No.411298

風猫通り - 彼女にとってはありふれた、旅立ち

風城一希さん

連作「風猫通り」の一編です。どこからでも読めます。

2012-04-20 02:22:16 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:255   閲覧ユーザー数:255

 ロム・ツァイトはポケットから懐中時計を取り出して、溜息をついた。

 これで三度目だ。

 強さを増す太陽光を浴びて、胸に提げた青林檎(あおりんご)のブローチが身じろぎする。

 もう一時間も足止めされている。路傍(ろぼう)消火栓(しょうかせん)に軽く腰掛けて洋品店を見遣ると、ショーウィンドウの向こうで店の主人と自分の雇用者が地図を拡げて話をしている。道を(たず)ねるのに何分掛かっているのだろう。頭の上の大きな耳でも、さすがに店の中の会話までは聞こえない。どうせ目的地の無きが(ごと)き旅なのだから急ぐ必要もないのだけれど、朝も早くに叩き起こされて慌てて支度をしたというのに、町を出る前にこんなに待たされるとは。叶わぬ要求であると思いながらも、旅先の情報を仕入れてから起こしてくれる配慮をして欲しいな、と嘆息(たんそく)する。それが叶うなら、少しばかり給金を減らしてくれてもいい。

 旅も嫌いじゃないし、仕事もやりがいがある。

 でも、自分は一応、年頃の女の子だし。紳士に多少の気配りを求めても罪にはならないだろう。何といっても自分はそれなりに可愛(かわい)いのだ。何処(どこ)にいたって衆目(しゅうもく)を集めるぐらいには。

「わたしのせいじゃないけど、ね」

 独り言は力無く虚空(こくう)に消えた。

 今も、道行く人たちからジロジロと見られている。単なるメイドなのに。それとも、こんな辺境ではメイドも珍しいのかしら? ……どっちでもいいけれど。

 無意識におしりの尻尾が揺れる。

 ――とおいとおい、むかし。

 人間がより従順で可愛い愛玩動物を作り出そうと安直な発想を馬鹿正直に実行し、人と猫の遺伝子をそれはもう緻密(ちみつ)に弄くった結果として、彼女はこのように存在している。もともとご先祖様の出自が愛玩(あいがん)用だったのだから、可愛いに決まっているのだ。「人間にとってだけ」生まれつき可愛く美人になる動物。なんて不自然な存在だろう。なんて滑稽(こっけい)な定めだろう。神様がいたら失笑されるに違いない。

 片方の親である猫だけは、何故か滅びてしまったし。

 そんな自分が今は、人間の社会で人間と同じように暮らしている。起こるべくして起こった種族差別や亜人狩りといった恐怖の時代は、大切断以降、蒼い壁の向こうに封じられたままだ。幸せなんて誰とも比べられないけれど、命の危険を感じなくていいのはやっぱり幸せなのかも、しれない。

 今考えることといえば、時間があるなら今朝のお茶をきちんと飲み直したかった、というくらいだもの。ああ、遠くにあってわたしを待つ、自室の薬湯が恋しい。寮の庭に植えたハーブを、管理人さんはちゃんと手入れしてくれているだろうか。半年も帰っていないんじゃ、畑が荒れ野になっていても不自然ではないのだけれど。

 嘆息(たんそく)

 空を仰ぐ。一昨日、通り過ぎた集落で食べた固いパンと同じ形の雲が、西に向かって流れていた。なかなか()めずにスープで柔らかくしたのを思い出す。

 ――それから更に十五分経って。

 ようやく主人が店から出てきた。

「待たせてすまない」

 いつものしかめっ面でロムに謝った壮年の紳士は、真面目腐った表情で頭を下げた。

 だが、ロムは返答に(きゅう)してしまう。

「………………」

「どうした、ロム。出発したいのだが」

「いや、はい、それはいいんですが。その、背中のものはなんですか」

「見てわからんかね? 毛布だが」

 言葉通り、ロールケーキのように巻いて畳んである茶色の毛布を肩に担いでいる。それも二つ。冬季にしかお目に掛からない厚手の物だ。初夏も終わろうかというこの季節、山高帽にスーツという出で立ち含め、紳士のシルエットは珍妙な扮装(ふんそう)以外の何者でもない。

 ロムは内心で頭を抱えた。

 この類の奇行はもはや日常茶飯事であるものの、毎度毎度、度肝を抜かれる。老いたとはいえど、黙って立っていれば豪奢な白薔薇の如く非の打ち所のない容貌の彼であれば、なおさらだ。

「あの、その……」

「律儀で仕事熱心な君の言いたいことは解る。荷物を持つのは従者の仕事といいたいのだろうが、今日は特別長く歩くつもりだし、こういうことは平等に受け持つのが正しい判断だろう。老若男女の区別無く、適宜(てきぎ)正しい時に正しい方策が執り行われるべきだ。君にもこれから携帯食を準備した上で携行して貰わねばならない。多少多めにね」

「……それは正しいです、はい、それは……勿論(もちろん)……」

 でも、人にはその人にあった行動があるべきじゃないかなと、ロムは思うのだ。

 ロムにはロムの、ご主人様にはご主人様の、相応(ふさわ)しい遣りようがある。それを軽々と飛び越えるから、彼は時折奇矯(ききょう)に見える。今だって街の人たちの視線を集めてるし。ただでさえ半分猫の自分は目立つというのに。何故、主人の分まで赤面しなければならないのだろうか。特別手当を支払って貰いたいぐらいだ。

「うむ。では出発しようか。ここが今回の目的地だ」 

 真面目腐った顔で差し出された地図を、指で差されたその場所をロムは覗き見る。

 ――思うところは多々あれど、でも、だけど。

 これが示されればもう、懐中時計を繰り返し確認する必要はなくなる。仕事が始まるから。

 多分、世界で一番詳しい地図。

 まだ何も記されていない場所が白地で、広大で。

 ご主人様が、自分が、様々な文字を書き込んだ地図。書き込んでいく地図。

 リセットされた世界を埋め直していくための。

 ロムはこの地図が大好きだ。

 だからきっと彼女は、旅人で居続けるのだ。

 だから今日もまた、歩き始める。

「はい、ご主人様」

 

 旅する猫でありメイドである少女、ロム・ツァイト。

 彼女の雇用者、ミルブライト・ユーガスタリア伯爵。

 

 彼女たちは、ある日半分になった世界を記録しながら、今日も地平を巡ってゆく。


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