No.375227

即身仏

健忘真実さん

1185年、平家一門が壇ノ浦の合戦に敗れて滅亡してから3カ月後。
琵琶湖西南部の堅田断層が活動した内陸直下型地震は、琵琶湖南部から京都にかけて甚大な被害をもたらした。
平家の怨霊の崇りだと噂され、それを鎮めるために・・・

2012-02-09 12:02:16 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1660   閲覧ユーザー数:1660

【まえがき】

即身仏となることができずに朽ち果てたり、発掘の失敗が数多くあったと聞きます。

気象条件もあり、実際には滋賀県や京都では難しいかと思われます。

信仰上のこともありますが、出羽三山が適していたのでしょうか。

 

 

 壇ノ浦にて平氏一門が源義経率いる軍に滅せられ、平宗盛・清宗、重衝らは鎌倉に送

られ斬首、宗盛父子の首は三条東洞院にてさらされた。

 

 1185年のことである。

 

 ほぼ3カ月後、京都を大地震が襲い、多数の死者を出した。寺社や宇治川に架かる橋

の損壊など、都および周辺地域の人々の生活にも甚大な被害をもたらした。

 

 余震は続いた。

 人々は、平氏一族の崇りだ、琵琶湖に住む主・大なまずの怒りを鎮めない限り再び大

地が大きく揺れる、などと噂しあった。

 

 その声は政に対する不満を増長させることとなり、朝廷もほうっておけなくなった。

摂政の近衛基通は、比叡山から天台座主明雲を呼び出して、仏教の力で怒りを鎮め民心

を平らかにせよと言い渡したのである。

 

 

 比良山の麓にある明王院で修業に励む僧がいた。

 仁恵という。近江で生まれ、母の死によって寺に預けられた。

 幼い頃より涙を見せず、辛いことから逃げもせず、己に対しては頑固であるが、長じ

てからは人のために涙し、人の辛い出来事を我が事のように思い、悲しみを共に受け入

れた。

 

 寺の北側を流れる明王谷を遡れば三ノ滝がある。仁恵は毎日そこで滝に打たれ、瞑想

を続けた。

 

――人はなぜに苦しみから逃れることができないのか

 

 仁恵の荒行は千日回峰を達成するまでになった。37歳である。

 

――己の苦しみは己自身で緩和できる。人の苦しみはどうすれば和らげることができるの

 だろうか

 

 そんな日々、比叡山に呼び出された。

 猪首でほほ肉を垂らした小太りの明雲座主を前にして、ほほ骨が張り出し痩せてはい

るが、落ち窪んだ目に強い信念を宿した仁恵は畏まっていた。

 

「そなた、平敦盛の血を引いておるそうじゃな」

「そのように聞かされております」

「ふむ、千日回峰も達成しておる、大したものじゃ・・・直載に申そう。仏となりてこ

の世を救ってはくれぬか。大地が揺らぐのは平家の崇りじゃと民は恐れておる。民心を

鎮めるには平氏の血を引くそなたが適任じゃと、思うてな」

「若輩の私がそのような畏れ多いことを・・・」

 

 仁恵は明王院に戻り、木食行を始めた。

 十穀断ちをし、木の実や草の根だけを食べて体を骨と皮だけとし、不浄な物はすべて

出し切るのである。

 

 入定する場所は明王谷を遡り、比良の山を越えた堂満岳の岸壁にある洞を指定した。

ここから琵琶湖がよく見える。仁恵は生まれ故郷をまぶたに残しておきたかった。

 弟子たちは体力の衰えた仁恵を案じた。また自分たちも付き添っていなければならな

いのである。

 

 山の民に導かれて、白装束の仁恵が堂満岳の稜線にある時、立派な角を携えた牡鹿が

じっと佇んで視線を投げてきた。

 

 [なぜ死に急ぐ]

 

 [私は死ぬのではない。仏となり、民を救うのだ]

 

 牡鹿はしばらく仁恵を見つめた後、崖を駆け降りていった。

 

 仁恵は衆生救済を祈願して入定した。

 入口は大小の岩や土でふさがれた。外界とのつながりは、空気孔として残された1本

の竹筒のみである。

 

 鈴を鳴らしては読経する。

 弟子はすぐそばにあり、師の言葉があればすぐさま紙に書き取った。

 ふたりの弟子は交替で任に当たった。

 高く澄んだ音を出していた鈴の音は次第に弱まり途切れがちとなる。

 

――己を捨て世に尽くし、荒行にも耐えてきた

 果たしてそれでよかったのだろうか? 

 もしかしたら自己を満足させるため、そうしていたのではないか?

 

 仁恵の心の中に小さな迷いが生じた。

 あの牡鹿の目が蘇った。

 稜線から眺めた情景が浮かんだ。紅葉した木々、鳥のさえずり。きらめく湖面を行く

渡り鳥。

 

――行を積み、智慧を体得しすべての不安や恐れから解放されて、一切の迷いを打ち破っ

て悟りの境地に達したかと思っていたのだが・・・

 

 まさに仏になろうという瞬間、雑念が生じたことにとまどった。

 己の心に問うてみた。

 

――生きたい

 

 それは最後のつぶやきとなって出た。

 

「生 き  た ぃ」

 

「なんと仰せられましたか?」

 

 

 3年と3カ月後、洞から出され籠で担がれて明王院に下り、紅い絹衣を着せられ厨子に

安置された。

 即身仏仁恵上人として祀られ、多くの民に安らぎを与えたという。


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