No.307496

黒髪の勇者 第一話

レイジさん

オリジナル作品です。
戦記物・ファンタジー物・学園物になる予定です。

よろしくお願いします。

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2011-09-25 20:16:02 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1170   閲覧ユーザー数:1120

プロローグ 日本

 

 凛とした髪を、風がなぜた。近付いているという台風の影響だろうか、普段よりも風が、幾分と強い。木の葉が風に巻き上げられ、幹がまるでざわめくように揺れる。き、と唇を噛み締めて彼は、青木詩音は手にした木刀を真上に振り上げた。ぴたり、と上空で、揺さぶり騒がせようと懸命に吹き荒む風を、まるで感じていないように微動すらさせず木刀を固定したまま、詩音は視る。刀の軌道を、切るべき存在を。確かに詩音の目の前には物質は存在してはいない。だが、それが何だというのだろう。ただ、心のままに。

 斬る。

 決意を込めて瞳を見開いたまま、詩音は半歩踏み込むと、ただ一文字、寸分も狂いなく自身の木真正面へと木刀を振り下ろした。風を切る、鋭い音が鈍く響き渡る。重力に任せて落ちる直前に力を引き絞った木刀は詩音の欲したとおり、自身の真正面、正眼の位置にぴたりと収まった。そこで漸く、詩音は一息を付く。斬る瞬間は呼吸を忘れる。緊張に萎縮した肺は詩音の一息で役目を思い出したのだろう。懸命に不足している酸素を補充し、全身へと流してゆく。その感覚をもう一度、呼吸を整えながら感じた詩音は、背後から見つめる視線に気付いてゆっくりと振り返った。

 「わ、なんで気付いたの!」

 詩音の視界に入った同年代の少女は、詩音が振り返った直後にほんの少し、楽しむようにその表情を苦笑させた。詩音の幼馴染である、北村真理である。手に巾着袋を掴んでいるところを見ると丁度稽古の帰りなのだろう。

 「気配がばればれだ。」

 拍子抜けしたように詩音はそういうと、木刀を右手に持って、そのまま右肩にとん、と乗せた。

 「隠したつもりなんだけどなぁ。」

 悔しげに真理はそう言いうと、遠慮せず気楽な足取りで詩音へと近付いてくる。ふわり、とポニーテルにした髪が風に吹かれた。彼女が自然に制服の裾を押さえたのは、幼馴染とはいえ下着姿を簡単には見せないぞ、という意思表示なのだろう。

 「付き合いが長いからな。お前が近付いてきたらすぐに分かる。」

 「流石、日本一の腕前のお方は違うね。」

 にこやかに微笑みながら真理は詩音の隣にしゃがみこんだ。そのまま綺麗な指先を伸ばして、土に置かれた詩音の巾着袋に人差し指だけで可愛らしく触れる。

 「運が良かっただけさ。」

 わざとらしくそっぽを向きながら、詩音はそう言った。自身の実力を必要以上に誇示する性格を彼は持ち合わせてはいない。そのストイックな態度こそ、彼の実力を押し上げた原動力でもあるのだろう。

 「いつの間にか、随分差が付いちゃったね。」

 惜しむように、真理はそう言った。上目遣いに詩音を見上げながら、大きめの形の良い瞳が詩音を見つめている。ぽつぽつと自宅の明かりが点灯し始めた街並と、悠々と流れる多摩川の流れに視線を逸らしながら詩音は参ったな、とう様子で軽く頭をかいた。

 「昔は同じくらいだったのにね。」

 がたん、ごとん、と少し離れた鉄橋を列車が走る。帰宅途中のサラリーマンで埋められた車内が、急かされるような勢いで走り去ってゆく。

 「真理も、十分に強いよ。」

 列車が走り去り、無回答の時間が終わりを迎えたことを意識した詩音は、それでもどう答えたらよいか分からずに、漸くそう答えた。

 「ありがと、詩音。」

 に、と満足するように真理は笑い、そして柔らかく立ち上がった。汗の匂いを隠すためだろうか、心地の良いコロンの香りが詩音の鼻腔をくすぐった。昔はこんなものは付けていなかったのに、と詩音は考えた。年頃の少女ともなれば誰でもそのくらいの気遣いはするのだろうか。

 「そろそろ、帰ろうか。」

 やがて真理はゆっくりと膝を伸ばして立ち上がると、詩音を促すようにそう言った。日はもう暮れかかっている。風は先程よりも幾分、強くなっている様子だった。台風が、確実に近付いているのだろう。

 

 詩音が剣道を始めたきっかけは、自身の意思というよりは彼の生まれた家庭環境が大いに影響していた、と言えるだろう。本家からは離れているとはいえ、系譜を辿れば幕末の剣豪に辿り着く彼の家庭においては剣の道へと進むことはごく自然のことであった。初めて竹刀を握ったのはいつの頃か。少なくとも、彼が物心つく頃には既に剣を握り、簡単な素振りを始めていたはずである。その彼が通う道場は自宅から徒歩でいける程度の場所に位置していた。祖父と叔父がそれぞれ師範と師範代を勤める、伝統のある道場である。戦後に立ち上げられた道場ではなく、戦前、否、幕末の頃より存在していると言われている道場であった。その関係もあるのだろう、詩音が身に付けた剣術は通常の剣道とは異なるより実践的なもの、即ち人を斬るための剣術であった。無論、現代日本において真剣の所有は困難であったし、実際に人を斬る機会などあろうはずもなかったから、せめて自身に緊迫感を与えるために、とばかりに詩音は常に木刀を身につけていた。地元の不良どもも詩音に対して距離を置いているのは、彼の剣に懲らしめられた人間が多数存在していたからに他ならない。

 その詩音の興味は剣術だけに収まらず、いつしか現代兵器に及ぶ幅広い興味を抱くようになっていた。叔父が時折、自衛隊の剣術指導に赴いていることも関係していただろう。将来は警官か、自衛官か。或いはかつて剣道大会で優勝した経歴を生かして自ら道場を開くか。そんなことをぼんやりと考えながら、詩音はただ、剣を振るっていた。未だ十七歳という、高校生真っ盛りである彼の年齢からすれば、相当に芯のできた人間だとも言えるだろう。

 「ありがと、詩音。」

 台風だからと真理の家まで送った時、真理は嬉しそうに頬を緩めながらそう言った。

 「うん。」

 特に、他意があった訳ではない。ただ、時折詩音は不安を覚えるのだ。真理は強い。まだ小学生の頃、内気だった彼女を鍛えたいという両親の意思で剣術の道に放り込まれた真理は今や、道場を代表すると言っても過言ではない程度の実力を誇っている。だが、それでも詩音は未だに忘れられない。練習が辛いと泣いていた、かつての幼い真理の姿を。だから、こうして、少し過保護とも思える態度で真理に対して接しているのである。

 「また、明日ね。」

 真理はそう言って、自宅の玄関へと入っていった。何処にでもある、木造二階建ての一軒屋の扉に彼女の姿を見送ってから、詩音は再び歩き出した。

 もう一度、風が荒ぶ。見上げると、すっかりと暗闇に包まれた上空にびっしりと重たい雲が覆い被さっていた。街灯の光に照らされて淡く浮かぶ暗雲を見上げて、詩音は少し急ごう、と家路への歩みを強めた。

 それから数分後、ぽつり、と大粒の雨が詩音の額を強く打った。降って来た、詩音がそう考えた直後、もう一度、先程よりも強い風が詩音の身体を襲った。それと共に、強烈な雨が周囲を飲み込んでゆく。激しい音。まるで人を殺しにかかるような強い雨が詩音の身体を痛めつけ始めた。しまった、と詩音は考え、ひとまずはと歩みを走りに変えて家路を急ぐ。髪が、服が、鞄が、巾着袋が瞬時に水ばかりに染まる。まるでプールの中に飛び込んだかのような水が、文字通り滝の如く天空から降り注いでくる。真理の家から詩音の家はそれなりに離れていた。普通に歩けば二十分は優にかかるだろう。残念なことに、近くに雨宿りが出来そうな場所もない。せめてコンビニでもあれば、ビニール傘程度は調達できるだろうけれど。

 詩音がそう考えた時。

 妙な光が、詩音の視界を刺した。

 明らかに街灯の光ではない。不思議な光に雨を忘れて詩音は見た。その場所は神社の奥。昔からある、小規模ではあるが古びた神社である。光は、神社の奥から漏れてきている様子であった。その光に興味を抱いたということと、神社であれば雨宿り程度は可能だろう、という判断から、詩音は方向を変えて境内へと向かって駆け出した。

 光を、より強く感じる。場所は境内の裏か。雨宿りの目的を果たすには自分はもう濡れすぎている。詩音はそう考えると、思い切って境内の裏へと向かうことにした。駆けていた脚は止め、慎重に、用心しながら。

 それは表現に困惑する物体であった。淡く輝く、光の渦。光源も無く、それ自体が輝いているように見える。霧がもし自身で発光する能力を身に付けたとしたら、このような輝きを見せるのだろうか。詩音はそう考えながら、軽く、その光に向かって指を伸ばした。ぽん、と、まるで柔らかなクッションにでも触れたかのような反発が指先に伝わる。質量があるのか、と詩音は驚き、もう少し観察をしようと、興味のままに身体を近付けた。

 そして。

 

 飲み込まれた。

 

 言葉を発する間もなく詩音は光の霧に飲み込まれた。それまで見ていた境内の風景は消え去り、残るのは光の回廊とも言うべきぼんやりとした輝きばかり。足元の感覚は既に無くなっているにも関わらず、落下している感覚もない。ただ、浮かぶような、強い力に流されるような、そんな感覚ばかりが詩音を包み込んだ。

 「一体、どうなっている・・。」

 滅多に恐怖を覚えない詩音ですらも、得体の知れぬ物体に対して恐怖を覚えた。戻らなければならない、と残された理性で考えて、後ろを振り向く。しかし。

 後ろを見ても、見えるものは光の霧で覆われた、何もない空間だけであった。

 「な・・。」

 言葉を失い、詩音はただ恐怖に身体を振るわせた。何かの感覚を欲して掴んだ先には、硬質な感覚を間接的に伝える木刀袋があった。大丈夫、剣さえあれば、どうにでもなる。

 詩音は不安を無理に引き剥がすようにそう考えると、一度深く、呼吸を整えた。根拠の無い安堵感ではあったが、それだけでも詩音の理性を冷静に留めるには十分であったのである。

 直後、詩音の身体が反転した。身体が引き裂かれるような、押しつぶされるような、転がされるような、得も知れぬ強烈な不快感が詩音を包み込み、彼の身体を弄ぶように揺さぶり始めた。強烈な重力と強い吐き気を感じたことを最後に、詩音はその意識を一度、途切れさせた。

 


 
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