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セブンスドラゴン2020「どうしてこうなった?」 /05.チャプター4 『繁花樹海③・スリーピーホロウは見下ろして』

追いはぎ強盗のチンピラを相手に、自分がどうしたらいいのかを悩んでしまうウォークライ。それは不良集団SKYとの戦いの幕開けであった。

好きなように暴力を振るう事に決めたウォークライに対し、二人が勝負を挑むのだが…。

2012-02-24 20:39:07 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:1000   閲覧ユーザー数:989

 アタシの名前は寧子。でも、SKYのみんなは省略して”ネコ”と呼ぶので、いつの間にかそれが定着していた。自分的にも気に入ってるしね! このネコミミの付いたパーカーがアタシのトレードマークってトコかな。

 

 この渋谷一帯を根城につるんでいる、いわゆる不良グループSKYのサブリーダーなんてのをしてる。

 

 SKYは渋谷がこんな事になる前から結成された集団だったけど、それは別に悪さをしようと思って集まっていたわけじゃない。アタシらはかつて実験動物だった。ここにいる全員がムラクモの…、あのナツメというクソババアの実験動物だったんだ。

 

 親を失くした子供を引き取っていた”マモノ討伐機関ムラクモ”は、表向きは政府公認の戦闘集団だったけど、その内部では能力向上の名目での人体実験が行われていた。その頭目として実験を指揮していたのが日暈ナツメという女。

 あいつは自分の研究のためにアタシらを使った。来る日も来る日も行われる精密検査と薬物投与。人間として扱われず、番号で呼ばれ、酷い辛い幼少を過ごしてきた。

 

 ムラクモから抜け出し、ようやく手に入れた自由。ようやく手に入れた仲間、家族…。

 それがこのSKYだ。

 

 なのに、またムラクモだ。ムラクモがアタシ達を潰しに来た。またしてもムラクモが、ナツメが手を伸ばしてきた!

 

 

「グハハハハハハハッ! やるじゃねーかデカい黒夫! 人間にしては戦い慣れてるな!」

「ぬおっ! なんて…スピードだ…っ!」

 

 周囲の壁という壁、大木という大木の側面を蹴り付け、空中を飛ぶように跳ねるムラクモの少女。その勢いはまるで竜巻のようで、跳ねたと思った瞬間には攻撃を仕掛けてくる! その動きは重力すら感じさせず、この空間の全てを支配しているかのようだ。

 最初は猿みたいなヤツだと思ったけど、その速度はあきらかに動物のそれを超えている。少女の着ている学生服も相まって、まるでツバメが飛ぶ姿を連想させた。

 

 あんな動き、どうやったら人間にできるっていうの? まさかアイツもナツメが生み出した特殊な人間だとでもいうの?

 ありえない話じゃない。アタシらだって人以上の免疫力や抵抗力を持っている。アイツもそれと同様に、異常なまでの身体能力を宿された一人なのかもしれない。

 

「よーし、いいぞ! デカい黒夫! 今のよく避けたな! じゃあ次はもっと早くだっ!」

「くっ! まだ速くなるというのかっ!」

 ダイゴが押されてる! 優秀な身体能力と自身で会得した体術により、とてつもない強さを持っているはずのダイゴが完全に押されていた。この渋谷で猛威を奮うドラゴンにさえ、たった一人で倒せる程の実力者だというのに、あのムラクモ少女に対しては手も足も出せないでいる。このままじゃ手痛いダメージを受けるのも時間の問題だろう。

 

 だけど、ピンチだからって慌てたらいけない。アタシは奥歯を噛み締めながらも拳を握り締めて時を待つ。

 

 そう、アタシはサイキックとして氷のスキルに長けている。中でもドラゴンにすら大ダメージを与える技、必殺のアイシクルエデンならば、どんな戦士であろうとも一撃で仕留める自信はある。

 

 いまはその必殺に賭けるしかない。

 一撃さえ与えられたなら、それで動きを止めて抵抗できなくさせられる。戦闘は終わるはず。

 

 …だけど、その動きが止められない!

 

 速すぎる! あまりにも高速移動すぎて目で追うのがやっとだ。攻撃を受けているダイゴもムラクモ少女の強烈な一撃を腕の鉄甲で弾くのが精一杯らしい。カウンターでの一撃を狙って打ち落とそうとはしているけど、視認した頃には別の場所に跳躍しているのだ。攻撃なんて当たるわけがない!

 

 一撃でいい。一撃でも当てる事ができれば、こちらの勝利!

 

「クックククク…、どうしたよ? 元気がねーな。それで戦う気があるのか? グハハハハハハハ!」

 

 そして今、またしても異常な光景があった。

 ムラクモ少女はいま、大木の側面に張り付いたカエルのようにして吸着してる?!

 

 重力に逆らい、身体は真横になっており、大木に吸い付いたままピクリとも動いていない。アイツの長く広がった髪は下へ垂れ下がっているのに、なんでカエルみたいに吸着してんの?

 でも、その謎はすぐ理解できた。信じられないけど、その種明かしは実に簡単だった。アイツは左手の平を広げて指の力だけで身体を支えているのだ。木の側面にアイアンクローをして指を突き立てている、というべきだろうか? たったそれだけで全体重を支えている。あの細腕一本でそんな事が出来る?

 

 どれだけの力があれば、あんな真似が出来るのだろうか? アタシとそう変わらない体格だというのに、なぜあそこまで異常なパワーが出せるのだろうか? いくらナツメの実験体だからといって規格外にも程がある。

 

 もう完全に人間じゃあない。見た目が人間なだけの、まったく違う…何か、だ。

 

 

「本部! 聞こえますか? お願い、応答して! 先輩が…って、あれ?! これ、ボタン違ったっけ? あれー?!」

 

「そういえば、あの人…」

 さっきムラクモ少女が、グチのヤツを攻撃しようとした時に庇(かば)ってくれていた女の人…。腕時計に向かって話しているけど、この女性は誰なんだろう? 年齢はアタシと同じくらい、見たところムラクモの腕章もないから一般人なのかもしれないけど…、一般人にしては、かなりの実力を持ってる感じな…。

 

「うぐぁ!」

「おおっと、残念。ハズレちまったか。その首ごと跳ねてやるつもりだったんだがな」

 

 ダイゴの悲鳴が届き、アタシは正面へと向き直る。いまさっきまで大木に張り付いていたと思ったら、一瞬目を離した隙にダイゴが傷つけられていた。何やってんのよアタシは! ダイゴが必死に戦っているっていうのに他人の事を考えている場合じゃないでしょ!

 

 ムラクモ少女は倒れたダイゴの側に立ち、余裕の表情で見下ろしている。どうやらトドメを刺す気はないようだ。それはあの態度を見れば明らか。アイツは遊んでいるんだ。遊びでダイゴを傷つけるだなんて絶対に許せない!

 

 だけど、今こそがチャンスだった!

 …まだアイツには、アタシがサイキックであるという事を知られていない。いまなら最大効果の不意打ちができる!

 

 こめかみに意識を集中、脳の奥にチリチリと焼けるような感覚が広がりイメージが具現化する。精神のくびきを開放! 広がる破砕の幻影は、いま現実に、美しき氷の結晶となって標的を穿つ!

 

「───スキル起動! アイシクル…エデン!!」

 何もない空間が歪み、幻は現実と化す。それは氷結のスキル。絶対零度の結晶はいま、我と我らに仇成す敵へと集約される! さあ行けっ! かの敵を氷の牢獄に縛り付けろ!

 

「なにっ!?」

 ムラクモ少女が異変に気づいたが、それではもう遅い! 着弾地点を絞り込み、アイツにだけ当たるように調整した氷結スキルは、足元のダイゴを避けるようにムラクモ少女だけを包み込んでいく。氷の侵食は圧倒的で、まるで生命体かのような速度で身体を覆う。そして身動きすらさせずに封じ込めることに成功した。

 

「ふぅ……、や…、やった!」

 完璧に、これ以上ないほど完璧に命中した! ムラクモ少女は完全に氷に包まれている。五分もすれば氷は割れるし、死にはしないだろう。でも、そうしたらもう、身体が冷え切って戦闘どころではないはずだ。

 

 もちろん殺す気なんてない。アタシ達は人殺しじゃない。

 

 そりゃあいままで多くのいざこざに巻き込まれ、結果として”不良グループ”なんて不名誉な呼ばれ方もして来たけど、それは生きるために仕方なくやってきた事だ。そのほとんどが喧嘩を吹っかけてくる悪いヤツを懲らしめてきただけだし、必要最低限の揉め事を解決してれきただけ。

 

 だって、アタシ達は誰よりも命の大切さを知っているから。

 そのアタシ達が他人を殺すだなんて本末転倒。人を殺すなんてあるわけがない。

 

 

「ダイゴ! 大丈夫!?」

 相棒の下へと駆け寄る。力なく膝をつき、肩で息をするダイゴは、右肩から二の腕にかけて大量の血を流している。首を狙ったらしいムラクモ少女の一撃を受け流した時に裂かれたもののようだ。ダイゴがここまでやられるなんて初めて見た。アタシは傷ついていない方の肩に潜り込み、身体を支えようとするが…、巨漢の彼を支えるのはさすがに厳しい。

 

「ねぇ、ダイゴ! しっかりしてよ! ダイゴはこんな程度じゃ倒れたりしないはずだよ!」

「ぬ、ああ…、大丈夫だ。俺はいい」

 右肩の傷もかなり深いけど、まだ意識があるだけマシだ。それにダイゴなんだから絶対に大丈夫。ムラクモ施設からいままで、ずっとずっと一緒だった彼は今まで一度だって嘘を付いたことがない。今だってダイゴがそう言うのならアタシは信じられる。

 

「それよりネコ、早く下がれ。…すぐに出てくるぞ!」

「えっ?!」

 その瞬間、アイシクルエデンが砕けた。氷像全体がバラバラにはじけ飛ぶ! 絶対の自信を持っていた最大威力のスキルが、絶対無比の牢獄だったはずのそれが、まるで発泡スチロールみたいに歪んでバリバリに割れてしまった。

 

「ちくしょう! ちべてーな! 何しやがる!」

 大したダメージもなく出てきたムラクモ少女は、服こそ濡れていたが、身体自体はまったくの無傷のようだった。いいや、違う。体中に傷はあるが、それがどんどん治癒していくように治っていくのだ。こんな事…、信じられない。

 しかし、この身体の周りに見える赤い靄(もや)はなんだろうか? 見ているだけで恐ろしい、身体が震えてくる。 さっきはこんなの出てなかったっていうのに。

 

 とてつもなく禍々(まがまが)しい何かが噴出しているように思えてならない。

 

 

「クク…、便利だな、ユカリの技は。チカラを集中させれば身体の傷が一瞬で治っちまう。アイツの記憶では…、れんきてあて、とかなんとか。…ナカナカ使えるじゃねーか」

 その赤いモヤモヤの正体…、それがムラクモ少女の傷を癒しているようだった。あれも戦闘スキルなのかもしれないが、それにしたって異常すぎる。

 

「…さて、てめーらとの遊びで、俺様も随分と動けるようになってきた。礼を言う」

 ムラクモ少女は凶悪な眼光のままで睨みつけてくる。それだけで射抜かれるような絶対的な戦闘能力の差を感じている。これはけして気のせいなんかじゃない。

 …ナツメのところで実験を受けていた時は怖くて痛かった。でも、ここまで恐ろしくはなかった!

 

 こんなに恐ろしいと思ったのは一度だけ。

 一カ月前、新宿都庁で学生服の女の子を助けた時に立ち向かった時以来だ。

 

 あの時、帝竜ウォークライと呼ばれる巨大竜に襲われていたムラクモの見習い戦士のうちで、一人だけ生き残っていたあの子を救った時に、飛び込んでから少し後悔したのを思い出す。ドラゴンがあんなに恐ろしいモノだとは思わなかったからだ。

 

 あの時の女の子も確か…、このムラクモと同じ……制服……?

 

 あ、あれ?

 

 

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「なんだメス? いきなり叫ぶな。それは咆哮か何かか??」

 ムラクモ少女がいぶかしんだ顔をしてアタシの事を見る。だけど、アタシは思い出したのだ。

 

「アンタ! 新宿の都庁でドラゴンに殺されかけてた子じゃない!」

「…んあ? シンジクトチョーで殺されかけた? 俺様がか? …いつの話だ?」

 

「一ヶ月前よ!」

「いっかげつまえ??」

 そうか、この子はあの時必死で助けた子だ。間違いない! グチ達を救おうと必死で気がつかなかった。

 

 あの時はナツメの動きを見に行って、たまたま運悪くドラゴンが襲来してきた日だった。いくらナツメと関わりがあるからといって、今にも殺されそうになっているこの子を放置しておくのも気が引けた。だから助けた。

 

 …でも、まさかそのムラクモ少女が襲ってくるなんて…。

 

「思い出したーー! 俺様すげー思い出したっ!!」

 そこでムラクモ少女が大声を上げる。気がついたらしい。…しかし、なんというか今の今まで戦闘をしていた相手の前で、やけに無防備な態度だ。それだけ余裕があるからなんだろうけど…。なんか変なヤツだとは思う。

 

 そんな事を考えていたアタシは、それが悠長な考えである事を思い知る。

 

「キサマらかぁ~~~~!! 俺様から獲物を奪ったネズミどもはぁぁぁ!!」

「へ?」

 

「ちょ、ちょっと! 意味分かんない! 獲物を奪ったって何の事? アタシらはアンタを助けてあげたんでしょ!」

「うるさい…、横取りしやがって!!」

 その時、ムラクモ少女に変化が起こった。いままで日本人らしく黒かった瞳が、黄金の目が炯炯(けいけい)と光輝き出したんだ!

 

 明らかに殺気の質が違う! さっきまでとは比べ物にならない程の、尋常でない殺意を孕(はら)んでおり、黄金の瞳が、身体を覆う赤い靄(もや)が、なにより強大な威圧が場の全てを支配していた。ヤバイ、これは本格的にヤバイ!

 

「…二度と邪魔できないよう踏み潰してやる! 遊びは終わりだ! もう全部ブッ壊してやる!」

 

 動けなかった。身体中が痺れて呼吸が乱れ、息をするのもつらい。まさに蛇に睨まれたカエルのような気分だ。生きた心地がしない。

 帝竜ウォークライと対峙した時、ほんの少し対峙しただけでも恐ろしいと思った…。でももし、あの竜が本気で敵を攻撃しようと思ったら、いまのこのような、さらなる恐怖を感じていたのだろうか? 動くこともままならず、虚脱したように立ちすくむしかなかったのだろうか?

 

 いま目の前にいるのは、自分より背の低い少女ではない。正面で対峙した自分だから分かる。

 アタシは今あの時と同様の、帝竜ウォークライそのものを感じている。それは恐怖という本能が身体に刻んだ記憶だ。

 

「…ネ、ネコ。お前は皆を連れて戻れ、タケハヤ達の下へ行け…!」

「ダ、ダイゴ?」

 右腕を血で染めたダイゴがアタシの前に出た。まるでその巨漢を盾にするように。もう腕は押さえていない。いまだ流れる血をそのままにして、ムラクモ少女へと構え、戦意を向けている。

 

「いまタケハヤは絶対安静だ。できれば俺達だけで済ませたかった。…だが、こうなっては仕方がない。きっとアイテルも力を貸してくれるだろう」

「冗談じゃないっての! アタシ、やだからね! ダイゴ一人残せるわけないじゃん! 見捨てられるわけないでしょ!」

 アタシだって引くわけにはいかない。仲間を見捨てて逃げるなんて真似、できるはずがない。確かにここでアタシらが死んだら…たぶんタケハヤは悲しむと思う。そしてまた抱え込んでしまうと思う。あの人はそういう人だから…。

 

 だけど、もうこうなってしまったら、引くわけにはいかない!

 

「グチ! イノ! アンタ達はタケハヤのところに走って! …アキラ達は車を例の場所へ! 物資は必ずタケハヤに届けるのよ!」

 後ろで腰を抜かしている悪ガキどもと、ムラクモから盗んできた薬品類の輸送に指示を出す。他の仲間さえいなければ、死ぬのはアタシとダイゴだけで済む。このままむざむざと全滅なんてさせやしない。

 

「お、おお、おいイノ! は、はやく行くぞ! タケハヤさんトコに逃げなきゃ殺されちまう!」

「ちょっと待ってよグチ! 腰が抜けて…」

 あの二人は逃げる気満々だ。いつも問題ばっかり起すヤツらだけど、それでも生きていてくれた方がいい。

 

「ネコさん! ダイゴさん! 俺らは逃げませんよ! 戦います!」

 だけど、車に乗っていたアキラ達は聞き分けが悪かった。その気持ちは嬉しいけど、いまは逃げて欲しかった。そうでなくちゃ、ここで全員犬死だ。

「馬鹿! 何言ってんの!? サブリーダーのアタシとダイゴが命令してんだから指示には従ってよ!」

「冗談じゃないです! アンタ達だけ置いて逃げられるわけないじゃないですか! なあ、そうだろグチ! イノ!」

 

「…え? あー…はい、うんまあ…そうだよね」

「ちょっーとそういうのは…そうよねー」

 

「アンタ達…」

 その言葉と共に、全員が武器を構えた。アタシは彼らを逃がしたかった。誰一人、家族であるコイツらを傷つけたくはなかった。でも、それでも残ると言う。アタシはそれを止められない。こうなれば、どんな事をしてもコイツを、ムラクモ少女を倒す。たとえ、死んだとしてもその首に噛み付いてやるんだ!

 

「クッククク…グハハハハハ! そうか! ザコも残るのかよ! その戦う目、俺は好きだぜ。それこそ戦士だ。…さっきまでのように怯えて逃げ腰で戦っているだけのテメーらを殺しても面白くもなんとも無いからな」

 

 圧倒的な威圧、膨れあがった殺意! そして異常なまでの力をその身に宿したムラクモ少女は、余裕の笑みを崩さず、アタシらを待ち受けていた。その黄金の瞳は喜びに満ちていた。戦いを望んでいた。敵であるアタシ達を殺す事を切望していた。

 ここから始まるのは、きっと絶望的な戦いだろう。戦いになるかも分からない。きっと誰も生き残れないだろう。

 ごめんネ…、タケハヤ。こんな事なら、死ぬ前に言っておけば良かった。

 

 あなたが好きです…って…。

 いつもこうなんだよね、言おう言おうと思って先延ばしにして、肝心な事を言えなくなって…。

 

 ムラクモ少女が悠然と歩いてくる。少しだけ杖をつくように刀を扱い、アタシの方へと近づいてくる。…なるほど、まずはアタシ狙いなんだ。アイシクルエデンもそうだけど、獲物を逃がした、とかいう意味不明のセリフにより、標的をアタシに変更したんだろう。

 

 落ち着かなきゃ。まだ距離はあるんだ。ほんの少しでも冷静さを取り戻す方が先。

 大丈夫。アタシは戦える。仲間のために、タケハヤのために、そして自分のために戦える!

 

 望むところだ。アタシはこのままコイツにしがみついてやる。そして離れない! そうすれば、コイツの得意の空中戦だって出来ないし、ゼロ距離からもう一度アイシクルエデンを叩き込める。今度こそ逃さず氷漬けにしてやる!

 

 あと二メートル近づいたらスキルを練る、アイシクルエデンを生み出す。タイミング的にはまだ早い。

 こちらがスキルを起動させる事を気づかせないためにも、ギリギリまで引き寄せなきゃならない。

 

 ギリギリまで…、その絶好の瞬間まで引き付ける!

 

 

「───なっ!」

 アタシの目にはムラクモ少女の姿が一瞬消えたと錯覚した。

 けど、気がつけばもう、目の前で刀を振り下ろそうとしていた!

 

 その狙いは、首!

 

 正面に居たというのに、一瞬で間合いを詰められて困惑する間もなかった。すでにもう成す術もなく腕で防御する間もない。ただ、数瞬後に切り裂かれるという漠然とした結果が脳裏に浮かんだだけだった。

 

 ムラクモ少女が嘲笑いながら振りかぶった刀が振り下ろされる!

 

 

 首が刎(は)ねられた───。そう思った。

 

 でもアタシは無事だった。アタシは少しも傷ついてはいない…。

 

「うくっ…、そこまで…にしましょう? ね、先輩」

 噴出す血潮、それはアタシではなく彼女のもの。ダイゴと同じ右肩口が深く骨の半ばまで切り裂かれ、その傷口からは、大量の血液が噴出すように流れていく…。まるで悪夢でも見るかのように、時間が止まったようにその場の全員が固まっていた。

 

「ア、アンタ…」

 いつの間にか、アタシとムラクモ少女の間にあの女の人が割り込んでいた。グチとイノを庇ってくれた人。誰かは分からないけど、いま確かにムラクモ少女を”先輩”と呼んだ。この人もムラクモ…なんだろうか?

 

 そして今度はムラクモ少女が固まっていた。信じられないような驚きの表情をしている。

 

「アオ…イ! な、なに…してんだ。お前…何やってんだ! 俺が止めなかったら全部切り落としてたぞ!」

「…止めてくれたんですね。良かった」

 そう言いながら彼女は崩れ落ちる。アタシはその身体を受け止め、座るようにして支えた。傷がかなり深い。刃は骨まで食い込んでいる。あれだけの破壊力を込めた一撃で腕そのものが切断されてないのが奇跡みたいなもんだ。

 とにかく止血しないと、このままじゃ出血多量で死んじゃう! すぐにダイゴが駆け寄ってきて、慣れた手つきで手早く止血を始める。自分の傷などお構いナシに彼女の深い傷を塞ごうとしている。

 

 でも、腕を覆う布はすぐに真っ赤な鮮血に塗れて、溢れるように湧き出てくる。

 

「か、勝手に邪魔すんじゃねー! お、俺はコイツらを殺すと決めた。俺の獲物を横取りする気か? 部下のくせに!」

 困惑を隠せないムラクモ少女は搾り出すような罵声を浴びせるが、その声に力はない。

 すると、それに反応するかのように、彼女は苦しげながらも、うっすらと目を明け、静かに首を振って言葉をつむいだ。

 

「…さっきも言いましたけど、部下…とかそういう事を言ってるんじゃないんですよ。殺すのは…良くない事なんです」

「だ…黙れ…!」

 

「黙れよ人間が!!」

 その叫びは…いや、それは明らかに咆哮だった。まるで帝竜ウォークライそのものの咆哮! それだけでアタシは腰を抜かしてしまった。戦うなんて気力が根こそぎ奪われていく。恐怖がアタシを支配する!

 だけど、それはアタシだけじゃない。グチもイノも、アキラ達もが身体の底から震え上がり、あまりの恐怖に放心している有様だ。止血を続けるダイゴだけは、かろうじてそれに耐えて傷を治療し続けている…。

 

 でも、彼女は…、あの女の人だけは変わらずムラクモ少女へと向き合っていた。

 痛みを堪えながらも真剣に、目を反らす事無く、ただ聞いている。

 

 なんで平気なの? これだけの殺意を真正面からぶつけられて、それでどうして耐える事が出来るの?

 度胸が据わってるなんて程度の事じゃ理由にならない。だって目の前にいるのは竜そのものにしか思えないのに。

 

 傷だって浅くはない。気持ちだって弱ってるはず。それなのに、なんで彼女はこんな化物少女の事が平気なのだろう?

 

 

 そんな中、ムラクモ少女が再び怒りの声を上げた。

 

「何が、何が殺すのは良くない…だ! …竜が人を殺すように、お前らだって竜を殺すだろうが! どちらも殺し、殺されるのは自然の成り行きだ。それは間違いか? 戦ったら殺し合いになるのは当然なんだ! それが正しい事なんだ! 殺すのが良くないなら、なぜお前ら人間は戦っている? 同じ種族で争ってる!?」

 

「俺は殺すために戦っているぞ! 俺は俺のために戦っている! 敵が目の前にいるのなら、俺はそいつを殺すんだ。戦場に出て、殺さない馬鹿は殺されて当然なんだ!」

 

「それにお前だって戦っただろうが! あれは違うのか!? 言ってる事とやってる事がデタラメだ! お前の言葉は妄想だ! 奇麗事で片付けて、それが何になる!?」

 

「さっきからそうだ、お前の言葉はスッキリしない! どこかで何かを含んでて、お前は俺の分からない事をする! お前は俺に分からない事を刻む! ワケが分からない! イラつく! すげー腹が立つ!!」

 

「さあ、答えてみろ! 俺の質問の全てに答えてみろ! 答えられるモノなら全部答えてみせろ!!」

 

 

 竜の咆哮のようなその怒号は、渋谷全体に響き渡るかのような凄まじい音量だった。人間の声帯で出せるような声じゃない。だけど、確かに恐ろしくはあるけれど、どういうわけか、アタシにはそこから恐怖のような感情が急速に薄れていくように感じた。

 

 ムラクモ少女のその言葉の全ては、何か混乱し、もがいているように思えたんだ。

 

「…そう、でしたか。先輩は色々考えてたんですね。私は、それに…気づいてあげられなくて」

 そうした中、女の人はその表情を崩さず、痛みに顔を歪めながらも、それでもムラクモ少女へと憂いた表情を向けて話し始める。あまり大きな声ではないが、それはよく通る澄んだ音となって耳へと届いた。

 

「人は…竜と戦います。でもそれは、生活の場を守るためです。人が…生きていくためには人に害となる竜とは戦わなければいけません。でも…もし、彼らと会話ができて、話し合いで解決できたなら、それが一番なんです…。話し合いで解決できて、それで戦わないのが一番なんです」

 

「もちろん、人は人同士で争うこともあります。…でも、殺さなくても戦いは終わらせる事ができます。さっきもそうだったように、殺すという結果に行き着かなくても、そこで戦いを終わらせる事だって出来るんです」

 

「…先輩は人間です。仮に先輩が、竜の側に立っている人だとしても…、言葉を持って、話し合うことが出来る意志を持っています。誰かと話せるって、それだけ…うくっ…、で色々な選択肢を持っているんだと、私は思い…ます…」

 激痛に耐えながら、それでも彼女は答えることをやめず、言葉を続ける。

 

「この人達とだって、ちゃんと話せたら…、殺し合う必要なんてないかもしれないじゃないですか? さっきみたいに、ちょっと懲らしめて終わりで…済むかもしれないじゃないですか? その方が誰かが苦しむ必要がないはずです」

 

「馬鹿がっ! 話し合いなど必要ない! 言葉なんていらないんだ! 襲ってきたのはコイツらだ。先に話し合いとやらを放棄したのは、そこの金バカどもだろうが! 食い物寄こせと言葉を使って武器を出したのはヤツらが先だ! なんで俺様がそんなバカを許してやらなきゃならない?」

 

 彼女を除く、その他全員の視線がグチとイノの方へと向く。すると二人は、にへら笑いで手を振ってごまかしていた。

 

 …やっと事態が飲み込めた。ムラクモ少女があそこまで怒った理由までは分からないけど、それでも戦いの原因は理解した。

 

「そういう事なんだ。ハァ…そっか…」

 アイツらはまたやったらしい。逃げる一般人から荷物を巻き上げるなんて悪事を。タケハヤにさんざん怒られて、仲間内からさんざん貶(けな)されたっていうのに、またやったのか…、追いはぎ強盗。

 

「それで、”ちょっと懲らしめて終わり”にされたわけ、…ね」

 彼女の言葉を借りれば、そういう事だ。彼女がそれで返り討ちにして、それで許して貰ったという事になる。でも、ムラクモ少女はそれが気に喰わなくて反発している、…これはそういう図式なんだろう。

 

 それにそもそも、ムラクモから物資を奪ってきたのもアタシ達だ。

 

 輸送車を横転させて運転手の自衛隊員にも怪我をさせた。どうしても薬が必要だとはいえ、ムラクモ側の人間だからといって、何をしてもいいわけじゃない。確かにナツメは、あのババアは悪だ。しかし、そうでない人だって沢山いる。あの物資の大半である薬は、そういう弱い人達のために使われるものだ。

 

 …こうなればもう、悪いのはどちらかなんて明白だよね。

 

 そして何より、この女の人は自分の命の危険を顧(かえり)みずにアタシを助けてくれた。あのムラクモ少女がどんなに恐ろしい相手だとしても、あのウォークライという竜のような化物だとしても、それはそれとして、アタシ達は彼女の誠意を無駄にしてはならない。

 

 アタシ達は生きるために手段は選んでない。少なくとも善人なんかじゃない。

 ただ、悪人にはならないし、筋は通さなくてはならない。

 

 それがSKYであり、アタシ達なのだから。

 

「ねぇ、ダイゴ」

「…ああ。これはこちらに非があるな。ムラクモだからと過剰反応したのは俺達だ」

 仲間の起した不始末はリーダーの責任だ。サブリーダーが二人も揃ってて、その責任も取らないというワケにはいかない。殺されるのはイヤだけど、まずは謝罪しきゃならない。

 

「おい、ムラクモの。俺達は戦いを否定しない。だが、お前に一言、言わせて欲しい」

「…デカい黒夫、お前らはどうすんだ? 言葉とやらで解決できると思ってるのか? フン、馬鹿馬鹿しい!」

 

 ダイゴの言葉を嘲(あざけ)り、酷薄な笑みを浮かべるムラクモ少女。しかし、また戦うにしても筋は通さなくちゃならない。ダイゴも皆もアタシと同じ事を考えているんだと思う。…アタシらはムラクモ少女の前に集合し、全員が揃って相対した。

 

「なんだ? テメーら、揃って何する気だ? 新しい作戦か? 面白そうじゃねーか! とっとと始めようぜ! 殺し合いよなぁ!」

「ちょ…っと待ってくだ…さい! あなた達も…戦うなんてやめて…! うっ…」

 女の人が慌てた様子でアタシ達を諌(いさ)めようとする。けど、アタシは彼女へと静かに首を振った。

 違う、そうじゃない。戦うつもりで集合したんじゃない。

 

 全メンバーがその場に正座して、頭を下げた。オロオロしていたグチとイノもアキラ達に強引に座らされている。アタシも傷ついた彼女の身体を支えながら、深く頭を下げる。

 

 

 

「グチとイノが迷惑を掛けました。ごめんなさい!」

 

 その場にいたSKYメンバー全員が一斉に頭を下げる。地に頭をこすり付けて謝る。不良を名乗ってる集団がこんな事をするなんて馬鹿げているかもしれない。次の瞬間に殺されるかもしれないというのに、頭のおかしい行動なのかもしれない。

 

 だけど、アタシ達はどんな苦難も一緒になって乗越えてきた家族だ。だから、間違いは間違いとして受け入れなければ、家族ではいられない。

 

 アタシ達は家族であるために土下座をする。

 馬鹿にされたって構いやしない。もちろん自己満足だと理解もしている。

 

 だけど、これはアタシ達にはどうしても必要な事だった。

 

 例え、この後に戦いになろうとも、まずは筋を通さなければ、自分達はただの悪党に成り下がってしまう。

 野良犬であってもいいし、野良猫であっても構わない。だけど、悪党じゃない!

 

 アタシ達はナツメみたいな悪党には絶対にならない!

 

 

 だから謝る。

 

 

 

「な、な、なな…」

 突然の謝罪を前にしたムラクモ少女の声が聞こえる。頭を下げたアタシ達に呆然としているみたいだ。

 

「なんだテメーら…、何やってんだ? 戦うんじゃないのか!? 俺と戦って殺し合うんじゃねーのか! なんだこれは! 何がどうなってるんだ! なんでテメーらは皆、俺の分からない事をするんだ!」

 

 いきなりの行動が理解できていないのか、後ずさりする程に狼狽するムラクモ少女。よほど予想外だったんだろう。

 

「…先輩、きっと行き違い…だったんですよ。戦闘には…なっちゃいました…けど、たぶんそう…いう事なんです」

 女の人は辛そうに傷の痛みを耐えつつ、それでも変わらぬ穏やかさでムラクモ少女に話しかける。しかし、ムラクモ少女はありありとした困惑の色を強めているだけだ。

 

 そこに頭を上げたダイゴが膝をついたままで告げる。

 

「ムラクモの。今のお前の怒りの感情全てを我らは理解しきれない。グチが傷つけられた事もやりすぎだと許せない気持ちはある。…しかし、これはSKYの仲間が起した不手際。間違いなくこちらの手落ちから出た事だ。それについては謝罪しよう。二度とやらせないと誓う。すまなかった」

 

「それに、事情を確かめもせず戦闘を仕掛けてしまった事も我々に非がある。これも謝罪させてくれ」

「ぐぬ……………、なんだよ。ワケ…分かんねーよ」

 ダイゴの言葉に、ムラクモ少女が複雑な怒りを溜め込んでいる気がした。そしてそれは、まもなく噴火する。

 

「俺はっ! 俺は戦って済めばそれが楽なんだ。戦いならなんだって白と黒を決められる。考えなくて済む!」

 ムラクモ少女がひどく困惑しながら叫んでいた。そんな少女に、再び女の人が声を掛ける。

 

「ねぇ、先輩? …人は話せるんです。竜と人とは話し合いが出来なくとも、人は話す事ができます。”言葉”を持っているんです」

 

「”言葉”はけして万能じゃありません。今みたいに行き違う事や、罵(ののし)りあう事もあります。…だけど、人は考えて、理解することも出来るんです。気持ちを込めた言葉を投げかける事ができます」

 

「先輩と私が出会って、話せるように…なったみたいに、この人達とだってちゃんと…話せるようになると…思いませんか?」

 

「………おれ…は…」

 

 

「俺はっ! 俺は人間じゃあない! 俺は竜だ。…だからそんな事は出来ない! 出来るわけない!」

「できます! さっき歩く練習をしている時も言いました。 先輩は…、人間じゃあないですか?」

 

「もしかしたら、心は竜に近いのかもしれません。だけど今は…、あなたは人です。口があって話せて…、考えることが出来る人間です。いまそうやって悩んでいるように、口で悩みを伝えられるように…、先輩は、どうしようもなく人間なんですよ」

 

「だから、…ね? 頑張りましょう? 話してみましょう? そしたらきっと…、その方がずっと楽しいと思います…よ?」

 

 アタシはそれを聞いていて、単純にこの人はすごいと思った。アタシならこんな事は言えない。人を安心させて納得させられる言葉なんて、うまく話せない。でも、そういう彼女の言葉を耳にした事で、もうこれ以上の戦いはしてはいけないと思った。こんな何も生まない戦いは不毛なだけだから。

 

 東京が崩壊してからの一ヶ月、アタシ達は必死に生きてきた。様々な手段で生き残ってきた。

 

 でも、アタシ達はその過酷にかまけて、何かを見失っていたのかもしれない。日々の過酷と苦しさを理由に、人であるための理由を放棄していたのかもしれない。アタシ達は意志を言葉として生み出せる人間なんだ。言葉を話せず奪うだけなら竜と同じになってしまう。

 

 アタシ達はもう実験動物ではなく、竜でもない。生きている人間なのだから、まずは言葉を尽くさなければならない。

 だから、今はもう戦わない。ムラクモ少女とこれ以上戦うことは何の意味も無い。

 

 …静寂が辺りを包む。すでにもう、ムラクモ少女からの闘気は消えうせていた。

 そして、アタシの目には、ムラクモ少女が女子高生には見えなかった。

 

 どうしようもなく幼さを垣間見せる、ただの子供が俯(うつむ)いているようにさえ思えた…。

 

 

「分かんないんだ」

 

「…俺様、何にも分かんないんだ! さっきから色々考えても、全然分かんないんだ! おい、アオイ…、教えろっ! 全部俺に教えろ! 全部が全部スッキリ分かるまで俺に教えろ!」

 

「そしたら! …そしたら、別にもういい。コイツら殺さなくてもいい。…必要なくなる」

 納得したようなしていないような、そんな表情。そしていつしか、ムラクモ少女から発せられていた禍々しいモノは消えている。その瞳は黄金から黒へ、冷静になったように落ち着きを取り戻している。そして今は、ただの幼い少女のようにしょぼくれている。

 

 それを見て安心したのか、女の人は安心したような様子で大きく息を吐いた。その瞳はムラクモ少女を慈しむようにも見えた。あんな凄まじい状態の、猛り狂う怒りを発していたムラクモ少女を、この人は拭(ぬぐ)ってしまった。

 

 この人は”言葉”で、この争いを収拾させてしまったのだ。

 

「了解です、先輩。…でも、ちょっと…その前に、眠らせて…くれます? もう………」

 彼女はそう言い残すと力尽きるように目を閉じた。とても安らかな表情をしながら、そのまま息絶えてしまったかのように、静かに。

 

「あ、アオイ…、おい、何やってんだ? まだ明るいぞ? 寝るのはまだ早いだろ?」

 

 慌てているムラクモ少女を余所に、アタシは冷静に彼女の容態を診る。気を失った彼女は思ったほど顔色は悪くない。確かにダイゴ以上の傷は負っているけれど、もう出血も止まっている。もちろん早いうちに適切な治療をした方がいいけれど、すぐに死に至る事はないと思う。

 

「…アオイ、起きろ! 起きろよ! ふざけんな! 俺に色々教えてくれるんじゃないのか?」

「ちょっとムラクモ少女! 落ち着きなよ! 死んでないってば。それより大声出したら彼女の傷に障(さわ)る。いまは寝かせてやらないとダメ」

「あう…、だって、俺…、こんな事するつもりなかったのに、アオイのヤツが…」

「おたつくなっての! それより、アンタ。さっきこの人が話してた腕時計の機械で仲間とか呼べないの? さっきこの人が話してたのを見たんだけど…」

 

 いまは彼女の腕に巻かれている腕時計を外し、ムラクモ少女に見せるが…。

「俺様…、わかんない…。アオイじゃないと全然ダメだ」

 

 さっきまでの圧倒的な脅威はどこへやら、完全に子供と化したムラクモ少女は、しょんぼりして使い物にならない様子だった。仕方がない。腕時計の使い方は後で調べるとして、まずは彼女をアジトへと連れていかなきゃならない。あそこなら医療器具は揃ってるし、今なら薬も山ほどある。たぶん、アイテルも一緒にいるだろうから、彼女なら傷の処置もやってくれるだろう。もしかすれば、あの不思議な力で癒してくれるかも…。

 

 アタシは彼女をダイゴに任せ、車でアジトへと向かう準備をする。この通信機の使い方は、移動中になんとか覚えるしかない。ムラクモに連絡するのは正直言って嫌だけど、恩人の危機にそんなみみっちい事は言ってられない。

 

「ちょっとムラクモ少女! あの人を治療するから車に乗って。アタシらのアジトに───」

 

 

 アタシがそう言った時、その異変は起こった。

 

 

「ひひひひひひ…、うひひひひひひひひひひ!」

「フヒヒ…イヒヒヒヒヒヒヒ…」

 グチとイノが妙な笑い方をしていた。またアイツらは…、もう! こんな時に何を笑ってんのよ!

 

「ちょっとアンタ達! 何をやって──」

 面倒くさいなと思いつつ振り返ると、グチは剣を振り上げ、イノへと襲い掛かっていた! しかも妙な笑いは絶えず、ゲラゲラと笑いながら剣を横へと凪払う! そしてそれを軽く避けたイノも、近くに落ちていた金属パイプでグチへと殴りかかった。いつもなら、ただの痴話喧嘩だと仲間も笑って見逃すが、この二人の不気味な笑いを見ていると、それはいつもの喧嘩ではないと思える。

 

 しかも、それだけじゃなかった。周囲で正座したままだったアキラ達の様子も激変している。数人がグチ達と同じように笑いながら立ち上がり、ナイフを手にして戦い始めたのだ!

 

「ど、どうしたっての? …何が起こって…? はは…あはははは…あはははははははっ!」

 可笑しい。楽しい。なんだか知らないけど、とても愉快だ。どうしてだろう? 笑いが止まらない。どういうわけか楽しくて仕方がない! …くっ、違う! アイツらを止めなきゃ…く、くふふふ…。ち、違う! 笑い事じゃない!

 

「何笑ってんだ! マジメにやれ! このクソネコの頭の耳のヤツ!」

「うにゃああ~~!」

 罵声と共に背中を蹴り飛ばされたアタシは、その勢いのまま宙を舞い、大木に突っ込む。なんとか顔面激突は防いだが、代わりに、ふつふつと怒りが湧き上がる!

 

「ちょっとアンタあんまりじゃないの!? 蹴り飛ばすことないじゃない! ……あれ? アタシ…」

「テメーにはアオイを守って貰わなきゃならん。なんだか知らんが正気でいろ!」

 視線を巡らせると、まさに異様な光景が広がっていた。仲間達が互いを傷つけ合っている。本気で戦っている! だというのに、感情のこもっていない無機質な笑顔を絶やさず、腹の底から下品な笑いを垂れ流している。まるで狂人の宴。

 

 これ、何なの? 何が起こってるの?

 

 そんな中でダイゴだけはいつもと変わらぬ様子で仲間達の戦いを止めていた。どうして彼は平気なんだろう? あ、そうか。精神力の差、なのかもしれない。いつも修行で精神面も鍛えてるから、なんとか耐えたのだろう。アタシもムラクモ少女に蹴りつけられなければ、笑いながら戦っていたハズだ。

 

 ダイゴはその巨体を生かし、戦いをやめない仲間達を殴って気絶させている。だけど、それでも起き上がり、けたたましく笑いながら戦いを続けている仲間達。不気味に笑いがこだまする吐き気さえ催すような戦場がそこにあった。

 

「と、止めなきゃ!」

 アタシが走り出そうとすると、ムラクモ少女がその腕を掴んで止める。アタシと大差ない体格だというのに、やはり恐ろしい力だ。ダイゴの怪力すら足元にも及ばないだろうな、万力で掴まれている様な握力である。

 

「何…すんのよ!」

「俺はアオイを守れと言ったぞ。それにどうせ…、あの中に飛び込んでも非力なテメーじゃ役に立たん」

 悔しい。凄まじく悔しい。だけど、コイツの言っている事は本当だ。アタシにはサイキックとしての戦闘は出来ても、力で誰かを押さえつけるような真似は出来ない。戦闘スキルは混戦している場に打ち込んだら仲間ごと傷を負わせてしまうからだ。

 

「で、でも…、何がどうなると…」

 原因はなに? 何がこの事態を引き起こしているっていうの? 何が起こってるっていうの?

 

「クックククク…、最初に潰すのがあの虫野郎になるとはな」

 ムラクモ少女が空を見上げて呟いた。アタシもその視線を追うように天を仰ぐと、そこには、まるで雪のような何かが舞い散っている。空は晴れているというのに、降り注ぐ微細な花粉のような、そんな何かが日の光に反射してキラキラと輝きを放っていた。

 

 そしてムラクモ少女が見上げたその先には、巨大な影がうねっている。

 

「あ…、な……、なんなの…あれ?」

 全長十メートル強、しなやかな緑色の胴は異様に長く、背中には蝶のような翠珠色の美しい翅(はね)、首部分は赤く燃えるような花弁が咲き狂い、そこから生えた頭部は金属を思わせる竜の頭蓋が備わっている。まるで、日本風の胴長竜に蝶の翅がついた、そんな風貌をしている巨大生物が空を泳いでいた。

 

 

『Qubebebeebebebebebe…!!!』

 

 それは人類の敵、この東京に現れた七匹の指揮官竜のうちの一匹。

 天空より不可視の死と闘争を運ぶドラゴン。

 

 帝竜『スリーピーホロウ』と呼ばれる巨大生物だった…。

 

 

 

 

 

 俺の見上げた空には、よく見知った顔がいた。

 ニガテなヤツ。俺より弱いくせにキモチワルくて面倒で気に喰わないヤツ。…虫野郎だ。

 

『Qubebebebebebe!!』

 若木のような瑞々しさを見せ付けながら悠然と空を舞う虫野郎は、その巨大な翅から燐粉を撒き散らしていた。それがこの騒ぎの原因。それこそが他の生物を狂わせているモノの正体だ。どういう仕組みかは知らないが、ヤツはそうやって同士討ちをさせる事を好んでいる。ずいぶん昔、餌場争いで戦っていた大型竜の群れを同士討ちさせて皆殺しにしたのを俺は知っている。

 

 いまもそうだ。ヤツは空に漂いながら、己の趣味を遊んでいるだけなのだ。

 えげつない悪趣味だ。

 

「よう、虫野郎。久しぶりじゃねーか。こんなトコにいやがったのか?!」

 俺は再びカタナを抜いて構えた。ヤツが隙を見せたら迷わず切り裂いてやるつもりで、だ。

 

「俺にはまだよく分からんけどな、これだけは分かるぜ。テメーはこちらを殺すことしか考えてねぇ! そしてテメーには言葉は通じない。アオイの弁を借りるなら、俺はお前を殺していい事になる。人に害がある竜は殺していいヤツだ」

 

 アオイの言う、話すことが出来れば戦闘しなくてもいい、というのが正しい人間の考え方なのかもしれん。だけど、敵が襲ってくるなら戦うという選択肢しかない。それでも戦いを否定するのなら、そいつはただの臆病者だ。

 

 人であるのなら、なんでもかんでも戦いで済ませていいワケじゃないのかもしれない。

 そんなのまだ分からない。俺様にはまだ全然分からない。

 

 だが、いまは戦うべき時だ。

 

 

「ちょ、ちょっとムラクモ少女! アンタなに竜になんて話かけてんの…? 言葉なんて通じるハズないでしょ!」

 ネコの頭の耳の奴は気を失っているアオイを車へと運びながら何か言ってくる。やはり、コイツら人間は竜と話す事が出来ないらしい。そりゃあそうか。俺が特別なんだよな。それはよく承知している。

 

「おい、ネコの頭の耳の奴、俺様はここを離れる。アオイは必ず守れよ! 絶対だぞ!」

 俺はそのまま跳躍し、廃ビルと廃ビルの間の狭い壁を次々と蹴りつけ、一気に駆け上がって屋上へと降り立った。常にヤツを見上げていた俺は、高さを得たことで虫野郎と真横から視線を交わせる位置へと踊り出ている。

 

「よう、虫野郎! ここは俺達には狭いだろ? 場所を変えようぜ。…それとも狭い場所で小さくなって戦うのがお前の趣味か?」

 俺は不敵な笑みを浮かべると、そのまま跳躍して北側と駆けた。この先はまだ進んだ事がないが、そんな事よりも今はあの場から離れなくてはならない。アオイを巻き込むわけにはいかない。アオイにはまだ聞きたい事が沢山あるのだ。

 

 虫野郎には俺の声がちゃんと届いているらしく、澄み渡った空を優雅に泳ぐかのようにして俺の後をついてくる。だが、さすがに俺の正体までは理解してないかもしれない。まさかこの俺様がこんな姿だとは思うまい。…まあいい。タネ明かしは後だ。まずはコイツをアオイから引き離す。

 数分間ほど、屋上から屋上へ、ビルからビルを駆け抜け、手ごろな広い場所を見つけて地上へと降り立った。

 周囲にはまばらに廃ビルや大木が林立しており、跳躍の足場にするには問題がなさそうだ。

 

 

『(クキキキ…、その下品な喋りは聞き覚えがあるわぁん。でも~、毛ナシのおサルに知り合いはいなくてよ?)』

 聞き覚えのある声。少しも変わりない下衆(げす)な声だ。

 

「毛ナシ猿じゃねぇ! …俺様の声、忘れたとは言わさねーぞ! 音として聞こえるのは人の声でも、本質までは変わらないはずだ。この偉大なる竜王の声ともなればなっ!!」

 周囲を見回していた虫野郎がようやくその不細工な顔をコチラへと向けた。だが、それを待ってやる俺ではない。声を発した瞬間に上へと跳躍し、さらに廃ビルの壁面を蹴って虫野郎へと切りかかる! 不意を付いたこのタイミングなら確実に一撃与えてやれるはず! まずは挨拶変わりだ!

 

『(イヤだわぁ。まだ若いのに目でも悪くなったのかしら? 愛しの竜ちゃんの声が聞こえるのに、おサルしかいないわ。これが老化なの? 美貌は少しも変わらないのに??)』

 そんな間抜けた事をほざきながらも俺の攻撃をするりと避けてやり過ごす。やはり…、コイツはすでに気づいているのだ。俺がこの姿で、敵意を持って攻撃しているという事実を理解しがら敢えて遊んでいる。

 

「相変わらず気に入らねーな。そうやってクネクネとしながら、奇妙な言葉使いをするの、やめたらどうだ?」

 さらに俺の攻撃は続く! さらに加速して廃墟の壁を蹴り、大木を蹴ってつなぎ、そして地面を蹴り付けてカタナを振るう。多重にかく乱した上での連続攻撃で虫野郎に一撃を浴びせんとする!

 

 だが、それも難なく避ける虫野郎。巨体をしならせ、蛇のようにぐにゃりと曲げて蛇行したまま器用に避ける。しかも俺の攻撃に慌てた様子も焦っている様子もない。昔からこうだ。俺が気に入らないから殺そうとすると、俺の攻撃をするりと避けて逃げやがるのだ。やっぱり腹が立つ。

 

『(んまぁ~、その頭の悪い攻撃! 本当に愛しい愛しい竜ちゃんだって事なのね?! でも、どーしてそんな人間みたいになっちゃってるの?! あ、ゴメン。おサルだっけ?)』

「さっきから竜ちゃん竜ちゃんって、ほんとにウザったいヤツだなっ! それに俺はサルでもねぇと何度言わせるんだ!」

 ならば…!とさらなる加速を与え、今度はあのデカイ翅へと攻撃を仕掛ける。身体はうまくすり抜けられても、翅は羽ばたく以外の器用はできないはずだ。翅を切り裂いて地面に落とせば、こちらの勝利は揺るがない。

 

『(クキキキ…。無駄よ、無駄。美しい花の竜であるアチキにそんな攻撃は通用しないわ)』

 虫野郎は身体の軸を側転させる事で翅の位置をずらして回避する。そしてそのまま、その長い胴が動いたかと思った途端、俺の身体を巻き取っていた! ヤベぇ! 掴(つか)まった!!

 

「くそっ! 離せ! 離しやがれ!! この虫野郎! テメーが花竜だと? テメーみたいなのは虫で十分だ! キモチワルイんだよ! とっとと離れろ!」

『(へぇ…、これが竜ちゃんとはねぇ~…。そんな人間みたいになってさぁ、どういう気まぐれで人間なんかの味方でもしてるってワケ? あら、この腰布、スカートっていうんだったかしら? 可愛らしいじゃなぁい?!)』

 

『(どうやったら、そんな可愛げのないおサルになれるの? 少し教えてくれないかしら? ねぇ? 竜ちゃん。ねぇ、ねぇ、ねぇ!! クキキキキキ…)』

「うぐ…ぐああああああ…」

 俺の身体が締め付けられる! まるで巨大な岩と岩に挟まれたかのような強烈な圧迫感、そして身体を押しつぶそうとする圧力。逃れようとしてもピクリとも動かない身体がきしみ、悲鳴を上げていた。

 

 …しかし、その圧力はすぐに消えた。なんと虫野郎が俺を解放したからだ!

 なんとか着地。バランスを崩しながらも地面へと落ちた俺は、身体を襲う痛みと共に咳き込みながらも呼吸を整える。

 

『(昔のよしみで助けるのは今回だけねー。ほらぁ、アチキって母性本能のカタマリみたいな性格だしさぁ。助けちゃうのよね、一回だけだけど)』

「ケッ! オスのくせに何が母性本能だ! 毎度毎度キモチワルイんだよ。テメーは」

 

 手加減された? この俺様が手を抜かれただと? フザケやがって! この竜王たる俺様を虚仮(こけ)にした報い、存分に味あわせてやる。

 

 俺は再び中空へと舞う。壁を蹴り、しなる枝を反動にして加速し、これまでの最高速度でヤツへと迫る! いま俺が出せる最大最高の、紛れもない渾身の一撃だ。いくつもの壁を蹴ってかく乱した事で、ヤツは俺の加速を追いきれていない。俺の接近も把握しきれていないようだ。しかも背面からの攻撃。避けられる要素は何一つない!

 

 これで終わりだ。この一撃さて当たれば、そのスライムみたいなクネクネした胴など、引きちぎっても余りある!

 俺の勝ちだ!!

 

『(あんもう! それにしても悔しいじゃなぁい? 懐かしい気配に安眠妨害されちゃったから、眠い目こすって起きて会いに来たっていうのに、目覚めの挨拶が攻撃って。イヤだわ! もう運命のお茶目さん☆)』

「───なっ!」

 巨大な何かが動いた! それは尻尾! ヤツの長く細い尾が別個の生物のように動き、俺を真横から叩き落す! なんとか枝に掴まり地面への激突を逃れた俺は、そのまま大木を蹴って地面にと降り立つ。…くそっ、あの虫野郎、姿が見えてなくとも動きを読んだってのか?

 

『(竜ちゃんってばオバカさんね? ま~だ分かってないんだ。あんたが戦いを挑んでる相手は、何を得意にしていると思う?)』

「し、知るか! 馬鹿が!」

 

『(空中で生きてるこのアチキにっ! にわか仕込みの空中戦を挑む馬鹿はアンタだって言ってんのよっ!)』

 その言葉に虫野郎の眼光が細く鋭く変化した。膨れ上がった殺気は尋常ではない。

 俺は周囲を一瞬だけ見渡し、そのまま跳躍する! あの場にいたらヤバイ!

 

 

『(クキキキキ…、ギャーハハハハハハーーーーッ!!)』

 先程の俺の加速など比較にもならない凄まじい超高速を伴う突撃!! その凝縮されたエネルギーが開放されたかのような巨体での体当たりが俺を襲う! あまりの速度に避けるどころか反応すらできない俺は、そのまま吹き飛ばされ、背後のビルへと叩きつけられる!

 

「───がっ!」

 身体がバラバラに砕けたかのような衝撃が俺の意識をも吹き飛ばそうとする! しかし、ここで気を失うわけにはいかない。俺は意地でもヤツを倒すのだ。ガトウと再戦するには、この程度のヤツは倒せなきゃ話にならん。

 

 生暖かい何かが頬を伝って流れて落ちてきた。それは赤い液、俺の血…か? 崩れた廃ビルから粉塵が舞う中で呼吸がままならず、息が吸えない。そして喉の奥からせり上がってくる何かを吐き出す。くっ…これも血か。

 

「…く、そ、なんて脆(もろ)いんだ…、この身体は…」

 人間の身体は想像以上に脆い。最下級の竜にすら劣る肉体強度だ。まさに枯れ木を折るような感覚に等しい。たった一撃でこの俺様がここまでのダメージを受けるとは…。

 

『(いやぁ! 竜ちゃん死んじゃった? 死んじゃったの! いったーい。もう、いま舌噛んじゃったわ!)』

 虫野郎が異常に長い舌をベロリと出して顔を舐める中、俺は気力を振り絞って立ち上がる。前のように杖がなければ歩けない事はなく、アオイに教わったバランスの取り方でかなり歩けるようになっている。しかし、歩くたびに激痛が走り、いまの一撃がかなりの痛手であった事を教えていた。もう一度あれを喰らうわけにはいかない。

 

 身体の持ち主であるユカリの技、傷を癒す事ができる”れんきてあて”で回復させようと呼吸を整えるが、意識を保つのがやっとで、うまく集中できない。それにあの技が使えたとしても瞬時に回復できるわけじゃない。ここまでの痛手を受ければ、相応の時間が掛かる。

 

「っ…、あう!」

 揺らぐ視界、俺はカタナを杖にして膝を突く。痛みに耐える。

 このままの体制はマズイと頭が理解していても、身体が動かない!

 

『(な~んだ、まだ生きてるの? 残念ね。じゃあ、…次で終わりね! ───そぉら!!)』

 俺が注意を向けた時、すでに俺の身体は宙に浮かび上がっていた。遅れてやってくる壮絶な激痛と、噴出す血液が舞う光景。俺はまるで、それを遠くからただ見ているように見つめている。攻撃を認識する間すらなく、俺はその一撃を喰らったのだった。

 

 暗転する、痛みすら感じない身体はもはや動くという行動すら意識できず、意識が遠くへと押しやられていく。

 だが、意識を失ったら負けだ。俺はまだ生きている。

 

 意識を保つ事がいかに厳しい状態だとしても、どんなに無様であろうと、俺はまだ生きている。負けてはいない。俺はこの程度で死ぬわけにはいかないのだ。俺は負けるわけにはいかないのだ。

 

 ガトウとの再戦を果たすため、そしてアオイに分からない事を全部聞くために、俺は負けるわけにはいかない!

 

 

『(クキキキ…、少しくらいは燃えるかと思えば、やっぱりダメね、熱血って。アチキにはそういうの無理だわ。アチキはさぁ、もっとこう、ドラマティック…っていうのかしら、人間の言葉では。そういうのが好きなのよね)』

 闇の底にたゆたう意識を必死に繋ぎとめ、それでも俺は立ち上がろうと力を振り絞る。

 身体が悲鳴を上げて動くことを拒んでも、俺は負けてはならないのだ。

 

 そんな中、虫野郎は俺が苦しんでいるのを注視している。きっと楽しんでいるのだろう。そして興味がないと言いながらも殺気は未だ失われていない。瀕死となった俺ですら殺す事に変更などないのである。

 

『(やっぱりぃ、ドラマティックな展開よねぇ。命は輝いてこそなのよ!)』

 どうする? ヤツを倒すためには、どんな攻撃であれば通じる?

 

『(輝くような展開、ん~~いいわね~、響くわぁ。)』

 いや、逆に言えばこちらの優位な点はなんだ? 俺がガトウと戦ったとき、ヤツの何に脅威を感じていた?

 

『(ちょっと、竜ちゃん! またなの!? 戦ってる最中に何考えてるわけ? さては違うメスの事?! だとしたら浮気? 浮気なのね! フケツ! 竜ちゃんってばフケツ大王よ!)』

 そうだ、スピードだ! 的が小さくて攻撃がうまく命中しない事を厄介だと思っていた。いまなら分かる。一度でも命中されれば勢いを殺され、いまの俺のように動きが止められる。だから、人間はあのように機敏に動いて戦うのだ。避ける以外ない選択肢がないから。

 

 しかし、攻撃が思うように命中しない事にじれていたのは俺も同じだった。あの時のガトウやユカリのように、一撃与えて離脱する戦術が一番有効なのだろう。そして俺も同じようにすればいい。今以上のさらなる加速で翻弄する事ができれば、ヤツに勝てる。

 

『(ふぅん。ああ、そう。無視ね? 無視するのね? アチキにひっかけて虫なのね? クキキキ! ハイセンスじゃなぁい?)』

 いや…、ダメだ。それではさっきと同じ結果に終わる。さっきも高速で攻めて、それで通用しなかったじゃないか? ガトウやユカリ達のスピードが有効だったのは、戦っていた俺が元々パワータイプの竜だったからだ。虫野郎の速度に対応できないなら、倒されるのは俺の方だ。

 それに、いまの状態でさきほどよりも加速するなど到底できるものじゃない。別の方法で戦う以外に選択肢はないのだ。

 

 

 どうしたらいい? ガトウだったらコイツ相手にどう戦った?

 もっと、もっと有効な手はないのか?

 俺はどうすればヤツを倒せる?

 

 

 そういえば…、さっきはもっと力が出ていた気がする。あのスイカどもと戦っていた時は、いまよりもっと全身を覆う力に満ちていた。なぜだ? なぜさっきと同じような力がでないんだ? あの力が出ればもっと速度も上がるし、回復も早かったはずだというのに。

 

 なんだか分からない事だらけだ。

 全部が全部ごちゃまぜで、俺は何一つ答えを出せてないままだ!

 

『(ふぅ、…そういう友達がいのない竜ちゃんには、アチキが最高のドラマティックをプレゼントしちゃう!)』

「く…っ! 何を…ワケの分からん事を…」

 

 急に思いついたかような口調をする虫野郎。今度は何を企んでいるのだろうか?

 俺が警戒をしながら反応を見ていると、ヤツは俺に背を向け、そのまま空高く舞い上がった…。

 

『(あそこの人間、全部殺したら竜ちゃんどんな顔するかしら? クキキキキキ!)』

「な…に…?」

 そう言い残して加速する! 狂ったような咆哮をあげて進むあの方向は、アオイ達がいる場所だ。

 

「あ、あの野郎…! あ…ぐ…」

 追いかけようと立ち上がると、その瞬間に激痛が身体を駆け抜け、その場で膝をつく。身体がいう事を聞かない。 俺は…、ヤツが飛び去るその背中をただ見送るしかなかった。

 

 

 

 

NEXT→ チャプター5 『繁花樹海④・渋谷 in ドラマティック』


 
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