No.472847

決して泣かない彼女の涙

雛咲 悠さん

踊る大捜査線の二次創作です。
今回は真下×雪乃で。

2012-08-20 11:12:37 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:2699   閲覧ユーザー数:2693

とあるうららかな冬の日、真下警部がチンピラに殴られた。

 

原因は簡単な事だった。柏木刑事と真下警部が暴行の現行犯で現場に急行し、被疑者が反抗し、柏木刑事にちょっかいを掛けたため真下警部が注意した結果、どつき回される事になったのである。

 

その時は危うく、少林寺拳法を身の上とする柏木刑事の活躍で事無きを得た。真下警部の怪我も意外に軽く、全治3日の打撲で済んだ。

 

殺人や暴行などの強行犯を扱う彼らには、喧嘩など日常茶飯事な話だったのだが――

 

これは、それから二週間後の物語である。

 

  

*           *           *

 

 

今日は暖かい小春日和。真下は広い草原の真ん中で、ぼんやりと寝転んでいた。

 

(なんで僕、ここにいるんだっけ?)

 

確か、今は真冬だったはずだ。それなのに、今日はいったいどうした事だろう。仕事の事も全て忘れて、眠っていられる空間。平和と言う言葉を、なんとはなしに思い浮かべてしまう。

 

と。

 

 

 

真下さん、こんな所にいたの?

 

 

 

涼やかな声を聞いて、真下はむくりと身体を起こした。聞き間違いのはずはない。そうだ、自分は彼女を待っていたんだ。やっとここにいた理由を理解して、ゆっくりと彼女に笑いかける。

 

「雪乃さん。遅いじゃないか、ずっと待ってたのに」

 

彼女は笑いながら――それはこの世の中で一番美しい笑顔だ――自分の隣に座る。ロングスカートの雪乃は、いつものスーツ姿と違って細やかな印象だ。いつかの事件の被害者となった痛々しく、それでいて美しく。守ってやりたくなるあの脆かった雪乃を思い出し、真下の鼓動は高鳴っていく。それを知ってか知らずか、雪乃はたおやかな微笑を浮かべて困った顔をしてみせる。

 

 

 

ごめんなさい、なんだか迷っちゃって。あんまり気持ちがいいから……

 

 

 

ふわりと春風が過ぎ、彼女の淡い髪をそっと撫ぜていく。それに見とれながら、真下は心の中で呟いた。雪乃さんは、やっぱり天使なのだ――理想の恋人なのだと。

 

「……雪乃さん」

 

柔らかい肩を、そっと抱き寄せる。躊躇など無かった。当然の事だ。僕は君を愛しているのだから。

 

見詰め合うと、もう言葉は要らない。雪乃はそっと瞼を閉じた。その顔が、ゆっくりと迫っていく。

 

「雪乃さん……ッ」

 

固く目を閉じ、真下も顔を近づける。その唇と唇が触れ合うまで、あと一瞬――

 

 

 

 

 

「ま、真下っ! やめろ! く、来んなコラッ! いい加減目ェ覚ませよ!」

 

「雪乃さぁぁぁん……結婚しましょぉぉ……」

 

「や……ぎゃあぁぁっ!?」

 

どすん、という衝撃の音に、ようやく瞼が開くと――

 

そこには、真っ青になって震えている青島の顔があった。超至近距離で。

 

「え? 先輩……って、ぎゃあっ!? な、何すんですか先輩!」

 

「そりゃ俺の台詞だ! ったく、マジで怖かった……せっかくわざわざ起こしに来たってのに、なんでこんな目に合わなきゃなんないんだ」

 

どうやら本気で怯えていたようで、冷や汗を拭いながら青島が立ち上がる。しかし真下は未だに状況が分からず、床に尻餅をついたまま視線を彷徨わせた。

 

「あれ? あれれれれれ? ゆ、雪乃さんは……雪乃さんはどこ行っちゃったんですか!?」

 

「バカ。お前いつまで寝惚けてるつもりだよ、このっ!」

 

「いてっ」

 

頭を小突かれて、ようやく視界の焦点が定まった。そうだ、自分は夜勤明けで、家に帰るのが面倒だったから仮眠を取りに来たのだった。そこで青島が接待室で寝ていた事を思い出し、仮眠室に行くのも気だるかったので、ここを拝借する事にしたのである。

 

そこでいつまで経っても起きない自分を、青島が起こしに来たのだろう。あの雪乃は、全く夢の中の出来事だったわけだ。

 

ようやく全てに合点がいって、真下は大きく溜息をこぼした。

 

「なんだ……夢かぁ。うう……」

 

「お前ねぇ、前に久々に喧嘩して、ちょっと頭の回線おかしくなっちゃったんじゃないの? 俺に迫るなんて……じゃなかったら、欲求不満とか。そんなに雪乃さんとキスしたかったら、デートでも誘えばいいじゃない」

 

「そんな簡単にいったら苦労しませ……えっ! なんで夢の事知ってるんですか、先輩!?」

 

部屋から出て行く際に残した青島の呟きに、慌ててその腕を掴む。彼は煙草を咥えながら、

 

「そりゃ知ってますよ。雪乃さん雪乃さーんって連呼してたじゃんお前」

 

と事も無げに言った。はっと気付いて、部屋の外を覗き込む。刑事課には幸い、彼らの騒ぎに気付く者は誰もいなかったが――安堵しながらも、彼に嘆願した。ほとんど涙目だ。

 

「お願いします。絶っ対っに、雪乃さんにこの事、喋らないで下さいね?」

 

この事が湾岸署中に触れ回ったら、今度こそ雪乃との関係も破綻である。ただでさえ、あの歳末立て篭もり事件以来仲が冷えつつあるというのに。

 

それなのに肝心の目撃者が、このザ・口の軽い男こと青島なのだ。分が悪過ぎる。

 

すると青島は、「どうしよっかなぁ…」と天井を仰いだ。そこを何とか! と懇願すると、青島はニヤリと笑う。

 

「じゃ、欲求不満で困っている真下係長、今度の当直代わってね。よろしく♪」

 

「……はい」

 

どうする事もなく、真下は渋々頷いた。とりあえず、これでどうにかなるはずだ――その時はそう思ったのだった。

 

だが、現実は時として甘くはないのである。

 

 

 

*           *           *

 

 

その夜、休憩室では真下の悲痛な叫びが響き渡っていた。

 

「しゃ……喋っちゃったんですか、先輩!?」

 

「しーっ! 声が大きいよ!」

 

「ねぇ、なんの話?」

 

拍子抜けに後ろから声が飛ぶ。慌てて振り向くと、疑問顔のすみれが興味深そうに顔を覗かせていた。

 

「あー、何でもない、何でもないですよ、うん! ねえ、先輩?」

 

「あ、そうそう。男のね、男の話ってヤツしてたんだ。うん」

 

「男の……?」

 

すみれの言葉に、うんうんうんと必要以上に首を振る男たち。それをじっくりと見た後、すみれはぼそりと告げた。

 

「……やらしいわね、男ってヤツは」

 

何やら妙な誤解をしたらしい。興味を失って戻っていく彼女を確認しながら、溜息をつく。

 

「で……どーして、そうなっちゃったんですか」

 

真下が思い出したように追求すると、青島はポリポリと後ろ頭を掻きながら、

 

「いやねー。なんというか、雪乃さんと世間話してたら、ついポロッと」

 

「ついポロッとって……先輩! 僕と雪乃さんの未来が掛かってんですよぉ!?」

 

「あー、ごめん。いや、悪かったって思ってる。ほんとだって」

 

「うう……やっぱり信じなきゃ良かった」

 

真下はまだ帰らない雪乃を思ってか、いささか顔を青ざめさせている。青島もさすがに自分のせいなので、このままだと寝覚めが悪い。

 

「じゃあ分かった、こうしよう。雪乃さんやすみれさん連れてって、パーッと飲もう。それなら、ありゃ冗談でしたーって空気になるだろ、な?」

 

「先輩の提案って、当たった試しが無かったような……ていうかそれ、逆効果です。怒って帰っちゃいますよ」

 

くじけず、第2の案を口にしかけたその時。彼らに緊張が走った。

 

「ただいま帰りました。駅前で暴れてた外国人、逮捕しました」

 

「酒飲んで暴れてただけだったみたいです。事情聴取して、帰らせます」

 

袴田課長に報告しているのは、先程まで事件で出ていた雪乃と魚住係長代理だ。

 

「ああ……戻ってきちゃったぁぁ」

 

震える真下は、当然休憩室から出られない。しかし運悪く、魚住係長代理がすみれに声を掛けていた。

 

「すみれさん、青島君と真下君は?」

 

「ああ、休憩室でなんかボソボソ話してましたよ。男の話がどーとか」

 

「男の話?」

 

自然、彼らの視線がこちらに向けられる。それを痛いほど感じながら、ひょい、と2人は顔を出した。

 

真下の顔を確認して――雪乃の顔が、やや強張る。それにもめげず、真下は涙ぐましい努力で言葉を発する決心を固めた。

 

「や、やあ。雪乃さん……」

 

それを言い終わるか言い終わらないかのうちに、雪乃はその白いコートをざっと着込む。

 

「じゃ、魚住さん。私、ちょっと用を思い出したのでこれで帰ります。事情聴取、宜しくお願いしますね」

 

まさに有無を言わせないその言葉を捨て台詞に、全く笑わない顔のまま雪乃が刑事課から出て行ってしまう。それをしばし呆然と眺めていた青島だったが、唐突に真下が呟いた。

 

「……やべ」

 

そのまま、コートを掴むなりダッシュで「雪乃さーん!」と追いかけていく。

 

後に残ったのは、全く事情が分からない刑事課の面々と、青島の溜息だけ。そんな中、すみれはコーヒーを片手に青島の隣に近付いた。

 

「なにあれ。なんかあったの? 真下君と雪乃さん」

 

「まぁ……大人の事情ってヤツでさ。恋愛って難しいよね」

 

「はぁ?」

 

「ねぇ、ちょっと。もしかして、この被疑者、僕が取り調べるんじゃないだろうね?」

 

後ろで、魚住係長代理が大柄な外国人の隣で悲痛な叫びを漏らしてはいたが――

 

とりあえず、聞かなかった事にした。

 

 

*           *           *

 

 

(雪乃さんって、こんなに足、速かったっけ?)

 

男も顔負けの脚力に感嘆しながらも、早足の彼女を追いかける。署を離れ、駅が近付くその道で、彼はなおも彼女の名を呼び続けた。それでも、雪乃は止まってくれない。

 

参った。これは本当に、本気で、洒落にならないほど怒っている。今までも何度か自分に怒りを見せた彼女だったが、今度ばかりは逆鱗に触れてしまったらしい。

 

あれこれと謝罪を頭の中で並び立てつつ、「雪乃さん!」と声を掛ける。やはり、無視して彼女は歩き続け――

 

唐突に、立ち止まった。

 

彼女の速度に追いつこうとしていたため、そのまま彼女を追い抜いてしまい、慌てて真下も立ち止まる。

 

気まずい沈黙。彼女は顔を俯けたまま、こちらを見ようともしない。とりあえず、真下は謝罪する事にした。

 

「あの……ご、ごめん。その。恥ずかしい思いさせちゃって……あれは、事故だったんです。そう、事故」

 

沈黙。

 

耐え切れず、真下は雪乃の前に歩み寄る。

 

「その。ごめん。謝ります……雪乃さん。僕が悪かった」

 

「……どうして」

 

ゆっくりと、端正なその顔がこちらに向けられる。雪乃の瞳は、なぜか怒りと言うより、困惑の色が混じっていた。

 

「どうして、私をそんなに……」

 

どうして。

 

決まりきっている。君を好きだからだ。愛している。心の底から。

 

即答できるほど単純明快な言葉なのに、なぜか口から出てこない。苦心して言葉を探しながら、真下は雪乃の大きな瞳を見返し、ゆっくりと答えた。

 

「それは、君が――雪乃さんだから。雪乃さんだから、僕は……」

 

「答えになってない」

 

鋭く彼女はこちらを見つめた。こんな顔の雪乃は初めて見たような気がする。激しい怒りと――どうしようもない悲しさが入り混じった瞳。

 

「この前真下さん、私を庇って注意したりして。喧嘩なんて慣れてないのに、返り討ちにあったじゃない。あの時もそうよ。無理して、駅前の犯人に職質掛けようとして、銃で撃たれて。やめようって言ったのに、真下さん聞かなかった……怖かった。真下さんが倒れた時、すごく怖かった……」

 

大粒の涙が、彼女の瞳から溢れてくる。涙を流しながら、なおも彼女はこちらに詰め寄った。自分の胸を力無く叩いて、か細い声を上げる。

 

「死んじゃうって……真下さんが、死んじゃうかもしれないって。血が――たくさん。私だけじゃない、みんな怖がってたわ。そんな心配、真下さんは知らなかっただろうけど……お願い、約束して。私の為に、危険な事しないで。そんな事しなくていい」

 

叩く腕が、そっと止まって。彼女は、俯かせていた顔を上げた。きらきらと輝く光が、涙ぐんだ彼女の瞳に映っている。

 

「私のお父さんみたいになっちゃだめ。もう、誰にも逝って欲しくない――好きな人がいなくなるのは、もういや……!」

 

はっと真下は目を見開く。

 

誤解していた。彼女はもう、亡くなった父親の事を完全に乗り越えていたのだと勝手に思い込んでいた。けれど、そうではなかったのだ。無念という名の心の傷を今も胸に抱きながら生きている。それなのに自分は、あの余りにも軽率な行為をしてしまったがために、あろう事か彼女の傷を開いてしまった。

 

あの事件以来、全く涙を見せなかった彼女の泣き顔を見ながら、彼は自分を激しく叱責する。そして――

 

「雪乃さん……ごめん」

 

胸の中で静かに泣く彼女の肩に、腕をそっと置いた。彼女はびくりと肩を震わせたようだったが、彼は静かに呟く。

 

「もう、雪乃さんを悲しませるような事はしないよ。神に誓って」

 

震える彼女の身体。震える自分の心。

 

その他には彼女の小さな啜り泣きだけが、静かな夜道にそっと響いていた。

 

 

*           *           *

 

 

「みなさん! おはようございまーす!」

 

刑事課の朝。真下の明るい声が、否応無しに聞えてくる。夜勤明けの青島とすみれが、おおと声を上げた。

 

「ちょっとちょっと。真下君、青島君から聞いたわよ。喧嘩したんだって? 雪乃さんと」

 

「大丈夫です、きっちりと仲直りしてきました」

 

「仲直りって、お前、あの後なんかあったのか?」

 

「えへへへ……バッチリ。後で詳しい事教えますよ。あ、雪乃さん!」

 

どうやら、雪乃も出勤してきたらしい。昨日とは打って変わって明るい顔で、パタパタと駆け寄っていく真下。

 

「雪乃さん、おはよう!」

 

「あ、おはよう真下さん」

 

素っ気無く、いつもの調子で雪乃が応じる。しかし真下は気付いていないらしく、いそいそと彼女の隣に歩み寄る。

 

「んー、実はねぇ、今週の日曜暇なんだけど。どっかさあ、映画とか見に行かない?」

 

「ごめんなさい。私、仕事忙しいから」

 

「え……いや、でもちょっとくらい。昨日の仲じゃない、雪乃さん」

 

「あのね、真下さん」と、唐突に振り返って、雪乃。「勘違いしないで欲しいんだけど、別に昨日は真下さんを恋人って決めたわけじゃないから」

 

「え。……またまたぁ。だって、昨日は『好きな人がいなくなるのは』って、そう言ってたじゃない」

 

「ええ、好きな人よ。真下さんも、お父さんも、和久さんも、青島さんも、すみれさんも」

 

実に笑顔で、きっぱりと。彼女は、しっかりとした言葉で告げた。

 

「みんな、大好きな『家族』だもの」

 

その言葉に、やや放心して。真下の顔が、見る見るうちにデッサンを崩していく。

 

「そ、そんなぁ」

 

「じゃ、私仕事があるから。課長、裏付けに行ってきまーす」

 

「おう、行ってらっしゃい雪乃さん。朝から元気がいいねぇ」

 

刑事課から颯爽と出て行く雪乃を、出勤したての袴田課長が笑顔で送っていく。残された真下はというと、ただただ涙を流すばかりだった。

 

そんな彼の後ろ肩をぽんと叩いて、青島が呟く。

 

「家族、だってさ。良い事言うねぇ、雪乃さん」

 

すぐ隣で、すみれもニヤニヤ笑っている。

 

「大~好きな家族だって。良かったわね、真下君?」

 

「良かないですよ! ゆ、雪乃さぁーん!」

 

何度目かの真下の悲鳴は、刑事課に虚しく響き渡る。

 

それを無視するかのように、刑事課の電話が次々と鳴り始めていくのだった。

 

 

 

(決して泣かない彼女の涙・終)


 
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