No.548700

相良良晴の帰還18話中編

D5ローさん

まず最初に、拙作を楽しみにして頂いている皆様遅れて申し訳ありませんでした。

仕事の合間の更新で、次回の更新も不定期になりますが、中編の更新を致します。

2013-02-25 23:14:49 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:17660   閲覧ユーザー数:15273

ついに開戦予定時刻を迎えた信奈達は各々配置につき、あらかじめ決めておいた奇襲の合図をじっと見守っていた。

 

合図を待つ彼らには、もはや雨音や宴会をしているもの達の喧騒は聞こえず、その意識は村娘の一人が持つ合図用の扇にのみ向けられる。

 

すると、それに答えるかのように、その合図…扇が、わざと転んだ村娘の手から放たれた。

 

織田の兵達の目がギラリと光る。

 

己を鼓舞するかのように声をあげながら、織田軍は四方から下に広がる今川軍目掛け切り込んでいった。

 

織田軍と刃を交えてすぐに、今川の兵達の多くは、己の体に違和感を感じ始めた。

 

おかしい、自分達は眠りこけた者どもと違って、酒の量はほどほどにおさえたのに、異常に体がだるい(・・・・・・・・)

 

本来ならば不意をつかれたぐらいでは、びくともしないはずの戦列が、あちらこちらで崩れてきている。

 

不可思議なその体の不調に疑問を持ちながらも、格下のはずの織田軍の攻勢を、今川軍は必死でさばき続けた。

 

さて、勿論、彼らの不調は良晴によってもたらされたものであるが、その内容を説明しよう。

 

まず、彼が事前に行っていた塩の販売制限と値上げは、実は行軍を遅らせる事の他に、もう一つ意味があった(・・・・・・・・・・)

 

その意味とは、何か。

 

それは、今川軍の兵に行き渡る食料を少なくしてしまう(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)という意味である。

 

なぜ、塩の値上げが今川軍の食料の減少につながるのか。

 

この時代の貨幣制度と、貨幣にその理由があった。

 

まず、この時代、貨幣は基本的に大型の金属の硬貨及び金、銀等の貴金属(割合的に少ない)のみであり、とにかく重くかさばる。余分に持ち歩こうにも、限度があった。

 

さらに、この時代には当然、銀行のようなものは存在せず、そのため途中で金銭を補給しようにも、財産を自由に引き出したり預けたりすることが出来ない。

 

そもそも、全国展開をしている店がない。この頃の日本は、国境を超えれば治めている武家によって制定されている法律すら違うので、国元を出れば『別の国』といっても過言ではないからだ。

 

そんな中で、必需品が値上がりした場合、今川軍の上層部はどうするだろうか?

 

このまま進軍を続ければ、途中で金銭が尽きる可能性が高い。

 

しかし、商人から金を借りるにしても、大量の金銭を扱う事の出来る大商人は限られているし、もし借りることが出来たとしても、当然、その金額が増えれば増えるほど、利子込みで返さねばならないのに、素直にそれに頼るだろうか?

 

結論としては彼等は良晴の予測通り、他所から金を借りたり徴発することはせず、他の分野に回す金を少なくすることで、軍を維持した。当然、その中には糧食に回す金も含まれる。元よりそこまで上等とは言えなかった兵達の食事が更に粗末な、最低限の栄養がとれる程度のものに成り下がった。

 

加えて、わざと橋を破壊するなどの妨害行為により、兵の体に疲労を蓄積させる。

 

その結果、彼等はどのような状態になるか?

 

空腹、疲労、それに伴う体の免疫機能の低下。

 

全て、『酔いの回りやすい状態』に陥る要素である。

 

さらに不幸なことに、酒の影響を自覚するのは飲んでいる最中(・・・・・・・)ではない。

 

今回彼等が身を持って経験したように、戦闘行為等の激しい動きをし始めたときに、初めて体が思うように動かない事に気づくのだ。

 

多くの兵達は、この『見えない毒』により、その戦闘能力を発揮できないまま、鎮圧されていった。

 

だが、今川軍も弱卒ばかりの軍ではない。

 

当然、その『毒』を回避した者達もいた。

 

だが、残念ながら彼等は、知らなかった。

 

今の織田軍が、自分達の予想を遥かに上回る質と量を持っている事に。

 

例えば、左翼の軍と接触した軍は、奇襲した軍を見ただけで、自らの甘さを後悔するはめになった。

 

そう思うのも無理はない。

 

なんせ先鋒を務めるもの達が、そもそも人間ではない(・・・・・)のだ。

 

竹中半兵衛率いる式神、十二神将。

 

異形の者達に襲いかかられた兵達は次々と隊列を崩し……

 

道三が率いる後方の兵に押し包まれ、次々と鎮圧されていった。

 

一方、右翼軍は開戦後程なくして、その陣列を見る影もないほど乱していた。

 

これは、勿論勝家のずば抜けた実力がもたらしたものであるが、それだけではない。

 

少し時は遡る。

 

機を伺ってじっと待っていた勝家の元へ、良晴から一通の手紙が届いた。

 

不思議に思いながら勝家が折り畳まれたそれを開くと、そこには勝家の実力がこの戦には不可欠であるという激励の言葉と共に、ただ一言だけ命令が書かれていた。

 

その内容とは、『とにかく何も考えず中央へ今川義元を押し込めてほしい。後は中央軍でどうにかする』というものであった。

 

勝家は歓喜した。

 

織田軍随一の騎馬戦闘の達人である勝家であるが、その一方で、彼女は頭を使う事が苦手であった。

 

しかし、この作戦なら、自分の持ち味を最大限生かせる上に、何も考えずにすむ。

 

こうして、良晴の『勝家に下手なこと考えさせるより、一つのことに集中させよう』という思惑通り、勝家率いる右翼軍は、命令通り、勝家・犬千代の織田軍最強コンビを中心として半数が無力化された義元軍を容赦なく攻め寄せ……

 

今川軍を中央に押し込むことに成功した。

 

そして、ついに、良晴率いる中央軍が今川軍に接敵する。

 

そこで彼等は、今日最大の恐怖を味わう事となった。

 

それは奇妙な集団であった。

 

二刀を持つ未だ年若い少年を先頭に、長槍を持つ兵が続く一団。

 

誰も乗馬していない一団を訝しみながらも、彼等は取り敢えず槍を構えた。

 

……瞬間、少年の姿が消えた(・・・・・・・・)

 

思わず辺りを見回した兵に走る衝撃。

 

膝を曲げ、沈みこんでいる体制から放たれた上段蹴りは、兵士の一人の顎を正確に捉え、そして、周りの兵共々ぶっ飛ばした。

 

唖然とした敵兵を横目に、良晴は蹴り足を素早く地面に戻すと、体勢を低くしたまま、すり抜けるように敵兵を無力化しつつ、今川義元のもとへ向かった。

 

同時に、良晴配下の軍勢も動く。

 

奇襲や策による優位による油断を少しも感じさせない彼等は、前列に一人、後列に二人という三人組となったあと、気合いを込めて叫んだ。

 

「一(いち)っ!」

 

「甘い!」

 

前列気合いと共に放たれたその攻撃、顔面を狙った槍は、しかし、今川の兵達に次々と阻まれる。

 

気合いは十分であるが未熟な腕前の攻撃をいなした今川兵は、そのまま反撃のために槍の穂先を受けた刀に力を込めた。

 

瞬間、彼らの両腕に走る衝撃。

 

槍を受け止め動きが止まった腕に、いつのまにか後列二人の槍が深々と突き刺さっていた。

 

引き抜かれると同時に、勢いよくその傷口から血がしぶき、今川兵の手から、音を立てて転がる刀。

 

無防備になった今川兵の喉に、再び槍が突き出された。

 

力が抜けた両手を庇いながら、今川兵は混乱した。

 

多くの兵たちの頭に、一つの疑念が浮かぶ。

 

『・・・なぜ、届く。』

 

戦法は理解できる。

 

乱戦中で大きく避けることの出来ない槍の一撃を頭部に放ち、ワザと受けさせた後、後方の二人が動きの止まった腕部を串刺しにするというポピュラーなものであることは。

 

だがそれを行うには、一つ問題がある。

 

位置の関係上、後方二人の槍は、通常より長くなければならない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

そんなもん、当たり前だろと多くの現代人は思うかもしれないが、この時代の武士にとって、その考え方は、はっきり言って『異端』以外の何物でもなかった。

 

この時代、『足軽』という兵隊は基本的に消耗品である。

 

当然、彼らの武器を特注で作るなんて事は普通はしない。(余計に金掛かるし)

 

さらに言ってしまえば、槍という武器の特性を考えると、乱戦での取り回しや薙ぎ払いに使用する事を考え、一定の長さ以上にしないのが普通である。

 

一点突破用に『突く』事に特化し他の機能を犠牲にした長槍など、お金の無駄遣いも良いところであった。

 

乱戦の中、敵の総大将の下への道をこじ開ける(・・・・・・・・・・・・・・・・)という今目の前に広がっている戦場ぐらいにしか十全に使えないのだから。

 

『織田の田舎もんの浅知恵にやられるとは……』

 

この一戦のためだけに長槍を揃えるという良晴の常識はずれの策に嵌められ、『三段突き』と名付けたその戦術により、質で劣る尾張兵は、次々と今川兵を倒していった。

 

黒き鱗の龍が舞う(・・・・・・・)

 

自身に迫る敵軍を目の当たりにしているのにもかかわらず、今川義元は、それから目を離すことが出来なかった。

 

黒を基調とした武具に身を固めた青年の、戦場にはあまりにも不釣り合いな美しい『舞い』に。

 

一方で、その『舞い』を目の前で見せられた今川兵はたまったものではなかった。

 

槍で突いても、刀でなぎ払っても、そのことごとくが、当たらない。

 

いや、この表現では正確さを欠くだろう。

 

正確に言えば、相手の防御が崩せない(・・・・・・・・・・)

 

別に姿が霞のように消える訳でも、刃が刺さっても血が出ない訳でもない。

 

ならばなぜ、その刃は届かないのか?

 

『環境利用闘法』

 

彼がその生涯をかけて編み出した、なんかこれ〇キで見たことがある、という戦法がその種である。

 

やり方は、言うだけならば簡単だ。

 

『敵兵を無力化し、障害物として、利用する』という一言で説明はこと足りる。

 

実際にやる場合、尋常ではない手間がかかるが。

 

そう、例えば今、眼前に広がっている光景のように。

 

今川兵とて棒立ちでただ斬られていたわけではない。

 

各々の武器を使い、良晴に対して攻撃は加えた。

 

四方八方からの攻撃は、愚かにも突出した若き武士の体に食い込むはずであった。

 

彼の技量の高さと、彼らの眼前にある障害物(・・・)さえなければ。

 

今川兵たちは当初、槍で囲めば止まるだろうと安易に考え、ただただ槍を構えた(・・・・・・・・・)

 

瞬間、良晴の手がぶれる。

 

気づけば、その内一本は、既に半分ほど切り落とされていた。

 

その事実を構えた者達が認識するのと、一人の今川兵の胸部の具足が砕け散った(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)のは、ほぼ同時だった。

 

直進し続けたことにより発生した運動エネルギーを込めて、鉄で補強した肘によって放たれた手加減なしの一撃は、みぞおちに入ると同時に、相手の意識を刈り取っていた。

 

その相手を、そのまま背に抱えて投げる。

 

良晴は抵抗の無い体を一本背負いの要領で片手で素早く投げ飛ばすと、そのまま手を離した。

 

勢いよく跳ね上がった兵に皆の意識が移った瞬間、残った刀で一人の頸動脈をなぞる。

 

吹き出す血潮にまた、多くの兵に動揺がはしるが、流石に数名から槍の一閃が飛ぶ。

 

だが、その刃は一つとして直撃しない。

 

当たらない訳ではない。 ただ、全ての攻撃を小手でいなし、刀で弾いているだけである。

 

そして槍が引いたのにあわせて先ほど敵兵を投げる際に地面に置いた刀を足で器用に跳ね上げ、再び突貫していく。

 

相手が多数である事を逆手に取り、敵兵の体を使って死角を塞ぎ、相手の行動を阻害する。

 

その連続により、良晴は凄まじい速度で今川義元の下まで近づいていた。

 

なぜ良晴にこういった事が可能であるのか。それは、彼の前世での立場が関係していた。

 

彼は余所者である。しかも身寄りと言えるものなど一人も居ない。

 

現代では『ふーん、そうなんだ。』で済むこの問題は、戦国時代では致命的とも言える欠点であった。

 

それは何故か?

 

一つ考えてみよう。

 

現代では当たり前である信奈の『実力主義』が何故この世界では異端とされる(・・・・・・・・・・・・・・)のか?

 

それは、この世界での『血筋』や『名家』というものが、現代では考えられないくらい非常に重いからである。

 

勿論、身一つで転移した良晴にはそんなものはなく、そのため、そういった規律の緩い織田家中であっても、良晴は風来坊という血筋の低さをカバーするため、普通に武家に生まれた者達から見ればあり得ない量の戦場を経験することとなった。

 

信奈に相応しい男となるために無茶をしていたことは否定しない。

 

が、しかし今述べた事も彼の合戦回数の多さの大きな理由の一つであった。

 

でも、それでも一定以上偉くなればもう戦場に出る事は少なくて済むのでは?

 

確かにそうだ。

 

前述した理由は彼女が亡くなった時点でその理由は喪失しているし、そもそも事件のだいぶ前に家老まで地位を上げていた良晴は、本来ならばこれ以上、自身が先陣を切って戦う必要は無かった。

 

ならば何故、良晴は戦ったのか。

 

勿論、部下だけに戦わせて自分は安全な場所でのんびりすることに拒否感があったことは認める。しかし、それだけならば、自身の立場を考えて自重出来た。

 

それが出来なかったのは、端的に言えば信奈の母親のせいであった。

 

信奈に認められてから数々の功績を立てたとはいっても、やはり尾張の旧来からの武家からは、良晴は侮られる対象であった。

 

だが流石に、理由もなく謀反は起こせない。さらに言えば、信奈の逆鱗に自ら触れようとする気概のあるものも、信奈が生きていた頃にはいなかった。

 

その中での『本能寺の変』。

 

その混乱を利用して、信奈の母親はあろうことか、信澄を信奈の後継にしようと御家騒動を起こした。

 

無論、信澄は即座に降伏し、良晴は恨まれることを覚悟で首謀者たる母親を手にかけた。

 

だが、当然、織田家中には内乱の芽が残ってしまった。

 

いっそ徹底的に粛清の嵐を吹かせれば収まったかもしれないが、全国統一前にそんな事をしていれば、『信奈の遺志を継ぎ天下統一』という夢は泡と消える。

 

どこかの武家に婿養子にでも入り後ろ楯を持つ事も考えたが、総大将を失ったばかりの混迷期にそのような事を行えば敵国につけ入れられる隙を生じさせるだけ。

 

良晴が無難に自軍をまとめあげるには、もはや自身の手で有無を言わさぬほどの功績を立てる以外無かった。

 

日本全国の戦場を、血にまみれ、傷付きながら過ごす日々。

 

こうして、幾千の夜を超え、その半生を戦場にて過ごすという、一人の軍神が、そこに生まれたのである。

 

(第十八話中編 了)


 
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