No.342712

Half_Beast (前編)

Touyaさん

ゲーム「BOF5 ドラゴンクォーター」二次創作小説です。リュウとボッシュが正体の知れないディク計画に巻き込まれる話。前編です。※女性向表現(リュボ)を含みますので、苦手な方はご注意を。

2011-12-03 11:54:10 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:819   閲覧ユーザー数:819

1.

 薄暗い訓練所の片隅で、白い軌跡を描く弧と、糸のような切っ先が交わり、また離れる。音よりも、闇を裂く光の流れるのが早い。それでも、ふたつの軌跡の動きには、雲泥の差がある。受ける切っ先の無駄のない速度に比べれば、歪んだ円弧が描かれる速度は、動きに慣れた者の眼からは、遅れる分だけの迷いが見える。まっすぐに向かう道を、つかの間、見失っているような太刀筋だ。

 ボッシュは、腕を組んだまま、怠惰に訓練所の金属の壁にもたれかかり、その違いを見てい。

 カシュン。

 金属がはじかれる軽い音が、当然の帰結を唐突に告げる。はじかれた粗悪な剣は、床に転がり、敗者は両膝の上に手を置いて、遠目にもわかるほど、背中を上下させている。

「剣に迷いはじめましたね、リュウ。」

「……はい。決まった型でやっていたのが、だんだん違うような気がしてきて――」

「それだけですか?」

リュウが、ゼノの鋭さに苦笑して、思わず頭を下げたので、後ろで引き結んだ髪がぴょこん、と揺れた。

「つまらないことが、気になるんです。パートナーのことで。」

「どうかしましたか?」

「ボッシュと組んで、3か月経ちました。ボッシュと俺は、能力差がありすぎると、わかってたはずなのに、いっしょに任務に向かうようになって、だんだん気がかりになってきたんです。なにかあったとき、俺は、パートナーになにもできないんじゃないか、俺は必要な力に足りているのか、って。」

「確かに、あなたのパートナーは、強く、あなたにはまだ、実戦経験が足りません。

けれど、リュウ、レンジャーとして、あなたにもできることはあるでしょう。

必要とされるのを待っている者などいりません。レンジャーがすべきことは、求められる前に、手を差し出すことです。

自分の場所は、自分で捜しなさい。

悪いことではない、新米が皆通る道です。進む道は、自分で見つけなさい。」

「はい。手合わせ、ありがとうございました、隊長。」

リュウの腕がきっちりとした角度に上がり、ゼノが細長いエストックを右手に携えたまま、まっすぐに歩いてきて、壁にもたれているボッシュの横を通り過ぎた。

「こんな早朝に、めずらしいですね、リュウと手合わせをしにきたのですか?」

「もちろん、ただの見学ですよ、隊長。リュウの腕が上がれば、俺にとってもありがたい。」

「ふむ、太刀筋はそう悪くないが、一時の迷いがあるようだ。……助言といっても、なにもするつもりはないのでしょうね。」

「あれは、あきらめないよ。あいつだって、あきらめなけりゃ、そのうち強くなる。――なぜって、敵の前で逃げないやつは、強くなるか、死ぬしか選択肢がないからだ。…だろ?」

「リュウは、強くなる側だと――、そう思っているのですねボッシュ。」

「弱いパートナーなら、俺はいらない。それだけのことだ。」

ゼノはそのまま歩み去り、絶対に自分とは手合わせをしようとしない隊長の後姿を、ボッシュは、見送る。

(恥をかきたくないんだろう。)と、ボッシュはつねづね思っている。

(ま、せいぜいリュウを鍛えてくれよ、足手まといにならなきゃ、俺の手間も減るからな。)

ボッシュが背にした壁を離れて、訓練所の中へと歩いていくと、そこに残されたリュウは、手にした剣の柄のところをまだ見つめていた。

「……こう、しっくりこない感じなんだ。教わった型で斬っているのに、切っ先がそれてる気がする。動きの無駄がまだあるのに、なにか物足りないような。」

「音を聞いてみろよ。剣気の乱れや迷いは、音を聞けばわかる。自己流に引っ張られて、そっちへいきかけてるんだ。気をつけないと、我流の変な癖がつくぜ。」

「そうか。」そう、口にしつつも、まだ腑に落ちない顔つきで、リュウは何度か剣を振るまねをしていたが、ボッシュのほうに顔を向けるときにはいつもの顔に戻っていた。

「で? 俺を捜しにきてまで、なにがあるの、ボッシュ?」

「なんだよ、それは。」

「そんな顔してるよ。わくわくするような、ひやひやするような。また、なにか持ち込んできたんじゃないの? ゼノ隊長の命令…か?」

ボッシュは、リュウの相変わらずの勘のよさに、笑う。

「ちょっと違うな。ま、でもそう遠くない。ちょっと変わった特務があると、耳にしたんだ。お前、その剣の腕を試したいだろ、リュウ。おあつらえ向きだ。面白そうな話だぜ。」

「隊長は知ってる話? さっきは何も言ってなかったけど。」

「すぐに知るようになるさ。もっと上からの特務命令だ。」

 

 

「そうですね…あまり表沙汰には、したくないんです。なにしろ、まだ試作品なんでね。」

白衣を着た男は、四角張った電子ファイルを覗き込み、ページを神経質にめくって、薄暗い部屋を無駄に明滅させた。リュウは、見慣れない骨格標本のある部屋の中で落ち着かない気分でおり、ボッシュは、来客用の革張りのソファーに両腕をかけて、足を組んでいる。

「皆知ってるさ。あちこちに野放しになってるディクだって、もともとはここの試作品だったんだろ。それが逃げ出して、繁殖して、シェルターじゅうに蔓延してる。子供でも知ってる公然の秘密ってやつだ。」

リュウは、いまのこの状況を読み取れずに、はらはらとボッシュを見る。これは、いったい、どこからの命令なんだろう。

「さて、今さら何世紀も前のことを言われましても……。ですから、今回は、捜索をお願いしているわけですし。」

役所然とした対応で、男は、ずり落ちそうになる眼鏡を、几帳面に引き上げた。

「ともかくおおごとにはせず、秘密裏に捜索をお願いしたい。逃走した試作品の発見と回収が今回の任務です。私にも立場がありますのでね、上層区のえらい御方にご相談して、こうして、レンジャー組織に内密にお願いすることにしたわけです。」

男が手渡した電子ファイルを、ボッシュはぱらぱらと斜め読みし、リュウに投げてよこした。リュウが、ファイルを立ち上げると、淡い光の中に、4本足の白いディクの姿が浮かび上がってくる。口吻はとがって、全身はすらりとして、耳は小さく、体に沿って流れる真っ白な毛並みが美しい。凶暴な獣を想像していたリュウは、少し拍子抜けした。おとなしい草食獣のようにさえ、見える。リュウは、ページを最後までめくってみた。

『特記事項:軽い精神感応能力あり。詳細は別項を参照。』 ――精神感応能力?

「これが、凶暴な新型ディク……なんですか?」

「性質はそれほど凶暴ではありません。ただ、人間になれていないので、暴れると手を焼くことになるかもしれませんが。防衛本能で敵から逃げることに必死で、抵抗する可能性もあります。あいにくと、まだ調整前でね、行動が予測不可能なんです。」

「そんなことより、」とボッシュがいらいらと割り込んだ。「成功した場合の約束は、守ってくれるんだろうな。」

「それは、問題ありません。この件は、公社の上司も承認していますから。そのディクが逃走してまだ12時間、逃げ込んだ場所の推測もついています。早く見つけてくだされば、それだけあなたがたの評価もあがるというものだ。」

「余計なことは言わなくていいさ。そちらは約束を守ればいいんだ。――じゃ、行くぜ、リュウ。さっさと終わらせようぜ。」

「それは、ありがたい。」 男は心底ほっとしたように、ボッシュを見た。それは初めて男が見せた人間らしい反応だと言えた。

 立ち上がったボッシュに続いて、バイオ公社の応接室を出たリュウは、頭の中のいっぱいの疑問符をぶつけようと、ボッシュの後を追った。

「待って、ボッシュ。これは、誰からの任務なんだ? 隊長はこのこと知ってるんだね?」

「言っただろ、すぐに知ることになるって。ゼノ隊長の、その上の政府筋から、レンジャー組織に依頼が来たんだよ。まもなく隊長にも話が届く。仕事内容がちょろい割に、機密性が高いせいで、ポイントがいい任務だろ。うまみがあるから、隊長まで話が行く前に、割り込んだんだ。すぐに隊長が、俺たちを特務に指名することになってる。」

「政府って……、新型ディク一匹に、どうしてそんな機密扱いなんだ?」

「さてね。よほど繁殖力が高いか希少価値か。とりあえず、見つけて、狩ればいいんだよ、誰よりも先に見つければ万事解決さ。」

「そう簡単にいくのかな。データもなんだかあいまいだし……。」 リュウは、政府だとか、特務だとかそんな言葉を、簡単に口にするボッシュをあらためて見た。隊長に命令が下される前に、任務に割り込んだ? そんなことができるのだろうか?

「怖気づいたのかよ、リュウ。たかが実験用ディクだ、肉食獣でもない。それより、ファーストか下層の連中がかぎつけて、横流ししないかの方が心配だぜ。」

「確かに連中は耳が早いからね。怖気づいたわけじゃないけど、気になることはある。」 リュウは右腕をかざして、バイオ公社の担当者から送られたデータを透かしてみた。「ほら、ここ。『精神感応能力あり。特記事項参照。』――で、特記事項のデータが、どこにもないんだよ。」

「へぇ。精神感応能力? なんだそれ、聞いたことがないな。」

「うん。ちょっと変な感じだ。体高6メートルと、結構大きなディクだけど、それ以外にとりたてて特徴がないから、余計に。」

「ま、倒したら、どんなディクでもおんなじさ。さっさとやっちまおうぜ。」

「推定位置はどのあたり?」

「連中から、マップを受け取った。」 金髪頭に乗せているゴーグルは、暗視機能のほか、情報を検索し、目の前に投影するだけではなく、ボッシュの構築したデータベースと戦略プログラムの情報端末にもなっている。ボッシュは、額に乗せた幅のせまいゴーグルをとんとんと叩いて見せた。リュウは、中に映る光が、覗き込めるように、自分のゴーグルを首元まで引き下げた。

「西の倉庫街のほうだね。人があんまり来ない場所で、ほっとしたよ。」

「そうだな。でも、それこそ変かもな。どうして試作品をそんな場所に連れて行ったんだ? 輸送リフトもない場所だぜ?」

「うーん、いろいろと秘密がありそうだ。でも、広い倉庫とはいえ、そんなに大きなディクならすぐに見つかりそうだね。」

 

 

2.

 ささやかとはいえ、衣食住の配給が保障されている下層区には、政府管理下の倉庫街がいくつかあり、その重要度と物品の移送の利便にあわせて、レンジャー基地の東西南北、あちこちの方角に配置されている。生活必需品配給のための食糧や薬品や武器庫は、もちろん最重要警戒地区であるために、基地とリフトポートからほど近い場所にあり、レンジャーたちの警備も24時間途切れることはない。

 それというのも、食糧や薬品や武器は、下層や最下層出身者による盗賊組織の強奪から、個人的なちょろまかしまで、常に垂涎の的、犯罪の標的となっているからだ。現に、年に何度かは、倉庫街にトリニティの襲撃が起こり、レンジャーたちとの間に、派手な交戦が行われていた。そういった意味で、重要な倉庫街は、いわば”前線”に当たる場所となっている。

 それに比べ、レンジャー基地から遠い倉庫街には、衣食住といった生活必需品も、価値のある物品も保管されておらず、ときにはリサイクル不可能な粗大ゴミや有害な工業廃棄物が、ただ忘れられる時を待っているだけの場所と化している。だから、そういった倉庫街は、最下層の住民やパトロールのレンジャーでさえ、滅多に立ち寄らない死角となっていた。

 試作品のディクが逃げ出したと予想される倉庫街は、下層区とそれより下の最下層区との間にあり、基地からもっとも遠い地区にあった。これまで1度も降りたことのない梯子を降りて(そんな梯子があといくつあるんだ、とボッシュはひとりごちた)、リュウとボッシュは「X19」と書かれた巨大な扉の前に立ってそれを眺め、その扉のわきにある小さなドアをくぐった。ドアをくぐると、そこは、倉庫となったフロアからは一段高くなった踊り場で、螺旋階段を降りたところに、広大な倉庫用スペースが続いている。

 踊り場から眺める倉庫の中は、消毒用の青緑色の光が点々と灯り、少なくとも全体を見渡せるだけの明るさがある。想像以上に広く、1キロ四方はあるかと思われる空間に、最初は規則正しく並べるつもりだったらしく、手前のコンテナは通路を作るように並べられていたが、途中からなにもかも面倒くさくなったように、奥に行くほどその列は乱れていた。

 風の吹き渡る広さの中に、徐々に崩れていく青白いコンテナの列を見てとり、リュウとボッシュは一瞬黙り込んだ。

「えらく広いね。ほとんどがコンテナと、あそこにはドラム缶もある。なにが保管されてるんだろう?」

「ちっ、…ちょっと、やばい感じだな。」

自分の問いへの答えなのかとリュウが振り返ると、ボッシュは、右腕の端末をにらみつけるように見つめていた。

「ファーストの連中だ。もう聞きつけて、何人かここへ向かってるみたいだぜ。」

「この広さだから、手分けしてさがせたら、かえって助かるかも。」

「冗談じゃない。俺たちの手柄が減るじゃないか。」

 ボッシュは、リュウに向かって目配せし、リュウはうなづいた。2人は、螺旋階段を降りて、コンテナの群れの中に身を投じていく。

 下に降りてみると、思った以上にコンテナは大きく、何段にも詰まれて、壁のように2人の視界をさえぎり、その列はさながら、小さな町を思わせている。コンテナが作り出す小さな町のワンブロック先には、また迷路のようにコンテナが並べられており、その先になにがいるのかは、角を曲がってみないとわからないようなしくみだ。

「行くか。」

「あぁ。」

2人が町のように広い倉庫スペースの南側から北へと歩き出すと、まもなく、別の方角から、そちらの壁に設置されている搬入路のスライドドアが開く音が天井にこだまして聞こえてきた。

「もう、来たらしい。ファーストの連中だ。手柄を横取りしようなんて、まったく、邪公みたいな連中だぜ。」

「ひどい言い草だなぁ。でも、反対側から入ったんだったら、ここに来るまで相当時間がかかりそうだ。」

「こっちが先にディクに突き当たるといいけどな。いったい、この広い倉庫のどこにいるんだか。」

その言葉にリュウが応じようとしたとき、倉庫街いっぱいに響くような、男の叫び声がこだまして、2人の足を止めさせた。

「早いな。もう、誰かやられたらしいぜ。おい、リュウ。」 ボッシュがリュウに向かって頭を振る。

「わかってる。俺は東側から、回り込む。」 リュウは、前方数メートル先にあるコンテナが作るT字路を目指して走り、右に折れると、たちまちボッシュの視界から消えた。

 ボッシュも、すらりとレイピアを引き抜くと、リュウが右折した角を左に曲がった。

 男の悲鳴につづき、銃声や剣を打ち合う激しい音が響いてくる。それを聞きながら、ボッシュは自分の身のうちが熱を帯びるのを感じた。いつも実戦のときに訪れる、血の中が泡立つような感触だ。剣の先までが自分の指先であるかのように、相手を探り、捜し求めて、やがて相手と触れ合うことになる。そのときは、いつも名前のない感情が、強く、熱く、内側から身を焼くのだ。

 ボッシュは、その悲鳴の正体を確かめるために、足を速めた。ファーストが倒されたのなら、それは相手のディクが強く、抜け目がなく、そして幸運なことに、まだ、ボッシュの手柄が横取りされていないということにちがいない。

 複雑に入り組んだ迷路の入り口の、コンテナの角を右折すると、最初に目に飛び込んできたのは、わき腹から血を流し、コンテナの影に背を当てて、足を投げ出したファーストレンジャーの姿だった。

 ボッシュが近づき、その顔をのぞきこむと、苦しそうにうつむいていた男が、うすく目を開けた。

「おい、お前、ディクにやられたのか?」

「……いや、パートナーがいきなり狂いだしたんだ。気をつけろ。まだ、そのあたりにいるぞ……」

男が言葉を言い終わる前に、ボッシュは頭を低め、顔を上げた。まず、うなる音が、ついで、風が、まっすぐにボッシュの頭上を行き過ぎる。身を低めた姿勢から、振り向きざま、溜めていた怒気を放ち、すぐにボッシュは飛びのいた。

 ボッシュの一閃は、両手にまっすぐな双剣を振り上げて、背後から襲い掛かってきたファーストレンジャーの二の腕に触れたが、断ち落とすまでには届かなかった。ボッシュが横一文字に刻んだ、まっすぐな赤い線が、相手の腕に、すぐに現れた。けれど、そのレンジャーは声も上げず、ひるむこともなく、双剣を握り直し、間合いをとったボッシュに覆いかぶさるように、まっすぐ切りつけてきた。

 ボッシュは、左足を軸足にし、右足を振り上げて、相手の腹を回し蹴った。

 無言のまま、レンジャーはボッシュの蹴りに耐え、無機的にボッシュのうなじに左手の剣を突き刺そうとする。

 その剣を、左手の楯で防いだボッシュは、戻した右足で、逃げられないように相手の靴の甲を踏みつけ、右手のレイピアを、相手のみぞおちに深く突き刺した。

 手元までの数センチを残して、切っ先は埋まり、内臓をえぐった手ごたえはあるのに、相手の表情にまるで反応がない。

 すぐに、ボッシュはレイピアを引き抜き、ふたたびとび退さった。

 急所は外していないのに、相手はひるんでおらず、ボッシュはすぐに身構えて、内心の揺れを、息とともに整える。

(こいつ、狂ってる…? そんなもんじゃない……。)

 息も乱れず、1度も動きが鈍ることのないまま、そのレンジャーは、間合いをとることも、身を守ることもせず、剣を振るって、その勢いのままボッシュへと突進してくる。繰り出された左の剣をボッシュは、レイピアのつばに当てて思い切りはじき、相手の左腕に背を向けるように、相手のふところに入り込んだ。ついで直進してきた右の剣を、レイピアの刃の付け根で受け取ると、手首をくるりと回し、相手の剣のまわりに銀線の刃をすべらせて、下方から斜め上にある相手の喉下へと、切っ先をぐさりと突き刺した。

 今度は、いっさい手加減をしなかった。

 手首のグリップを効かせて、埋め込んだ切っ先をすぐさま右上になぎ払うと、相手の首がぐらりと揺れ、支えを失った。ようやくレンジャーの体の動きが止まる。ボッシュは、地面に倒れた死体を蹴り、それを転がして、生死を確かめると、手首の通信機を口元に当てた。

「リュウ、こっちには、死体がひとつと、怪我したファーストがひとりだ。そっちにディクはいたか?」

『いや、こっちにはなにもいない。死体って、さっきの悲鳴か!?』

「合流しろよ。」

『あぁ、すぐ行く。基地への支援要請は?』

「任せる。」

通信を切ったボッシュは、血のりのついたレイピアを振って、間もなく、リュウが来るだろう方角を見た。

 すると、十数メートル先のそこの角を曲がって、大きな白い獣が、ゆっくりと通りへと入ってきた。

 頭の高さは、コンテナ3つ分と同じくらいだから、ゆうに人間の3倍はある。

 黒く鋭い爪が覗く太短い4本の足で床を踏みしめ、獣は、リュウの来るコンテナの角を曲がって、ボッシュのいる通りへと、のっそりと歩いてきた。光を通さない、真っ白な毛並みで全身が覆われており、口吻は細くとがっていて、毛のない尾は青い鱗で覆われ、先へ行くほど、細くなっている。

 レンジャールームほどの大きさの獣が、ゆっくりとコンテナの街角を曲がり、こっちへ向かって歩いてくる、それは、とても奇妙な光景だった。なによりも、追われているはずのその獣には、怯えたようすも、あわてたようすもなく、ただまっすぐにボッシュを見つめるだけだった。

 真っ白な体をした獣の目はふちが金色をしており、瞳は一番外側が赤く、中心へ行くほど濃い紫色になる虹色をなしている。2つの虹色の輪が、ゆったりとボッシュを見つめたまま、まっすぐにこっちへ向かってくる光景に、ボッシュは言葉を失った。

「ボッシュ!」

そのとき、コンテナの角を大きく曲がって、リュウがいっさんに駆けこんできた。

「おい…!」

いまさっきディクの出てきた同じ角から通りへと駆け込み、大きな獣の体の脇を通るリュウの走行ルートに気づき、金縛りがとけたように、ボッシュがようやく声を張り上げる。けれど、リュウは、まるでなにごともないかのように、巨大な獣の横を通りすぎ、その歩く速度を追い抜いて、ボッシュのところまで駆けよってきた。

「お前、いったい、なにやってんだよ…!」

「なにって……、呼ばれたから来たんだろ。」

「ふざけるな。どこまで間抜けなんだ? あいつのすぐわきを通ったじゃないか。」

「あいつ? あいつって、なんのことだ?」

ボッシュは、ますます丸く見える相棒の黒い目を見つめ返す。

なにかが、ねじれていた。

その後ろで、大きく白い獣が、細長い尾を鞭のようにしならせ、手前の角を曲がり、コンテナの迷路へと、ゆっくりと姿を消していった。

 

 

3.

「あの化け物は、何だ?」

 ファーストレンジャーの死傷者が運び出され、倉庫街の区画が立ち入り禁止になった後、姿を消したディクの捜索を中断したリュウとボッシュは、ふたたび、バイオ公社を訪れていた。

 応対したのは、同じ研究者だが、今度は、ゼノも同席している。いつもはほとんど感情を見せないゼノが、ファーストレンジャーの被害が出たいまは、口調こそ変えないものの、陽炎が揺らぐような空気をまとって、ボッシュたちの会話に立ち会っていた。

「や、言ってませんでしたかねぇ。このディクには、微弱な精神感応能力があるんですよ。簡単に言えば、対象にした人間の精神を、操ることができるんです。いえ、たいしたことはありません。複雑な命令はできないし、有効範囲は、数百メートルと、ごく限られたものですから。」

「たいしたことないって? 操られたファーストのやつ、俺を殺そうと襲い掛かってきたんだぜ?」

ボッシュが、親指をぐいとあげて、自分を指し、ついで、隣で押し黙っているリュウへと、手首を向けた。

「その上、こいつときたら、そのディクの真横を通り過ぎても、何もいなかった、見えなかったと言い張ってる。」

「それは、かんたんに説明できます。強い暗示をかけたのでしょう。すぐそばにいる人間に、自分の姿が見えないと思い込ませる方法ですね。ささやかな防衛本能のようなものです、もともと凶暴な生き物ではありませんから。」

「そのささやかな能力のおかげで、われわれは、ひとりの貴重な戦力を失った。このようなことは、二度と我慢できませんね。」

ゼノが、口をはさんだ。いらいらとした口調だ。

「そうかもしれませんが、そのファーストレンジャーは、命令もないのに、そこへ行ったのでしょう? これは、わたしの知らないことで、いわば突発的な事故のようなものです。われわれは、その方にデータを提供する機会もありませんでしたよ。警告を出すもなにもあったもんじゃない。」

「俺たちには、どうなんだよ? 精神感応のデータを隠してたな。そのおかげで、こっちはファーストとやりあうはめになったんだ。正当防衛が認められたからいいものの、一歩間違えれば、減点処分だ。」 ボッシュの細い眉が、ぴくりと跳ね上がる。

「あなたがたには、お渡ししたデータに抜けがあったようです。あたらめて補完したデータを用意しましたから……。」 科学者が差し出したデータ送信装置を、ボッシュははたきおとした。「オイ、まさか、ほかに俺たちに隠してることは、ないんだろうな?」

「いえ、とくには。」

「もしもまだ何かあったら、今度こそ、ただではすまさないぜ。」

「やめなさい、ボッシュ。」 ゼノが右手を低く差し出して、ボッシュを制止した。

「だいたい、話はわかりました。彼らへの特務命令も、私のところへ届いています。引き続き、捜査は続けねばなりません。そのディクの精神感応能力を防ぐ方法は、ないのですか?」

「さきほど言ったように、あのディクの能力はごく限られたものです。改良すべき点なのですが、まだひとりを操るのが限界なんですよ。ファーストのお1人が死んだ後、こちらのレンジャーの方は、ディクの一番そばにいて、暗示をかけられ、何も見ていないと思い込まされた。でも、もうおひとりの、あなたにはちゃんとディクの姿が見えた。つまり、精神を操作できるのは、1人までなんです。まだ、これが、ハードルでね。どちらにも暗示をかけられるほどのパワーがあったら、ふたりともディクの姿は見えなかったはずですから。」

「あの操られたファーストレンジャー、何度斬っても、痛みを感じてないようだったぜ。」

「いったん、精神操作のためのリンクに成功すると、ディクは、その人間の脳から身体への命令系統を切ります。本人が意志を示そうとしても、ディクが切った経路に関しては、なにひとつ自分の思うようにはなりません。痛みは感じたとしても、おそらくそれを表現できなかったのでしょう。」

「……なんとかとめられなかったんでしょうか。」 黙って話を聞いていたリュウが、突然口を開いたので、みんながそちらを振り返った。

「精神操作の影響下にあるうちは、無理ですね。ディクのほうが操作対象を変えてリンクを切るか、数百メートル半径の影響の範囲外へ出てしまうか、あるいは……。」 そこで、眼鏡の男は言葉を濁した。

「あるいは、何ですか?」 男は、ずり落ちる眼鏡を何度か引き上げていたが、やがて、しぶしぶ口を開いた。

「……そう、あるいは、ディクを見つけ出して倒してしまえば、一度つながったリンクも、あるいは切れるかもしれません。」

 

 

「ボッシュ1/64」

バイオ公社の研究者と会話を終えて、部屋を出たボッシュとリュウが廊下を急ごうとしたとき、背後から、少し後に部屋を出てきたゼノの声がした。

「はい、隊長。」

ボッシュと、その横にいたリュウが同時に振り向いたが、ゼノはボッシュだけにうなずき、リュウには命令を下した。

「リュウ1/8192、先に行きなさい。」

「了解しました。」

リュウは、足を速めて、廊下を急いだ。後ろは振り返らない。ボッシュとゼノの間に、こうした密談が交わされるのは、時折あることだ。会話が気にならないと言ったら、嘘になるが、知ったところで、リュウにはどうにもできないことなのだろう。リュウは、なるべくきびきびと、廊下を曲がった。

「なんですか、隊長?」

「今回の特務ですが、あなたに直接の指名がありました。」

「知ってるさ。」

「危険レベルが高い任務です。降りることもできますよ。」

「降りる? とんでもない。特別に得点をはずむって約束だろ?」

「それは保証されています。ですが、あなたたちは、まだ実務について3か月も経っていません。ましてや、もうファーストレンジャーからひとり、犠牲者が出ている件です。」

「あれについては、正当防衛だと認められた筈だ。」

「それは、私も認めていますが、そうではなく、あなたたちにはまだ、荷が重いのではないか、と」

「俺に?」

「いえ、リュウにもです。リュウはまだ、戦闘にも慣れているとは到底いえません。高度な任務にリュウを連れていては、あなたの重荷にもなるでしょう。」

「重荷になるほど、あいつが俺になにかできるとは思えないけどな。邪魔なら、置いていくだけだ。」

「……そうですか。警告はしました。それでも、任務を続行するというのですね?」

「俺は、一日だって時間を無駄にしたくないんだよ。わかってるだろ。」

「リュウがさっきのファーストのように、手を伸ばして襲ってきたら、どうするつもりなのですか。」

「その答えを、知りたいとは思わなかったよ、隊長。――それより、ほかのファーストはどうなんだ?」

「愚問でしたね。ほかのファーストはこの件から手を退かせます。あなたの希望通りでしょう、ボッシュ1/64。」

 

4.

 ” 弱いパートナーなら、俺はいらない。それだけのことだ。 ”

 訓練所でゼノと手合わせした後に、ゼノとボッシュが短い会話を交わしたとき、ボッシュが発した言葉の中で、その言葉だけがただひとつ、リュウの耳に届いていた。

 そんなの、当然だろう、と思う。周囲をぐるりと敵意に囲まれていても、ただひとつの方向だけは、信頼していられる。相棒のいる側だけは。パートナーとは、そういうものだ。それが、どれほどの安心感を与えるか、実戦の中に身を投じなければ、わからない経験だった。もしもパートナーの力が信じられなければ、作戦も、戦い方も変わってくる。目覚めた朝、どれだけつまらないことで口喧嘩しても、戦闘中、ボッシュがいることで生み出される安心感は、いつも揺らぐものではなかった。

 けれど、ボッシュは、どうなのだろう。

 ボッシュは、エリートだし、その上、長じるまで特別に訓練を重ねてきてる。

 いったい、俺でもなにか、ボッシュにできることが、あるのだろうか。

リュウは、子どもの頃から自分が弱いなどとは、考えたことがなかったし、人から言われたこともない。けれど、それは下層街の雑多な日常の中においてであって(たとえ喧嘩が日常茶飯事の下層街の下町のただ中にあってもだ)、レンジャーという特殊組織が直面する犯罪者との戦闘場面とは、話が違う。本物の戦闘場面では、リュウのような新米はまだまだひよっこで、「邪魔にならないように、脇にどいてろ!」と言われる存在でしかない。

 そこでいきがって、前に出るやつは早く死ぬ、と先輩レンジャーは繰り返し言う。だから、臆病者だけが、レンジャーとして生き残っていくのさ、とお決まりにつづけて、先輩たち全員がどっと笑う。

 そうなのだろう、と素直にうなづく気持ちもどこかにある。でも、とリュウは、話に背を向けたパートナーを、振り返る。そんなときのボッシュは、たいてい端末を覗き込んでいるか、足をぶらぶらさせながら、武器の手入れをしているかだ。親指でつばをはじき、わずかにレイピアの刃を引き出しては、また収めて、すべりを確かめる。肝心なときに、刃がひっかかって、引き出す速度が鈍らないように。肝心なときに、指が柄の上をきちんと這うように。頭の中でなにかを考えているときも、ほとんど無意識のうちに、右手がその動きを繰り返していることがある。まるで、それが呼吸となり、思考となって、剣がボッシュの一部として息づいているかのようだ。

 宿舎の裏口の階段に腰掛けたリュウは、自分の剣の柄に手を置いてみた。この剣は、リュウが新米として配属されたとき、すでに新品ではなかった。配属が決まった日に、武器倉庫からガラガラと台車に乗せられ引き出されてきた一山の剣が、へこんだ金属のカウンターの前に無造作に並べられ、教官が新米それぞれの体型や得意分野にあわせて、次々と配っていった中古品のひとつだった。この剣の前任者はいったいどうしたんだろう?という考えが、そのとき脳裏をかすめた。そのときの一度だけだ。その後はずっとこの剣が自分になじむように、己のものになるように、と訓練を繰り返してきた。右手のグローブの親指と人差し指の間がとくに擦り切れているのは、この剣の柄にある特徴的なくぼみに、そこを引っ掛ける癖がついたからだ。

 一日の任務が終わり、報告書に勤務外時間を削られて、体中が殻のように固くなり、心がその中で泥のように眠りかけているいまも、こうして、宿舎のバックヤードに出る裏口に腰掛けて、リュウは、剣を抜くその動きを繰り返していた。こんなことをしても、相棒との圧倒的な力の差は埋められないと、どこかで分かってはいても。

 カシン、カシン、という音が、元は裏庭だったスペースのコンクリートの塀に、垂直に跳ね返って、リュウのところへと戻ってくる。無心に繰り返しているうち、ふと気づくと、背後のドアが開いて、黄色い光でできた四角と、その真ん中に扉に手をかけた影が、リュウの前のすりきれた敷石の上に落ちていた。

「なにやってんの、お前?」

リュウは、前を向いたまま、パチン、と剣を閉じた。振り返りそうになる自分を、しっかりと、抑える。

「捜しにきたのか?」

「どこ行ったのかと思ったぜ。明日の作戦の再確認をするぞ。」

赤錆のふくらんだ、細い金属の手すりに手をかける音に続き、ボッシュの革のブーツがきしむ音がした。ボッシュは珍しく、上層区製のアルコール飲料の瓶を片手に持っていて、リュウの横に腰掛けた。シャワーを浴びたあとに、どうやら開けたらしい。リュウは、まだほのかに湿っているボッシュの差し出した腕から、レーザー光で直接データを受け取ると、立ち上がりもせずに、そのままそれを目の前にかかげて、室内からの灯りに透かして見た。

「…オイ、お前、今日のアレ、だいじょうぶか? しっかりしてくれよ、失敗はありえないからな。」

「結局、明日は俺たちに一任されることになったんだ?」

「苦労したぜ。ディクの居場所が確認できたから、ディクを目撃した俺たちにあと一度だけチャンスが与えられることになった。最初の3時間は、ファーストの邪魔も、いっさい入らない。俺たちだけが狩るんだ。」

「作戦は理解したけど、腑に落ちないことがある。」

「なんだよ?」

「白い霧の中に入ってしまったような、あの感じ……。正直言って、俺は自分が感応操作を受けたなんて、思いもしなかった。間際にそいつがいたのに、本当に見た記憶がないんだ。そんなことって、ありうるんだろうか?」

「あんな馬鹿でっかい化け物が、見えないなんてな。どこに目玉がついてるんだ、って話だぜ。

精神感応能力――だっけ。

深い催眠と同じように、強い暗示にかけられた状態だそうだ。

見えているものを見ていないと思い込ませたり、味方を敵だと思わせたり。

でも、それも、問題ない。言ってただろ? やつは1人しか、標的にできない。」

「催眠なんてさ……そんなディクを、公社はどうして開発してるんだ?」

「ふ、ん。」ボッシュが、楽しそうな目で、バックヤードを透いて見て、リュウの隣の階段に腰を下ろしたまま、手にした瓶を一口あおる。

「わからないでもないな。人心を思うまま操作できたら、さぞかし面白いだろうぜ。」 リュウは、隣に腰掛けたボッシュを振り向いた。壁際に並べられたスクラップは、奇妙な影をレンガの上に落として沈黙している。

「あの程度の試作品じゃ、全然使い物になるレベルじゃないが、それでも、極秘事項扱いになる理由は、たっぷりありそうだ。きなくさいぜ。今回の特務にボーナスがついた理由も、おしてしるべしってこと。」

「でも、心を操るなんて、いったい、なんのためにだ?」

「暴動の鎮圧、凶悪犯の制圧、反政府組織の自白用、口実はなんとでも言えるさ。そんなものを使わなくても、統治できる自信がないのか、いや、あればあったで便利な代物だ。統治者に反抗する連中なんて、いないほうが双方にとって幸せだからな。」

「そうまでして、誰かを、思うままにしたいと思うんだろうか……?」

「そりゃあ、な。お前は、思わないのかよ?」

リュウは、左手で鞘を押さえ、右手で一気に剣を引き抜いた。白刃を追う風の音が、壁に複雑に跳ね返って戻ってくるのを、頬づえをつきながら、ボッシュがにやついて見ている。

「俺は、必要ない。操らなくても、手を伸ばせば届く、と思いたい。」

けれど、現実は思いを裏切り、実際には、ボッシュは、こんなに近くにいるのに、触れたことさえあるのに、自分がふさわしいかどうかもわからなくて、思うように手が届かない。

そばにいると言い切る、その力と自信のない自分が、ふがいなかった。

リュウは、大事な一言さえ、まだボッシュに伝えていない。

「まだ、わずかに遅れてる。音が乱れてるだろ。その腕じゃ、まだまだだな。」

「そうか……ボッシュ、今度、訓練に付き合ってほしい。太刀筋を見て欲しいんだ。」

「調子に乗るなリュウ。訓練くらい、勝手にやれよ。」

ボッシュが持ち上げようとした、表面にまだ水滴のついたのみさしの瓶を、リュウは、ふてくされて奪い取った。

 

 

5.

 翌朝になり、基地で実戦装備を整えた2人は、まず、隊長室へと向かった。ガムテープで補修されたブラインドを指ではじき、いつもと同じように、毛筋ほども乱れのないゼノが、振り返って、2人を迎える。

「おはよう2人とも。本日の特務内容を、復唱しなさい。」

「作戦メンバー、ボッシュ1/64、リュウ1/8192の2名、9:00に作戦開始。作戦内容は、X19地区倉庫街における、特殊ディクの保護。作戦終了予定時間、12:00ちょうど。それまでは、二名のみで任務に当たり、終了予定時刻を過ぎると、ファーストレンジャーによる特別チーム突入が予定されています。」 ボッシュが、敬礼の構えをとかないまま、すらすらと口にする。

「わかっていると思いますが、バイオ公社は、この件を公にすることを望んでいません。特別チーム編成の要請にさえ、渋い顔をしています。

ですが、今回は、あの倉庫の気密性が悪いために、対ディク用の神経ガスは使用できません。もしものときの援護要請には、催涙ガスが使用されますから、そのつもりでいるように。」

ボッシュがうんざりした視線を、リュウにちらと向ける。

「今朝支給されたディク捕獲用の麻酔銃は受け取りましたか?」

「はい隊長。しかし撃ち込んでから、効き目があるまでに30秒はかかるとか。」

「即効性の薬物は、ディクの命に関わります。この特殊ディクは、非常に稀少なものです。公社は、生け捕りを希望しています。」

「努力します。」

「危険がある場合は、終了予定時刻を待たずに、撤退すること。すぐにだ。わかりましたね?」

「了解!」

2人は、かかとを踏み鳴らし、ゼノとの会話を終えた。

「珍しいね、隊長があんなこと、付け加えるなんてさ。」

昨日2人があのディクと出くわした倉庫街へ向かう途中で、リュウが首をかしげる。

「俺たちがさっさと特務を片付けるのが、内心面白くないんだろ。隊長の上を跳び越してきた命令だからな。俺たちが先にやるって説得するのに、さんざん苦労したんだぜ? 隊長じきじきの編成チームを指揮して、公社に貸しを作りたいのかもな。」 きびきびと歩きながら、ボッシュが答える。張り切っているのが、リュウにも感じられた。

「それは、わからないけど……。でも確かに、変なディクだから、場合によっては隊長の言うとおり、撤退したほうがいい気がするんだ。」

「オイオイ、また心配性かよリュウ? 俺を心配する必要がどこにあるって?」

「それは、たくさんあるけど……、」とリュウは笑って、話題をそらした。「そういえば、ボッシュってディク飼ったこと、あったっけ?」

「なんだよ突然。愛玩用のやつか?」

「そうでなくても、さ。俺は、小さいとき、施設の裏庭で食用のナゲットを飼ってた。金網で小屋を作って……、でも一匹ずつ夜中に誰かがさらっていく事件が起こって、木の棒持って毛布をひっかぶって、ナゲット泥棒を夜中に見張ったっけ。」

「そういえば……、」ボッシュの目が遠くなった。「子供のころ、屋敷の隅の飼育小屋にもぐり込んだことがあったな。」

「へぇ。」

「中に、こんなに小さなディクがいたんだ、手なづけようとして、餌を投げたり、名前をつけたりしたぜ。」

「それで?」

「戦闘用ディクだったんだ。あとでわかった。それだけさ。」

ボッシュは、ホルスターに収めていた黒い銃を取り出した。スライドさせて、充填した麻酔弾を確かめる。

「ライフルじゃないんだね。てっきり狙撃用が支給されたのかと思ってた……。」

「そこが連中の間の抜けたところさ。そうでもなきゃ、あんな馬鹿でかいディクが、そうそう逃げ出せるはずもないぜ。」

「確かにね。どうしてあんなディクが逃げ出したんだろう、それもどうやってこんな倉庫に逃げ込んだんだ? って不思議だったんだ。

手渡されたデータから、ディクの特徴の情報も抜けてたし、まだ、いろいろと不手際がありそうだ。」

「なんでもいいさ。特務を片付けて、こちらにうまみがあるなら、何度逃がそうが、いくらでも確保してやる。」

 そんな会話を交わしながら、ふたりが扉の前に立った例の倉庫のまわりには、数名のセカンドレンジャーが先んじて、すでに見張りに立っている。

 レンジャーたちの視線が自分に集まるのを、完全に無視し、倉庫の巨大な扉の前に進んだボッシュが、手のひらをドア横にあるパネルにたたき付けた。大きな音をたてて、扉が開き、ボッシュとリュウは、ふたたび倉庫の中へと進んだ。ボッシュの計画した通り、広大な倉庫の中には、2人のほかには誰の姿もない。もう一度、大きな音を立てて、背後で扉が閉まり、見張りのセカンドたちとリュウたちの間を隔て、広大な倉庫の中は、リュウとボッシュの2人だけになった。ボッシュが、腕の端末に、ちらりと目を走らせる。

「さて、残り時間は178分。もう一度、さがすだけでも一苦労だぜ、リュウ。計画は覚えてるだろうな。」

「まず、ボッシュは西、俺は東から捜索を開始、30分後に中央で合流する。」

「いいか、ディクの姿を捜すんじゃない。あれだけ大型のディクが隠れる場所があるかを、しらみつぶしにしていくんだ。」

「OK、上方から撮影したコンテナの配置と、不自然に違う箇所がないか、確かめればいいんだね。それじゃ、中央の合流地点で!」

 リュウは、身軽に、低めのコンテナを飛び越えて、駆け出していった。

 それを見送ったボッシュは、ゆっくりと西側の壁際まで歩いて、そこで腰のパウチから、自走式のカメラを取り出した。タバコ一箱分くらいの大きさのその機械は、ボッシュの手を離れるとすぐに、倉庫の金属の壁を這い登り、天井から吊るされた白いパイプに沿って、パイプの表面にぶら下がり、走り始める。ボッシュの手首の端末には、天井を移動するカメラから、その真下の画像がリアルタイムで送られてきていて、うつむく自分の頭が、いま画像の左隅にしっかりと写っている。

 ボッシュは、レイピアを右手にぶら下げ、積み上げられたコンテナの作る細い路地を、大またに歩き出した。自走式のカメラは、ボッシュの動きを真上から監視し、その周囲十数メートルの範囲を上方から撮影し、リアルタイムの映像をボッシュの手首の端末へと、刻一刻と送ってくる。数百メートル離れた東の端にいるリュウの姿は、いまはその映像にもちらりとも写らない。

 ボッシュは命令を送り、天井の自走式カメラを、数メートル走らせた。とはいえ、あまりに離れすぎてはまずい。ボッシュが自分の目で見る光景と、上空からカメラの撮影する映像を頭の中で比較することが、なにより重要なのだ。

 もともと人間の視覚には、「盲点」という場所がある。目の構造上、視野の中で、どうしても見ることができない一点が生じてしまう。その「盲点」の位置にある対象は、目には見えないが、頭をほんの少しずらしてみれば、対象はふたたび視界に入ってくる。視点をずらせば、見えるということだ。

 真横にいる巨大なディクが見えなかったリュウのケースを考えれば、このディクの能力は、人間の目ではなく、脳に働きかけて、不自然な「心理的盲点」を作り出しているようなものじゃないか、とボッシュは考えた。

 そうだとすれば、もしも精神感応とやらに影響を受けて、目の前にいるディクが見えない「心理的盲点」が生まれたとしても、別方向から撮影した映像にまで、影響が及ぶことは考えにくい。つまり、すぐ隣にいるディクが、まったく見えない心理状況に陥っていても、カメラが別角度から撮った映像に写しこまれたディクは、本人にも確認できるのではないか、それが、バイオ公社からのデータを読み込んだボッシュが出した結論だった。

 自分のすぐそばにいるディクが見えない場合、最悪のときは天井のカメラからの映像を見て、闘うことになるのかもしれないが、ディクが精神感応の影響を与えることができる人数は、たったの1人。もう1人には、「心理的盲点」は生じないから、連絡を受けたパートナーがかけつければ、いずれにせよ、問題は解決するはずだった。

 ボッシュは、左手首の端末に映る真上からの映像と、目の前に現実にあるコンテナの構成を確かめながら、西側の壁から中央へ向かって慎重に進んでいく。ボッシュが操作する自走式のカメラが発する、ジーッという小さな機械音が、上方からわずかに聞こえてくるだけで、コンテナの群れはひっそりと黙り込んでいる。

 3つ目の通りを左に曲がったとき、ボッシュは最初気にも留めずに通り過ぎ、やがてピタリと足を止めた。行き過ぎた区画を振り返ると、上方の機械音も、それに合わせて、停止する。

 ボッシュは、いま自分が通ってきた、コンテナとコンテナの作るせまい路地を、振り返って見ていた。さっき通ったときは左手、振り返ったいまは右手に、人には通れないが、ふたつのコンテナの間に隙間があったはずだ。

 2メートル四方くらいのコンテナが一列、通りにそって整然と並べられており、積み重ねられた高さは4メートルほどだろうか。横に並べられたコンテナとコンテナの間に30センチほどの隙間があり、その隙間を通して、向こう側の通りの光が明るく見えた。

 ボッシュは、もう一度、手首の端末に映りこんだ天井からの映像を確かめた。

 コンテナの前に立つボッシュの金色の頭頂部が、映像の中に映りこんでいる。そのボッシュの見ている方向には、天井に届くほど高く、大量のコンテナが折り重なり、放射状にびっしりと積まれたようすが映っていた。まるで周囲のものをかきあつめて、大慌てで作った、なにかの巣のようにも見えた。

 けれど、目の前にある風景に視線を戻すと、ほかの通りと同じ、二段のコンテナが整然と並んでいて、ご丁寧に、向こうの通りが透けて見える隙間までがはっきりと再現されている。目の前のその光景は、とてもフェイクとは思えない、完璧なものに感じられた。

 ボッシュは、そのふたつの景色のずれに気づいて、にやりと笑った。しかし、突然、見ていた風景が急にすぼまったかと思うと、目の前が暗くなり、ついで闇の中にいくつもの明るい光の輪が生じて、立ちすくむボッシュをすっぽりと包み込んだ。

 

 

6.

 気がつくと、ボッシュは、白い世界のただ中にいた。(しまった、やられた。)、という思いが、最初にボッシュを襲ってきた。

 けれど、ボッシュは、すぐに思い直した。

(いったい、なにが、「しまった」なんだ……?)

周囲すべてが、ミルクを溶かしたように純白で、真っ白い膜に囲まれているようだ。

そのただ中に、ボッシュは立っていた。

白い世界には、重さも、影もなく、ボッシュはすぐに方角を見失った。

どちらへ行けばよいのかさえ、わからない。

ボッシュは、じんわりと汗がにじみ始めた右手で、しっかりとレイピアを握りなおし、その場でぐるぐると回転し、全部の方位を見回した。

と、突然、煙幕のように濃い霧の中から、見知らぬ男の肩口から腕だけが、ぬっと現れ、その腕の先に握った長剣で、ボッシュに斬りつけてきた。

慣れた反応で、ボッシュは、するりと身をかわし、相手の腕の付け根を、レイピアでじぐざぐに切り裂いた。

すると、かき消すように、男の腕は消え、今度は、背後から、襲いかかる殺気を感じて、振り返る。

また、違う男の腕が、大きな斧を、ボッシュに向かって、振り下ろすところだった。

振り返る勢いのまま、ボッシュが肩口の急所をつくと、やはり、霧の中に、溶けるように消えた。

そして、また。乳白色の水の底から浮かび上がるように、倒した男の後ろから、太刀を持った男の腕が現れて、ボッシュに襲い掛かる。

(痛めつけられる。やらなくては。闘わなくては。)

白いベールの向こうから、次々と現れる腕を薙ぎながら、歯を食いしばり、ボッシュは走り出した。

最後に心に浮かんだのは、誰かは思い出せないが、自分が別な誰かを待っていたのではないか、という鮮烈な思いだった。

 

 

 リュウは、東側からひとつひとつ、コンテナをチェックしていった。昨日は気づかぬうちに、一度自分がディクの精神操作に陥って、すぐそばにいたディクを見逃してしまった。

 そのときのことを思い出すと、まるで夢の中にいるような気分に襲われる。まるで白い霧のベールの中にすっぽりとはまってしまったような、生ぬるく、甘い印象だけが記憶に残っている。

 リュウは、頭を振って、目の前にあるコンテナに、また、カツンと剣の先をぶつけた。もしも、目に見えないよう、精神操作されていたとしても、じかに触れないわけはないだろう、と考えて、ひとつひとつ、コンテナを叩いてきた。

 これまでのところ、昨日のようなことは、ないと思いたい。なにしろ体長数メートルもある巨大なディクなのだ。ひとつやふたつのコンテナの陰には、身を隠せないはずで、コンテナがたくさん寄り集まった部分のどこかに隠れているに違いない。いくら広い倉庫街といえど、こうしてしらみつぶしにしていけば、ディクが隠れている場所はいくつかにしぼられていくはずだった。

 ひとつひとつのコンテナを調べ、中央に近づくにつれ、次第に核心に近づく、じりじりした気持ちのほうが大きくなっていく。

 だから、合流予定地をはさんだ、通りの向こうに、金髪の相棒の姿を認めたとき、リュウは、少しだけ、息がつけるような心地がした。すらりとのびた手足をした相棒は、リュウのいる場所からおよそ10メートル先、右手に抜き身のレイピアをぶら下げて、こちらへゆっくりと向かってくる。

「ボッシュ…!」

相棒の無事にほっとして、思わず2、3歩駆け寄ったリュウは、だが、そこで歩みを止めた。

ボッシュは、変わらぬ調子で、すたすたと、歩いてくる。けれども、ボッシュの瞳の上には、外側が赤で、中心が深い紫の、虹色の膜がかかっているようだ。

「ボッシュ!!」

リュウは、半信半疑ながら、こっちへ向かう相棒との間合いを取って、右手のコンテナの方へと駆け寄った。

「……。」

無言のまま、ボッシュはリュウの行方を追って、走り出し、コンテナの山に足をかけたリュウ目がけて、思い切り、右腕を振った。

ザクリ。

あの細いレイピアで、どうしてそんなことができるのか、リュウのいた場所にあった金属のコンテナに、銀糸の刃が食い込む。

「ボッシュ、どうしてだ。目を覚ませよ!!」

すんでのところで、コンテナの上に登りつき、身軽に身を引き上げたリュウの声を、ボッシュが無言で見上げた。間近で見る瞳は、虹色のコンタクトレンズをはめこんだようで、針の穴のように細く丸くなった中心に、点のようにボッシュ本来の青い瞳の色が見えている。

「ボッシュ!!」

ひっかかった刃先を引き抜き、レイピアの刃を下にして逆に持ち変えると、ボッシュは、リュウが上にいるコンテナに手をかけて、登り始めた。声をかけても自分の居場所を知らせるだけだ、と気づいたリュウは、あわてて頭を引っ込め、身をかがめて、コンテナの上を走り出した。

(ボッシュとやりあうなんてできない。いったい、どこへ逃げればいいんだ? 外か?)

リュウは、自分たちの入ってきた扉の方を見た。コンテナが作る中央の大通りを先んじて走り、もしも追いつかれなければ、先に出て、扉を閉めてしまうこともできるだろう。

けれど、そんなことをしたら、この倉庫の中に、得体の知れないディクと、ボッシュだけを閉じ込めてしまうことになってしまう。

(なにか、ほかに方法はないだろうか……?)

リュウは、頭をくるりと反対に向けると、入り口の扉に背を向けて、複雑な迷路のような、広大な倉庫の奥の方へと入りこんでいった。

 

 

「ボッシュ1/64、応答しなさい。」

指令室に、ゼノの冷静な声が響く。だが、返って来るのは、サー、っといったホワイトノイズだけだ。

ゼノは、背後に控えていたファーストレンジャーを振り返り、レンジャーは、パチリとスイッチを入れ替えた。

「……リュウ1/8192、聞こえるか。繰り返す、リュウ1/8192。」

「どうですか?」

「いえ。ボッシュ1/64の方は通じてはいても応答せず、リュウ1/8192の方は、どうやら無線を切っているようです。」

「そうですか。残り時間は?」

「約束された時間までは、まだ2時間残っています。」

「そんなには、もちませんね。ファーストの部隊の突入準備をさせなさい。」

「了解。すぐに入りますか?」

ゼノは、そこで初めて、表情を変えた。部下であるファーストもあまり見たことのない、苦々しいようにも、忌々しいようにも見える表情だ。

「……約束があります。だが、あと20分だけ、それがわれわれの待てる限界です。20分後に、催涙ガスを打ち込み、突入の命令を。全員に徹底しなさい――手向かうかもしれません。特殊ディクに加えて、サードレンジャーも、確保するようにと。」

 

(後編へ続く)


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
1
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択