことをドスケベのセクハラ野郎だと思っていますよ。そこに愛などありません。いえ、要りませんっ!」

「「えっ?」」

 予想に反してあやせは先輩への恋心を躊躇なく否定した。

「貴方、先輩と結婚する運命なんでしょう? 愛はないって言うの?」

「わたしは政治家業を営む新垣家の娘です。政治家一家の娘たる者政略結婚とは無縁ではいられません。ゆえに、意に染まぬお兄さんとの結婚も受け入れるのはわたしの中では当然のことなのです!」

「まさかブルジョワ世界のルールを自分に都合よく捻じ曲げてくるとは思わなかったわ……想定外よ」

 あやせは新垣家の結婚観を持ち出すことにより愛の無い結婚を正当化してしまった。彼女は嫌っているというポーズのまま先輩を手に入れる道を作り出してしまった。恐るべしブルジョワヤンデレ。

「ど、どうするんだ? あやせの奴、マジでヤバイぞ」

「あの子の病みを過小評価していたのは認めるわ……状況は厳しいわね」

 あやせが病みすぎて揺るぎないがために万策尽きてしまった。体が微かに震える。

 すると、先輩がそっと私の手を握った。

「心配するな。黒猫は俺が守るって言っただろ」

 私の手を握る力が段々と篭っていく。

「俺はまだ、お前に告白の返事をしていないからな。ちゃっちゃとこの場を切り抜けて、夕日の綺麗な公園にでも行こうぜ。告白の返事には最高のシチュエーションが大事だもんな♪」

 先輩は笑顔で私を元気づけてくれた。その笑顔はとても眩しくて優しくて。

「先輩はずるい」

「何がだ?」

「そんな顔を見せられたら……私はますます貴方のことを好きになってしまうわ。私ばっかり好きになって……そんなの不公平よ」

「不公平ってことはないと思うぜ」

「えっ?」

 先輩の顔を見上げる。彼の顔はとても赤くなっている。

「黒猫の話を聞いていてさ……俺も、お前のことが……」

 先輩が私の両肩を抱いてきた。私はただ彼を見上げて次の言葉を待つ。

「お、俺は、俺はな、黒猫、お前のことが……大好」

「言わせるかぁあああああああああぁっ!! こうなったら……わたしと一緒に死ねぇええええええええぇっ!!」

 先輩のとても大切な言葉を遮ってヤンデレがスタンガンを手に突っ込んできた。

 って、これ、ちょっとマズいんじゃないっ!?

 先輩が私のことを掴んでいるので2人とも俊敏な対応が採れない。

 絶体絶命のピンチ、だった。

 

「加奈子……アンタに決めたわ。この場を何とかして頂戴っ!!」

「へっ? オメェ一体何を言って……にょわぁあああああああああああああぁっ!?!?」

 

 どこかで聞いたような声が響き渡り、次いでフェンスを超えてツインテール少女が私たちの元へと投げ込まれてきた。

「痛ってぇっ!? 桐乃ぉっ! いきなり何をしやがるっ!」

 尻餅をついた制服少女は涙目になっている。この女は……。

「三次元メルル!?」

「加奈子!?」

 秋葉原のメルルイベントでメルル役をしている桐乃の友達に違いなかった。

 先輩も彼女のことは知っているらしい。

 一体、何故彼女がここに?

 

「加ぁ~~奈ぁ~~子ぉ~~~~っ! わたしの殺戮を邪魔するって言うのね? つまり、加奈子もお兄さんを狙っているのね。そうなのねぇ~~っ!!」

 あやせは目標を変更してメルルの襟首を掴んだ。

「な、何をわけの分かんねえことをほざいてんだ!? アタシは桐乃に何の説明もされないままここに連れて来られただけで」

「嘘っ! 嘘嘘嘘嘘嘘っ! それじゃあまるで桐乃の一番の親友は加奈子で、桐乃はお兄さんの恋人に加奈子を推しているみたいじゃないの」

「何を意味不明なことを続けてんだよ、テメェはよぉ」

 あやせはメルルとの会話に夢中になっている。

「今の内に逃げるぞ」

 先輩が私の手を引っ張りながら走り始める。

「でも、あの子が……」

「加奈子なら俺たち以上にあやせのヤンデレに触れて回っている機会が多いんだ。命まで取られることはないさ」

「…………分かったわ。ここはあのメルルとあの子に任せませしょう」

 視界隅のフェンス越しに見慣れた茶髪のストレートが見えた。詳細は分からないけれど、彼女なりの気遣いに違いなかった。

 私は先輩と歩調を合わせてこの場を駆け去っていった。

 

「まったくぅ……お兄さんと桐乃の両方の一番になろうだなんて……加奈子は欲が深いんだからぁ~♪」

「何言ってんだか分からねえけど……それ以上近づくんじゃねえ!」

「わたしとお兄さんの恋愛成就を邪魔するんなら仕方ないよね……わたし、加奈子だって殺せるよぉ」

「やっ、止めろ。近づくな…………ぎゃぁああああああああああぁっ!?!?」

 

 逃げていく途中でメルルの悲鳴が聞こえたような気がした。でも、先輩は握った私の手を離さずに走り続けた。私もそれに倣って走り続けたのだった。

 

 あやせから必死に走って逃げること15分。私たちは公園に到着した所でようやく速度を緩めた。陽はもうすっかり暮れて、茜色の光線が私たちを照らしている。

「ここまで逃げればもう大丈夫だろう」

「そうね」

 立ち止まる。久しぶりに心ゆくまで味わう酸素は美味しかった。

「あのメルル、大丈夫かしらね?」

「あやせもさすがに人殺しまではしないと信じたい。信じないと俺が不安と良心の呵責に押し潰される」

「まあ、桐乃もいるからどうにかしたでしょう……私もそう信じることにするわ。でないと胃に穴が開きそうだわ」

 息を整えながら先ほどの顛末について話し合う。もっとも、真相は分かりっこないのだけど。

「じゃあ、もう一つの話をしようか」

「えっ? もう一つって?」

 先輩は私の両肩を掴んだ。

「今日のやり取りでハッキリと気が付いたんだ」

 先輩が顔を寄せてくる。私の顔までの距離約10cm。

 突然の出来事に呆気に取られる中で先輩は言ったのだった。

 

「俺、黒猫のことが好きだ。付き合おうぜ」

 

 それはあまりにも唐突な返答だった。

「せっ、せせ、せっかくの愛の告白なのだから、もっとシチュエーションに気を付けなひゃいよぉ」

 先輩の言葉の意味が頭の中で上手く整理できない。

 えっと……私、先輩とどうなるっていうの?

「うん? 夕日の綺麗な公園の中、2人きりっていうかなりいいシチュだと思うんだが?」

 先輩は大きく首を捻る。

「ロケーションの問題じゃなきゅって、もっ、もっと、ムードを盛り上げてから告白して頂戴よね」

「…………なら、キスすっか」

「えっ?」

 先輩に言葉の意味を聞き返そうとした時、既に私の唇には先輩の唇が押し当てられていた。あまりにも唐突に訪れたファーストキス。

「もぉ……強引なんだから。ばか……」

 私はまばたきを繰り返して当惑した果てにようやく目を瞑って先輩のキスを受け入れる姿勢を取った。

 

 本当に何もかもが唐突だった。

 キスって何秒ぐらいするのが相場なのかも分からない。サービスで舌を入れるべきなのかも分からない。唇をついばむように動かすべきなのかも不明。

 ただただ先輩に任せる。こういう時、私は無知で無力だ。先輩にリードしてもらわないと何もできない。

 タップリ20秒以上の時間を置いてようやく先輩は私の唇を解放してくれた。

「私のファーストキスだったのに……もっとTPOを弁えなさいよ」

 自分でも丸分かりな熱に火照った顔で先輩に抗議する。

 先輩からのキスはとても嬉しい。でも、やっぱり、もっとタイミングというものを考えて欲しい。せっかくの記念なのだから。

「いや、ほら、俺たちもう恋人同士になったんだから、キスしてもいいかなって」

「まだ恋人同士ではないわ」

「えっ? 違うの?」

 先輩が大きく目を見開く。私は大きく息を吸い込んで深呼吸して先輩に最高の笑顔を向けた。

「先輩の愛の告白と交際の申し込み……喜んで受けさせてもらうわ」

 私が先輩の告白を受け入れる。その手順をどうしても踏みたかった。

「それじゃあ、ようやく俺たち……」

 先輩の表情がパッと花開く。

「ええ。想いが通じ合って恋人同士になったのよ……一生解けない呪いよ」

 私の想いが成就した瞬間だった。

 

「ところでさ、今回の件は俺から交際を申し込んだ形になるの?」

 先輩はまだ何か納得いっていないようで首を捻っている。

「そうよ。文句あるの?」

「いや、文句はないけどさ。付き合ってくださいって最初に言ったのは黒猫なんだし……」

 短くため息を吐いて答える。

「オスのプライドを立てて上げようというのだから感謝しなさい。私たちの結婚式の時に、おふたりの交際はどちらから申し込まれたのですかと質問されたら先輩からと答えさせてあげる栄誉をあげようと言うのだから」

 オスは本当につまらないプライドにこだわる。けれど、そんなつまらないプライドでも立てて上がるのが内助の功というもの。私は夫を持ち上げる妻でありたい。

「…………ありがとよ。黒猫は男を立ててくれるいい女だなあ」

「当然よ。私の価値をようやく理解したみたいね。ほんと……愚図なんだから」

 先輩の胸に飛び込んで頭を埋める。この人が私のたった1人の運命の男性なのだと思うと嬉しくて仕方ない。

「先輩……大好きよ」

「俺もだよ」

 私たちは2度目のキスを交わした。今度は……上手くできた。

 

「桐乃や沙織にも俺たちの仲を報告しないとな」

「そうね。明日の夏コミ仕切り直し打ち上げの時に報告しなければならないわね」

 

 見上げた茜色の空はとても綺麗で泣きそうになるぐらいに美しかった。

 先輩と2人でこうして見上げることができて本当に幸せ。

 

 千葉市の大空から三次元メルルが優しく私たちを見守ってくれていた。

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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