No.411421

風猫通り - 大樹の街へ

風城一希さん

連作「風猫通り」の続きです。どの作品からでも読めます。

2012-04-20 17:36:29 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:232   閲覧ユーザー数:232

 

 小柄な蒸気機関車がおんぼろの客車を三両()いて、夏へと向かう線路を往く。

 規則正しく吹き上げる煙が、透明に近い蒼のキャンバスに不定形の絵画を描きながら。

 線路の両側には広大なパープルの花畑。

 波を打つ丘陵(きゅうりょう)を覆い尽くしている。

 絨毯を構成する大部分の花は野生のラベンダーだが、そこに混じって咲くのは(すみれ)によく似た野草である。この花は春の終わり頃に満開の時期を終え、夏を待つことなく種子として眠りに就く。風が大地を優しく撫でるたび、花弁の末端についた命を盛大にまき散らすのだ。それは汽車の通過の際だって例外ではない。

 窓を開けていると、仄かな潮と煙の香りを乗せて頬をかすめる薫風(くんぷう)と共に、紫の雫が舞い込んでくる。ぼんやりしながら(てのひら)の上に載せて掴み、窓の外でその手を開く。たった今関わりを持ったばかりの花弁は、周囲のそれと入り交じり、再び風の中へ飛び去っていった。

 大きな耳に絶えず響く、風の音、妖精の誘い。

 ロムは、重くなりつつある(まぶた)に抵抗しながら、客車の振動に身を委ねている。木製の客車には人気(ひとけ)がない。時折巡回する車掌と、端の方で赤ら顔の老人がウイスキー(びん)を手に舟を()いでいるぐらいなもの。四人掛けの斜め向かいの席では、シルクハットにタキシードという、例によって周囲から浮きまくった出で立ちの雇用主が、いつもの無表情で濃緑の装幀(そうてい)の本に目を落としている。網棚の上には、主人のトランクと自分の旅行鞄。主人のステッキは自分の真向かいに立て掛けられていた。変わらない光景に飽きて視線を外へ遣ると、変わらない紫の野が続く。

 レールを越えるリズムは、揺り籠の振れるにも似て。

 自然とまた、瞼が重たくなる――

「ロム……ロム、起きているかね」

 自分が呼ばれているのに気付くまで、三秒ぐらいかかる。

 手の甲で目を擦ってから、その意味に思い当たる。

「へ……あ、は、はい、ご主人様。何か御用でしょうか」

「いや、そうじゃない。窓の外を見たまえ」

 はしたなくもこぼれかけた(よだれ)にあたふたするロムを気にするでなく、主人は窓の外を指差した。ん、と脳裏に疑問符を浮かべて、彼女はそれに従う。堅い椅子に座っていたから、(からだ)(ひね)ると少し痛い。

 起伏豊かな紫の野。その向こうから、次第に大きくなる山がある。周りに丘陵が広がっているため、(ふもと)までの全体像は見えていないのだが。先程よりも、潮の香りが近い。近くに海があるのだろうか。

「御主人様、あの山の麓に次の駅があるのでしょうか。前の駅をでてからもう、えーっと……」

「半時ほどだ。ちなみに、君がうつつと夢路(ゆめじ)気儘(きまま)に彷徨っていたのは二時間程になる」

「……申し訳ありません」

 わざわざ懐中時計を取り出して教えてくれる主人。起きていたと思っていたのは、自分の願望だったようだ。嫌味ではないのはよく分かっている。彼は思ったことを正確に伝えているだけなのだが、それでも若干うんざりしてしまう。いつものこととはいえ。

「それよりもロム、君は思い違いをしている。もっとよく見たまえ」

「何がですか?」

「君が、山といったものだ」

 合点が行かないロムは、窓から控えめに躯を乗り出して、進行方向を見遥(みはる)かした。花一杯の丘が途切れ、次第に緑で覆われた山の全貌が見えてくる。と、それが山でないことを、ロムは認めなくてはならなくなった。夢心地もいっぺんに醒めてしまう。

「何、あれ」

 それは。

 山のように巨大で、雄大な――一つの大樹、だった。

 天を掴むかのような無数の枝も、大地を護るかのような節くれだった根っこも、まだ十キロメートルは離れていようかという場所からもはっきりと見える。そしてその大樹を中心として、薄茶の屋根の家々が軒を連ね、街を構成している。盤根(ばんこん)のうねりよりも屋根の方が低い。いまだに夢かと疑う光景である。

 人が集まる場所には、必ず何かしらの理由があるものだ。

 水が豊富だったり、外敵から身を守りやすかったり、交易がし易いなど……そしてまた、人間以外の何者かの威光に惹かれるように。周囲に低木の林しかないこの開けた草原の中央に、他の者を恃むでなく屹立する巨木。人々が彼を目指し、彼に庇護(ひご)を求めるように発展した街。

 ロムがまだ、見たことのない街。

「次の駅で降りることにしよう。そろそろ準備をしておいてくれ、忘れ物のない様にな」

 列車を降りる時の決まり事を口にする伯爵(はくしゃく)

 例によって事前に目的地を告げない同行者から完全に不意打ちを受けたロムは、いままだ茫然と見入って答えられない。返答を代行するかのように蒸気機関車が一度、低く汽笛を鳴らした。

 紫に染まった大気の歓待を受けながら、列車は緩やかな湾曲を描きつつ大樹の街へと向かっていく。

 

 

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