No.27593

 告 白 

サイトにのせた短編小説です

2008-08-29 17:30:39 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:937   閲覧ユーザー数:891

  『 告 白 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この手紙が貴方に届くことは無いでしょう

 

 

 

 

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いとしい御方へ

 

 

 

 

わたくし嘘をついておりました。

許していただこうだなんて欠片も思っておりません。

只々、事情を知らない貴方がお気の毒で、申し訳なくて。

わたくしひとりの胸の内に仕舞って置くことはどうにも出来そうにありませんから、こうしてこの手紙にひっそりとしたためておこうと思います。

 

 

 

又従姉妹のヘンリエッタをご存じでしょうか。

わたくしよりふたつ年上で、ビロードのような光沢のある黒髪に、鉛色の知的な双眸がとても印象的なひとです。

両親同士の仲がよろしかったせいもあり、わたくしと彼女は幼いころからよく互いの家を行き来しておりました。

 

ヘンリエッタは生来好奇心の強いひとでした。

彼女はしばしば、「探検」と称して半ば強引にわたくしを外の世界へと連れ出しました。

時には立ち入りが禁じられている場所へ忍び込むことさえありました。

そんな場所のひとつ、町はずれの時計台――もう長いこと使われておらず、誰からも見向きもされず忘れ去られている古びたその時計台を、彼女は「隠れ家」と呼んでいました。

内気で引っ込み思案だったわたくしは、はじめは彼女の奇特な行動の数々にいささか戸惑い、実のところある種の恐怖さえも感じておりました。

しかし付き合ってゆくうちに、次第に彼女の屈託のない快活さ、一途さ、ハッとするようなひらめきと知性にどうしようもなく惹かれている自分に気がついたのです。

 

その後、父の事業の関係でわたくしが故郷を離れても、彼女との友愛はさめることはありませんでした。

わたくしたちは文通をしながら、お互いの身の回りのことを報告しあいました。

彼女への色あせぬ愛情を示すために、普段のわたくしならばとても口にできないような過激な言い回しもいたしました。

それにこたえるかのように、彼女もしばしばわたくしに関する情熱的な詩歌を添えて寄越すようになりました。

たとえ身体は遠く離れていても、その柔軟で知的な文体、インクと紙の香りから、わたくしは彼女の息遣いや、ペンを走らせる滑らかな指の動き、人の心にすっと浸透するあの強く柔らかな視線を、完璧に思い描くことができたのです。

 

文通を始めて5年が経とうとしていました。

その日もいつものように、彼女から手紙が届きました。

封を切り、まるで詩集でも読むような心持で彼女の文書を味わっておりました。

ところが、とある一節に差し掛かったところで、はからずもわたくしの眼は釘付けとなりました。

驚くべきことに、そこには彼女の結婚の報告が記されていたのです!

 

わたくしは手紙を握りしめたまま、その場にへたり込んでしまいました。

膝ががくがくと震え、背中を嫌な汗が伝いました。

立ち上がろうとしても、脚に力が入りません。

 

聡明なヘンリエッタが、あの自由で伸びやかなひとが、どこかの殿方のものになってしまう。

わたくしにはそのことがどうしても許せませんでした。

ヘンリエッタの結婚は、まるで野に棲む鳥の自由な翼をむしり取って鉄の檻に繋ぐような、非道で愚かしい行為に思えてならなかったのです。

 

わたくしは彼女に抗議の手紙を送りました。

わたくしがどれほどヘンリエッタを愛し尊敬しているかということ、そんな彼女が家庭という檻に囚われるなど耐えられないということ、どうかもう一度考え直して欲しいという旨を、必死に訴えたのです。

ほどなくして、彼女から返事が届きました。

そこには、この縁談は家同士のあいだで決められたことで彼女の意志ではどうすることもできないということ、心はいつでも自由であるということ、そして彼女もわたくしのことを憎からず思ってくれているのだということが書かれておりました。

 

わたくしは泣きました。

彼女の身の上も気の毒でしたし、なにより自分の無力さに腹が立ちました。

絶望したわたくしはすっかり塞ぎこんでしまい、自室でふせることも多くなりました。

 

 

貴方に初めてお会いしたのは、そんなさなかのことです。

父の主催する舞踏会で、一等はじめにわたくしの手を取って下すったのが貴方でした。

その日を境に、貴方はしばしばわたくしを訪ねていらっしゃるようになりましたね。

貴方があんまり可笑しい冗談ばかり言うものだから、わたくしもついつい声を出して笑ってしまって、貴方がお帰りになってから、もしかしたらはしたないと思われていやしないか知ら、とよく不安になったものです。

 

いつしか貴方とわたくしは周囲も認める恋仲となりました。

親類は、わたくしたちの仲を非常によろしく思っていたようです。

貴方のやんごとなき御家柄とご人望は、皆よく知っておりましたから。

そしてわたくし自身も、貴方のその誠実なお人柄に少なからず惹かれていたのです。

 

 

しあわせな日々が続きました。

貴方はわたくしに惜しみない慈愛と情熱を注いでくださいましたね。

わたくしも熱に浮かされてしまって、自分もまた貴方を深く愛しているのだと、自身すっかり信じ込んでいたのです。

 

 

出会って翌年の春、とうとうわたくしたちは結婚することになりました。

この愛と幸福は揺るぎないものであるという確信がありました。

 

 

しかしそんな折、幸福の絶頂にあるわたくしの目の前に、唐突に彼女があらわれたのです。

 

 

結婚おめでとう!

そう言うなり、駆け寄ってきた彼女はわたくしに抱きつきました。

頬に熱いキスをくれてから、首にもう一度腕をまわし、まるでわたくしの視界を塞ぐようにぎゅっと力を込めました。

長い長い抱擁の後、そっと体を離すとわたくしの瞳を覗き込むようにして、あの懐かしい声と瞳がこう言うのです。

 

ずっとずっとあいたかった。

本当よ、大好きなひと。

 

 

その瞬間、わたくしは気づいてしまったのです。

わたくしが本当に愛しているのは、ヘンリエッタただひとりなのだということを!

 

 

あの舞踏会の晩、貴方はわたくしの手を取って下さいましたね。

けれどもわたくしのこの手を最初に引いてくれたのは、彼女なのです。

わたくしに笑い方を教えてくれたのも、彼女なのです。

 

貴方とともに、幸福の中で新たな日々を紡いでいるつもりで、その実わたくしは只ヘンリエッタとの思い出をなぞっていたのです!

 

 

 

この真実に気づいた瞬間、わたくしのしあわせは音をたてて崩れ去りました。

 

 

 

それからの日々は、陰鬱としたものでした。

出来る限り平静を装いましたが、こころは今にも潰れてしまいそうでした。

 

貴方がわたくしに愛を囁き将来を語る度、わたくしの胸は張り裂けそうに痛みました。

 

 

わたくしが貴方に愛を騙ると、その雫が喉を伝ってわたくしの体内を下へ下へと滑り落ち、それが足先から少しずつ溜まってゆくのです。

じきにわたくしのからだは冷や水で一杯になってしまうでしょう。

心の臓まで冷え切る前に、わたくしはこの冷や水の出所に蓋をしてしまわなければなりません。

 

 

 

方法はいくつかありました。

 

 

 

ひとつには、貴方と金輪際お別れすることです。

そうすればわたくしは、わたくしが貴方に対して抱いている罪悪感、良心の呵責からようやく逃れることができるでしょう。

しかし、もしもわたくしがそれをしてしまえば、貴方の心と名誉は深く傷つくことでしょう。

そして、父にもきっと対外的な面で迷惑がかかるのでしょう。

また、あなたとお別れしたところで、根本的なところでは何一つ解決していないのです。

 

 

 

もうひとつには、最愛のヘンリエッタをこの手で殺してしまうことです。

彼女さえ居なくなれば、身を焼くようなこの苦しみから逃れることができるかもしれません。

ヘンリエッタが結婚すると言い出した時、わたくしは彼女の自由な生き方が損なわれてしまうことがかなしくて、また、理不尽だとも思いました。

あの当時は、確かに本気でそう考えていたのです。

しかし今思うと、わたくしが本当に恐れていたことはおそらく別にありました。

わたくしにとって真に重大であったのは、彼女がわたくし以外の他の誰かの世界に拘束されるということです。

彼女の自由な魂を愛しているように見えて、心の深い深いところでは或いは――わたくしはヘンリエッタをわたくしの小さな世界の中に囲ってしまいたくてしようがなかったのかもしれません。

そう、わたくしは相手の殿方に嫉妬していたのです!

ですから、もしもヘンリエッタをこの手で殺してしまったなら――彼女をわたくしの記憶の中だけに閉じ込めてしまえたなら、それでようやく彼女はわたくしだけのものとなり、わたくしはこれ以上彼女を追い求めずに済むでしょう。

けれど、わたくしはこれを実行には移しませんでした。

なぜならば、わたくしが真にとるべき最良の方法が見つかったからです。

 

 

 

 

 

 

わたくしは今、生まれ育った故郷の郊外にある古い時計台の鐘つき室でこの手紙を書いています。

これを書き終えたら、わたくしは自ら命を絶つつもりです。

わたくしなりによく考えた結果、これが最良の道だという答えに辿りつきました。

わたくしが黙って居なくなりさえすれば、皆の受ける損害の総量が一番少なく済むのです。

 

この時計台はずいぶん前から使われておらず、町の人々からも忘れ去られているのです。

ですから、この手紙が貴方に届くことはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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とある田舎町の郊外、古びた時計台の鐘つき部屋で、女――艶やかな黒髪に鉛色の瞳を持ったうら若き婦人が、数枚の手紙を握りしめ、食い入るように文字を追っている。

傍には、死後数日が経過しているであろう女の屍体。

 

 

 

 

 

 

「彼女」――無残な姿で横たわるこの屍体は、女の古い友人であり、数日前から行方不明となっていた。

 

女は、自身と「彼女」しか知らない秘密の場所を訪れたのだ。

もしかしたら、と。

祈るような思いで――

 

 

結果は最悪のものであった。

友人はとっくのとうに絶命しており、その手には遺書と思しき数枚の手紙が握られていた。

 

 

 

「遺書」を読みながら、女は自分の呼吸が次第に荒くなるのを感じた。

全身からいやな汗が噴き出す。目の前が昏い。

眩暈と酷い吐き気に襲われながらも、取りつかれたように文字を追った。

 

一通り目を通し終える頃、女は熱病に罹ったように全身をがくがくと震わせていた。

 

 

 

 

 

 

はらり、と、まだ読んでいない最後の一枚が冷たい床に落ちた

 

震える指でそっと拾い上げると、

そこにはたったの数行、こう書かれていた

 

 

 

 

 

 

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   ねえ、かしこい あ な た ならばお分かりでしょう、

   なぜわたくしがこんなことをしたのか。

 

   こうすればわたくしに関する記憶は強烈な傷痕となって

   あなたの中に永久に残るでしょう

 

 

 

 

   嬉しい、やっとあなたを侵せるのね

 

   さようなら、ごきげんよう、いとしい御方

   これでわたくしたちようやく対等だわ

 

 


 
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