No.546376

あやせたんテンション下がる

あやせたんと作者のテンションは共に低いというお話。

過去作
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2013-02-19 22:37:44 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:2004   閲覧ユーザー数:1910

あやせたんテンション下がる

 

 

「あなた……起きてください。お仕事に遅刻してしまいますよ」

 スズメの鳴き声を聞きながら朝の爽やかな日差しに照らされている夫を起こす。

 結婚してちょうど3ヶ月。新婚さんとなったわたしの新たな日常の一コマです。

「今日はまだ眠いんだよぉ~」

 大学4年生であり、父の私設秘書として働いてもいる京介さんの1日は大変忙しいです。

 毎日毎日夜遅くまでやることでいっぱいです。ですからその反動で朝はとってもお寝坊さんです。もう大人なのにわたしがいないと起きられないとっても困った男性です♪

「京介さん。今すぐ起きてくれないとおはようのキスをしてあげませんよ」

 夫にちょっと脅迫じみた挨拶を発します。

 本当は夫の寝顔にわたしの方から今すぐにでもキスしたいです。

 だけどそうはしません。新妻高坂あやせは良妻賢母になるべく、夫をしっかりと立てる術を学んでいきたいと思います。

「あやせがキスしてくれたら起きる~~」

「それでは本末転倒ですよ」

 京介さんはいまだ抵抗を続けます。

 昨夜の京介さんはとても情熱的で、わたしが幾ら頼んでもなかなか眠らせてくれなかったのに。朝になったら起きてくれないのはずるいと思います。

「じゃあ、今朝はキスおあずけですね。わたしの朝の唇は栽培中のミニトマトにあげることにしますね♪」

 いたずらっぽく夫に笑ってみせます。

 わたしの今の趣味はガーデニングです。高校を出て結婚したのをきっかけにモデルを引退して専業主婦となり始めた新しい趣味です。

 今では家のあちこちに趣味と実益を兼ねた野菜を沢山育てています。特にミニトマトは栽培方法が比較的簡単で見栄えも良く美味しいのでわたしの大のお気に入りです。

 

「あやせの唇は俺だけのもんだっ! 植物なんぞにくれてたまるかっ!」

 夫が布団を跳ね除けて起き上がりました。

「おはようございます、あなた♪」

 起き上がった夫の顔を見ながらニッコリと微笑みます。

「しまった……もう少し寝ていたいのに起きてしまった」

 右手で顔を抑えるお兄さん。

「フフフ。寝直したらキスはなし、ですからね♪」

 夫は眠そうな瞳を更に細めてわたしを見ました。

「ハァ~。あやせは交渉上手だな」

「政治家の娘ですから♪」

 ニッコリと微笑んで答えます。

「俺も政治家の義理の息子なんだがなあ」

「京介さんには将来は父の後を継いで県議会議員に。わたしとしてはゆくゆくは国政にも打って出て欲しいですけどね♪」

「国政って……あやせは俺を過大評価しすぎだっての」

 京介さんは呆れたように乾いた笑いを発しました。

「あら? わたしは自分の夫を低く見積もるつもりはありませんよ。京介さんは世界一可愛いと言ったわたしを娶ったのです。京介さん自身にもワールドワイドな男を目指してもらいます」

「国政さえも通過点で最終的には世界を目指すのかよ……」

 夫はとてもげっそりした顔を見せました。

「あっ、でも。本当に世界に飛び出していくことになって、いろんな人と交流を持つようになっても……浮気しちゃ駄目ですからね」

 夫は地味顔で容姿がそう優れているわけではありません。でも、その人柄に惹かれて色々な女性、特に年下の女性を数多く引き寄せるのです。

 わたしも結婚に至るまでには恋のライバルたちとの熾烈な争いがありました。

「俺は念願叶ってあやせとの結婚にこぎ着けたんだぜ。浮気なんてするわけないだろ」

「ふふふ。冗談ですよ。」

 顔を寄せて愛する夫にそっと口づけをします。ずっと一緒にいられる喜びを唇から京介さんに伝えます。

 

「不意打ちはずるいぞ。せっかくのおはようのキスなのに」

 キスを終えた京介さんはちょっと物足りなさそうな表情です。

「あら? 起きたらキスするとは言いましたが、いつどのタイミングでするとは言いませんでしたよ」

 くすっと意地悪く笑って返します。

「なら、やり直しを要求する」

「でしたら京介さんからしてください」

 今度は京介さんから愛情を示して欲しいです。

「分かったよ」

 京介さんがわたしの両肩を掴み顔を近づけてきました。

「愛してるぜ……あやせ」

 重ねられる唇。唇を通じて夫の愛を体いっぱいに感じます。

「なあ、このまま、いいか?」

 夫はわたしを、今起きたばかりの布団の上へと押し倒しました。

「いつも言っていますけど、それは押し倒してから言う台詞ではないと思います」

 3年前のアノ時のことを思い出しながらジト目を向けます。

 

 

 当時1人暮らししていた京介さんは、ご飯を作り終えたわたしを後ろから抱き締めて急に押し倒してきました。あの時も今と同じように押し倒してからの確認でした。

『あやせ……愛してる』

『お、おお、お兄さんっ!?』

 ビクッと震えるわたしの全身。

『俺、あやせの全部が……欲しいんだ』

『そ、それは既に押し倒してから言う言葉じゃないと思います……』

 目の前には大好きだけどいまだ想いを伝えたことがないお兄さんの顔。

『あやせ、俺を受け入れてくれ』

『お兄さんは……京介さんはわたしのことをお嫁にもらってくれますか? 一生、面倒みてくれますか?』

『あやせに世話をされながら受験勉強をしていて分かったんだ。俺は、お前との未来を勝ち取る為に大学に入ろうとしているって』

 迷いのない澄んだ言葉。

『わ、わたしも京介さんのことが……大好きです。ずっと一緒にいたいです。でも……』

 初めて京介さんに自分の気持ちを伝えた瞬間。

『わたし……初めてなんですから……優しくしてくれなくちゃ、嫌、ですからね』

 とても恥ずかしくて京介さんの顔が見られませんでした。

『俺、あやせのこと……一生大切にするよ』

『その言葉、もう取り消しは効きませんからね』

 これがわたしと京介さんが初めて身も心も結ばれた時のやり取りでした。

 

 

 あれから3年。京介さんは今でも同じ求め方をよくしてきます。

「それにわたしは起きてくださいと言ったのに、また寝るような真似は……」

 目を背けながら返答します。

「フッフッフ。俺は知っているんだぜ」

「何を、ですか?」

「あやせがいつもより早く俺を起こしたことをだ!」

 わたしの上に覆いかぶさる京介さんは自信満々に答えたました。

「今はまだ午前6時。起きるにはまだ1時間早い」

「だったら、何だと言うのですか?」

「つまり……あやせたんはエッチだということだ♪」

 京介さんはとてもいやらしい笑みを浮かべました。

「どうしてそういう結論になるのですか!」

 夫の顔をムッとした表情で見つめます。わたしは、エッチな女なんかじゃありません。

「あやせたんは朝エッチをねだる時はいつも俺を早く起こすからなあ~♪」

「なあっ!?」

 息が詰まります。きっと顔は真っ赤になっているに違いありません。

「ちなみに夜エッチをねだっている時は夕飯の支度がいつもより早くなる。長く楽しみたいからってあやせたんのエッチ♪」

「ななあっ!?」

「俺達の初体験の時みたいにな♪」

「きょっ、京介さんのバカぁ~~~~っ!!」

 京介さんの腕の中で暴れ回ります。エッチ扱いされては黙っていられません。

「だけど俺は、そんなエッチなあやせたんが大好きだぜ」

「そんなこと言われても、ちっとも嬉しくありません」

 再び顔を背けながら自分の意見を述べます。

エッチをする際にいつも主導権を握っているのは夫です。それにわたしは夫以外の男の人を知らないんです。1人で自分を慰めることだってしません。

 なのにそのわたしがエッチだなんて……。

「まあ、あやせが本当はエッチ好きであることは夫である俺だけが知っていれば良いことだからな」

 夫は再びわたしにキスをしました。

「わたしはエッチではありません。でも、わたしが乱れる姿を見ていいのは……世界でただ1人、京介さんだけですからね」

 わたしはキスを受け入れながら時計を見ました。時刻は午前6時7分。

「7時までまだ50分ちょっとありますね」

 時間が十分にあることを確認したわたしはお兄さんの策略に嵌ってみることにしました。

「あやせはいつもいい香りがするなあ~♪」

「朝起きてすぐにシャワーを浴びておいて正解でした……」

 それから1時間の間、わたし達は夫婦の愛の絆を確かめたのでした。

 わたしと京介さんは世界で最高の夫婦だと思います♪

 

 

「……欝だ。死にたいです」

 今朝の寝覚めは最悪でした。

 内容は覚えていませんが、一切血が滾らないただ退屈なだけな夢を見た気がします。

 私の清純派ぶりが何も活かせないとてもつまらない夢だったと思います。

 そんな夢を見たからでしょうか?

 わたしは今とても憂鬱です。

「そう言えば……最近とてもテンションが低い気がします」

 今朝の夢に限らず最近とても心がだるいことが多いです。

 仕事や学業で失敗したわけでもないのにすごく満たされない日々を送っています。

 新年を迎えて1ヶ月経つというのに何とも寂しい日々です。

「お兄さんが受験に突入してしまって、全然会えてないんですよね……」

 現在お兄さんは受験本番に突入してしまいました。おかげで全く会うことができません。

「お兄さん分が極度に不足していますよね……最後に会ったのは初詣の時……本気で1ヶ月顔を合わせてません」

 合格祈願の為に初詣にみんなで参拝したのがお兄さんを直接見た最後でした。

 しかもその時は、桐乃、加奈子、お姉さん、黒猫さんとみんな一緒だったのでいい雰囲気になることはありませんでした。

 つまり、お兄さんが実家に戻って以降、親密に過ごした機会が1度もありません。

「でも、これだけ長い間お兄さんと会っていないと……なんかどうでも良くなってきましたね」

 わたしの中に熱く滾るものがなくなっているのに気付きました。

 全てを踏み躙っても手にしたいものを手中に収める。天下布武。わたしを構成してきたものが消え去っていきます。

 きっと、お兄さん分が渇望しすぎて失調症になってしまったのだと思います。

 

「はぁ~。やる気が欠片も出ませんがとりあえず学校に行きましょう」

 お兄さんのお嫁さんになるという野望を燃やせなくなってしまい、ほとんど抜け殻の状態で着替え始めます。

「ああ~。地球が今すぐ宇宙人の攻撃で滅んだりしませんかねえ」

 大きなため息を吐きながらパジャマを脱ぎ去ります。

「あまりにも退屈な人生に何か刺激があれば良いんですけどね。日常では味わえない刺激が……」

 下着姿になったわたしは何となく鏡に自分の全身を映してみました。

「あっ、そうだ」

 ソレは単なる思いつきでした。いえ、イタズラと呼んだ方が良いかも知れません。

 でも退屈すぎる日常においてはいい気分転換になる。

「今日の新垣あやせは優等生じゃないんです♪」

 そう思いながらわたしはソレを実行することにしました。

 

「おはようございます」

 気だるい感じが抜けきれないまま教室へと到着します。

 うちは私立中学なのに何故か大半が外部受験する不思議な学校です。そんな感じなので、受験シーズンの今は多くの生徒が交替で欠席しています。

 わたしの場合は推薦で他の私立高校への進学を決めたので試験とは無関係です。緊迫感からの解放に今までは安堵していました。ですが……。

「こんなことならわたしも受験組に回っておけば良かったかも」

 受験があれば必死になるので、倦怠感にとりつかれている暇はなかったかも知れません。

 それに一生懸命勉強を頑張ってエリートメガネ学園にでも入学できれば、お兄さんにインテリ少女という新しい属性を追加して見れもらうこともできたかも知れません。

「まあ、今更どうでもいいですね。はぁ~」

 大きくため息を吐きながらフラフラと自分の席へと向かいます。すると今日も空席になっている1つの席を発見しました。

「今日も来てないんだ」

 馬鹿だけど、昔は無遅刻無欠席だったあの子がいないのは不思議な感じです。

「おはよう、あやせ」

 横から声が掛かりました。

 視線を向けると卒業後はヨーロッパに留学するとかで受験勉強とは無縁の桐乃が手を小さく挙げているのが見えました。

 

「おはよう、桐乃。加奈子は今日も休みなのかな?」

 無人となっている席を眺めながら桐乃に問います。

「どうなんだろ? 加奈子からどこ受けるって話は一切聞いたことないし」

「そうなんだよね。でももう1週間以上学校来てないし」

 加奈子は先月末から一度も学校に来ていません。

 そんなに多くの学校を受けているのでしょうか?

 まあ、加奈子は真正のお馬鹿な子です。日本中の高校を数打たない限り合格できないとは思うのですが。

「みんなの進路先がまだ決まらないこの時期は教室の雰囲気がピリピリして嫌だよね」

「そうなのよねえ。特に、受験が上手くいってない連中の前でどう振舞えば良いのか分からなくてさあ」

 3月になれば良くも悪くも全員の進路が決まっている時期です。そうなるとあまり神経を使う必要はありません。

 でも、一方では合格者が出て、他方ではまだ進路が決まっていない生徒がいるこの時期はクラス内の雰囲気が悪くて気持ち悪いです。

 合格したことを誇れば不合格だった人から間違いなく妬まれます。また、合格している人は、進路が決まらない人の重い雰囲気に合わせることを共用されるのでストレスが溜まります。

 結果として、誰にとっても居づらい空間となるのが今の時期の教室です。

 そしてわたしや桐乃は受験戦争と無縁な位置にいるので、その特権的位置をみんなに僻まれる役なのです。

 もしかすると、教室内のこんな雰囲気が私を憂鬱にさせている一員なのかも知れません。

 こういう時、私の進学を気楽に祝ってくれる後輩でもいてくれれば心が落ち着くのでしょうが。

 

「わたしって……後輩に全然知り合いいないんですよね」

 モデル業に専念していたわたしは桐乃と違いどの部にも所属していません。他の学年の生徒と接する機会は3年間ほとんどありませんでした。

「後輩以前にわたし……友達、少ないんですよね」

 そう言えばここ数ヶ月、桐乃と加奈子以外のクラスメイトと親しげに喋った記憶がありません。

 しかも、桐乃も加奈子もお兄さんを巡るライバルになってからはめっきり会話が減りました。

「もしかして私って……黒猫さん並にぼっちキャラなんじゃ!?」

 恐ろしい事実に気がついてしまいました。

「いや、あやせが実はぼっちキャラなのはアタシも以前からよく知ってるし」

「あっさり肯定された!?」

「だってあやせってさあ、規律にグチグチうるさくて一緒にいると面倒臭い子じゃん。JCが一番近寄りがたい典型的な優等生キャラなんだもん」

「少しオブラードに包んで伝えるのが友達でしょう!?」

「いや、アタシたち、京介を巡るライバル同士だから友達じゃないし。愛情の前に女同士の友情は無力だし」

「あっさり絶縁宣言!?」

 微笑んで答える桐乃。中二の夏コミ後の大ゲンカと仲直りは何だったのでしょうか?

 

「大体、あやせみたいな男ウケしそうな子って、同性からは嫌われるもんでしょ。本当は男に尻を振ることしか考えてないド淫乱だってわたしに散々陰口叩かれてるし」

「出処は桐乃なの!?」

 最近、クラスの女子たちのわたしを見る目が特に冷たいとは思っていました。でもまさか獅子身中の虫がこんな所に、しかも堂々と存在していたとは。チッ!

「でもあやせは、京介が今すぐ子供欲しいって言ってきたら、産むでしょ?」

「ま、まあ。それは……産むけど。お嫁さんにしてもらうし」

 お兄さんが結婚してくれるのなら別に高校に行かなくても構いません。

「他人にはルールを強く突きつける。でも一方で自分は学校退学ものの破廉恥な願望を心に秘めて機会があれば実行を狙っている。そんな女が同性に受けるわけないでしょ」

「そうなの?」

「少年漫画で人気のヒロインは女には受けない! この鉄則を忘れるな!」

「…………分かったわよ」

 ため息を吐きながら自分の席に座ります。

 

「松戸に引っ越してから黒いのも付き合い悪いし沙織は元々遠くだし。あやせと加奈子は敵だし。兄貴は受験で泊まり込んでいるのか帰って来ないし。話し相手もいないのよねぇ」

「……桐乃も結局ぼっちなんじゃない」

 桐乃との会話で気力を更に失ったわたしはバタッと机に顔をうずめました。

 今日は授業が始まるまでダラダラしていたいと思います。

 学校に着いて予習復習を全くしないのは久しぶりですが、まあ良いですよね。

 

 何となくダラダラと1日を過ごしている内に放課後になりました。

「これからどうしましょうかね?」

 今日はモデルのお仕事がありません。わたしは受験生ということで体裁上この時期は事務所が仕事を受けないようにしているのです。

 何でも中学3年生がいつまでもモデル活動しているとコイツ勉強していないという悪い印象が付いてしまうとかで。

 仕事がないのでとても暇なのです。春には日本を出る予定の桐乃が仕事も部活も今でもガンガンしまくっているのとは対照的です。

「隣人部でも作ろうかなあ」

 友達を作る為の部活を創設したい。そんな欲求に駆られます。

「でも、後1月ちょっとで卒業なんですよね。部を設立しようと動いている内に学校を去らないといけません」

 部を正式に設立するのは無理そうです。

「じゃあ、同好会を……って、一緒にやってくれる人がいるならそもそも苦労しません」

 こうして隣人部計画は頓挫しました。

 

「帰って……お昼寝でもしようかな?」

 やる気なく寝よう。そう心に決めた時でした。わたしの携帯がメロディーを奏でました。

「このテンションが上がる、ガンダムOOのトランザムなメロディーは……お兄さん?」

 わたしが大好きな声優中村悠一さんがグラハム・エイカー役として大活躍したアニメ・ガンダムOO。その作品の燃えBGMが鳴るのはお兄さんからのメールだけです。

 そのメール音を聞くと普段ならテンションマックスで上がるのですが、今日はそんな気分にもなれません。

 どうやら本当にお兄さん分の枯渇は、お兄さんに対する関心薄という結果を生んでしまったようです。

「まっ、せっかくのメールです。要件を確認しておかないといけませんよね」

 両肩に重いものを感じながらメール文の中身を確認します。

 

 

From:高坂京介

Sub:時間が空いているのなら公園に来てくれないか?

 

本文:

時間が空いているのなら今からいつもの公園に来てくれないか?

相談があるんだ

 

 文字の羅列を見ながら考えます。

「はぁ~。普段の私なら狂喜乱舞しているのでしょうね……」

 若さに溢れていた年末までのわたしにそっと涙します。今の枯れ果てたわたしではため息が出るのみです。

「やることもありませんし、一応行ってみますか」

 重い体を引きずりながらわたしは公園へと目指したのでした。

 

 

 

「あやせ……相談があるんだ」

 わたしを呼び出したお兄さんは公園の真ん中に立って熱く訴えかけてきました。

 制服ではなく私服にジャケット姿。服装から察するに今日は大学受験日ではなかったようです。

 まあ、今のわたしはお兄さん分欠乏症に掛かっています。だからお兄さんのちょっとした変化に胸をときめかせることもありませんが。

 お兄さんの服装とかスケジュールとか割とどうでも良いです。

「はぁ~。用件は手短にお願いしますね」

 ため息を吐きながら気だるく見守ります。一体、何の用でしょうかね?

「おいおいおい。あやせっ! 若いのにそんな俯いていてどうするんだよ!」

 一方でお兄さんは普段とまるで違います。

「今回の俺はあやせたんを昭和のアイドル並みに崇拝しているんだぜ。だからもっとテンション上げていこうぜっ!」

 今日のお兄さんはやたらと暑苦しいです。まるで熱血漫画の主人公みたいです。

 普段はギャルゲーの主人公並みのやる気のなさのくせに変です。

「乙女座の私にはセンチメンタリズムな運命を感じずにはいられない」

 お兄さんの話を聞きながらしばらく前に聞いたお姉さんの話を思い出しました。

 お兄さんは中学の途中まではやたら熱くてテンションの高い人だったと。

 聞いた当初は胡散臭い、少年ジャンプの漫画の後付設定っぽさを感じていました。でも、今のお兄さんを見ていると間違いでない気もします。

 だけど、今となってはお兄さんの過去もどうでもいいです。

 ほんと、何もかもがだるいんです。

「私は君を求めるっ! 果てしないほどにっ!」

 今日のお兄さん、やたら熱すぎです。一体、どうしちゃったのですかねえ?

「俺はアイドルあやせたんがトイレにも行かないと固く信じて疑わない。それぐらい心酔していると言うのに何故俺の想いを分かってくれないんだ!?」

「鬱陶しいからです」

 前までのわたしならお兄さんに熱く迫られたらすぐに陥落していたことでしょう。今頃はラブホテルに行っているか、はたまた高坂家か新垣家で家族に挨拶していた筈です。

 高校進学は取りやめて花嫁修業に明け暮れていたでしょう。そして16歳の誕生日を迎えると同時に入籍する。

 それがお兄さんの言うあやせたんのあるべき姿なのだと思います。

 でも、今のわたしは違います。

 お兄さんに迫られてもウザいだけです。

 これが恋が冷めたという感覚なのでしょうかね?

 

「今のわたしは、お兄さんが目の前で消え去っても多分気にかけないと思います」

 素直に心のままをお兄さんに伝えます。最近まで世界で何よりも優先していたものさえももうどうでも良いのです。

 怖いですね、倦怠期って。他人事のように考えます。

「ひっ、酷いっ! あやせたんは昔から俺のことを粗末に扱ってきたけれど、ここまで無関心になってしまったなんて……」

 膝と手を土の地面について落ち込みながらボロボロと涙を流すお兄さん。

 そう言えば秋頃にわたしはこの人に愛の告白をしたことがありました。でも、お兄さんはヘラヘラ笑って本気に受け止めてくれませんでした。

 この反応を見る限り、わたしの気持ちは今でも伝わってないみたいですね。ほんと、この人はラノベ小説の主人公並みの鈍さです。まあ、それさえもどうでもいいですね。

「ほら、お兄さん。そんな所で地面に膝つけて落ち込んでいると、ご近所さんに変に思われますよ」

 わたしの体裁が悪くなるのも面倒くさいので言葉だけ掛けます。

「嫌だっ! あやせたんに嫌われたら俺は生きる意味が全くなくなってしまうんだぁ~~っ!! あやせたん、あやせたん、あやせた~~んっ!!」

 わたしの名前を大声で連呼するお兄さん。このまま大声で叫ばれては、わたしの評判は下がる一方です。

 わたしは植物のように静かで穏やかに毎日を過ごしていきたいというのに。

 なんか、イライラしてきました。

「いい加減、立ってください」

「あやせたんが両手で起こしてくれなきゃやだっ!」

 お兄さんは子供みたいな理屈をごねています。

 もうじき高校を卒業するというのにその我がままな物言いにイラっときます。

 なので、面倒臭いですがお兄さんに社会の厳しさを教えてあげることにしました。

 

「うざいっ!」

 両手の代わりに右足をお兄さんの額に乗せました。

 お兄さんの顔を踏みつける。人として許されない行為です。

 でもわたしはそんな背徳的非人道的行為に少しだけ高揚感を覚えました。

 一体、何故なのでしょうかね?

「我々の業界ではご褒美ですっ!」

 お兄さんはわたしに足で踏まれたまま瞳を輝かせています。変態です。そして──

「ブッハァッ!?!?」

 顔を上げたと思ったら盛大に鼻血を吹き出しました。

「なっ、何でいきなり鼻血なんですか!?」

 驚きながら尋ねます。

 そう言えば今のこの角度、お兄さんからはスカートの中身が丸見えのはずです。

 わたし今、どんな下着を履いてましたっけ?

「肌、肌、肌色…………ユニバ~~スッ!!」

 踏まれたまま大絶叫するお兄さん。

 肌色? 肌色って何のことでしょうか?

 そう言えば今朝……

 

 

『そうだ!』

 ソレは単なる思いつきでした。

 いえ、イタズラと呼んだ方が良いかも知れません。

 でも退屈すぎる日常においてはいい気分転換になる。

 そう思いながらわたしはソレを実行することにしました。

 

 

 わたしは退屈な日常に刺激を与えようとして、与えようとして……。

「あやせたんがノーパンで日常を過ごす変態痴女だったなんて……だが、それがいいっ♪」

 お兄さんはスカートの中を覗きながら満面の笑みを浮かべました。

「死ねっ!!」

 何を見られたのかハッキリと認識したわたしは、お兄さんの顔をボールに見立ててドライブシュートを放ったのでした。

 

 

「おっ、乙女の秘密を覗き見るなんてお兄さんは最低ですっ!!」

「いや、あやせが勝手に俺の顔を踏みつけたから見えたんだろうが……」

 ドライブシュートで30メートルほど吹き飛んだお兄さんがようやく戻ってきました。

 故意でなかったとはいえ、お兄さんに乙女の一番大事な部分を見られてしまいました。

 最悪です。

 普段であれば、責任を取って今すぐわたしと結婚するように迫っていたことでしょう。

 でも、今のわたしには結婚を突きつけるのも面倒臭いです。生きるのも面倒で地球が早く滅びないかなあと思う心でいっぱいです。

「あやせっ! 俺と駆け落ちしようっ!!」

 お兄さんは突然大声で叫びました。

「はっ? 駆け落ちって一体何を血迷ったことを脈絡もなくほざいているのですか? 寝言は寝てから言って欲しいです」

「寝言じゃない。今日はあやせと駆け落ちしたいと思って呼んだんだ」

「お断りします」

 きっぱりと拒否します。

 駆け落ちなんかしたら毎日毎日逃げ回らないといけません。そんな生活は面倒です。

「何故なんだ!? 俺はこんなにもあやせたんのことを愛していると言うのに!!」

「逃げ回るのって面倒臭いじゃないですか」

 昔のわたしなら、駆け落ちを提案された瞬間に千葉県を脱出していたでしょう。

 モデルで稼いだお金をラブホテルに寝泊りしながら費やす愛欲に爛れた日々を送っていたに違いありません。

 でも、今は違います。何のやる気も出ないのです。

「俺の愛があやせたんに通じない……っ」

 一方で今日のお兄さんはいつになくハイテンションです。

 今までと全く逆ですね。一体どうしたのでしょうか?

 

「お兄さんはどうしてそんなにもわたしと駆け落ちしたいんですか?」

 面倒ですが理由を尋ねておくことにしました。

「どうして男女交際でもプロポーズでもなく駆け落ちなのですか?」

 正当な手順を踏めば、家族や友人の誰を敵に回すこともないと思うのですが。お兄さんの考えはよくわかりません。

「俺にはもう、あやせたんとの駆け落ちしか道が残されてないんだ」

 歯を食いしばり悔しがりながらお兄さんが語ります。

「それは一体どういうことですか?」

 お兄さんは両手の拳をグッと握りこんで俯きました。

「実はな……黒猫と加奈子が出会ってしまったんだっ!!」

 お兄さんが泣きそうな表情で熱く吐露します。でも……。

「何が問題なのか意味が分からないのですか?」

「だから、黒猫と加奈子が出会っちゃいけない場所で出会ってしまったんだよっ!!」

 お兄さんは重ねて吠えました。

「ですから、2人がどこで出会ってしまったと言うのですか?」

「そ、それは……」

 お兄さんは俯いて急に押し黙ってしまいました。

 そしてごく小さな声でボソッと呟いたのです。

 

「……黒猫と加奈子は病院の産婦人科で鉢合わせしてしまったんだよ」

「産婦人科っ!?」

 JKとJCが鉢合わせするのには不穏当な単語が出てきました。

「いや、だって、黒猫と加奈子といったら、俺的2大ヒロインじゃん。黒猫と加奈子のピンチを救ったり仲良くなったりしている内に、そういう関係になってしまうのは仕方ないじゃん。若いんだし」

 開き直ったように頭を上げて大きな声で語りだしたお兄さん。

「………………っ」

「そうしたらさ……2人とも、妊娠しているって結果が出てさ」

「………………っ」

「2人に母子手帳を突き付けられながら、どっちと結婚するのかって凄い剣幕で問い詰められてさ」

「………………っ」

「でも俺、2人のことは同じぐらい愛しているからどっちかだけなんて選べなくてさ」

「………………っ」

「それでこの1週間ぐらい自宅にも帰らず、受験にも行かずにずっと逃げ回っていたんだ」

「へぇ~」

 お兄さんが事情を話してくれたことで、ここ最近加奈子が欠席していた理由が判明しました。

 あの小娘、高校進学ではなく就職活動に励んでいたのですね。永久就職という名の就職を。

 黒猫さんと加奈子がお兄さんと既にそんな関係になっていたなんて……。

 しかもお腹に赤ちゃんまで宿しているだなんて。

 フフフフ。フフフフフフフフ。

 

「で、それでどうしてわたしと駆け落ちという結論になるのですか?」

 爆発を必死に押さえながら尋ねます。

「だって、愛する2人を傷つけない為には、他の女の子を選んで姿を消すしかないだろ?」

「なるほど。それで選んだ相手がわたしだったと」

 コクコクと頷いてみせます。

「あやせたんなら、今までの過程とか全部すっ飛ばして俺を連れ出してくれそうな気がするからな。なんたって麻奈実曰く、最もパワフルな娘だからな」

「つまり、わたしを愛しているからではないと?」

 体がガタガタ震え出します。もう限界が近づいています。

「おいおいおい。俺はあやせたんを愛しているぜ。崇め奉るべき神聖不可侵なアイドルとしてさ♪」

 わたしの肩に手を置いてウインクしてみせるお兄さん。

「お嫁さんにしたい女の子は黒猫と加奈子だけど、あやせたんは連れ回して見せびらかしたい女の子ナンバーワンだぜ!」

「………………っ」

 もう、忍耐の限界が天元突破してしまいました。

「そんなわけであやせたん。俺と一緒に黒猫と加奈子が追って来られない世界の果てまで逃げてくれ」

 お兄さんが爽やかな顔でそっと右手を差し出します。

 それに対するわたしの返答は勿論──

「死ねぇ~~~~っ!!」

 豪快なハイキックでした。

 

「うわらばぁ~~~~~~っ!!」

 天高く舞って吹き飛んでいくお兄さん。公園の入口付近にドーンという音と共に落下します。

 と、そこにゴスロリ服の少女とうちの学校の制服を着た少女が駆け寄ってきました。

 黒猫さんと加奈子です。2人はお兄さんの腕を1本ずつ取って引っ張り合いを始めました。まるで大岡裂きのような光景です。

「やっとみつけたわよ、京介。さあ、今日こそ私と籍を入れてもらうわよ。お腹の子供の為にも当然よね?」

「汚ねえぞ、瑠璃。あたしがまだ結婚できないからって、籍を入れて京介を先に囲い込もうだなんて」

「私は自分が使える資産を全部活用しているまでのことよ。16歳の妊婦という資産をね」

「京介の気持ちを無視して結婚とかありえねえだろ」

「何を言っているのかしら? 私のお腹には京介の子供がいるのよ。これ以上、彼が私を愛している証拠があるかしら?」

「あたしお腹にだって京介の子供がいるっての!」

「きっとお酒でも飲んで前後不覚になった京介を強引に押し倒したのでしょ。いやだわ」

「あたしは毎週月水金曜日、京介とラブラブな夜を過ごしてんだ。瑠璃と違ったちゃんとした恋人なんだよ」

「何を言っているのかしら? 私は毎週火木土曜日、京介とラブラブな夜を過ごしているのよ。私こそが京介の唯一無二の恋人なのよ」

「「うん?」」

 黒猫さんと加奈子は顔を合わせてからお兄さんを見ました。

「どういうことなのかしら、京介?」

「オメェ、ずっと二股続けてたってことなのか?」

 ギロッとしたキツい瞳がお兄さんを捉えます。

「えっと、それは、だな……」

 冷や汗を流すお兄さん。

「そ、そうだ」

 お兄さんはパッと何かを思いついたようでした。

「瑠璃っ! 加奈子っ!」

 2人の妊娠させてしまった少女たちの名前を熱く呼びます。

 そして──

「お前たちが……俺の翼だっ!!」

 2人の少女のアッパーカットをみぞおちに食らって完全K.O.したのでした。

 

「仕方ないわね。重婚が認められている国に3人で移住するわよ」

「それしかねえよな。この女たらしのヘタレ馬鹿はあたしたち2人でじっくりと教育してやらねえとな」

 黒猫さんと加奈子は気絶したお兄さんを引きずって視界から消えていきました。

 きっとあの3人に会うことはもう二度とない。そんな確かな予感がしました。

「そう言えば、桐乃も春から外国に行っちゃうんだよね」

 わたしのお友達はみんな外国に去ってしまいます。

 わたし、ひとりぼっちになってしまいますね。

「よしっ! 高校に入ったら隣人部を作って友達を作ろうっ!!」

 これからの人生の新しい目標ができました。

 そして目標ができたことにより、わたしの倦怠感もなくなったのです。

「明日はきっと……晴れるよね」

 夕日がいつもよりちょっぴり綺麗に見えた1日でした。

 

 

 了

 

 

 


 
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