No.574449

熾火のような

さくみさん

一度つき合って別れてから再会する豪炎寺と夏未。

2013-05-09 01:36:46 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:2369   閲覧ユーザー数:2364

 

 だから気乗りしなかったのだ。

 雷門中サッカー部の同窓会。カラオケボックスでの二次会に遅れて合流した豪炎寺は、ドアを開けるなり、部屋を出ようとしていた夏未と鉢合わせた。

 ドアに伸ばしかけていた手を引っ込めて、夏未は怯えたような視線を向けてくる。豪炎寺は軽いため息を吐いて、とりあえず出ろと促した。幸いにも、まだ誰も豪炎寺が来たことに気がついていない。

 夏未が躊躇いながらすり抜けるように部屋を出るのを待って、豪炎寺はゆっくりとドアを閉める。浮かれた歌声とただやかましいだけの音楽が遠くなった。そして、二人向かい合ったまま沈黙する。

「あの……久しぶり、ね」

 先に口を開いたのは夏未だった。目を合わさずに、俯いたまま、絞り出すように出した声はわずかに震えている。

「ああ、久しぶり」

 豪炎寺はおうむ返しに答えてから、元気だったか、と尋ねた。

「ええ、見ての通りよ」

 微笑む夏未の表情は、最後に見た二年前とまったく変わっていなかった。長い睫毛を揺らして、不安を隠しながらも挑戦的に笑う。その瞳には負けん気の強い気質がよく表れていた。思わず当時を思い出して、豪炎寺は軽い目眩を覚えた。

 豪炎寺と夏未が思いを通わせ合って、ぎこちなくも甘い交際を開始したのは中学二年の終わりのことだった。骨の随からお嬢様体質の夏未につき合うのはなかなかに骨の折れることもあったが、それなりにうまくやっていたつもりだった。受験前の多忙な時間の合間を縫って、二人は会瀬を重ねた。豪炎寺の退屈な話にも夏未はよく笑ったし、そんな夏未を愛しいと思っていた。

 しかし、蜜月の時間は長くは続かなかった。

 中学を卒業して、豪炎寺と夏未は別々の高校に進学した。豪炎寺は今まで以上にサッカーに明け暮れ、夏未と過ごす時間も少なくなった。初めの頃こそまめに連絡をよこしていた夏未も、夏が終わり、秋を迎える頃にはメールを送ってくることすら稀になった。豪炎寺も、忙しさにかまけて自主的に連絡を取ったりはしなかった。そして、そのまま自然消滅という形で終焉を迎えた。男女の間にはよくある話だ。

「あなたは来ないと思ってたわ」

 だから参加したのに、とでも言いたげに夏未は視線を外す。古傷の攣れるような痛みが胸の奥に走り、豪炎寺は顔を顰める。

 痛む理由などないはずだった。

 豪炎寺の中で、夏未の存在は完全に昇華されたものになっていた。多少の引け目はあったものの、顔を合わせたところで困るわけでもなかった。むしろ、夏未の方が嫌がるだろうと遠慮したくらいだ。そして、実際に夏未の反応は芳しいものではなかった。

 それならなぜ来たのかと言われれば、魔が差したとしか言いようがない。幹事にはとっくに欠席の知らせを出しているというのに、当日になって円堂が突然電話をかけてきたのがいけない。前回も来なかったのだから、軽く顔を出すくらいいいじゃないか、カラオケならどうせ個々に会話をする暇もないだろう、とそそのかしたのだ。すべてを人のせいにすることで、豪炎寺は痛みを忘れた。

「ねえ、夕香ちゃんは元気?」

「俺より先に夕香の心配か」

 思わず苦笑する。そういえば、夕香は夏未によくなついていた。休日に三人で連れだって出かけたことも少なくない。会わなくなってしばらくは、夕香にも夏未はどうしたんだと質問を受けた。そのたびに笑ってごまかしていたのだが。

「じゃあ、あなたのことも訊いておこうかしら」

 ついでとでも言わんばかりの言いように、また苦笑が漏れる。何がおかしいの、と睨みつける夏未を手で制して、豪炎寺は口を開いた。

「順調だよ」

「例えば?」

「……海外のプロチームからスカウトがあったんだ。ほぼ内定だよ。卒業したら日本を発つ」

「知ってるわ」

「どうして」

 豪炎寺は目を見張った。豪炎寺の進路は、まだ正式に公表されていない。

「私は雷門中の理事長代理よ。OBの動向には常に目を向けているわ。あなたみたいに実績のある人なら、なおさらね」

「なるほどな」

 さすが、雷門のお嬢様はぬかりない。全国サッカー協会理事の娘ともなれば、そうした情報を得るのはたやすいことだろう。

「雷門はどうなんだ」

「どうって?」

「何か変わったことは?」

「そんなの……特にないわ。忙しくて」

「何かあるのか?」

「言ったでしょ。私は理事長代理なのよ。ただ気楽に女子高生をやっていればいいってわけじゃないの。一応、進学の準備もあるし」

「進学?」

「ええ、国際学部に進もうと思って」

「意外だな」

 折に触れ、早く一人前になって父を手伝いたいと言っていた夏未だ。てっきり高校を卒業したらそのまま本格的に学校経営に携わるものと思っていた。

「十八の小娘がいきなり一人前の顔をして社会に飛び出したところで、すんなり受け入れられると思って? なめられて終わりよ。今までだってそうだったもの。周囲に付け入る隙を与えるような要素は潰しておくべきだわ。それに、私自身まだ自分を未熟だと思っているもの。もっと勉強して見識を広げないといけないわよ」

 へえ、と豪炎寺は瞠目した。

「雷門が自分のことを小娘だなんて言うとはな」

「これでも客観的に自分を見られるようになったつもりよ」

 夏未は目を細めて得意げに笑う。美しく紅を引かれた唇がくいと弧を描いた。その匂い立つような色香に思わずぞくりとする。

 元々、年齢よりも大人びた容姿をしている彼女だ。凛とした美貌の内からほのかに漂う色香には慣れているはずだった。それなのに、今目の前で笑う彼女の表情は、つい先ほどまでとはまるで別人のように妖艶な色を纏って豪炎寺を戸惑わせた。その目元も口元も、何より顔つきが、隠す気もないほどに艶めいているのだった。

 もう誰かのものになったのだろうか。下世話な考えに至り、豪炎寺は身震いする。凪いだ海の水面に突如漣が立ったようだった。

 何を今さら気にしているのだ。夏未が誰とつき合おうが、誰の手に抱かれようが関係のないことだ。しかし、無関係だと思おうとすればするほど、細い腕を掴んで引き寄せたくなってしまう。

「トイレ」

「え?」

「行くんじゃなかったのか。我慢するのはよくないぞ」

 さも気遣っているような顔をして、豪炎寺は笑った。頬がひくつくのを感じる。

 苦肉の策だった。どちらにしろ、同じタイミングで部屋に入るのは得策ではない。豪炎寺と夏未の関係は、今日の面子なら大抵の人間が知っている。あの頃も、あれからどうなったのかも。

「あなた、それが女の子に対して言う言葉? ちょっとデリカシーに欠けてるんじゃなくて」

「それは悪かった」

 早く行けよ、と促すと、夏未は一瞬子供じみた表情でむくれた。それから踵を返すと、ヒールの音を高らかに響かせながら廊下を歩いていった。それを見送ってから、豪炎寺はドアを開けた。再び騒がしい音楽が、旧友たちの笑顔と共に豪炎寺を出迎えた。

 カラオケボックスを出ると、もう辺りは暗くなっていた。白い息を吐きながら、豪炎寺は空を見上げた。昼間の晴天が続いているらしく、星がよく見える。少し離れた場所では、円堂と半田がこの後の行き先について話し合っていた。

 豪炎寺は夏未の姿を探した。らしくもなく、女子だけで固まって親密にしている。

 手洗いから戻ってきてからの夏未は打って変わってよそよそしく、まるでこちらを牽制するかのように秋の傍から離れなかった。もちろん、その眼差しが豪炎寺に向けられることは偶然にすらなかった。

 嫌われたな、と思った。先ほどはうまく会話できていたと思っていたが、豪炎寺の錯覚だったらしい。しかし、背景を考えれば嫌われるのも無理のないことだった。そう考えて、豪炎寺は一つ溜め息をつく。

「おーい、皆、注目!」

 円堂が声を張り上げる。練習の指示を出すキャプテンの口調だった。

「とりあえず、飯食いに移動するぞ。駅前のファミレスな」

 円堂の指示に、一同ぞろぞろと歩き始める。どうやら全員このまま移動するらしい。出遅れた豪炎寺の元に、円堂がやってきた。

「豪炎寺も行くだろ」

「いや、これから用事があるから帰るよ」

 半分本当で、半分嘘だった。家族間の些細な約束だ。それも、ただ家で夕食を摂るというだけの。反故にしたところで咎められることもないのだが、自分と夏未が同席した際の周囲の空気を思うと、このまま残るのも憚られた。何より豪炎寺自身が耐えられそうにない。先ほど抱いた感情がよみがえり、豪炎寺は軽く首を振った。

「豪炎寺君、帰るの?」

 二人の会話を耳ざとく聞きつけた秋が割って入ってくる。傍らの夏未に目をやると、顔ごと視線を逸らされた。美しく手入れをされた長い髪が揺れて、豪炎寺を柔らかく拒む。

「ああ、約束があってな。久しぶりなのにすまないが」

「気にしないで。ちょっと残念だけど。その代わり、夏未さんのことお願い。夏未さんも帰るって言うから」

「え?」

「ちょっと木野さん……!」

 夏未が取り乱した様子で秋の腕にすがりつく。その腕を、さらに春奈が脇から押さえた。

「夏未さん、もう暗いし送ってもらった方がいいですって」

「場寅を呼ぶわよ」

「いいじゃないですか、久しぶりに会ったんだし。全然話してないんでしょう?」

 夏未は一瞬、う、と唸って言葉に詰まった。その隙に、春奈は豪炎寺を見上げる。

「そういうわけなんで豪炎寺さん、よろしくお願いします」

「あっ、いや……」

 春奈はぺこりと頭を下げると、豪炎寺の答えも待たずに秋と円堂の手を引いて、だらだらと歩く集団の後を追いかけた。

「あ、じゃ、じゃあね、夏未さん」

「またな、豪炎寺」

「ま、待って、音無さん! 木野さん! ……円堂君!」

 秋と円堂がかろうじて振り返りながら別れを告げる中、夏未の訴えは空しく消えていった。店の前に取り残された二人は、顔を見合わせて、ばつが悪そうに口元を歪める。二人とも無言だった。正確には、話したくても言葉が出ないのだ。睨み合ったまま、互いの心を探り合っていた。

「じゃあ……行くか」

 ようやくそれだけ言うと、夏未は黙ったまま頷いて、思いつめたような顔をして目を伏せた。つい漏らした溜め息に反応して、夏未の体がびくりと震える。その様子は針のように豪炎寺の心を刺したが、見なかったことにして歩き出した。夏未は半歩遅れてついてくる。

 互いの戸惑いをそのまま体現したような妙な距離感を保ちながら、喧騒の中を物も言わずに歩いた。大声で騒ぎ立てる酔っぱらいの集団、いかがわしい店の客引き。週末の繁華街は、重苦しい沈黙を飲み込んでなおきらびやかで、豪炎寺を苛立たせた。

 やがて繁華街を抜け、閑静な住宅街へと入っていく。相変わらず二人の間に言葉はなかった。その重苦しさを振り切るように豪炎寺はただ歩いた。背後から、こつこつと規則正しい足音がついてくる。沈黙の中、それはまるで豪炎寺を追い立てるように響いた。

 そろそろ限界だと思った瞬間、あの、と夏未が口を開いた。豪炎寺は立ち止まって振り返る。

「約束って……彼女?」

「は――」

 思いもかけない質問に、一瞬反応が遅れた。それを肯定と捉えたのか、夏未は突如早口で捲し立てる。

「い、いいのよ、別に。豪炎寺君はモテるんでしょうし、彼女がいたって何もおかしくないわ。だから、あの、私なら平気だから……ね、ほら、私なんかと一緒にいて誤解されたら困るし――」

「雷門」

 暴走したように次第に速まる口調と共に、夏未の顔が赤くなっていく。その様子は滑稽なほどであったが、それをからかうつもりもなかった。やや大きな声で制して、静かに告げた。

「今は、いない」

 夏未はぴたりと動きを止め、そう、と息を吐いた。その溜め息の意味は、豪炎寺には量りかねた。

「だから余計な心配するなよ。夜道を女一人で歩かせるほど、俺は薄情じゃないぜ」

「そうね、あなたはいつだって優しかったわ」

 懐かしむように夏未の瞳が揺れる。過去形の物言いが気にかかったが、追及はしなかった。

「それに、こんなところまで来て今さらだろ。……まあ、雷門につき合ってる奴がいるっていうなら話は別だがな」

「わ、私だって……! 私だって、そんな人いないわよ。そんな……そんなに軽い人間じゃないわ」

「誰もそんなこと言ってないだろ」

 話の飛躍に呆れると同時に、自分はずいぶんと信用がなかったのだなと落ち込んだ。実際、好意を寄せられることは多々あったし、夏未と別れてからは目に見えるようにアプローチしてくる者もいた。しかし、豪炎寺はそれらのどの好意も受けるつもりはなかった。その言い訳に使われるのは決まってサッカーだった。今思えば、理由は他にあったのかもしれない。まさに今、豪炎寺の目の前に。

「ごめんなさい」

「別に、気にしてないさ」

 すぐにばれるような嘘をついた。しかし、夏未の表情は変わらない。

「あの、私――」

 胸元で手を握りしめ、思いつめたような表情で夏未は何かを言いかけて、やめた。どうした、と尋ねると、小さく息を飲む音が聞こえる。何かを決心したらしい、猫のような瞳が豪炎寺を見上げた。

「私、豪炎寺君のこと、嫌いになったわけじゃないのよ」

「そうなのか」

 純粋に驚いた。つい先ほどまでの反応から、すっかり嫌われたものと思い込んでいたが、そうでもないらしい。豪炎寺の反応に、夏未は心外とばかりに眉を吊り上げる。

「そうよ。豪炎寺君ったら、何もわかってないんだから。さっきだって……」

「さっき?」

 何か言われただろうか、とカラオケボックスでのやり取りを思い出すが、今ひとつぴんとこない。

「理事長代理だから、って」

 そう言われてようやく思い当たるものの、言外の意味があるとも思えず首を傾げる。夏未は苛立った様子で、嘘よ、と呟いた。

「は?」

「嘘だって言ったの。OBの動向なんてどうでもいいわ。もちろん、気にかけてないわけじゃないけど」

 豪炎寺はわけがわからないまま、ただ夏未を見つめた。

 何を言っているのだろうか。

 豪炎寺には、夏未の真意が見えなかった。それで、と先を促すと、夏未は小さく溜め息を吐いた。そこには、はっきりと落胆の色が表れていた。

「本当は、あなたのことが気になってたの。離れてからも、ずっと」

 鈍器で頭を殴られたような衝撃に襲われた。動悸が激しくなり、胃がせり上がる感覚を覚える。

「あなたと離れてから、私は理事長代理の業務と進学の準備に明け暮れたわ。その合間に、新聞や雑誌であなたの記事を見るのが楽しみだった。忙しい毎日の中で、あなたの存在が私の拠り所だったの」

 懐かしい思い出を愛おしむように、夏未は目を伏せた。一方で、豪炎寺は恐ろしいほどに動揺していた。夏未も自分と同じように、あの頃のことは思い出として昇華してしまったものだと思っていた。日々の激務の中、豪炎寺を思うことで心の安息を得ていたなど考えもしなかった。背中を汗が一筋伝った。口の中の水分が、ものすごい勢いで奪われていく。

「あなたが日本を離れるって知ったのは一週間ほど前だったわ。当然の選択だと思った。あなたの才能は、国内でおとなしく収まっているほど小さくはないものね。ただ……」

 そこで夏未は言葉を切って俯いた。先を言うべきか、迷っている様子だった。

「ただ、何だ?」

 先を促す声が掠れた。夏未が口元だけで微笑む。

「ただ、日本を離れたら、あなたは私を忘れてしまうって、思ったの。でも、それでいいと思ってた。あなたはきっと、私とのことにはとっくに区切りをつけていたんでしょうから。だから今日、あなたが来なかったら諦めるつもりだったの」

 それなのに。

 鋭い視線が豪炎寺を咎める。

「なのに、どうして来るのよ」

「雷門」

「諦められないじゃない。私、ずっとあなたのこと忘れられないじゃない」

 夏未の顔が悲痛に歪んだ。

 多忙な生活の中に身を置けば、忘れられると思っていたのだろう。かつて、豪炎寺がそうだったように。しかし、実際は違った。行き場をなくした思いがただ心の中でくすぶっているだけだった。そして、その炎は、些細なきっかけで再び燃え上がることになってしまった。たった今、豪炎寺がそうであるように。

「ねえ、豪炎寺君。あなたはまだ、私のことを見ていて?」

「な……」

「厚かましいかもしれないけど、もう一度――」

 もう一度、最初からやり直してみない?

 先ほどから、信じられないことの連続だった。しかし、そうだ。夏未はこういう人間だった。喜びと諦めとが一度に押し寄せて、ため息に似た笑いが漏れる。

「……豪炎寺君?」

「そういうことを言うのは、男の役目だと思ってたんだがな」

「いけなかった?」

 いや、と豪炎寺は首を振る。

「悪くない」

 手を取って指を絡める。夏未が小さく息を飲んだ。長い髪に手をかけると、細い体が強張る。まるで中学生のようだ、と思った。妙な感覚だった。初めてのときのように胸が高鳴る。

 三年前と同じように、夏未は驚いて泣き出しそうな顔で豪炎寺を見つめた。火照った顔を覗き込み、豪炎寺は唇を寄せた。真一文字に結ばれた唇が躊躇いがちに開いて、豪炎寺を受け入れる。

 本当にまた、最初からだ。奇妙なこそばゆさに襲われながら、薄く微笑んだ唇で、豪炎寺は「好きだ」と囁いた。

 

 
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