No.526469

俺の妹がこんなに可愛いわけがない短編集賀正

新年明けましておめでとうございます。
今年もみなさんにとって良い年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

ここ数日執筆環境になく、しかしお正月に作品を載せないのも寂しいので今までチョコチョコ書いた短編を掲載。

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2013-01-01 23:43:39 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:2370   閲覧ユーザー数:2293

俺の妹がこんなに可愛いわけがない短編集賀正

 

一人暮らしと全裸は親和性が高い 

 

 

 始まりはごく些細な出来事だった。

「やっべ。ジュース零しちまった」

 俺は色々事情があって2ヶ月ほど一人暮らしすることになった。

それで今日は築30年の年季の入ったアパートの一室という新たな居城でちゃぶ台に参考書を広げて受験勉強していた。

 そして筆箱に手を伸ばした所で肘が飲みかけの缶ジュースにうっかり触れて転倒。3分の1ほど残っていた中身をぶちまけてしまったのだった。

 幸いにして参考書とノートは濡れずに済んだ。だが、代わりというか着ている薄手の茶色のセーターに結構派手に掛かってしまった。

「仕方ねえ。脱ぐか」

 濡れたままの服を着ている訳にもいかずに脱ぐ。上半身が白いTシャツ1枚になる。

「意外と…寒くないもんだな」

 もう10月だと言うのに寒さを感じない。勉強を続けるのに支障は全くなさそうだった。

「さて、時間もないことだし片付けて勉強の続きをやるか」

 台布巾を取るのも面倒臭いのでセーターでテーブルを拭く。セーターを洗濯ネットに入れて他の衣服と一緒に洗濯機に掛ける。

 洗濯機が回り始めたのを耳で確認すると俺は再び勉強に戻った。

 俺はこの日から、室内に居る時に上着を着ないようになった。

 

 

 次の変化は必然だったのかも知れない。

「やっべぇ。またジュース零しちまった」

 2日後、俺はまたジュースをテーブルの上に零してしまった。どうも俺は勉強に集中していると飲み物の位置を失念してしまうらしい。

 ジュースは腿から膝に掛けてビショビショ掛かっていた。

「まるでお漏らししたみたいだな」

 零したのがリンゴジュースだったので尚更そう見える。

「仕方ねえ。脱ぐか」

 ジーパンを脱いで、パンツとシャツだけという完全下着仕様になる。

「やっぱり寒くないもんだな」

 あぐら状態でいるからか足の各部がくっついて保温がよく利いている。ジーパンを脱いで座っている方が温かいぐらいだった。

「これなら勉強続行に問題無いな」

 ジーパンと他の服を一緒に突っ込んで洗濯機に突っ込んでスイッチオンすると俺は再び勉強へと戻った。

 俺はこの日から、室内に居る時はシャツとパンツだけで過ごすようになった。

 

 

 二度あることは三度ある。今起きてしまったのはただそれだけのこと。

「またまたやっちまったっ!」

 3日後。俺はまたやってしまった。

 しかも今回はカップに入れたコーヒー。その黒い液体は『実は姉萌え』と書かれた茶色のシャツと俺自慢のリヴァイアサン防護結界である縦縞トランクスを暗黒に染め上げた。

 コーヒーは煎れてからかなりの時間が経っていたので熱くはない。だが、その液体の感触は下着を通過して腹へと到達していた。

「仕方ねえ。脱ぐか。脱衣(トランザム)ッ!!」

 紳士の素敵呪文を口にする。すると一瞬にして俺のリヴァイアサンを封印していた最後の防壁とシャツが消え去る。

 俺は紳士スタイル(全裸)になった。

「下着姿の時と全然変わらないな」

 それはかなり意外な発見だった。

 下着姿でいるのも全裸でいるのも保温力はまるで変わらない。いや、むしろ今の方が温かく感じる。乾布摩擦と同じで肌を晒している方が保温効果に優れるのかも知れない。

「これなら全然勉強するのに支障はないな。それに洗濯物の量も減るし一石二鳥だな」

 何だかちょっと楽しくなった。良い気分で勉強を再開する。

 俺はこの日から室内に居る時は全裸で過ごすようになった。

 それはごく自然な変遷だったと俺は思う。

 だって気ままで気楽な一人暮らし。親や妹の目を気にする必要もない。

 そして面倒な洗濯の手間が省けるとなればわざわざ服を着る気にはならなかった。

 寒くなったら服を着よう。

 そう思いながら俺は全裸で暮らすようになった。

 

 

 

「全裸ライフか全裸・イズ・ライフか。それが問題だ」

 俺が全裸で暮らすようになってから3日が過ぎた。

 2時間の勉強を終えて休憩に入った俺はちょっと哲学していた。

 全裸とは生活スタイルのことなのか、人生そのものか。俺は全裸にどれだけの比重を置くべきなのか。それが問題だった。

「俺にとって全裸って何なんだ? 服を着るって何なんだ?」

 ハンガーに掛かっている制服、そして洗濯かごに入っているシャツとパンツを見ながら考える。

 俺は最近酷くジレンマに駆られている。

 朝、服を来て学校に行き、夕方、帰ってきて服を脱ぐという作業にだ。

 はっきり言ってこの時間が凄く無駄だ。

服を着るという作業がなければ朝もう5分はゆっくり寝ていることができる。朝の5分が夜の1時間以上に貴重であることは言うまでもない。

 そしてパンツとシャツの洗濯、干して、取り込んで畳むという手間を考慮すれば、受験生である俺がどれだけ時間を浪費しているのか計算すると泣きたくなるほどだ。

「何で服を着て学校に行かなきゃならないんだっ!」

 俺の今抱いている不満を一言で集約すればこうなる。全裸のまま登校できればジレンマも時間のロスもなくなるというのにだ。

「おっと。俺は別に他人が全裸で登校することを望んではいないからな。自分の全裸登校にかこつけて女子の裸が見たいと考えるような下種野郎と一緒にしないでくれよ」

 誰もいない壁に向かって格好付けながら説明を加える。

 これはあくまでも俺の問題なのだ。俺が全裸で登校したい。ただそれだけのこと。

 なのに世間はそれさえも許してくれない。

 全裸で嬉々として街を歩き回り幼女に向かって手を振れば、それだけで俺は容赦なく特殊部隊に射殺されるだろう。蜂の巣にされて死体はその後晒し首は確定だろう。

 それがこの21世紀の日本の現実。何と全裸に厳しい世界なのだろう。

 

「俺にはこの小さな部屋の中でしか全裸を曝け出す自由がないなんて……」

 毎日服を着て登校するという面倒を抱えているせいで愚痴っぽくなっている。

 そんな自分に嫌気が差して大きな溜め息を吐いたその時だった。

 ガチャッというドアノブが回る音がした。

 その音に俺は大きく体を震わせて驚いた。

「……何だ。隣の家のドアが開いただけか」

 この家のドアが開いた訳ではないと知って安心する。けれど、考えてみればそれは当然の話だった。

 俺の部屋の玄関には鍵が掛かっているのだ。ドアノブを回した所で入って来られる訳はない。

 つまり、不意に俺の全裸が誰かの目に晒されることはない。晒されることはない。なのに──

「何故他人に全裸を見られてしまうかも知れないと考えただけで俺の全身はこんなに火照っているんだっ!?」

 俺の体はかつてない熱に滾っていた。マグマ風呂に浸かっているかのように体温が高くなっている。それは未知の現象だった。

 

「もし、もしも……この部屋の玄関の鍵を外してていきなりやって来た訪問者に全裸を見られてしまったら…………俺は一体どうなってしまうんだ~~っ!」

 それは考えるだけで恐ろしい疑問だった。もしそんなことが本当に起きれば俺は何か違う生物に進化してしまうかも知れない。

 呼吸が荒くなる。心臓の鼓動が早まる。喉がやたら乾く。頭が熱い。高熱でうなされている時と同じ状態。

 俺は朦朧とする意識で立ち上がって玄関へと歩いていく。そして外界と部屋を遮断している扉の鍵を外す。

 ガチャッという音が鳴り響き、この部屋、そして俺はとても無防備な状態になった。

 いつ扉が開いてこの全裸を見られてしまうのか分からない。そんなハイリスクな状態に俺は……いた。そしてそんなハイリスクな状況が俺の身体に奇跡を起こした。

「体が……体がかつてない程燃え滾って来ているっ! これなら真冬のシベリアでも暖房要らないってもんだぜぇ~~っ!!」

 鍵を掛けなくした。ただそれだけのことで俺の体は超活性化を迎えた。ジッとしていられない程に激しい熱が俺の体の中を渦巻いている。

 そして俺は気が付くと玄関前で腕立て伏せを始めていた。激しく超加速しながら腕立てを続ける。

 久しぶりの筋トレに額から、首から、上半身から、下半身からビッシリと汗が流れ始める。汗を掻くのは普通に考えると気持ちの悪いこと。けれど、今の俺にはこの汗がとても心地良く感じるのだった。

「腕立てだけじゃ腕の筋肉ばっかり付いちゃうもんな。ここは一つ腹筋も鍛えておくか」

 玄関の扉に向かってまっすぐ足を伸ばしゆっくりと上半身を反復上下動させる。

 今不用意に誰かに扉を開けられたら、俺は問答無用で全裸で玄関を見ながら腹筋している姿を見られてしまうことになる。

 それはどんな言い訳も通用しない社会的な破滅を意味している。

「うぉおおおおぉっ! 興奮が一層激しくなって来たぁああああああぁっ!!」

 俺は更に激しく体を滾らせながら汗びっしょりで筋トレを続けた。

 その日から俺は玄関の鍵を常に掛けないようになった。

 

 

 

メガネ いん ライブラリー

 

 とある冬の日の放課後、俺は瑠璃と共に図書館で勉強に励んでいた。

「分数の割り算ってどうやるんだったけ?」

「後ろの方の分母と分子を引っ繰り返して掛け算にするのよ」

「何でそんな風になるんだ?」

「前に理由を聞いた気がするけれどもう忘れたわ。でも、それで解けるのだから解法だけ覚えておきなさいよ」

 高3の冬は過酷だ。

 俺が来年の3月に学校を出る時、どんな進路が待っているかによってその後の人生のかなりの部分が決まってしまう。

 世知辛い言い方をすれば、社会的ポジションの上限がかなり見えてしまう。だから気なんて絶対に抜けない。

「頑張って頂戴よ。その、後何年かしたら貴方1人の人生じゃなくなるのかもしれないのだから……」

 小声で呟いた瑠璃の顔は真っ赤。そんなに恥ずかしいなら言わなければ良いのに。でも、すげぇ嬉しい。

「お、おう。瑠璃の為にも最高の大学にひゃ、入ってやるよ……噛んだ」

 俺も格好付け過ぎた。舌が痛い。

「バカ……」

 瑠璃は顔中真っ赤になっていた。

 大学受験は俺の体と心に相当な負担を掛けている。でも、ここまで頑張って来られたのは目の前の瑠璃のおかげだ。

 彼女の献身に報いる為にも最高の結果をもたらさないとな。

 そうしたらご褒美に瑠璃がメガネを掛けてくれるかもしれない。

 そう、メガネを……。

「うっ!?」

 メガネという単語を強く意識した瞬間、俺の体に激痛が走った。

 椅子に座っていることもできずに、そのまま床へと崩れ落ちる。

「京介ぇ~っ! どうしたのっ!?」

 瑠璃が大声を上げながら俺の元へと駆け寄って来た。ここが図書館であることも忘れて。

「へへっ。悪いな、瑠璃。迷惑掛けて……」

 愛する彼女に笑おうとするが、体を激痛が駆け巡ってそれさえもできない。

 情けないな。俺。

「そんなことより。一体どうしたの?」

 瑠璃は俺の体に触れても良いのかもわからず当惑している。

「…………どうやら、俺の体内のメガネ分が切れたらしい」

 人間というのは不便な生き物だ。栄養素が欠けてしまうだけで命の危機に陥る。

 今の俺は、青春を超謳歌する男子の必須栄養素メガネ分が欠乏していた。

 瑠璃と付き合うようになってからエロ本も全部捨てた。この学校のメガネ女子もなるべく見ないようにして来た。その結果がこの様だ。

 どうやら俺はまだメガネの重力に魂を引き寄せられているらしい。

「そう。メガネ分が……」

 瑠璃は辛そうな表情を見せた。

 瑠璃の立場から見れば、俺がメガネ分欠如で倒れたというのは、俺が瑠璃だけで満足していないことを体が示していることに他ならない。浮気と受け取られても仕方ない。

「…………スマン」

「いいのよ。今の状態は貴方が私の為にメガネを絶ってくれた証でもあるのだから」

 瑠璃の優しさが嬉しかった。そして自分の不甲斐なさが情けなかった。

「待ってて。今、この場にメガネっ娘を連れて来るから!」

「おいっ、瑠璃……」

 瑠璃は俺の制止も聞かずに飛び出していってしまった。

 

 今の俺は、女の子がただメガネを掛けているだけではもう満足できない。だからその辺の生徒を連れて来られてもダメなのだ。

 俺を満足させる真のメガネっ娘と言えばこの学校では多分2人しかいない。

 でも、その内の1人である赤城瀬菜はもう家に帰ったと瑠璃がさっき言っていた。

 となると、残る該当者は1人しかいない。でも、あいつを連れて来るのは……。

 

 けど、俺の彼女は俺のつまらない考えよりも遥かにしっかり者で、俺の幼馴染は俺のつまらない考えよりも遥かに優しい女の子だった。

「京介……っ」

 俺の目の前には天使……いいや、天使を超えた女神様がいた。

「瑠璃……っ」

 瑠璃はメガネを掛けていた。

 麻奈実の丸メガネを掛けた瑠璃が俺の目の前に立っていた。

 

「田村先輩が、自分が行くよりも私がメガネを掛けた方がきょうちゃんは喜ぶよって」

「そうか」

 瑠璃と麻奈実のおかげで俺は体調を持ち直した。瑠璃のメガネっ娘姿を見たおかげでお俺はすっかり体が自由に動くようになった。痛みももうない。

「私は……いつになったら田村先輩を追い抜けるのかしら?」

「お前ら2人とも、最高に良い女だよ」

 瑠璃は軽く息を吐き出した。

「まあいいわ。貴方と過ごす時間はこれからまだ何十年とあるのだもの。いつかきっと、私が一番に輝いてみせるわよ」

「今日は2回も瑠璃にプロポーズされちゃったなぁ。いやあ、モテる男は辛いぜ」

「バカ……っ」

 顔を真っ赤にして恥ずかしがる瑠璃を見ながら俺は幸せに浸っていた。

 

コンタクト いん プール

 

 突然だが麻奈実がモデルとしてデビューすることになった。

 桐乃が社長さんに麻奈実を推薦した結果らしい。

 麻奈実を毛嫌いしている桐乃のことだ。何か裏があるに違いない。

 という訳で俺は妹の仕事ぶりを見学と称して麻奈実の初撮影を見学することにした。

「モデルとしてはアタシの方がキャリア長いんだから、ここではアタシのことを桐乃先輩と呼んで敬いなさい」

「わ、わかりました。桐乃先輩」

 とりあえず妹を後でぶん殴ろうと思った。

 お前、いつも麻奈実のことを地味子と呼んでバカにしているじゃねえか。

 人生の先輩として敬ったことがないだろうが!

「それからアンタはとろいから先に言っておく。アタシの足を引っ張るんじゃないわよ!」

「は、はいっ」

 桐乃が何故麻奈実を推薦したのか良く理解できた。コイツ、麻奈実に偉そうに振舞いたいからだな。

 だが、それだけだと思っていた俺は甘かった。桐乃にはもっと遠大な野望があったのだ。

「さあ、地味子。撮影をするに当たってそのメガネは邪魔だから、このコンタクトに付け替えなさいっ!」

「何だってぇえええええええぇっ!?」

 俺の妹は何ていう恐ろしいことを言い出しやがるんだ。

 俺は長い間妹を放っておいた罰を今受けている。そうとしか考えられなかった。

 メガネを外してコンタクトを嵌めろなんて、悪魔に魂を売りでもしない限り、言える筈がない!

「モデルにメガネなんて必要ないのよ。さあ、その丸メガネを外しなさいよ、地味子!」

 桐乃が魔手を麻奈実に向かって伸ばしていく。

 

「やめろぉおおおおおおおぉっ!!」

 気が付くと俺は自分の体を盾にして麻奈実を守っていた。

「邪魔よ。今はモデルの仕事中なんだから、門外漢のアンタが介入して来ないでよ」

 桐乃が非難の視線を俺に突き刺して来る。

 けれど、何と言われようと俺はここを退く訳にはいかない。

「確かに俺は門外漢の素人だ。けど、桐乃が間違ったことを言っているのはわかる!」

 出版社、いや、アニメ制作会社だったか、とにかくプロの集まる場で桐乃の作品を認めさせる為に戦った時のことを思い出す。

 あの時の桐乃は守るべき対象だった。でも、その桐乃が今は敵として文字通り俺の前に立ちはだかっている。歴史の皮肉を感じずにはいられない。

 だが、俺は自分が正しいと考える道を貫き通す。たとえ妹を敵に回そうと!

「アタシの何が間違っていると言うのよ?」

 桐乃の眼光が更に鋭くなった。だが、俺は負けない。

「モデルはメガネを掛けないだと? フザケンなぁっ!」

 桐乃が俺の勢いに一瞬怯む。だが、俺に対しては圧倒的に強い妹は再び邪気を発する。

「メガネにフラッシュが当たったら、写真の完成度が落ちるでしょうが!」

「プロのカメラマンの腕を舐めるんじゃねえぞっ!」

 桐乃こそ、プロの実力を過小評価している。

 そして、何よりもコイツは重要なことをわかってない!

「良いかぁっ! よく聞けよっ!」

 兄として、男として、15年の人生しか歩んでいない桐乃に俺が歩んできた人生の知識の集大成を披露する。

「俺の大好きなモデルさんたちはなあ……みんなっ、メガネを掛けたままなんだぁ~~っ!」

 俺の愛読書、及び愛DVDのモデルさんたちはその9割以上がメガネを掛けている。メガネによって芸術の完成度が落ちるなんてあり得ない。

 だから、桐乃は間違っている!

「それってアンタが隠し持っているエロ本やエロDVDの話でしょうがぁっ!」

「そうだっ! 俺の知っているモデルさんたちは、メガネがあるから輝きを増しているんだっ!」

 桐乃は口を大きく開けたまま呆然としている。

 勝負は着いた。

 

「あの、今日は水着撮影で実際にプールにも入ってもらいますので、メガネは外してもらわないと困るんですが」

 カメラマンが申し訳なさそうに前へ出た。

「…………ここは俺たちが生きるべき世界じゃない。帰ろう、麻奈実」

 麻奈実の手を握る。

プールは……麻奈実の天敵だ。俺といえども対抗手段を持たない。

「でも、きょうちゃん……」

 麻奈実はどうしたら良いのかわからずに困った表情を浮かべている。

 今こそ俺が、麻奈実に道を示してやらなきゃならない!

「麻奈実も、麻奈実のメガネも一生俺が守るっ! だから、行くぞっ!」

 麻奈実の手を引っ張りながら歩き出す。

「うっ、うんっ!」

 麻奈実は躊躇った末にニッコリと笑って俺に付いてきてくれた。

 

 プールを出た俺は市役所に直行し、書類を出して田村家に婿養子入りした。

 あれから4年。俺は田村屋の3代目を継ぐべくお菓子作りの修行と経営のノウハウを学ぶのに明け暮れている。だが、それを辛いと思ったことは一度もない。

「頑張ってね、きょうちゃん」

 愛する妻がメガネを掛けていてくれるのだから。

 

 

レーシック あっと ホスピタル

 

 受験勉強のし過ぎで急激に視力が悪くなってしまった。このままでは受験にも差し支えるかもしれない。

 だが、俺はメガネは美幼女と美少女と美女が掛けるものであるという強い信念を持っている。従って俺はメガネくんになることはできない。

 そして俺はコンタクト反対派の筆頭。コンタクトを掛けて『本当の私発見』とか言っている奴はみんな、そのフザケた幻想をブチ殺したくなる。

 俺は信念があるからこれまで18年間の人生を生きてこられた。だが、今はその信念が俺を窒息させようとしている。

 なので俺は他の方法を取らねばならなかった。メガネでもコンタクトでもない第三の道を……。

「という訳で、レーシック手術を受けに来た訳なんだが……」

 眼科医院を前にして中に入るのを躊躇する。

「考えてみれば、目に傷を付けて見えるようにするって、すげぇ怖ぇよ……」

 レーシック手術の内容を考えれば考えるほど不安になってくる。ホームページや広告でどんなに安全性を強調されてもやっぱり怖い。失明したらどうしようって不安になる。

 という訳で、さっきから小一時間ずっと病院の前を行ったり来たりしている。

 さて、どうしたら良いものか?

 

「あの、お兄さん、さっきから何をしているのですか?」

「あやせ?」

 マイ・ラブリー・エンジェルあやせが話し掛けてきた。

「さっき通り掛かった時は、凄く思い詰めた表情で俯いていたのでそのまま通り過ぎたのですが。戻って来たらまだ同じ場所にいたので気になって声を掛けたんです」

「そうか」

 どうやら俺は相当な不審者をやっていたらしい。

「それで、お兄さんは一体何をしていたのですか?」

「ああ、それはな……」

 口で説明するよりも、実際に見てもらった方が早いと思い、病院の方を向いた。

 あやせも俺の後を追って病院へと目を向けた。

「えっ? お兄さん……あの、そのっ!? ええ~~っ!?」

 あやせは両手で口元を押さえて驚いた。

 俺が眼科の前をうろついているのがそんなに変か?

「いや、でも、その、そんな。ええぇ?」

 あやせは意味不明な言動を繰り返しながら、看板と俺の下半身を交互に見ている。

 うん? 俺の下半身を見ている?

 ちょっと、待て? それはどういう意味だ?

 俺は慌ててあやせの目線の先を追った。そこには、俺が入ろうと思っていた眼科医院の看板ではなく『○×男性専門美容整形外科』の看板が……っ!

「ノォオオオオオオオオオオォっ!! あやせ、お前は重大な思い違いをしているっ!」

「大丈夫。変な誤解なんてしていませんよ。日本人男性の6割以上はそうだと言いますから、お兄さんが気にすることはないですよ」

「その優しさが俺を苦しめるぅうううぅっ! そしてそれは誤解だぁあああああぁっ!!」

 中学生女子に慰められてしまいました。何ていうか、色んな意味で再起不能です。

「えっと、それとも、小さいことに悩んでいるとか? ………………プッ」

「見てもいない女子中学生に笑われたぁああああぁっ! もう嫌ぁあああああぁっ!」

 誰か俺を殺してください。お願いします。

 

「オメェら、往来で何をそんなに大騒ぎしているんだよ?」

 高い所に行ってコードレス・バンジージャンプの実演をしてみたくなった所で加奈子がやって来た。

「実はね、お兄さんが、その……男の人の部分が……小さくて手術を受けようか悩んでいる所なの。破廉恥で無様だよね」

「事実無根の話が真実の如きに語られている。嫌ぁああああああああぁっ!」

 加奈子の耳に口を当てヒソヒソ話をするあやせに絶望する。

 もう生きていく気力がどこからも沸いて出ない。

「小さいことがそんなに悪いことかよ!」

 けれど加奈子はあやせの話を聞いて予想外の反応を見せた。あやせに怒って見せたのだ。

「あたしだって背の低いことにずっとコンプレックス持ってるし、胸がペッタンコな所なんか風呂に入る度に絶望する。けどな、小さくたってあたしは胸を張って生きたいんだよ!」

 突然、加奈子が輝いて見えた。ラブリー・エンジェルよりも加奈子の方が激しい光を発している。

「だから京介も小さいことなんて気にすんなっ!」

 加奈子を見ていると心が震えた。そして俺はいつの間にか加奈子の両手を強く握り締めていた。

「好きだ、加奈子っ! 俺と結婚を前提に付き合ってくれっ!!」

「えぇえええええええええぇっ!? 何でわたしじゃなくて加奈子にぃいいいぃっ!?」

 気が付けばプロポーズしていた。けれど、こんな光り輝く女性を見ては他の言葉は思い浮かばなかった。

「あ、あたしは見ての通りのチンチクリンだぞ。そ、それでも良いのか?」

「小さいことなんか気にすんな、だろ?」

 加奈子の瞳をジッと見詰め込む。

「浮気したらぜってぇ許さねえからな。後、あたしは寂しくされるのもダメだからな」

「加奈子に悲しい思いなんて絶対にさせないさ」

 加奈子が爪先立ちし、俺が屈み込んで2人の唇が重なる。

 こうして俺は、何をしにここまで来たのかど忘れしたが、生涯の伴侶と巡り合った。

 

 20年後、小学生の内に母親の身長を超えてしまった娘の高校入学式に向かう俺と加奈子の姿があった。

 

 

あやせたん 公園に呼び出する

 

 夏も終わろうとするある日、俺はあやせにいつもの公園に呼び出されていた。

「お兄さん、大事なお話があります」

 あやせはいつになく真剣な表情で俺を見ている。怒っているようにも泣き出しそうに見える大きな瞳で。

「で、用事って何だ?」

 あやせからこうやって呼び出しを受ける時は大抵面倒なことに巻き込まれる。ぶっちゃけ聞きたくない。

 けれど相手はラブリー・エンジェル。俺の理性の警告とは関係なく体はあやせの話を聞く気満々でちっとも動こうとしない。

「実は……」

 あやせの目が鋭く細まった。

「お兄さん、わたしと結婚して下さいっ!!」

「ハァ?」

 思わず大声で聞き返してしまう。

 あやせの奴、一体何を言っているのだろうか?

 アレか?

 俺が散々セクハラプロポーズでイタズラして来たからその逆をやって俺を懲らしめてやろうということか。きっとそうに違いないな。

「…………間違いました」

 あやせは顔を真っ赤にしながら口をつぐんだ。逆セクハラ攻撃が通じなくて恥ずかしくなったに違いない。

「……お兄さんに言ってもらわないといけない言葉をわたしが言っても仕方ないのに……つい先走ってしまいました」

「まあギャグが滑った後は死ぬほど恥ずかしいよな」

 笑いながらあやせの肩を2度3度叩く。俺もクラスの中で何度もやらかして死にたくなる経験を何度もしたものだ。

「……全然通じてないし」

 あやせは小声でボソボソ言いながら不満そうに俺を見上げている。

「まあ、仮にあやせに本気でプロポーズされたとしても俺には超可愛い彼女瑠璃がいるから無理だしなあ」

「畜生っ! また負け決定からのスタートかよっ!!」

 あやせはお嬢さまらしからぬ汚い言葉を吐きながら天を睨んだ。

「で、話って何だ?」

「チッ! 優柔不断のヘタレの近親相姦魔の分際で彼女が出来た途端にリア充気取りやがって……死ネッ!!」

 あやせのハイキックが俺の頬に綺麗に決まる。錐揉み回転しながら俺は吹き飛ぶ。頭から地面に突っ込んで千葉の土をありがたく頬張る。

 だが、彼女ありのリア充街道まっしぐらで人生に余裕ありまくりの俺はそんなこと程度で怒りはしない。

「駄目だぞ、あやせ。女の子がそんな風に男の前で足を大きく開いたりしたら。リボン付きの白いパンツが丸見えだったぞ。はっはっは」

 リア充笑いをあやせに発する。人はリア充になるだけで大抵のことに寛容になれるのだ。

「桐乃が悪い道に入ろうとしているのによく笑っていられますね。……後、わたしのパンツを見た責任を取って結婚しやがれっての」

「きっ、桐乃が悪い道に入ろうとしているだってぇ~~~~っ!?!?」

 あやせの言葉に大きな衝撃を受ける。

 彼女とラブラブでまったく女子高生は最高だぜ!なリア充の俺であっても妹のことになれば動揺しない訳にはいかない。

 昨日の出来事が原因で学生結婚する結果に至ったとしても、妹っていうのは気にせずにはいられない存在なのだ。

 だって俺は兄だから。桐乃のお兄ちゃんだからっ!

 お兄ちゃんとは妹のことを心配せずにはいられない存在なのだから。

 

「桐乃に一体、何が起きていると言うんだ!? まさか、悪のリア充の巣窟、渋谷に出向いて服やアクセサリーやバッグなんかを買うようになったというのか!? いや、桐乃はああ見えて真面目な奴だ。そんな神をも恐れぬ所業に手を染める訳が……」

 桐乃が悪い道に入ろうとしていると聞いて頭の中がテンパッてしまう。桐乃が顔グロに顔を塗ってチョベリバとか言って渋谷の街でパンツ見せながら座り込んでいる様子が思い浮かんでしまう。

 そんなことになれば……俺は舌を噛んで死ぬしかない。瑠璃には悪いが、お腹にいるかも知れない子供は1人で育ててもらうしかない。

「あの……渋谷でショッピングだったらわたしも桐乃も昔からやっていますが……?」

 あやせが目を半分閉じて困った表情を見せながら尋ね返してきた。そして俺はその言葉の内容に深く深く絶望した。

「あやせと桐乃が悪の巣窟の住人だったなんて大ショックだぁ~~~~っ!!」

「えぇええええええええぇっ!?」

 あやせが驚きの声をあげる。けれど、大きな衝撃を受けているのは俺の方だ。

「俺のようなアキバの民から見て渋谷ってのは耐えられないお高いリア充オーラを吐き出し続ける魔都なんだよっ! あんな瘴気を吸わされ続けたら俺は1日ともたずに死んじまうっての!」

 アキバの空気に慣れ親しんだ人間は渋谷の空気を吸うと肺が腐って死んでしまう。渋谷は俺にとって死をもたらす街だった。

「そんな大げさな……」

「アキバの民は渋谷に行かないんじゃないっ! 行けないんだよっ!」

 オタク趣味のないあやせには分からない。アキバと渋谷。山手線でほぼ反対側に位置する2つの街はその実世界のどこよりも異なる都市を形成していることを。

「確かにわたしは秋葉原には自分から足を運ぶことはないですけれど、桐乃は昔から両方自由に行き来しているじゃないですか」

「桐乃がそんな節操ない淫乱ビッチだったなんてお兄ちゃんは聞きたくない~~っ!」

 目を両手で覆い塞ぎながら妹の淫行条例違反を嘆く。

「あの、お兄さんは非リア充であるアキバの民がリア充の街である渋谷に行くことに反対なんですよね?」

「ああ、そうだ。俺は妹に嵌められてオタクになった時から渋谷に行けなくなったんだ。リア充に対して唾を吐きかけることしか出来ない惨めで無様な存在が今の俺なんだ」

「でもお兄さん、今彼女いるんですよね? 別れるのならわたしが後釜に座りますが。とにかく、今のお兄さんはリア充ですよね」

「そ、それは……」

 あやせの一言に驚愕する。

「確かに俺は妹の友達に手を出して昼越しの緑茶を一緒に飲んでしまう超リア充。リア充オブ・ザ・イヤー確定の男。好きなものはなんですかと尋ねられたらリアル彼女ですよと答えてしまう俺がアキバの民を名乗るなんて許されなかったんだ……」

 ガックリと膝をつく。

「俺こそが、俺こそがアキバにとっての癌細胞だったんだ……桐乃やあやせの行動をどうこう言う資格はなかったんだ。欝だ……死のう」

 アキバの民として最後に出来る奉公。それはこれ以上迷惑を掛けないように自決することのみ。

 舌を真っ直ぐに突き出して、あとは上と下の歯を強く噛み合わせて舌を食い破るだけ。

 そうすればそうすれば……。

「あっ、京介。今日うちに来る際にケチャップを持って来てくれないかしら。今夜はオムライスにする予定なのだけど、卵の上に絵を描く用のケチャップを買い忘れてしまって」

「ああ、分かった。それじゃあ5時半にケチャップ持ってお邪魔させてもらうな」

「京介はもう……家族も同じなんだから邪魔なんて表現を使わないで。寂しくなるから」

「そうだったな。じゃあ、5時半にケチャップ持って瑠璃の所に帰るな」

「…………うん。分かったわ」

 夕飯の買い物帰りだった瑠璃は俺の頬にそっとキスをすると再び帰っていった。

「で、何の話をしていたんだっけ?」

「お前もう死ネェエエエエエエェッ!!」

 返答は何故か理由のよく分からない飛び蹴りだった。

 

「とにかく、今桐乃は悪い友達に誑かされているかも知れないんです。だから、お兄さんにも知らせておいた方が良いかと思いまして」

「悪い友達だって!?」

 あやせの言葉に再び驚かされる。

 妹は麻薬の売人か男女交際の元締めにでも付け狙われているというのか?

 桐乃はルックスはモデルやるぐらいに完璧だし、表の面では愛想が良くて人望に厚いので色んな人脈を持っている。悪い奴らが目を付けてもおかしくはない。

 果たして妹を狙っている悪い友達とは一体!?

「眼鏡を掛けた女子高生だと思うお姉さんなのですが」

「フムフム」

「地面を四つん這いになって飢えたケモノのように目を血走らせ口から涎を垂らしながらホモォ~と大声で叫んで男同士で歩いている人達に引き寄せられている方なのですが」

「…………ああ、もう、全部理解した」

 桐乃の友達であやせが知らなくてホモに狂っている女なんて1人しかいない。

 赤城の妹、赤城瀬菜に間違いなかった。

「そいつは昔からそういう病気だから、あんまり気にしなくて良いぞ」

 実の兄に深夜販売でホモゲーを買いに行かせる業の深い女だ。今更変えることは不可能だろう。

 だが、妹だってそんな男を見れば受けか攻めかを考えてばかりの変態の影響をそんな受けたりはしないだろう。

「でも、最近桐乃もホモという言葉を連発するようになって、メールを送って来る時も句読点の代わりにホモォって表記するぐらいなんです」

「ぶげぇっ!?」

 思い切りむせ返してしまった。

 桐乃が、そんな恐ろしい変貌を!?

「モデルのお仕事の休憩中も桐乃は、あのカメラマン(男)と照明(男)は絶対デキてるよねとか。美形モデル(男)はナンパして男を食いまくってるよねとか、事務所の社長は権力を利用して男モデルに全部手を出しているに違いないとか男同士の卑猥な話しかしなくなってて」

「びょうぺうとえうとぺ!?!?」

 妹の奇行に意識が逝ってしまいそうになる。まさかあの腐女子の影響をそんなにも強く受けてしまっていたなんて……。あの2人を出会わせるんじゃなかった。

「そういう訳で今の桐乃は何だか怖くて……」

 あやせは申し訳なさそうな表情を見せた。

「いや、あやせの感性は間違っていない。おかしいのはアイツらの方だ」

「でも桐乃はホモが嫌いな女子はいないって。ホモの魅力が分からないわたしは人としての軸がブレているって」

 あやせは泣きそうな表情をしている。

「安心しろ。腐った亡者どもの戯言を聞く必要はないさ」

 あやせの頭を優しく撫でる。安心させるようにゆっくりと丁寧に。

「知らせてくれてありがとうな。桐乃は俺の方が何とかしてみるよ」

「はい」

 頭を撫でられているあやせはとても気持ち良さそうにしている。よほど腐女子攻撃が怖かったのだろう。まあ、無理もない。

 俺もどうしても腐女子だけは理解してやれないぐらいだしな。俺が男達に輪姦されるストーリーを平然と作ろうとする瀬菜の脳内回路はマジ勘弁だ。

「そ、それでですね」

 あやせが急にモジモジ始めた。

「何だ?」

「わたしは極めてノーマルですから」

「そうか」

「結婚するカップルの中で最も比率が高い、2、3歳年上の男性が好きな普通の女の子なんです」

 あやせの鼻息が若干荒い気がする。何故だろうか?

「友達のお兄さんで3歳年上の男性に恋しちゃっている普通の女の子なんですよっ!」

「そうか。恋をすると人生が輝くよな」

「そうです。輝くんですっ! その恋が実ったらもっと輝くんです!」

 視界の片隅に公園備え付けの大きな時計が目に入る。時間はそろそろ5時を指そうとしていた。

「そろそろケチャップ買って恋人の瑠璃の所に帰る支度をしないとな。まったく、女子高生は最高だぜ!」

 瑠璃は料理上手いんだよなあ。俺も良い嫁さんを貰ったもんだわ。まだ、正式には夫婦になっていないけれど。

「ここまで一生懸命誘っているのに……お兄さんの馬鹿ぁああああああぁっ!!」

 突然視界からあやせの姿が消えた。そして、次に視界に飛び込んで来た時には頭より高い位置に右足の先端を上げて蹴りの姿勢に入っていた。

 また純白のパンツを俺に晒しながら。あやせたんもこういう動作を取るようじゃまだまだ子供だなあ。

「彼女が出来た途端にわたしには興味なしかよっ! 死ネェエエエエエエエエエエエエエェッ!!」

 そして飛んで来た蹴りは俺に気絶というご褒美をもたらしたのだった。

 セクハラもしていないのに一体何があやせを怒らせたのだろうか?

 全くの謎だった。

 

 

 了

 

 

妹は腐春期

 

 瑠璃とのデートを終えて自宅に帰ると桐乃は瞳を輝かせながら玄関で俺を待っていた。

「ねえねえ。デートの話を詳しく聞かせてよ」

 妹の瞳は好奇心でいっぱいだ。

「いや、そんな風に言われても俺と瑠璃のデートだぞ」

 兄と自分の親友のデート話を聞くってのはちょっと生々し過ぎるのではないだろうか?

 少なくとも俺だったら桐乃とその彼氏の惚気話なんて聞きたくない。

「はあっ? そんな兄貴がノーマルなフリをする為の偽装デートの話なんて聞いても仕方ないでしょう」

 桐乃は普段通りのキッツイ視線を投げ付けてくれた。

 けれどその妹の物言いにはちょっと許せない部分が含まれていた。

「偽装デートってのは何だ!? 俺と瑠璃は……瑠璃が高校を卒業したら結婚しようと誓いあった仲なんだぞ!」

 ちょっと気は早いのかも知れない。

 けれど瑠璃は俺達の関係が少しでも早く正式なものになることを願っている。

 だから、後2年経ったら結婚しようと俺は瑠璃に約束した。

 その俺達のどこが偽装だと言うのだ?

「それが何だと言うのよ? 確かに結婚していればホモから世間の目を誤魔化すことは出来る。だけどホモを隠す為に結婚だなんて……瑠璃お義姉ちゃんが可哀想じゃないのよ!」

 桐乃は何だかよく分からないことに腹を立てている。

 何がおかしいのか確かめてみる。

「ちょっと待て? お前は俺と瑠璃のデートに腹を立てているんじゃないのか?」

「そうよ」

「俺と瑠璃の交際に反対しているんじゃないのか?」

「そんなわけないでしょ。黒いのは……アタシがアンタと付き合うのを認めた唯一の女なんだから」

 桐乃は恥ずかしそうに顔を背けた。

「じゃあ、何が気に入らないんだ?」

 桐乃が何を気に入らないのかさっぱり分からない。

 と、その桐乃は理解できない俺に苛立ったのか声を荒げた。

「だからっ! アンタはホモで男のお尻が好きで好きで仕方ないのに、黒いのとラブラブしているフリをするからイライラするのよっ!」

「誰がホモでお尻が好きで好きで仕方ない変態野郎なんだよっ!」

 桐乃の解説にぷち切れた。

 というか妹の思考方法に赤城瀬菜の影響を色濃く見た。というか洗脳元はそれしかなかった。

 賢いけれど割と単純な妹はモーホにすっかり染まってしまったのだ。

「アンタはホモを馬鹿にするつもり? 同性愛ってのはアンタが考えている様な汚いものでも単純なものでもないっての!」

「お前はその深い問題を愉悦の為だけに消費しようと考えているだけだろうがっ!」

 妹、いや、赤城瀬菜の亡霊に必死で反抗する。

ここで負けてしまっては、桐乃は一生男が2人で並んで歩いているだけで「あの2人、絶対デキてるわよね」ってこそこそと耳打ちしては悦に浸る変態で固定してしまう。

そんなことは兄として絶対に認められなかった。

「大体何を根拠にお前は俺がホモだと思ってるんだよ?」

 俺は瑠璃一筋で浮気さえ考えたことがないと言うのに。

「フッ、愚かね。アタシが証拠を提示すればもう引き返せない地点まで追い詰められてしまうと言うのに」

 桐乃は邪悪に笑ってみせた。

「そんな事実はないって証明できる時がようやく来たってなるだけさ」

 俺も桐乃に上から目線で笑みを送ってみせる。

 俺と桐乃のプライドと愉悦を掛けた決戦が今始まろうとしていた。

 

「じゃあ、質問するわ。今日の瑠璃お義姉ちゃんとのデート中にアンタ……せなちーのお兄さんと浮気してたんじゃないの?」

 勝ち誇る表情を見せる桐乃。

 けれどやっぱり俺には何故そんな表情ができるのか分からない。

「いや、だから浮気なんてするわけがないだろ。赤城相手なんて気持ち悪い」

 あやせに「わたしは二番目で良いですから……愛してください」なんて言われたらほんのちょっとだけ考えてしまうかも知れないが。

「じゃあ、せなちーのお兄さんとデートの最中に会わなかったって言えるの?」

「そう言えば……赤城とはデパートのトイレに入っている時に偶然会ったな」

 昼間の出来事を思い出す。

 新しいコスプレ衣装の生地を見ていた俺達だったが、瑠璃が真剣に素材と睨めっこを始めてしまったので、その間を利用してちょっとトイレに行かせてもらった。

 そこで出会ったのが、瀬菜の買い物の荷物持ちをしていた赤城だった。

「トイレの中で男同士が邂逅っ!? え、エロ過ぎるぅううううううううぅっ!!」

 大絶叫する桐乃。

 妹モノのエロゲーをプレイしながら激しく悶えていた昔とどっちがまともなのだろう?

「男が男子トイレに入って偶然出会うことのどこがエロいってんだ!?」

「男子トイレ。そこは女が入れない男だけの聖域。ううん、パラダイスと呼んで問題がない場所。そんな所で男と男が2人きりでいて淫らなことが起きないわけがないわ!」

 桐乃の瞳には何の迷いも見られない。

 男子トイレにいる男同士はエロいことしかしないって純粋に信じ込んでいる。

 瀬菜の奴、他人様の妹になんて魔改造を施してくれやがったんだっ!

 瀬菜の奴を改心させることがほぼ絶望的なように、桐乃をこの魔改造から解き放つには多くの時と労力を要するだろう。

 だから今は、俺が赤城と浮気することは論理的に不可能であることを証明しよう。

「大体、俺が赤城とトイレに一緒にいた時間は1分あるかないかだぞ。そんな時間で一体何をしろと言うんだよ?」

 時間的制約を掲げることで俺が浮気していないことを論理的に立証する。 

 フッ。勝ったな!

「フッ。語るに落ちるとはアンタのことね!」

 だが妹は勝ち誇った表情を見せた。

「1分しかない? 1分もあれば十分じゃないの、アンタの場合」

「何を言ってるんだ?」

「瑠璃お義姉ちゃんからこの間愚痴を聞かされたもの。京介は30秒しかもたないって」

「嫌ぁあああああああああああぁっ!! 俺のナイーブな心を抉るセクハラ発言禁止~~~~っ!!」

 両手両膝を床につけながらガックリと落ち込む。

 腐春期な妹は以前のコイツなら決して口にしないおぞましいことを平気で言ってくれる。

 返して。

 妹モノのエロゲーで狂乱乱舞していた純真な……純真とは言い難いけれどまだピュアっぽかった桐乃を返して~~っ!!

「京介の場合はキスをして、それから男同士のマッスルドッキングをしても1分なら時間的に十分ということよ。この男色の悪魔が!」

 ポッキリと心を折られてしまった俺にもはや反論することは出来ない。

「せなちーのお兄さんだけじゃなくて、他の男とも出会ってたんじゃないの?」

「ゲーセンのトイレや公園のトイレ、駅のトイレでゲーム研究会部長や真壁くん、御鏡と出会いました……」

 ただ呆然と事実だけを答える。

「何でそんなに知り合いとトイレでばっかり出会うのよっ! 本当は全部仕組んだことなんでしょう。この世全ての男色魔がっ!」

「俺はただ瑠璃とデートしていただけ」

「女とデートしていたから、男が恋しくなって色んな男を入れ替わり立ち代わりで食いまくっていたんでしょ!」

 幼い頃、まだ桐乃と仲の良かった頃の思い出が走馬灯のように蘇る。

 あの純真で愛らしかった桐乃を変な道へと走らせてしまったのはこの俺。

 桐乃が腐春期への至る源泉を作ってしまったのは俺なのだ。

 悪いのは全て俺。

 それは分かっている。

 だが俺はこれ以上桐乃を直視することに耐えられそうになかった。

「お前をこんなにしちゃってごめんな。でも大丈夫。俺がこの家を出て行けば少しずつでも治っていくに違いないから」

「えっ?」

 桐乃が驚きの声を上げる。

「まさか……アンタこの家を出て行くつもりなの!?」

「ああ。しばらくは瑠璃の所にお世話になって……お金が溜まったら瑠璃と2人でアパートでも借りて慎ましく住もうかと思ってな」

 瑠璃に愛想尽かされなければの話だが。

「そっ、そんなの、そんなの駄目に決まってるでしょうっ!」

 桐乃は金切り声を上げた。

「2人が結婚して出て行くのなら諦める。でも、そんな半端な形で家を出て行かないでよ。もうしばらくで良いからアタシのお兄ちゃんでいてよっ!」

 桐乃の瞳にはうっすらと光るものが。

 それを見て俺は急に目が醒めた。

 たとえ腐春期に入っていても桐乃は俺の妹だ。

 そうだ。如何なる趣味を持っていようと桐乃は桐乃じゃねえか。

 ホモが好きぐらいがどうしたってんだ!

「悪かったな……桐乃」

 桐乃の頭を撫でながら立ち上がる。

「出て行くのは止めるよ」

「ホントっ!?」

 桐乃は顔をパッと輝かせた。

 そうだ。俺はコイツが笑顔でいるのを見るのが好きな自他共に認めるシスコン兄貴だったじゃねえか。

「ああ。結婚するまで出て行くのは止めるさ」

 この妹にはきっともうしばらく俺が必要だろう。

 何たってコイツも何だかんだ言ってもお兄ちゃんのことが大好きなブラコン妹なのだから。

「じゃあさじゃあさ。せなちーのお兄さんとの浮気も認めるってことなんだよね?」

「それは認めねえよっ!」

「ええ~なんでよ~っ!? 物的証拠はもう揃い過ぎているってのに~」

「やっぱりお前は今すぐその腐春期を直しやがれ! じゃないと出て行く~~~っ!!」

 俺達兄妹の言い争いは両親が帰って来るまで続いたのだった。

 

「兄貴×お父さんの最上の下克上ネタ…………キタァ~~~~っ!!」

「お前は普段、家の中でそんな恐ろしい妄想を働かせてるのか~~っ!!」

 妹の腐春期は今日も全開です。

 

 了

 

 

義妹は腐春期

 

今日の私は3人でお茶をしに秋葉原までやって来ている。

 ただし3人というメンバーはいつもの面子とは少しだけ異なる。

 私と桐乃、そして赤城瀬菜という組み合わせだった。

 桐乃は腐食因子に当てられて以来、赤城瀬菜とほとんど変わらない思考様式、言動を取るようになっている。

 昔は何ていうかムカつく所も多かったスイーツだったけど、今の彼女は完璧に腐女子として覚醒してしまっている。

 とはいえ、今日は年頃の少女3人の集まり。

 3人の仲で彼氏がいるのは私のみ。

 当然京介との仲を弄られるのだろうなと覚悟していた。

 まあ……弄られるようなことを実際に色々していたのだし。

 でも、私は大きな思い違いをしていた。

 よく訓練された腐女子というものを甘く見ていた。

 桐乃達は私の予想を遥かに斜め上を行く存在だった。

 

「ねえねえ、桐乃ちゃん。あの如何にも体育会系って感じのマッスルボディーな角刈りさんは高坂先輩の浮気相手にピッタリだと思わない? こう、パワープレイで先輩をメロメロにしちゃう感じでさ」

「え~? パワーはでかくてもお前の負けなのさって展開にしかならないと思うよ。京介ってああ見えてラスト5秒の逆転劇が得意だからさ、あの角刈りくんも気が付くと受けに回ってて京介に嬲り尽くされて捨てられるのがオチだと思うよ」

 腐女子2人は私の彼氏の浮気相手を通行人の中から勝手にセレクトするのに夢中になっていた。

「あのねえ。私は京介の彼女なのよ。その私の前で京介の浮気の話をしないで頂戴。しかも……相手が男だなんて」

 赤城瀬菜の毒を嫌っている私は、腐女子に対する寛容度が以前よりも下がっている。

 私が高校を卒業したら結婚してくれると誓ってくれた京介の浮気に関する話、しかも腐った話なんて聞きたい筈がなかった。

「何を言ってるんですか、五更さんは」

「まったくもう、ほんっとにアンタは分かってないわね」

 なのに2人から駄目だしされてしまった。

 一体何故?

「五更さんは高坂先輩の奥さんになるんでしょう? ごく当然の如くして」

「そ、それは……京介に捨てられる様なことがなければ」

「アイツがアンタを捨てる訳がないでしょう? 余計な心配すんなっての」

「あっ、あっ。うん……」

 何故私は恥ずかしさがこみ上げるようなことを言われながら怒られているのだろう?

「そういう訳で五更さんは高坂先輩の本妻決定です」

「だから本妻の余裕を見せなさいって話よ」

「本妻の余裕?」

 何となくおぼろ気ながらこの腐女子どもの言いたいことが分かってきた。

「そうです。本妻たる者、旦那の浮気の1つや2つ見逃す寛大な心が必要なのです!」

「そうよっ! 京介が他の男に色目使おうが、関係を持とうがそれを笑って許すのが本妻ってもんでしょう」

「結局それに繋げたいわけね」

 大きな溜め息が漏れ出る。

 私と先輩の仲を認める代わりに、先輩が男と浮気する権利を認めてやれと。

 結局全ては腐に結び付けたいのだ。

 そして腐と化したこの獣欲の塊どもに頭ごなしに全面否定してみせても意味はないだろう。

「そうね。京介の本妻として女との浮気は絶対に許容できないけれど……」

 私の脳裏にスイーツ2号新垣あやせ、スイーツ3号来栖加奈子、そして魔女ベルフェゴールの姿が思い浮かんだ。

 京介が彼女達と浮気した場合……私は本妻どころか捨てられてしまう気がする。

 よって大却下。

「それ以外の対象に嵌るというのなら……まあケース・バイ・ケースだわね」

 含みを持たせる言い方をする。

 ちなみに私が考えている対象とはゲームや漫画、そしてそのキャラクター。

 京介にも出来るだけ私と同じ世界を見て欲しいという乙女の願望。

 ちなみに京介が男に走るなんて欠片も考えていない。

 だって京介は…………私で満足しているのだから。京介の望むことを最終的には何でも叶えてあげている私に隙など存在しない。

 でも、そんな私の見解と桐乃達の妄想は全く相容れないもので……。

「本妻からの浮気容認発言キタァ~~~~~~っ!!」

「くぅ~っ! これは高坂先輩、これから毎日男達との蜜月の日々が始まりか~~っ!」

 私の一言でやたらと盛り上がっている。

「これはもう京介が、男色くもの巣地獄をこの秋葉原の街に作り上げるに違いないわ!」

「男となればもう見境なし。その内に網を仕掛けて定期的に男を一網打尽にするとかですね~♪」

 コーヒーショップ内で大騒ぎを始める2人。

 周囲のお客達も一斉に私達を振り返って見ている。

 というか、過半数のお客達が私達を敵視する視線を送っている。

 私はコイツらと一緒じゃない。そう声を大にして叫びたい所だけどそういう訳にもいかない。

 黙って耐えるしかなかった。

「秋葉原に動物園感覚で来るかぷるハッケーンっ!」

「京介。今すぐその男の方を寝取って秋葉原の恐ろしさをその馬鹿っぽそうな女に教えてやるのよっ!」

「ああ~っ! あっちではどう考えてももうデキてるとしか思えない密着した距離で歩いている男と男が~~っ!」

「京介が男だけのハーレムをこの秋葉原に作り上げる日は近いってことね~~」

 桐乃と赤城瀬菜はいつになく楽しそうに振舞っている。

 彼女達が楽しそうにすればするほどに私は死にたくなっていくが。

 うん。本気で死んでしまいたい。

 助けて……京介。

「五更さん。お二人の結婚式には絶対に私達を呼んでくださいよ」

「そうそう。結婚式場で京介の男遍歴を大々的に暴露してサプライズでみんなをびっくりさせるの」

 楽しそうに笑う2人の腐女子。

「結婚式は……どこか山奥の教会ででも2人きりで挙げることにするわ」

 友人2人と秋葉原にお茶に来て結婚式のプランが決まった。

 それが本日の収穫だった。

 

 

 了

 

 

 

 

 


 
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