No.215123

端午の節句。うぃず姪

紡木英屋さん

こどもの日の話。うぃず姪シリーズの5作品目。

2011-05-05 09:59:45 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:599   閲覧ユーザー数:593

 我が家には子供どころか奥方様すらいないので、五月五日はただの祝日である。

 だというのに、どうして俺はあくせくと裏庭の物置の発掘をしているのだろうか。

「あーくそっ。どこにしまい込んだんだっけな」

 俺がまだ子供だった頃、両親は桃の節句やれ端午の節句やれの行事に忠実であった。勿論、家には立派な雛飾りやこいのぼり、兜の置物さえあったのだ。

 それは成人して姉も自身も家を出て行く前、それぞれに分配された。女の姉には雛人形、男の俺にはこいのぼりと兜の置物という具合に。

 渡されたその行事セットは使い道もなく、けれど売り払うのも躊躇われて、何だかんだで新居を買ったときに付いてきた倉庫の奥に置きっぱなしにしていた――はずだ。

「砂埃臭いな……。今度、暇が出来たら片付けるかー」

 引っ張り出した段ボール箱を覘いて、閉じて。この作業に本当に終わりはあるのだろうか。

 諦観しながらの作業中、俺はどうしてこんなことをしているのか、事の顛末を思い返していた。

 

 

『応仁は、お雛さまとかって持ってるの?』

 相変わらず携帯とは無縁の生活を送る姪っ子は、唐突にこんなことを切り出してきた。

 突然チャット画面に踊った文字に、俺は相手の意図をさっぱり掴めなかった。そしてカレンダーを見て、まあ納得する。

「なるほど、三月三日か」

 三日と言えば俺にとっては節分しかない。

『ない。それよりお前の母さんが持ってるだろ。でっかいやつ』

 両親から姉へ与えられた雛人形、記憶が確かならとんでもなく立派で厳かなものだ。これは壊したら、温厚な両親とはいえ殴られそうだと、子供心に思っていた。

『お母さんに聞いたら、もう無いって。売ったんだって』

 これは聞き捨てならなかった。今は亡き両親の形見とも言える品を、売っただと?

 離婚してからの姉にはほとほと呆れていたが、こればかりは愛想が尽きてしまいそうだった。

 同時に、どうしてこうなってしまったのかと、俺は思う。俺の記憶にあった姉は決してこのような愚かしい女ではなかった。

 あの時、あの場所で、俺があの結婚に反対さえしていれば――。

 ――とはいえ、過ぎたことをぐちぐちと引き摺っていても虚しいだけだ。

 噛んだ唇から、血が出てきていた。鉄の味が口の中に広がって気持ち悪い。

『だけど娘もいない俺は持ってないからな。悪いな』

『そっか。まあ、結婚もしてない応仁にはあまり期待してなかったよ』

 喧嘩を売って話を逸らせる、子どもなりの気の遣いようが虚しい。願うなら、この解釈が俺の勘ぐりすぎであればいいのだが。

 その時の俺はきっと、姪っ子に同情でもしたのだろうか。気の迷いとしか思えない。

『子供の日なら、兜の置物くらいはあるが』

 文字を打ち込んで送信して暫く、芽衣からの反応はなかった。

 遅い出社に備えて、青チェックのネクタイを結びながら、ただ相手の反応を待つ。鼻歌が殺風景な部屋に染み入って消えていく。

『無理はしなくてもいいよ』

 それだけを書き残して、あいつはログアウトした。茫然と、一人残される。

「なんだよ、それ……」

 枯渇にも似た、無力感。胸が苦しくなった。

 どうしてかっていう、理由が分かれば簡単なんだけどな。

 

 

「あんなこと言わせといて、黙ってたら男が廃れるだろ?」

 額を伝う汗を拭って、再び段ボールの山に手を掛ける。段ボールを覆う埃が、綺麗に手形を残した。まず雑巾を用意しておくべきだったと後悔したが、もう遅い。べったりと両手を黒ずませて、気持ち悪いことこの上ない。

 最近は楽なデスクワークくらいしか片付けていないからか、面倒事にめっきり耐性がなくなってしまった。

「いかんせん、初心は忘れがちだよな。高みに上ったからって調子こいてたら駄目だ」

 幾度目かの外れの箱を元の位置に戻しつつ、また他の箱を引っ張りだす。老朽化した段ボール箱が、ぼろぼろと中の茶色い安物の紙を散らし、崩壊をしかけていた。黒字で何かが側面に描かれていたようだが、もはや読めるものではない。

「お? おおっ!」

 そっと開けると、埃の煙と、鎮座する兜の置物があった。軽くその表面を撫でてやると、薄っすら被った埃とひんやりした鉄の感触が伝わる。

「懐かしい、な」

 兜の内部に手を入れると、爪が変な感触をつつく。紙の音がした。

 何かと思って引っぺがすと、四つ折りの茶色く変色した藁半紙が一枚、床に滑り落ちた。あまり大きさはない、どこかに引っ掛けてあったのだろう。

 拾い上げ、少し汚らしいそれを開くと、子供のクレヨンで書かれた拙い字が姿を見せた。

 

『ずっといっしょ。』

 

 紙の端に連なった平仮名の名前を読んで、応仁は息を呑んだ。

 そう、そうだ。――姉の名前は、これだった。

 幼い日の思い出が蘇ってきてしまいそうで、応仁は首を振った。いまさら何を思い出そうと、ただ苦しいだけだ。

 頭を撫でてくれた温もりも、俺は忘れられていないのに。

 愚かしい姿なんて、本当は見たくなかった。嘘であってほしかった。

 あんなにも優しかった姉の姿が、過去になるなんて信じたくなかった。

 どんなに願っても、戻れはしないのに。

 

 古びた紙を片手に、ただ、思う。

 遠い地に住む姪っ子に、どうしてこんなにも心を砕いているのか。

 血の繋がりの縁を逃したくないからだと、俺は思う。

「身代わり、か」

 多分さ、大切にしたかったんだ。

 姉を守れなかった代わりに、その分身のような存在の姪っ子を。

 独り立ちするべきなのはお前じゃない。俺の方なんだよ。

 ごめんな。これって、愛とかじゃないんだよな。

 

 苦笑と溜め息が、手にした兜の埃を払った。

 


 
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