No.254590

彼女は知らぬ間に女になっていた

春秋柿さん

以前某所に投稿したssを微修正したものになります。

2011-08-02 02:54:12 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:6481   閲覧ユーザー数:6376

 

 

 それは、とっぷりと春に覆われた幻想郷の一幕。

 

 丁度、日が西に傾いた時分の博麗神社。

 その縁側に座して、博麗霊夢は少し渋めのお茶を啜っていた。

 

 境内に人影はない。

 霊夢のお茶の啜る音と、ごうごうと吹き下ろす山風の音だけが、閑散とした境内に虚しく響くばかりである。

 

「誰も来ないわね」 呟いてみる。

 

 ――――参拝客が来ないのは……きっと、この風のせい。

 

 暇つぶしに、客の来ない言い訳を考えて、少しだけ虚しくなった。

 

 

 

 その日は妙に風の強い日だった。

 山の方から、生温かい春の風が引っ切りなしに吹いてくるのだ。

 

 それは桜の花屑を巻き込んで、波の如くうねる。たゆたう。

 蛇の様だと霊夢は思った。

 薄紅色の蛇が神社の境内にのたうっている。

 

 まるで山の上の蛇神に、神社を喰い破られている様で、霊夢は不機嫌に目を閉じた。

 

 花弁を掃除しなかったせいだから自業自得なのだが、そんなことは知らぬ。存ぜぬ。

 少しお茶を呷るペースを上げながら、霊夢は熱い吐息を零した。

 

 

 

 

 それから幾杯目かの湯呑を傾けていると、不意に人影が二つ、境内に小さな影を落とした。

 見ると、風祝が一人に白黒一人、霊夢に向かい手を振っている。

 

「よう、霊夢」

「こんにちは、霊夢さん」

 

 霊夢は我関せずとお茶を飲み続けている。

 

 しかし二人も慣れたもの。

 そのまま霊夢の左隣りにすとんと腰を下ろした。

 

「何だ?ここはお客様にお茶も無しか?」

 

 からかう様に魔理沙が笑う。

 それに続いて、早苗もクスクス笑みを溢した。

 

「参拝客なら歓迎するわ」

 

 魔理沙達の方は見ず、霊夢はただ湯呑の底をじっと見つめる。

 魔理沙は一瞬呆れた様に唇を歪めたが、すぐに気を取り直して、帽子の中から小さな箱を取り出した。

 

「まあ、そう湿気た顔するなよ。賽銭じゃないが、香霖からくすねてきたんだ。一緒に食べようぜ」

 

 魔理沙が差し出したのは小さな和紙の包み。

 中からは甘い匂いが零れ出てくる。

 上等な砂糖の匂いだ。

 思わず喉がゴクリと動いた。

 

「ちなみに私はくすねてませんよ」などと言い訳がましい早苗の事は放って、霊夢はその包みをそっと開けた。

 

 カステラだった。

 

 一棹のカステラがきちりと箱に収まっている。

 既に切れ目が入っていて、今すぐにでも食べられる状態だ。

 思わず霊夢の顔が綻んだ。

 

 茶飲み話もいいけれど、お茶には茶菓子が必要だ。

 甘い甘い、舌をも蕩かす甘味が必要なのだ。

 それは霊夢とて例外ではない。

 

 丁度、茶菓子を切らしていた博麗神社にとって、魔理沙の差し入れはまさに天恵であった。

 

「ちょっと待ってなさい」

 

 上機嫌で一切れ口の中に放り込むと、霊夢は魔理沙達の湯呑を求めて台所へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 女三人よれば会話も弾む。

 談笑という程華やかでは無かったが、春の陽気の中、それは間違いなく和やかな茶会だった。

 

 その中心、土色の大皿に大量のカステラが盛られている。

 

 どうやら、中々上物のようだ。

 味の方もさることながら、その口溶けが堪らない。

 

 舌先で巻き付け、血の気の良い唇で食い千切る。

 渋めのお茶で流し込み、霊夢は満足げに熱い吐息を吐き出した。

 

「店主さんも人が悪いです。こんなに美味いものを独り占めしようとしてたなんて……。

 流石は半分妖怪。半分退治しないといけませんね」

 

 そう言ったのは早苗

 至福の表情で頬袋に詰め込む姿は、どこかげっ歯類を思わせる。

 

「最近、早苗が怖いぜ」

 

 魔理沙は一切れ一切れ手で千切りながら、小さく開いた口に順繰りに詰め込んでゆく。

 意外と女々しいな。と思ったが、口には出さない。

 霊夢は半切れに千切ったカステラを唇と舌で潰しながら、だらしなく顔を緩めた。

 

 春の陽気は温かく、思わず眠気を催す程だ。

 このまま終日、のたりのたりと過ごすのも悪くない。

 

 猫の様な欠伸を一つ。

 隣でも似たような音が聞え、とんがり帽子が地面に落ちた。

 見ると、魔理沙がカステラを咥えたまま伸びを一つ溢している。

 

 拾われる様子も無いとんがり帽子を早苗が拾い、魔理沙の上に載せてやる。

 

「ありがとな」

 

 恐らくそう言おうとしたのだろう。

 けれど、カステラ越しの魔理沙の声はくぐもっており、早苗の苦笑した声が春風を幽かに震わせただけだった。

 

 静かに揺らめく霞の向こう、淡い花咲く桜の香りが幽かに鼻を擽って、霊夢が一つくしゃみを漏らす。

 それ以外に音は無い。会話も無い。静寂である。

 けれど悪い雰囲気では無かった。

 

 

 

「やあ、随分美味しそうな匂いをさせてるじゃないか」

 

 そんな時、不意に上空から呼ぶ声があった。

 見ると鼠状の耳、尻尾を携え、何時ぞやの鼠妖怪が屋根の高さで浮かんでいた。

 

「あら、貴女は宝船の……」 と、尚もカステラを頬張りながら、早苗が言う。

「確か、スターリンだったか?」 と言ったのは魔理沙。

 

 鼠は神社の境内に降り立つなり、眉根を顰めて不機嫌な声を上げた。

 

「ワザと言っているのかい?ナズーリンだよ」

「別にいいじゃないか、スターリンでも」

「ナズーリンだよ……」

 

 悪びれた様子もなく魔理沙は笑う。

 そして皿の上に乗ったカステラを再び口の中に押し込んだ。

 

 その様子をナズーリンはじっと見詰めている。

 皿から手へ、手から口へ。

 そして徐にごくりと小さく喉を鳴らした。

 

 首を一度捻り、二度捻り。

 そして、自然な動作で霊夢の隣に腰を下ろす。

 当然の様に山盛りのカステラに手を伸ばそうとして、その手を霊夢に叩かれた。

 

「何、当然の様に盗ろうとしてるのよ」

「これだけあるんだ。別に二、三頂戴しても問題無いだろう」

 

 ナズーリンの目がするりと細まる。

 

「鼠は黙って柱でも齧ってなさい」

 

 それに対して霊夢も目を細め、すっと睨んだ。

 

「君の神社にそうしてもいいんだが?」

 

 袖口から子鼠の小さな瞳孔が見え隠れ。

 キィキィと不穏な音を立てながら袖の闇の中でチロチロと蠢いている。

 

 鼠妖怪一匹倒すのは、さほど手間では無いだろう。

 けれど子鼠の大群を相手をするのは、流石の霊夢でも勘弁願いたかった。

 折角の新築を壊されては敵わない。

 

 霊夢は溜息一つ溢し、カステラの皿をナズーリンに差し出した。

 

「やれやれ、最初からそうしていればいいんだよ」

 

 早速、ナズーリンはカステラを手に取り半分に千切る。

 一方を口に咥え、もう半分を放ってやると、すわと飛び出した鼠の群れに呑まれて、あっという間に見えなくなった。

 

 その様子に満足そうに喉を鳴らし、ナズーリンは手元に残った半切れに取り掛かった。

 一口大に千切ったのを舌に乗せ、歯で扱き、嚥下する。

 やがてその顔がほこりと綻んだ。

 

「うん、実に上等だ。この味が出せる店はそうはあるまい」

 

 霊夢はそれに答えず、ただただお茶を啜っている。

 魔理沙も早苗も自身のカステラに夢中である。

 だから、霊夢が「霖之助さんトコにまた取りに行かないと……」なんて愚痴を溢した時、

 ナズーリンの片眉が訝しげに上げられたのに気付いた者はいなかった。

 

 

 暫くの沈黙が辺りを包む。

 一際強く吹いた風に、はらりふらりと花弁が舞う。

 やがてそれは湯呑の中にするりと潜り込んで、茶面に小さな波紋を立てた。

 それを細く締まった唇で一口に呷る。

 ほろ苦い、春の味がした。

 

 霊夢が唇の濡れたのを舌の先で拭い取っていると、魔理沙が徐に口を開いた。

 

「なあ、スターリン。聞きたい事があるんだが……」

「だからナズーリン……いや、それで何だい?」

 

 陽気に中てられたのか、眠そうな目をしていたナズーリンの目が魔理沙に向けられる。

 釣られて早苗と霊夢も、同じく魔理沙の方を見た。

 

「宝船の件で、私達はお前に二度遭ってる訳だが……」

「ああ、遭っているね。それで、それがどうかしたかな?」

「いや、な。気になっていたんだが、一度目に遭った時と二度目を比べると、

 どうにもお前の顔が変わってるような気がしてな。一体どんな魔法を使ったんだ?」

 

 すると、ナズーリンが「得たり!!」とばかりにニヤリと笑った。

「あ、私もそれ、思いました」という早苗の発言に、益々笑みは強くなる。

 

「ふうん?それは、どんな風に変わったと思ったんだい?」

 

 魔理沙と早苗が同時に首を捻る。

 早苗の方の首が、ぱきりと小さく音を立てた。

 

「どんな風に……というと、そうだな。女らしくなったのか?」

「そうですね。可愛くなった……いえ、美人になったとでも言えばいいんでしょうか」

 

 いよいよ、ナズーリンは口角を擡げ、ニタニタ笑いを深くしてゆく。

 魔理沙はそれを見遣り、少し顔を顰めた。

 

 ナズーリンは笑うばかりで何も言わない。

 いい加減、答えを促そうかと魔理沙が口を開くと、それに重ねる様にようやく一言だけ呟いた。

 

「香霖堂」

 

 その答えに、早苗は首を傾げ、魔理沙は露骨に顔を顰めた。

 

「おや?先程霊夢の口から彼の名前が出てきたから、てっきり知ってるものと思ったが、違ったのかい?」

「いえ、知ってますけど……その名前が出てくるとは思わなくて……」

「それで?香霖がなんだって?」

 

 魔理沙の声は思中に置くまでも無く不機嫌である。

 けれど、ナズーリンがそれを気にした様子は無い。

 ナズーリンの答えは冷静で、どこまでも簡潔だった。

 

 

「うん?女にしてもらったんだよ。霖之助君にね」

 

 

 万一空気を読む力があったのなら、ピシリとでも音が聞こえたのだろうか。

 肌に空気が変わったのが伝わって、霊夢は啜っていた湯呑から口を離した。

 

 不快な空気に、霊夢は顔を顰める。

 その発生源はただ一つ。

 魔理沙だ。

 

「嘘だぜ」

 

 その発生源がポツリとそう呟いた。

 魔理沙は顔を真っ青にしながら、しかし気を確かにとスカートの裾をぐっと握っている。

 しかしナズーリンの返答はにべも無く、容赦も無かった。

 

「嘘じゃあ無いさ。私は確かに霖之助君に女にしてもらったんだ」

 

 真っ直ぐな視線が魔理沙を射抜く。

 魔理沙の下唇が、ぎゅっと硬く噛まれるのが見えた。

 

「理由が無い」

「理由ならあるさ。少々高価な物を所望していてね、その代金を身体で支払ったんだよ」

 

 魔理沙は、「嘘だぜ」ともう一度小さく零し、視線を外した。

 

「あんなに女を感じたのは、生まれて初めてかもしれないな」

 

 思い出したのか、ナズーリンは頬を紅に染めた。

 その表情は恍惚に染まっている。

 魔理沙は俯いたまま、もう喋らない。

  

「えと……その、女にしてもらったっていうのは、つまりそういう事なんですよね?」

 

 そう言ったのは早苗だった。

 魔理沙の方を窺いながら、羞恥に頬を染め、おずおずといった様子だ。

 

 魔理沙の切ない片恋は、早苗にも霊夢にもすっかり知れている。

 特に早苗はすっかり入れ込んでいて、恋の応援をするとまで言っていた程だ。

 だからこそ、早苗は違うという可能性にかけてそう聞いたのだろう。

 しかし、無情だった。

 

「君の言ったそういう事がどう言う事かは知れないがね。私が思うに、恐らく君が想像した通りだろう」

 

 ナズーリンは表情も変えずそう言った。

 

「激しかったな。癖になりそうだ」

 

 そして頬を染める。

 

 

 

 魔理沙が何も言わずに飛び出したのは、次の瞬間だった。

 箒に跨り一路、魔法の森へ。

 香霖堂のある方角だ。

 

「魔理沙さん!!」 

 

 早苗が慌てて後を追い、空へ消える。

 その風切り音すらも耳から消えると、博麗神社には途端に二人残るばかりとなった。

 

 

 

「スターリンなどとバカげた名前で呼ぶ白黒に少しお灸をと思ったのだが、少しやり過ぎたかな」

 

 ナズーリンはそうぼやき、反省した様に耳をパタリと伏せる。

 

「まあ、誤解はすぐに解けるでしょうけど……」

 

 霊夢はさして気にした風も無く、先の騒動で温くなったお茶を飲み干した。

 

「それにしても、巫女」

「うん?」

 

 霊夢がナズーリンに視線を遣ると、ナズーリンの興味深そうな二つの瞳が霊夢を捉えている。

 

「君はあまり驚いていない様だったが?」

「驚くことでもないしね」

「ふうん?」

 

 ナズーリンは霊夢の顔をじっと見つめ、眼を細めた。

 

「もしや……君は“あれ”を知っているのかい?」

 

 別にどうという事は無い。

 真実はいつも簡単だ。

 

「美顔器」

 

 ナズーリンの瞳孔が、ぴくりと動いた。

 

「なんだ、知っていたのか」

「良く使うのよ、異変に出向く前とかに」

 

 納得だという風に手を叩こうとしたナズーリンの手が、ハタと止まった。 

 

「うん?確かに私の言い方も意地悪だったが、魔理沙がそれの存在に思い至らないというのも妙な話じゃないか?

 先程の彼女の反応を見るに、霖之助君と彼女は相当密な関係だと推測できるのだが……」

「魔理沙は知らないのよ。盗まれるといけないからって珍しく霖之助さんが厳重保存してるから」

「ああ、そういう……」

 

 肩の荷でも下ろす様に「やれやれ」と肩を叩き、ナズーリンは大きな溜息を吐き出した。

 

「しかし、これで色々とはっきりした」

「何がよ」

 

 半眼のままにナズーリンを見遣ると、丁度、スカートの中から数枚の新聞を取り出すところだった。

 日焼けの跡や泥の跡から、恐らく捨てられたのを拾ったのだろう。

 覗き込んで見ると、それはこれまで解決してきた異変について書かれた記事であった。

 

 ナズーリンはそれを、見せる様に大きく開いた。

 

「これを見た時に疑問だったんだよ。白黒もそうだが、巫女、君もそうだ。

 何で君達は異変解決の場に出てくる度に顔つきが変わっているのか。

 けれど今日、答えは出た。

 少なくとも君は美顔器を使っていた。効果は私自身で実証済みだ」

「ええ、リフレッシュも兼ねてよく使うのよ。

 魔理沙の方は、魔法の実験で……とか、成長期とか、そんなところでしょ」

「成長期……ねえ」

 

 ナズーリンは納得していない様だったが、二、三首を捻った後、諦めた様に新聞をスカートに戻した。

 それから徐に頬に手を当てる。

 

「それにしても、あれは良かった。激しく顔を揉まれる感じは、なかなかどうして癖になりそうだよ。

 暫く通ってみようか」

「止めておいた方がいいわよ。あれ、すぐに調子が悪くなるから。

 山の上に早苗が来たばかりの時に、殴り込みをかけに行った事があるのよ。

 その時が偶々調子悪い日だったらしくて、ちょっと顔の具合が妙な感じになってね」

 

 ナズーリンは再び新聞をスカートから取り出し一瞥。

 そして納得という風に頷いた。

 

「成程。そういえば私が行った時もそうだったな。霖之助君は、数週間の故障から直ったばかりだと言っていた。

 それで、私が料金の代わりに身体を張って実験台をする羽目になったんだったか」

 

「それはご愁傷様」そう言って霊夢は湯呑を呷った。

 

「まあ、結果オーライというやつさ」

 

 ナズーリンはそう言って嬉しそうに張りのある肌を何度も撫でた。

 

「ああ、しかし私はどうしようもなく女なのだと実感したよ。

 いや、女になったと言った方が正しいのかな?

 これまで、容姿には割と頓着無い方だったのだがね、だというのにこの一件が嬉しくて仕方が無い」

 

 細長い尻尾が、ぱたりぱたりと左右に振れる。

 相当に嬉しかったのだろう。

 霊夢は「ふうん」と気の無い返事を溢した後、お茶に関心を戻した。

 

 暫く、ぱたりぱたりと尻尾のはためく音だけが聞こえる。

 しかし――――

 

「うん?」

 

 ふと、ナズーリンが尻尾を振るのを止め、首を捻った。

 少し慌てる様に新聞を取り出し、そこに描かれた写真をジィと見つめる。

 

「巫女」

「何よ」

「山の神が来た時に、君は美顔器を使ったかい?」

「ええ。だから酷い目に遭ったって言ったでしょ」

「それじゃあ、地底の異変の際には?」

「使ったわ」

「それじゃあ……今回は?」

「……使ったわよ?」

 

 ナズーリンの顔が、不自然に笑った気がした。

 

「嘘は良くない。私は先程言ったばかりだ。

 美顔器は数週間故障していて、私が使ったのは直ったばかりの時だった。

 つまり数日前、今回の事件があった時にはまだ美顔器は修理中だったんだよ」

 

 霊夢は黙っている。

 ナズーリンは続けた。

 

「さて、それじゃあ教えてもらおうか?

 今回の事件の前に、君はどうやって顔を変えた?」

 

 ナズーリンの問いに、霊夢は答えない。

 黙ったまま、少し潤いを無くしたカステラに手を伸ばす。

 

「黙秘権かい?まあ、それもいいさ」

 

 別に困った様子も無く、ナズーリンは肩を竦めた。

 それから黙ってカステラに手を伸ばし―――――

 

 

「もしかしたらって思ったのよ」

「巫女?」

 

 霊夢の声にナズーリンは動きを止めた。

 それは、先の疑問への返答などでは無かった。

 内容が良く分からず、ナズーリンは首を捻る。

 けれど、霊夢は気にせず続けていく。

 

「少しだけ、怖かったのよ。もしかしたら、本当に霖之助さんがあんたと交わったかもしれない。

 そう思ったら……怖かったの。凄く、怖かったの」

 

 霊夢の顔に表情は無い。

 けれど、それがどこか恐ろしかった。

 

「ねえ、ナズーリン。あんたはさっきこう言ったわよね。

 『スターリンなどとバカげた名前で呼ぶ白黒に少しお灸をと思った』

 もしもそれであれくらいのお灸が据えられるのなら、あれだけ私を怖がらせたんだもの。

 私があんたに少しばかりお灸をすえても、問題無いと思わない?」

 

 ナズーリンの背中に、ギクリと鳥肌が走った。

 霊夢はただ笑っている。

 

「これは秘密なのだけど……」

 

 それは、酷く冷たい声であった。

 表情はまるで変わっていないのに、どこかに冷血を潜ませた女の声であった。

 

「霖之助さんはね、激しい派じゃなくて優しい派よ」

「それは……」

 

 その先を聞いてはいけない。

 頭では分かっている。警鐘を鳴らしている。

 だというのに、体が動かない。動かない。

 

 そう言えば子鼠達はどこへ消えた?

 まさか、この空気を察知して逃げたのだろうか。

 ならば自分も逃げないと。そう思うのに体は動いてはくれなかった。

 

 逃げなければ!!

 怖い!!

 逃げなければ!!

 助けて!!

 逃げなければ!!

 

 霊夢がゆっくり口を開く。

 その口角がまるで毒蛇の様に持ち上がった。

 

 

「私、女にしてもらったのよ。霖之助さんにね」

 

 

 風が吹く。

 “女”は妖艶に笑った。

 

 

 
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