No.476814

恋姫異聞録154 -悪来と樊噲-

絶影さん

遅くなりました。申し訳ございません

今回は悪来と樊噲と、季衣と流琉の第二弾です。ちょっと長くなってしまったので、2つにします
次回は今回の続きとなります

続きを表示

2012-08-28 22:57:13 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:7747   閲覧ユーザー数:5975

 

 

 

とある街の史官の屋敷。歳の頃は十になるかならないかの子供が手に取るのは一つの竹簡

 

題名は悪来と樊噲

 

重ねられる多くの竹簡の中で、一つだけ眼を引く朱の文字で題名の書かれたそれを開けば

何度も読まれたのだろうか、所々黒ずみ、手垢で汚れ、端は僅かに欠けていた

 

 

 

我が此処に記すは魏の誇り。磨かれし子供達の魂よ、白く美しき玉石となれ

 

 

劉備が魏へ来訪し、数週間が経ったある日、玉座の間では何時もの報告会議が行われていました

戦を前にしているというのに、通常の日々と変わらぬ魏の様子であったそうだ。文官たちは淡々と報告を済ませ

武官達は、練兵の報告をいつもの通りに変わらぬ現状を報告する。他国の者が来たら、この様子をどう思うでしょうか

きっと、もうすぐ戦が始まるだなどと誰も思うまい。それほどに、一人として心を乱す者は居なかったようです

 

「次、警備隊の報告を」

 

「戦が終わり、今まで手を出せなかった国境の間に潜伏していた賊を討伐する際、邑を一つ発見した。

邑は、呉と魏の何方にも属さず。税を治めることもなく、賊と手を組みながら生計を立てていたようだ」

 

夏侯惇将軍の促しに、警備隊長である魏の舞王こと夏侯昭将軍は、竹簡を開いて魏王様へ討伐結果を口にしました

報告を聞く聡明な魏王様は、既にこのような事が起こるであろうと予想をされて居たのでしょう

特に驚くこともなく報告を聞いて居られたようです

 

「邑の情報が欲しいわね。既に調べてはあるのでしょう?」

 

「邑は、独自の階級制度や、政治体制を持っている。構成は、元から住んでいた者が三割、他の土地から流れて来た賊が六割」

 

「残り一割は?」

 

「奴隷だ、襲った商人や旅人を殺し、子供を攫って奴隷に仕立て上げるらしい。仕立てあげられた奴隷は人買いによって買い取られ

邑の収入源の一つとなっている」

 

子供と口にした瞬間、魏の将達の顔は豹変し、何処からともなく鞘鳴りが響いたらしい

特に、魏王様と夏侯昭将軍の顔は怒りに満ち溢れ、触れれば焼き盡くされるような殺気を纏っていたようでした

 

「行って良いか、華琳?」

 

「許可します。速やかに無力化、制圧をしなさい。抵抗するようならば鏖にして構わないわ」

 

「了解した。直ちに兵を編成し、邑に兵を向ける」

 

魏王様の言葉に、会議も終わらぬうちから夏侯昭将軍は礼を一つ取り、身を翻して玉座の間から姿を消した

将達は、自分達の怒りを夏侯昭将軍に重ねるようにその姿を見送り、会議に戻ろうとした所で二人の将が

魏王様の前に出ました。名を許緒、もう一人は典韋。歳の頃は十と少しの二人の少女

 

魏の中で幼いながらも夏侯昭将軍の推薦により、将として兵を任されるほどの猛将

 

二人は魏王様の前に出ると、跪き頭を下げました

 

「華琳、ボク達も行かせてくださいっ!」

 

「ダメよ、昭が行ったならば問題は無い」

 

「お願いします、私達が魏に士官した理由を華琳様はご存知のはずです」

 

「わかっているわ、それでも許可出来無い。貴女達には未だ早い」

 

奴隷にされる子供達に自分達を重ねたのだろう。許可を出さない魏王様に、二人は珍しく頭を下げ続けた

天涯孤独であり、自分達の家族を賊に殺された二人は、今回の話をとても他人ごとには思えなかったのだろう

二人は、周りの将に止められるのも聞かず、固くなにその場を動かず、自分達を行かせてくれと懇願しました

 

「・・・解ったわ」

 

「華琳様っ!有難うございますっ!!」

 

「ただし、約束しなさい。決して昭の後を追わない事。一馬を連れて行くでしょうから、一馬の指示に従いなさい」

 

不可解な事を言う魏王様であったが、その時、二人は、許可を出された事で心が一杯になっていた

自分達も行く事が出来る、自分達と同じような、もっと酷い思いをしている子供達を救う事が出来ると

 

酷く顔を歪め、唇を噛み締める魏王様の表情に気がつくこともなく

 

「それでは行ってきますっ!」

 

「こら季衣、ちゃんと華琳様にお礼を」

 

「良いのよ流琉。それよりも、約束を守って頂戴」

 

「はい、行って参ります」

 

頭を下げ、許緒の後を追う典韋

二人はそれぞれに自分の装備を整え、今頃、編成をしているであろう夏侯昭将軍を追って兵舎へと足を運べば

魏の兵舎独特の何時もの柔らかく、街の人々を暖かく受け入れる様子とは違う、まるで戦前のような張り詰めた空気

 

相手は賊であるし、邑の全てが賊であると言っても良い場所へ行くのだから当たり前なのかもしれないと二人は感じました

 

入って直ぐに見つけたのは、夏侯昭将軍に古くから仕える三人。張燕将軍、張雷公将軍、于毒将軍

 

「おっちゃんたち、兄ちゃんは何処?」

 

「どうした嬢ちゃん達、悪ぃが今日は相手できんぜ」

 

「華琳様から許可を頂きまして、私達も邑に行く事に」

 

「・・・そうかよ。一馬ならそっちに居っから一馬のとこに行け。今日は大将に近づくな」

 

二人の言葉に、張燕将軍はちらりと眼を向けるだけで、直ぐに短剣を腰に幾つも携え、最後に珍しい鉄刀

【桜】と呼ばれる武器を腰に佩いて、二人を見ること無くその場から去ってしまった

 

「皆、兄ちゃんに近づくなって、何でかな」

 

「解らない。でも、華琳様からも兄様を追うなって言われたから。一馬さんの所に行きましょう」

 

「うん」

 

二人は、張燕将軍に言われた通り、兵舎の一室へと足を運びました

戸を開けて、警備隊の兵舎に遊びに来る時のように劉封将軍の真名を呼びましたが、二人は部屋に入ること無く立ち止まってしまいました

 

「一馬兄ちゃん・・・」

 

「ああ、どうしました二人共」

 

もう一度、名を呼ぶときには笑顔でしたが、二人はその時みた劉封将軍の顔を忘れないと言います

劉封将軍も同じように賊に家族を殺されました。きっと、自分の事を二人と同じように重ねていたのでしょう

 

「えっと、ボク達も行くよ。華琳様に許可をもらったんだ」

 

「そうでしたか、兄者には?」

 

「いえ、まだです。統亞さんが、兄様に近づくなって」

 

「なるほど、確かにそうですね。私から伝えて置きます、お二人は私の隊に入って下さい」

 

劉封将軍に指示を頂いた二人は、同じように夏侯昭将軍に近づくなと言われ、腑に落ちないまま劉封将軍の隊へと入りました

直ぐに編成された隊は城を出発し、二人も劉封将軍の後に着いて目的の邑へと向かいました

 

半日ほどで邑へと到着しました。二人は、此処に来るまで幾度となく攻撃をしてくる賊を打ち倒し、捕縛し

その武を惜しげもなく発揮させて、仲間を護りました。劉封将軍からもお褒めの言葉をいただき、二人はますます励みました

 

ですが、その間、二人は夏侯昭将軍率いる張燕将軍達の姿を見ることはありませんでした

 

邑へ入れば、既に先に入った夏侯昭将軍達の手によって制圧されて居たのでしょう

抵抗は無く、家々からはうめき声やくぐもったような声が聞こえて来るだけでした

 

「子供達は!?奴隷にされてたって子達はっ!?」

 

「兄様達が既に保護しているのかしら」

 

「・・・そうですね、お二人は後方でお待ちください。私が確認して参ります」

 

的盧と呼ばれる巨躯の騎馬から降りた劉封将軍は、柔らかい笑を見せて二人の頭を撫でました

そして、連れてきた兵を纏めて邑の出口を固めさせると、一人で奥の集会所らしき家屋へと足を進めました

 

「ぎゃっ!!」

 

その時です、劉封将軍の進む先の家屋から、子供の悲鳴が聞こえました

悲痛な叫び声に、二人は劉封将軍の静止も聞かず、屋敷に入れば眼に映ったのは夏侯昭将軍でした

 

 

 

 

 

 

子供を抱きしめて、目の前の夫婦を睨みつける夏侯昭将軍は、屋敷入ってきた二人にもはや服とは呼べないボロを着て

怯えて躯を小刻みに震わせる少女を渡し、後から入ってきた劉封将軍に二人は直ぐに外へと連れだされてしまいました

 

「一馬兄ちゃん、兄ちゃんがっ!」

 

「大丈夫ですよ。それよりも、この娘の手当をしましょう」

 

にっこり微笑む劉封将軍だが、武の無い事で有名な夏侯昭将軍を心配した二人は、娘を劉封将軍に預けて止めるのも聞かず、再び屋敷へと入って行きました

まだ子供が居るかもしれない。それに、武の無い夏侯昭将軍では、あの夫婦に殺されてしまうかもしれない

夏侯昭将軍を守らなければ、そして子供達を救わなければと、二人は武器を握りしめ飛び込みました

 

「に、兄様・・・」

 

「に、にいちゃ・・・」

 

二人の眼の前に居る男の人は一体誰だったのでしょう。両腕を紅に染めて、部屋は赤黒い液体で染まり

人とも思えない表情で男女を殴り続ける人物は、二人が知る人物とはとてもかけ離れていました

 

「ゆ、ゆる・・・じ、で」

 

「貴様らが刻んだ傷は、あの子達の心に一生残る傷だ。それをどう償うと言うのだっ!償えはしまいっ!!

死をもってすら償うことは出来んっ!これから生きる人生で、あの子達は貴様らから植え付けられた恐怖と戦い続けるんだ

それがどういう事か理解りはしないだろうっ!お前達には死んだほうがマシだと思える苦痛を与え続けてやる、簡単に死ねると思うな!」

 

轟音のような声で叫び続けるその人の姿に、二人は腰を抜かして怯えていました

その人は、相手から何度も抵抗を受けたのでしょう。頬は腫れ、肩には短剣が突き刺さって居ましたが

そんな事はお構いなしに殴り続けて居ました。何度も何度も、血まみれになる二人の助けてくれと言う言葉も聞かずに

 

「兄者っ!それ以上は死んでしまいます」

 

「・・・・・・」

 

「大将、コイツラどうしやす?」

 

「凌遅刑だ。良いか、決して殺すな。生まれてきたことを後悔させてやる」

 

いつの間にか現れた張燕将軍は、腰を抜かし怯える二人を抱き締めて赤黒い血袋のようなモノが見えないように自分の胸に押しこ見ました

二人は、押し込めらながら聞こえてきた凌遅刑という刑罰を知りませんでしたが、後に続く言葉で理解しました

あの二人は、少しずつ少しずつ苦しめられる。死ぬことすら許されず、生かされ苦しめ続けられるのだと

 

「一馬ぁ、ソイツら俺らに任せろや。テメェじゃ大将と同じ事やっちまう」

 

「そうだな、子供達を頼む。昭様も私達に任せろ」

 

張燕将軍の提案に劉封将軍は素直に頷き、怯える二人を抱き上げて屋敷から出ました

閉じる戸の隙間から、両腕を紅に染めながら、その場に崩れ落ちて頬から輝く雫を落とす鬼の姿から

二人はずっと眼を離す事ができませんでした

 

その後、保護した子供達と一緒に城へと戻った二人は、複雑な思いで心の中が一杯になっていました

確かに、賊を許すことは出来ない。勿論、夏侯昭将軍が慧眼と呼ばれる瞳で沢山の苦しみを見てきた事も知っている

だけど、あのように人が変わる程怒り狂うだろうか?ただ殺すことはせず、苦しめ抜いて殺すような事をしなければならないのだろうか

仇を討つとは違う。自分達がされた事とは違うのかもしれない。処刑をせず、拷問し続けるなんて、よほどの理由なのだろう

自分達が知らない事があるのかもしれない。それが、魏王様の仰ったまだ早いと言うことなのかも知れない

 

そう考えた二人は、まだ震える手を握りしめ、怯えを消すように立ち上がり

遅れて兵舎へと戻ってきた夏侯昭将軍の元へと向かいました

 

「・・・あの、兄ちゃん」

 

「驚かせたな季衣」

 

悪かった、そう言って何時ものように許緒の頭を撫でようとした夏侯昭将軍でしたが

許緒は小さな悲鳴を上げてその手を避けてしまいました。新しく、綺麗な包帯で巻かれた腕でしたが

邑でみた紅に染まる腕を思い出してしまったのでしょう。無意識に夏侯昭将軍の手を避けてしまい、直ぐに許緒は謝罪をしました

 

「ごめん兄ちゃん、そうじゃないんだっ!」

 

「良いよ、怖がらせちゃったな」

 

「兄様、御免なさい。私達が約束を守らなかったからいけないんです」

 

「いいや、お前達は皆に自分達と同じ思いをさせないために戦っているんだ。身体が動くのは仕方がない」

 

首を振り、改めて謝罪をする夏侯昭将軍に二人は顔を悲しみに染めました

そして、将軍は何か話があるのだろうと自分の部屋に招き、二人に茶を出しました

茶の注がれた器を二人は、緊張で冷たくなった手をほぐすように握って、夏侯昭将軍の眼を少しずつ覗きます

 

「華琳様は、私達にはまだ早いと仰っいました。それは、あの時みた事なのでしょうか」

 

「違うな」

 

「なら、凌遅刑の事?ボクは良く解らないけど、沢山苦しめるんでしょう?」

 

「それも違うが、沢山苦しめると言うのは当たっている」

 

「そんなに悪い事をしたの?処刑っていうのも、ボクはあまり好きじゃないけど、殺された人を思ったら仕方がないと思う

でも、凌遅刑って沢山苦しんで、それでも死ねないようにするんでしょう?処刑より酷いよね」

 

「そうだ、だが知るにはまだ早い。もう少し、大人になったら教えてやる」

 

夏侯昭将軍にしては珍しく話を濁しました。何時もならば、二人の質問にわかりやすく噛み砕いて教えてくれるというのに

この時ばかりは、詳しく説明することも無く。言葉数少なく答えるだけでした

 

だからでしょうか、二人は何時もと違う対応にこれ以上聞いてはいけないのだと感じ取り、視線を落として出された茶を飲み干して

夏侯昭将軍の部屋を後にしました

 

自分達が知らない事がある。処刑よりも酷い刑を受けねばならないほどの事をした。一体それはなんなのか

きっと知らねばならない。自分達が掲げる戦う理由に、きっとその事も知らずに含まれて居るはずだ

 

なぜなら、子達は貴様らから植え付けられた恐怖と戦い続けるんだと夏侯昭将軍は言ったのだからと二人は思いました

 

「兄様が教えてくださらないなら、きっと本当に私達には早いのよ」

 

「うん、兄ちゃんは教えてくれるって言ったんだから大人になれば大丈夫だよね」

 

「ええ。それよりも、保護された子たちの様子を見に行きましょう」

 

素直な二人は、夏侯昭将軍の言葉を信じ、今、自分達の出来る事をしようと保護され兵舎に運ばれた子供達の元へと向かいました

部屋に入れば、多くの子供達は既に孤児院の聖女に連れられて行った後でした。残っていたのは、夏侯昭将軍にあの時あずけられた少女

 

一度も櫛を通したことがないボサボサの栗毛の髪に、枯れ木のように細い腕、頬はコケて目の下には濃く厚く隈が出来ていました

ボロボロの服の間から覗くのは、随分前に着いた刃物で出来た傷、背中にある無数の青あざ

生まれた時から裸足のままで居たから、足の裏の皮は厚くなっていて、牛の蹄で踏まれた為、足の指が幾つか足りない

 

風体を見ただけで、この娘がどのような人生を送ってきたのか一目で理解できてしまうほどの十にもならない少女の姿

 

「一馬兄ちゃん、この娘はどうして此処に居るの?皆、月ちゃんと一緒にいったんでしょう?」

 

「えっとですね、この子は兄者が少しだけ預かると」

 

「兄様が?どうしてこの子を?」

 

「・・・・・・怪我もしてますから、治療です」

 

歯切れの悪い劉封将軍に、二人は不思議に思いました。治療だけなら、別に孤児院から通えば良いでしょうし

態々、夏侯昭将軍が預かる必要もありません。この子には何かあるのだろうかと二人は考えました

 

ですが、目の前で俯く娘の様子に、その何かを思いつくことはありませんでした

そんなことよりも、見窄らしいボロを纏う痛々しい少女の姿に何かをしなければと心が叫びます

 

「ならさ、ボク達が面倒を見るよ。今は、流琉と二人でお城に住んでるし、治療って華佗の所だよね?」

 

「えっ!?いや、それには及びませんよ」

 

「大丈夫だよ。ね、流琉?ご飯だって、流琉の美味しい料理を毎日沢山食べられるし、直ぐに怪我も良くなるよ」

 

「いえ、そういう訳には行きません。それに、兄者が預かると言ってますから」

 

許緒の申し出に劉封将軍は困ってしまいます。それもそのはず、目の前で俯く少女の治療は普通の治療ではありません

少女の為の治療は、説明しづらく、とても理解の求められるようなものでは無いのですから

 

なんとか申しでを断ろうとしますが、上手く誤魔化すことの出来無い劉封将軍は困り果ててしまいます

どうしたものかと頭を悩ませていると、娘を迎えに来た夏侯昭将軍が部屋に入って来ました

 

「どうした、まだ聞きたい事があるのか二人共」

 

「兄者、実は・・・」

 

劉封将軍から説明を受けた夏侯昭将軍は、見窄らしい少女に瞳を移します

見れば、無意識にでしょうか、何かにすがるように少女は側による許緒の服の端をしっかりと握っていました

笑顔を向ける許緒と典韋に怯えながらも、僅かな希望をそこに見出したとでも言うのでしょうか、眼を逸らしながらも懸命に

最後まで絞り出した勇気の残りカスを使って、信じられないはずの人間にすがって居ました

 

「お願い兄ちゃん。ボク、この子の面倒を見たい」

 

「流琉も、同じ考えなのか?」

 

「はい、私に出来る事をしてあげたいです。きっと、私や季衣よりもずっと辛い思いをしてきたこの娘を救ってあげたい」

 

「わかった。その代わり、途中で投げ出したりするなよ」

 

「兄者っ!!」

 

夏侯昭将軍は、特に何かを言うことは無く、二人にいつものような笑を送るわけでもなく

義弟である劉封将軍の頭を乱暴に撫でてその場を後にしました

劉封将軍も、一度は夏侯昭将軍に考え直すように説きましたが、義兄が静かに首を振る様子で諦めたようでした

 

「この娘をお願いします。何かあれば夏侯邸まで直ぐに連絡を、兄者か私が直ぐに参ります」

 

「うん、任せて。邑じゃ小さい子の相手とかよくやってたから」

 

「そうと決まれば早速、帰って食事にしましょう。貴女もお腹が空いたでしょう?」

 

何も話さず、意思表示すら無い娘に二人は精一杯の笑顔を向けます

もう心配は無いんだよ、早く怪我を治して元気になろうねと少女に話しかけ、兵舎を後にしました

 

 

 

 

 

 

真っ直ぐ城へと帰った二人は、とりあえず服を脱がせてお風呂に入らせた方が良いだろうということになりました

 

「食事は作っておくわ、だから季衣はこの娘をお風呂に入れてあげてくれる?」

 

「うん、それじゃ行こうか。えっと、そういえば名前をまだ聞いて無かったね、ボクは許緒、真名を季衣っていうんだ」

 

「・・・・・・」

 

にっこり笑って名前を聞きますが、娘は直ぐに眼を逸らして、怯えからか震えだしてしまいます

人を信じられない娘は、この二人に着いてきたことだけで精一杯でした。もし、声を出したら何をされるかわからない

少しでも気に入らない動きをすれば、また拳が飛んでくる。そうすれば何時まで耐えればいいんだろう

 

口の中で広がる鉄の味、篠で撃たれ背中に走る熱。邑で夫婦にされた事を思い出した少女は、身動きが取れなくなり

呼吸が早くなっていきます。恐怖で息を吐くことを忘れた躯はしびれ始め、手先の自由がなくなっていきます

 

「大丈夫、言いたくないなら言わなくて良いよ。お風呂に行こう、ボクが一緒に入ってあげる」

 

「季衣、怪我をしてるから無理に湯船に入れちゃダメよ」

 

「解ってるよ、それじゃ行ってきます」

 

身動きが取れなくなって、動かなくなった手を力強く握ったのは、許緒の温かい手でした

少しだけ、ほんの少しだけ握られた手に熱が伝わり、緊張と怯えで冷めきった少女の手は熱を帯びました

それは、少女にとって希望を掴めたのかもしれないと思わせるには十分でした

 

「じゃあ、服を脱いで。自分で脱げる?」

 

「・・・ッ」

 

少女の小さな変化を感じ取ったのでしょうか、許緒は大げさに笑ってみせ、風呂場に案内して脱衣所から湯船に張られた湯を見せました

きっと、お風呂に入ることも数える程しか無いだろう、絶対に喜んでくれるはずだと考えていた許緒でしたが、結果は正反対でした

 

少女にとって、風呂場のように広い場所に張られた水は恐怖の対称

何度、水の中に顔を漬け込まれ、息ができず水を飲み苦しんだことでしょうか。唯、顔を水に浸けられる日ならましでした

食事も与えられず、汚れた水をたらふく飲まされ、吐き出せば吐き出した水をもう一度飲まされる

汚い、床が汚れた、自分で始末しろ、綺麗にしなければもう一度痛い目を見せてやる。そういって何度も何度も、繰り返される

 

皆、きっと考えます。あの夫婦は何故そんな事をするのでしょうかと

 

もしかしたら、何か止むにやまれる事情があったのかもしれない。もしかしたら脅されて居たのかもしれない

奴隷を作る上で必要で、強制されていたのかもしれない。そんな風に考える人もいるかも知れません

 

ですが答えは簡単。そんな難しい事ではありません。自分より弱い者を見て、優越感に浸りたかっただけ。理由なんかそんなものです

意味なんか無いに等しい。自分の怒りや、憤りを手頃な玩具で発散させたかっただけです

 

なぜこんな事をされるのがこの娘だけだったんでしょうか?

他にも子供は沢山居ました。それでも、こんな仕打ちを受けたのはこの娘一人だけ

 

証拠に、孤児院に引き取られた子供達はそれぞれ開放された笑顔をもって、聖女様の後に付いて行きました

ですが、この娘だけは聖女様の姿に笑をみせる訳でもなく、孤児院に引き取られるだけで無く、兵舎に残っていたのです

 

これも、答えは簡単です。たまたまそこに居たから。ただそれだけです

 

運が無かった。この一言で全て片付けられます。ほんとうに、それだけなんですから

 

「ごめんね、怖かった?それじゃ、身体を拭くだけにしようか」

 

「・・・ッ・・・ッ」

 

首を振る少女に、許緒は少しだけ表情が曇りそうになりますが、懸命に笑顔を作ってもう一度優しく手を握りました

貴女をいじめる人はもう居ない、大丈夫だから安心してと

 

小説や物語なら、許緒の優しさに触れた少女は涙を流したり、許緒に抱きついたり、もしかしたらこれだけで治ってしまうかもしれない

でも、これは現実です。現実は非情です。不意に握られた手に恐怖を感じた少女は、許緒の手を反射的に振り払います

 

そして、振り払った事に少女は顔を青ざめます。手を振り払ってしまった、きっと殴られる、また水の中に沈められる。また水を吐き出すまで飲まされる

 

追い詰められた少女の行動は一つ。叫べば余計にひどい仕打ちを受ける。だから声を殺し、自分を守るために躯を丸めて息を殺す

 

「大丈夫?ごめんね、ボクなにか嫌なことしちゃった?」

 

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

「そっか、大丈夫だよ、ボクは何もしない。だから、落ち着いて」

 

許緒は、目の前で躯を縮こめる少女に、無理に触る事は逆に恐怖を与えてしまうと思ったのでしょう

座り込んで、じっと柔らかい表情をしたまま少女が落ち着くまで側に居ることに決めました

 

「大丈夫、ボクはキミに何もしない」

 

何時までたっても風呂場から戻ってこない二人を心配した典韋が、脱衣所に行ってみれば

そこにはようやく落ち着きを取り戻し、再び顔を伏せたまま許緒の服の端を握る少女の姿が有りました

 

「なにかあったの季衣?」

 

「うん、急ぎ過ぎちゃったみたい」

 

「・・・そう」

 

「沢山沢山、怖い思いをしてきたんだ、誰も信じられないんだよ。だから、ボクがこうして側に居るだけでも怖いんだよ」

 

「じゃあ、先にご飯にしましょう。躯は、お湯で拭けば良いわ。お風呂は慣れてからでも」

 

せめて食事だけでもと、少女を部屋に案内いしました

部屋の外まで漂う美味しそうな料理の香り、卓に所狭しと並べられた料理の数々に少女は眼を丸くしてしまいます

 

「どれでも好きなモノを好きなだけ食べてね、足りなければ作って上げるわ」

 

「流琉の料理はとっても美味しいから、食べたらきっとびっくりするよ」

 

見たこともない料理の数々に、少女は喉を鳴らします。その様子に二人は此れなら自分から食べてくれると思いましたが

少女はじっと料理を見ているだけで、手をつけようとはしません

 

「どれも美味しいよ。心配なんか要らないよ、じゃあボクが食べて見せるね」

 

「ふふっ、どう季衣?」

 

「最高だよー!ほら、キミもどう?」

 

幾つかの料理を小皿に取っ手、少女に渡そうとしますが、少女は差し出された小皿を取ろうとはしません

なら、自分が食べさせてあげるよと箸で摘んで少女の口元に寄せると、少女はビクリと躯を震わせて外に飛び出して行きました

 

「ど、どうしたのっ!?」

 

「待って、何処に行くの?」

 

急に飛び出した少女を追えば、少女は庭の小池の水を手で掬って地面に何度も落として、水溜まりを作るとその泥水を飲み始めました

 

不思議な行動を・・・・・・いえ

 

異常な行動をする少女を許緒と典韋は止めます。ですが、少女は必死に抵抗して、今度は近くに生えている草を口に入れました

二人が止めるのも聞かず、咀嚼して飲み込むと、再び小池の水を今度は直接飲み始めました

 

言葉を無くす許緒と典韋

 

きっと、二人は理解が出来なかったでしょう。出来なかったと言うのは違いますね

出来無い。理解などできません。ですが、少女には此れが普通だったのです

 

食事の飲み水は、自分で泥水を作って飲まされる。口に入る食べ物は、残飯かそこら辺に生えている草

生まれた時から繰り返されてきた【普通】は、さぞかし二人の眼には異常に写ったことでしょう

 

偶に出される普通の食事は、何時もよりひどい目にあう時の合図です

食べれば何日も食べられない躯にされてしまいます。それなら、食べずに何時もの食事を取れば良い

酷いことをされるよりよっぽどマシですから

 

「・・・ごちそうさまでした」

 

口元を泥で汚し、痛々しい笑顔で初めて言葉を口にする少女に二人は涙を流しました

無力だと思ったのでしょうか、それとも目の前の少女を憐れだと思ったのでしょうか

二人は、目の前の少女を抱きしめます。何度もごめんねと謝罪を口にしながら

 

いったい何に謝罪をしているのか、少女にはわかりませんでした

でも、少女の躯は今度は一体なにをされるのかとふるえだします

心に深く刻まれた恐怖は、少女を不安と焦りに駆り立てるだけですから

 

「ッ!流琉、ゆっくり離れて」

 

「うん、この娘、怖がってる」

 

「兄ちゃんはこの事を言ってたんだ」

 

「ええ、途中でにげだすことは出来無い」

 

僅かながらに理解を示した二人は、少女からゆっくり躯を放して、新たに決意をします

必ずこの娘を救ってみせる、絶対に途中で逃げだしたりはしないと

 

その日から、仕事をしつつ交代で少女の様子を見るようになります

まず最初にぶつかった問題が、少女はほとんど眠ることが無いとういことです

一日に寝る時間は多い時で三刻、短い時で半時。一切眠らないという日も珍しくありません

 

勿論、少女は眠くない訳ではありません。瞼が重く、欠伸を何度も繰り返し、眠りに落ちようとしますが

 

「ヒッ!」

 

「どうしたの?また、音が聞こえるの?」

 

「や・・・いたいの、や」

 

不意に、少女だけに聞こえる大きな音が少女の眠りを妨げます。まるで、寝ることを決して許さない亡霊が憑き纏うようにして

怯えた少女は、安心して寝ることなどできません。同時に、二人も寝ることはできません

怯え続ける少女を一人、そのままにして自分達だけ寝ることはできませんから

 

この彼女だけに聞こえる音。始めは許緒も典韋も聞こえることは無いし、信じては居ませんでしたが

時折ふらりと二人の部屋に現れて少女の顔を見にきていた夏侯昭将軍が今まで何も口を出さなかったのですが、一言だけ

 

「この娘に裏切られても、傷つけられても、この娘を信じ続けろ。たとえ其れが見えず、聞こえないものだとしてもだ」

 

そう言い残した事を重く受け止めたのでしょう、素直に従い、少女が聞こえる音を本物だと信じました

 

次にぶつかったのが食事です

少女は、依然として典韋の作った料理を食べようとはしません。泥水を飲み、草を食べる事は、何度も説得を繰り返し

なんとかやめさせる事ができましたが、代わりに取る食事は殆ど水のような粥だけ

 

これも、彼女が普通だと思い込んでいた食事の中にあった献立

 

献立と言うのはおかしいかもしれませんが、彼女にとってはこれでもご馳走なのです

 

ですが、こんな食事ばかりではいずれ痩せ衰えて、死んでしまうと思ったのでしょう

典韋が気がつかれないように、ほんの少しだけ肉の欠片や、野菜くずを入れるのですが、少女はその時だけは絶対に口にしないのです

 

少女にとって、何時もと違う食事は恐怖以外の何物でもありません

そして、肉は決して食べる事はできません。なぜなら、虐待を受け始めたばかりの頃、どうしても肉が食べたいと夫婦にせがんだ所

目の前で鶏を絞めて、血が流れ落ちる生のままの肉を無理矢理くちに押し込まれたからです

 

だから、少女は味に敏感で、肉の味にも敏感でした。食べられるのは魚の一部と、野菜も匂いが強い、あまり好まれないような野菜を

好んで食べるようになっていました

 

こんな、数々の問題がありながらも二人は少女を救うためと、自分達を犠牲にして行きます

睡眠時間を削り、少女のそばから離れない為にも、自分の時間はありません

 

さらには、不意に発作のように自傷してしまう少女を止めなければなりません

 

少女が二人の部屋に来てから二週間ほど立った頃、二人の顔は別人のようになっていました

 

 

 

 


 
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