No.450676

翠玉の釵

ほしなみさん

十二国記より利広と文姫ちゃんの兄妹が、六百年前を振り返ってます。原作で此処のところに言及があったら消すしか無いけど、今のところセフセフ。新装版にうきうきしてる今日この頃ですよ!

2012-07-10 21:47:39 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:2040   閲覧ユーザー数:2040

「ねえ、文姫。おまえ、まだそれを使ってるのかい?」

 苦笑めいた言葉と共に、利広の指が頭の頂にちょん、と触れた。銀の柄に翠玉のついた、何とも簡単な意匠のそれ。柄は二股に分かれ、髪の結い上げた辺りを留めている。公的な場に出るわけではないにしても、公主という身分を鑑みれば、明らかに質素な釵。しかもかなり使い込んだ跡がある。兄の当然といえば当然の言葉に、文姫はくすり、と笑いを漏らした。

「あら、二哥(おにいさま)が買ってきて下さったんじゃない。それに――」

 清漢宮の、雲海に浮かぶ純白の石橋を只ぼんやりと眺め、半蔀からの風を感じて目を閉じる。言わずとも言葉の先が察せたのか、利広は笑って妹の台詞を継いだ。

「そうだね。あんなことがあると、忘れられないか。人生の最大の転換点だったしなぁ」

 人生というか、家族の命運よね、と文姫はのっぺりとした口調で返す。もうすぐ日が暮れる時間帯だが、窓は東を向いている。空は赤にならず、爽やかな青を濃くしていく。一番星ももうじき見えるようになるだろう。光源が限られてゆく中、浮橋の白だけが仄かに光るかのように風景から炙り出されている。――もう、六百年間も観てきた光景だが、矢張り美しいと文姫は思う。それまで彼女は、否彼女の家は舎館を切り盛りしていた。頭の中は今の様に、政や福祉等ではなく、仕入れや客の応対、掃除や買い足しといった事柄で埋め尽くされていた。はるか昔、けれど鮮やかに今も思い出せるその情景を、頭の中から呼び起こす。

 

 

 

 

「大哥、二哥は何処か知らない?」

昼下がりだった。泊まりの客は先ほど出払い、夕方の仕込みまでかなりの時間があった。文姫は十日程前に帰ってきたばかりの次兄を探し、広い舎館の中を駆け回っていた。

「……はて。今日はずっと見ていないな。あいつの馬が繋いであるか、厩に行ってみるのが早いんじゃないか」

 利達はそう言って帳簿付けを再開する。長兄の言うことは至極最もだったので、文姫は厩に歩を進めた。

 

   こんなに焦って次兄を探しているのは理由があった。この前までの旅の土産を貰ったのだが、礼を言っていないのだ。理由としては、文姫が寝込んでいたことがある。季節は秋で、一番気候が不安定な時だ。意外に冷たい秋雨に降られ、見事に熱を出したのが丁度十日前、治ったのが昨日だった。

小走りに裏手の厩に言ってみたが、次兄の馬――白馬のメス――は見当たらなかった。一昨年、大枚をはたいて利広自身が手に入れたかなりいい馬だった。健脚で、持久力があり、大層賢かった。本人は騎獣が欲しいらしかったが、玉座が空となって久しい奏の、しかも片田舎で、そんな大仰なものが売り買いされている訳が無かった。

「あぁ……もう出て行っちゃったのかしら……」

 

 次兄の放浪癖は、今に始まったことではない。十五、六の頃から奏、才、巧辺りをふらふらと行ったりきたりし始め、年々行き先は遠くなっていった。今では大陸を一周、ということがざらにある。そういう時、彼はばつが悪そうに「まあ、あちこちね」とか何とか言うのだが。

「お礼……言いたかったんだけどなぁ」

 そう言って文姫は自らの髪に触れる。小さく纏めて結った髪に差してあるそれ。銀に翠玉の釵。簡単な造りではあったが、紛れも無く戴の玉だ。北の果てでしか採れない翠玉は、女ならば誰でも一度は付けてみたいと思う美しさだ。

 釈然としない気分で、文姫は屋内へと戻る。明嬉に呼ばれ、是、と返事して手伝う内に、次兄のことは心の片隅に追いやられた。

 

 

 

 

 

白馬が緩やかな街道を歩んでいる。そろそろ日が暮れる頃合だった。馬上で利広は一番星を見上げながら、次は何処へ行こうかと思案していた。思うに、今度は南へ行くべきかもしれない。これから冬である。北へ行くのは何かと準備が必要である。衣服に食料、荒れている国を通るならば何かにつけ入用になる金だとか。

「漣にでも行こうかなぁ」

 何となくではあるが方針が決まり、街道を更に西へ行き、一里先の次の宿場に泊まると決めた時だった。

「もし」

 

 少し先のほうから、誰かが歩いてくる。旅装の、背の高い女だ。暗いから相貌等は分からないが、薄い紗の様なものを頭から被り、徒歩でこちらへ向かってくる。他に通行人は居ないから、利広に話しかけていることは間違いない。

「何でしょう」

 夜道に女一人とは何とも危険な、とぼんやり考えながら、利広は馬を止めて石畳へと下りる。凛とした美人と、目がかち合う。少々驚きながらも、利広は言葉を続けた。

「夜道で独り女の人が歩いていると危ないですよ。ここいらは最近、随分物騒だから。余程の急用か何かですか」

「ええ。と、言うよりも、距離を誤ってしまって」

 日暮れまでに没庫に着こうとしていたのですが、と女は言った。道に迷ったか何かしたのだろう。しかし、陸路で港町である没庫を目指すのも妙だった。

「船に乗る予定でも?」

「はい。便が決まっている訳ではありませんが。しかし宿をとっていないので、どうしようかと途方に暮れていて。一里前の宿場は泊めてくれるところがなく」

「ふむ」

 没庫は先ほど出てきた、自らの故郷である。これから夜、街道は怖い。夜盗が出るのだ。二人ならば安心だし、馬があるから頑張れる距離ではある。宿ならば勿論、自分の家が舎館なのだから手配もできる。これもまあアリかな、と思って利広は笑んだ。

「宿なら、私の家がそれです。没庫の人間ですので。船乗り連中が泊まっていく、大した宿でもないですけど、とりあえず行きましょう。ここが一番危ない」

 あっさりとそう言った利広に、女は目を丸くする。あの、と何か言いかけたが、礼を口にして歩き始めた。

 利広は馬の方向を変えると、女の横に止めた。

「乗って下さい。そちらの方が早い。横乗りの鞍ではないから、少々座り心地は悪いですが」

 女はもう一度驚くと、それでも素直に馬に乗った。そのまま利広は馬に乗せていた荷物を自ら背負うと、街道を逆に歩き出す。西が真っ赤に染まっていた。

 

  「どうして旅を?」

「探し人がいるのです。奏内にいることは分かっていますが、それ以上は何とも」

「ほう」

 変な話だ、と彼は思った。

「どんな人です」

「……それが何とも」

 益々変な話である。利広は馬上の女を一瞥し、ふと引っかかる一つの可能性について考えた。

(この人はもしや――……)

「――まさか、ね」

 小さく独白して、道の先へ視線を遣る。没庫迄四里、の表示を横目に、辻を右へ下りて行った。

 

 

 

 

 

夕刻。舎館が一番忙しくなる時間帯だ。夕餉の支度に宿泊客の手配、船便の確認や厩の管理、その他諸々の仕事に追われて、文姫は大忙しだった。店先に大きな提灯を掛け、框窓で宿泊か食事かで客を二つに分けて案内する。何名か、何泊かなどを細かく聞いて、帳簿に書き付けていく。

「嬢ちゃん、良い物付けてるねぇ」

 客の一人が、釵を指差してそう言った。

「ありがとうございます。嬉しいわ、兄が旅の土産にって呉れた物なんです」

 苦笑してそう言うと、大事にしなよ、と客は言いながら飯堂へ入っていった。

 

 客を粗方さばき終えて、文姫はふう、と溜息をつく。次兄のことが頭にひっかかって、ぼんやりと考えた。異国のこと。北国。見たこともない雪を、兄は知っている。仄かな憧憬に沈んでいると、外から声が聞こえた。

「文姫、お客さん」

 はたと見返すと、其処には出て行ったはずの次兄が居た。旅装の女を連れている。すらりと背が高く、大層な美人である。文姫は仰天して、挙措が定まらなかった。

「二哥、どうしたの?」

「いや、ね。街道で没庫に行こうとしてる人に会って。宿も決まってないって言うし、夜道は危険だからって事で案内させてもらったんだよ」

「へええ……じゃない、いらっしゃいませ。ご宿泊……ですか?」

 文姫は改まって女の方を向く。首肯したのを見て、お食事は?と続けて問う。

「まだなので、できれば。混んでいる様ならば結構ですけれど」

「いえ、大丈夫ですよ。ご案内しますね」

 

 文姫が先導して、三人で飯堂へ行く。かなりの客が出払ったとはいえ、まだまだ席は埋まっていた。隅の方の席へ案内しようかな、と思った時だった。

「利広、また帰ってきたのか」

 父の先新が奥から顔を出した。次男はちらと笑って連れてきた客に一瞥を投げかけた。

「ええ。――どうやらこのお客人が、父さんにご用があるみたいなので」

「え?」

 文姫はそう言って、父を見る。父も不思議そうな顔をしている。続いて兄を見る。面白がっているような、笑いをこらえているような、何ともいえない表情である。

「違いますか?」

「いえ、その通りです」

 客の女は立ち上がると、頭を覆っていた紗を脱ぎ捨てた。燭台の明かりに反射して、金色の髪が綺羅綺羅と輝く。

「王気が見えましたから。――主上、お探し致しました」

 宗麟が叩頭をすると、先新は腰を抜かした。反動で、食器の割れると音がする。

 厨房に居た明嬉と利達も何事かと出てきて、予想外の事態に固まっていた。他の客も唖然としている。

 独り、利広が薄く笑って、まさかとは思ったけど、と小さく漏らした。

 

 ――そしてこの、六百年がある。

 

 

 

 

 

「あの時は本当に。二哥にお礼を言うのも忘れちゃって。でも、そのお蔭で何と言うか思い出の品だわ。もうすっかりね」

 いい品だったから、六百年使っているけれど、壊れないし、と文姫は嬉しそうに頭に手を遣った。

「気に入って貰えて嬉しいよ。だがまあ、逆に言えば六百年もの間、妹に安物の釵以外のものを買って遣れてないみたいなことにもなるのかな」

 利広はそう言って頬を掻く。文姫はくすりと笑って窓の外、すっかり暗くなった空を見上げた。

「思い出には勝てないわ……それに、実は安物なんかじゃないもの」

「ほう?」

 利広は意外そうな顔をした。文姫はふふん、と自慢げに言葉を繋げる。

「ちゃんと分かってますって。その頃の二哥にしては、物凄く高かったんじゃないの?」

「……当たらずとも遠からずってところかな。綺麗な簪はあっても、釵は中々無いからね」

「これからも使い続けるから。一番の思い出だもの」

「嬉しいよ。ま、それをその内追い抜くものを買ってくるって。……また思い出になりそうなのを、今度は平和になった戴で」

「……早く、王が戻られると良いわね」

 そう言って、空を見上げた。

 

 

 頭上に満天の星。結髪に翠玉の釵。

 

 その、六百年である。

 

 

 


 
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