No.185788

俺は皇帝

ゆらぎの神話(http://flicker.g.hatena.ne.jp/ )企画の物語です。

古より連綿と歴史を紡ぐロズゴール王国。その第二王子として産まれた主人公は、その出自より後宮で疎まれる日々を送る。だが、その日々の最中、彼はとある少女に慕情を抱くのだが……

2010-11-21 16:56:13 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:590   閲覧ユーザー数:580

 

1.

思い出してみれば、最初から俺の人生にはヤキが回っていた。

物心ついたとき、既に俺に母親と呼べる人、つまりはお袋はいなかった。人の話によれば、おぎゃあ、と産声をあげて俺が生まれるた時にお袋は死んだんだそうだ。流行り病で体力を失っている状態での出産だったのに、俺を産んだのが原因らしい。

俺を身ごもった時既に流行り病で病床にあったお袋を、後宮の典医達は体を心配して俺が腹の中で大きくなる前に流産するように進言したらしいが、お袋は首を縦に振らなかったそうだ。父親である国王までもが、それを進めたのに、やっぱりお袋は首を縦に振らなかったらしい。

結果、俺は産まれ、お袋は死んだ。

お袋は、国王の側室とはいえ、後宮で誰よりも国王の寵愛を一心に受けていたらしい。だから、お袋を殺して生まれた俺は親父から恨まれた。思い出してみても、息子らしい扱いを受けたことなんて一度も無い。

「お前が死ねば良かったのに」

そう酔った親父から面と向かって言われたことはある。

だから俺は親父が大嫌いだった。

大嫌いといえば、後宮の他の連中、とりわけ姉達も大嫌いだった。

何せ、俺の記憶の中であいつらの思い出といえば苛められた思い出しかない。

ご機嫌伺いに親父の家臣から貰った玩具は、もらったその日に隠されるか目の前で壊された。服や靴に悪戯をされたり、真冬に素っ裸にされて氷のように冷たい水をぶちまけられた事だって一度や二度じゃない。遠出と称して後宮や王都から遠く離れた野山に連れて行かれて置き去りにされたこともある、しかも雪が今にも降り出しそうな真冬にだ。

そんな姉達の行為を大人達は「子供の悪戯」と笑っていたが、断じてあれはそんなものじゃない。悪意のある行為以外の何物でもない。殺意だってあったに違いない。

だが、考えてみれば無理からぬことだった。俺の産まれた国、ロズゴール神聖王政国家、通称ロズゴール王国では、その当時王族階級と貴族階級との間で深刻な対立が起きていたからだ。何が原因でそうなったかはしらないし、知りたくも無かったが、気付いた時にはそうなっていた。そして、俺の死んだお袋は貴族の一門だった。王族が自分達の純潔を保つため、という名目で近親結婚を繰り返す中、とある王女の侍女だったお袋は国王から寵愛を受け、俺を身ごもって(まぁ簡単に言えば手篭めにされたわけだ)側室になり、そして産まれた子供が俺だったのだ。

いくら外の目が届かない後宮とは言え、お袋がもし有力貴族の娘か何かだったら、貴族階級との軋轢を恐れて俺に手を出そうとは誰も思わなかったに違いない。だが、死んだお袋は貴族の一門とはいえ、有力貴族の娘でもなければ、その親戚というわけでもなかった。もちろん、その手の後ろだてがあったわけでもない。

それでも、俺が国王の長男でお世継ぎでもあれば、少しは待遇も違ったのだろうが、不幸にも俺には兄とかいう存在の奴が既にいたし、王族には他にも男子が何人かいた。そんな中で俺は、もし間違えて成人でもしてしまえば、貴族達に担ぎ出されて王族にとって不利益になるに違いない厄介な存在以外の何物でもなかった、少なくとも王族達にとっては。

だから、半分貴族の血を引き、貴族達に見えない後宮という世界にいる俺は、王族にとっては格好の憂さ晴らしの対象でしかなかった。後宮の外で、貴族に面白くない目に遭わされたといっては、俺は国王や王族、そしてその娘である姉達に理不尽な目に遭わされた。

お袋にとっては弱小貴族の娘が国王の側室になる、ということは世の中のありとあらゆる理不尽に耐えてでも価値のある甘美なことだったに違いないが、生まれた時から王子だった俺にとっては、世の中の理不尽だけを味わされることは苦痛以外の何物でもなかった。

だから、俺は死んだお袋も嫌いだった。

だが、そんな俺が少なくとも無意味に荒れたり、世の中をはかなんで「自ら死を選ぶ」というくだらない選択肢を選ばなかったのは、何度思い出してもあの人のおかげだ。あの人だけは、意地悪な王族や姉達と、内心では蔑んでいるに違いないご機嫌伺いの宦官や侍女しかいない後宮の中、俺に心の底から味方してくれた。

俺より2歳ほど歳上のその人は、いつでも、母親の好みだという薄桃色の長い裾のワンピースのドレスに華奢な身体を包んでいて、絹糸のように滑らかで艶のある長い髪を緩やかに後ろで束ね、困って泣きかけている俺に「どうしたの?」と、白く肌理の細かい肌の整った顔を近づけ、優しく美しい、まるで歌うような声で話しかけてくれた。あの人は俺にいつでも凍った心が温かく溶かされていくような笑顔を見せてくれたし、そして俺の味方だった。

玩具を隠された時は一緒に探してくれたし、玩具を壊されたときには一緒に欠片を集めて直そうとしてくれたし(もっとも不器用らしく、一生懸命なのは傍から見ても分ったが、一度もそれが直った事などなかったが)、物置やどこかの部屋に閉じ込められた時には必ず俺を見つけて助けに来てくれた。特に、俺が遠くの野山に置き去りにされた時には、雪にならないのが不思議なぐらいに冷たい雨が激しい勢いで降る中、自らが濡れて風邪をひくかもしれないのも構わず、宮廷から折檻覚悟でこっそりと持ち出したという白馬に跨り、雨宿りに入った小さな小屋の中で震える俺を探し出し、すっかり冷えきった身体を白い毛布に包み、優しく抱きしめて温めてくれた。

あの人は俺にとっての太陽で、その出会いの機会をくれたことに対してガラにも無く神に感謝したものだ。

あの人が俺の初恋の人だったというのは、今思い出しても間違いはない。

だから、春待月も明けて春の息吹がそこかしこで見られるようになったある日、俺はその人に言った。

「俺はこの国の王になる」

「でも、この国にはもう王太子がいるよ」

「そんなの俺が倒してやるよ。そして、俺が王になるんだ」

そうしてから、一つ深呼吸をして、そして自分の決心にゆらぎがないことを確認してから勇気を振り絞って俺は言った。

「そしたら、俺の王妃になってくれよ」

その人は嫌な顔もしなかったが、嬉しそうな顔もしなかった。無表情でもなかった。ただ、当時の俺には分からない複雑な、でもどこか口元を緩めた、笑ったようにも見える表情をして無言のままだった。

当時の俺は純粋、というか頭が悪かったから、それであの人は了承してくれたのだと思い込んだ。信じて疑わなかった。今思い出しても、実に純情で、そしてどこまでもおめでたい。

だが、それから数ヶ月後、俺の純情は打ちのめされることになった。

その日俺の兄に当たる王子が成人して王太子に即位するために後宮を後にするというので、後宮の住人である俺たちは見送りのために全員後宮の正門前に集められた。立っているだけで汗が吹き出る様な暑い日だったのを俺は覚えている。暑さで空気が歪む最中、俺はどうして顔も見たことがない王子のためにこんな所に立ってなければならないのだと不満を抱いたのと同時に、その顔を覚えなければ、ならないと密かに息巻いていた。あの人との約束があったからだ。

俺は兄を倒して国王になり、そしてあの人を妻にするのだ。

だが、そんな俺の目の前に、白銀の鎧に身を包んだ女性による宮内兵に守られるようにして姿を現した、華奢な体を白の高貴な意匠で統一された礼服に包んだ王子の顔は……なんとあの人の顔だった。

普段と違い、髪の毛は武人風に結われて頭に被った大きな帽子の下に隠れていたが、そこにいたのはあの人に違いなかった。

俺は呆然としたが、きっと王子というのはあの人の兄とか双子の兄弟に違いない、と納得しようとした。

なにせ、俺はその時まで自分の兄である第一王子の顔を知らなかったのだ。

だというのに、その初めて会うはずの第一王子は呆然とする俺の前までやってきて、唐突に手を握って「やぁ、クレフ、愛しい弟よ」とあの声で、そしてあの口調で俺の名前を呼んだのだ。その歌うような口調と声、そして俺の手を握る柔らかい手の暖かさ、間違いなかった、目の前にいるこの第一王子こそが、あの人なのだ。

呆然とする俺に、第一王子、あの人はきょとんとした顔をして「あれ、もしかして僕が分らないかい?」と首をかしげながら言って来た。

「いつもあんな格好をしていたから分らないかな?。僕だよ、僕。お母様は本当は王女を産みたかったらしいんだけど、結局産めなかったから、僕に後宮では女物の格好をさせていたんだ」

いや、本当は俺の頭は事実を分っていた。けれど、俺の気持ちはそれを認めたくなかっただけだ。

つまり、王子というのがあの人で、それは……

「でも僕は君と同じで女の子じゃないよ」

あの美しくも暖かい笑顔で、あの人は俺が一番認めたくなかった残酷な事実を平然と口にしてしまった。

そして、凍りついた顔の俺の手を掴み、

「僕が居なくなって、愛しい弟である君を守ってあげれる人が居なくなるかもしれないことが何よりも心配で、そして寂しい」

と心の底から心配したような顔と口調で言った。澄んだ宝石のように美しい瞳は俺の眼をまっすぐに見つめている。当然ながら俺は瞳を逸らすことなんて出来ない。

「でも、家臣たちに君を守り、力になるように言い聞かせてあるからね。姉達にも、君に意地悪をしないようにきつく言い聞かせたよ。もし不都合があったり、君に意地悪をする奴がいるようなら手紙でも、誰かを通じてでも良いから僕に言って欲しい。僕が力になるよ。君が成人してこの後宮を出るまで、決して不自由はさせないつもりだ。だから、成人して後宮を出たら、僕の力になって一緒にこの国を良くしていこう」

その吐き気がするほど奇麗事の並べられた言葉を、その可愛らしい真っ赤な唇が紡いでいる間、一度でも俺を見る目に蔑む表情があったり、棒読みしている節があったり、せめて悪気の一端でも見つけられたのなら、俺は救われたに違いない。その後の人生は「俺の純情をもてあそんだ」兄である第一王子を恨めば良かったのだから。

けれど、残酷なことに、澄んだ瞳で俺の顔を見る第一王子は、やっぱり俺の知っているあの人に他ならず、おおよそ嘘なんて吐けるような人ではなかった。あの人は、心の底から素直な気持ちで、この虫唾の走るような奇麗事を口にしているのだ。

あの人が俺に話しはじめ、そして俺の前から立ち去るまでの間、俺はどんな表情をしていたんだろう?。

きっと、今の俺が観ても、すぐには心の中が分らないような複雑な表情をしていたに違いない。

……嘘だろ……夢だろ、これ?

そう思って力の限り抓った頬は、もの凄い痛かった。

だから俺はその日知った。知ってしまった。

この世において、神すらも俺の冷酷無情にして残酷な敵だということを。

 

 

2.

あの人が後宮を出て2年後、俺も成人して後宮を出た。

後宮での最後の2年間は、あの人の言う通り、姉達や王族による嫌がらせはピタリと止み(とは言え、空気と同じ扱いだったのだが)、思い起こしても俺にとっては平穏な日々が続いた。その間、あの人からは何度も手紙が来ていて、そこにはやはり虫唾が走るぐらいの紋切り長ではない、奇麗事の羅列のような暖かい言葉が並べられていた。しかも、背筋の寒くなることに、その手紙は自らの手による直筆のもので、王太子としての多忙な差中にあの人が心を込めて俺に向けて書いたものだということがひねた俺の目にも一目で分かった。

どこまでもあの人はお人よしで、そして弟思いだったのだ。

そして、俺が後宮を出る日には、15年も過ごした後宮には厄介払いができて清々したとばかりに、手続きに必要最低限の宦官と侍女達だけが見送りに来た以外は誰も俺を見送りをしようとする者が居なかったというのに、わざわざ公務の合間を縫って後宮の正門まで俺を迎えに来てくれたほどだった。姉達の中には、あの人が来たと知り、あの人を見ようと後からわざとらしく俺の見送りに参加するものがあったぐらいだ。

もし、その時に現れたあの人の姿が俺の知るあの人とすっかり見違えてしまったのならば、俺にはまだ救いがあった。2年もの歳月が経ったのだから見違える程に男らしくなっていて不思議ではないはずだったし、その姿を見たのならば、あれは気の迷いで、閉鎖的な世界で俺が垣間見てしまった倒錯なのだ、と俺は自分を納得させることが出来たはずだった。

なのに、その時に現れたあの人は、多少の姿背格好や髪型こそ違っていたものの、後宮を出た日から時間が止まったのではないかと勘違いさせる程に何も変わってはいなかった。錦糸集が施された純白の毛織物の外套と白い礼服を身にまとい、髪の毛を上げて上で綺麗にまとめている点を除けば、あの人の姿は後宮にいた「初恋の少女」の姿そのものでしかなかった。もし、あの時と同じ姿で俺の前に現れたのならば、俺は時間の針が全て逆に戻った、いや、それまでの時間がすべて夢だったと、喜んで勘違いしただろう。それほどまでに、あの人の姿は何も変わっていなかった。

そして、そのことは、我ながらあきれる事に、事実は事実として既に把握しているはずなのに、その日まで少しも褪せていないあの人に対する慕情を再確認させてしまった。

断っておくが、俺は断じて国教で忌むべき存在とされる男色趣味ではない。姉達のせいで、多少女性に対して幻滅気味ではあるが、普通の男である。後宮を出て王子になってから、貴族の師弟に誘われて娼館に遊びに行き、悪くない夜を過ごしたことも一度や二度ではない。将来の第二王子夫人を狙って近づいてくるのが見え透いている貴族の子女や、宮女達を一晩の慰み者にして無残に捨ててやったことも何度もある。だというのに、あの人への恋慕は心の中から消えることはなく、また折角良い女を抱いている最中に、あの人の面影が重なってしまうことも稀にあるぐらいだった。

だから俺は、その思いを断ち切ろうと、暫くして政府の仕事に就ける年齢になると、わざわざ仕事が厳しいということで有名な軍の仕事に就いた。

軍務大臣は口数の少ない無愛想な人で、仕事に厳しい人だった。

最初は、俺は、貴族出身の軍務大臣は半分とはいえ俺が王族の血を引いているからわざと嫌がらせで厳しくしているのだと思っていた。しかし、軍務大臣は誰にでも仕事に対して厳しい人だと分ると、俺は軍務大臣を上司として慕うようになり、仕事に対して誰よりも懸命になった。

やがて軍務大臣から、「クレフ王子に任せておけば大丈夫だ」とまで言われるまでに仕事を任せられるようになっていた。

「貴方に重大な話がある」

しかし、そんな軍務大臣から、そのようなことを言われて執務室に呼ばれたのは恵雨月も始まったある日のことだった。

雨季に入ったこともあり、その日は朝から薄暗く、今にも雨が降り出しそうな湿った空気に王都は包まれていた。

何か仕事に重大な間違いでもあったのだろうか?と緊張の面持ちで、歴代の軍務大臣のものと比べても飾り気が無い執務室に行ってみると、

「クレフ王子は王太子、いえこの国の王になりたいとは思いませんか?」

といつもの重々しい口調で単刀直入に話を切り出された。

俺はうんざりして、あぁこの人もか、と幻滅するものを感じた。後宮を出てから今日まで、冗談なのか本気なのか、貴族達から今の王と王太子を倒し、王に即位しないか、という話を何度も俺は振られていたのだ。

もちろん、その背景として国家の主権と権益を独占したい王家と、それを阻止して合議制による社会の構築を目指す貴族による対立があることは知っている。けれど、俺はそんなことには巻き込まれずに静かに生きたいのだ。

だから、俺はやんわりとそれを断ろうとしたのだが、

「実は、王太子殿下は呪われたお子です」

と、軍務大臣は躊躇ったようにその突拍子も無い話を切り出してきた。

「おそらくは王妃は王子欲しさに、後宮で密かに連綿と伝えられるという邪教に手を出したに違いありません。それがどのようなものか、子供の頃に後宮にいらしたという貴方はご存知ですか?」

俺は首を横に振った。確かに後宮は、今にして思えば外から途絶された、どこか秘密めいた場所ではあったが、そんな邪教の類が軍務大臣の言うように連綿と語り継がれているなどと言う話は初耳だった。

「見ず知らずの男女が忌まわしい悪魔の面を被り、暗闇の中、誰彼とも構わず交合するものだと聞き及んでおります」

軍務大臣は真面目な顔で言ったが、俺の知る限りそんな安居酒屋で酔っ払いどもが酔った頭で妄想たくましくしながら話すようなことが出来るわけが無い。

後宮は王や一部の王族を除けば、宦官か成人前の王子しか男は居なかったし、特例で王以外の男子が後宮にはいる時や、妃や王女達が後宮の外に出る際にはいつだって物々しいまでの警護と称した監視がついて回った。もちろん理由は色々な意味で「間違いがあっては困るから」だ。それでも、俺は姉達に遠くの野山に置き去りにされ、それを後宮を抜け出したあの人に助けられたぐらいに穴はあったわけでもあるが……

だが、そうでなくても国教会の女司祭とか女性の使者とかが忘れた頃に抜き打ちでやってきては、後宮に国教会の教えにそぐわないものがあったり、考え方が流布していないか検査していくのだ。その厳しさたるや、生まれてから15年後宮にいたというのに一度も辟易しなかったことが無かったぐらいだ。それに後宮の妃達は機会があれば他の妃達を蹴落として自分が王の寵愛を得ようと互いの動向に目を配らせているのだから、軍務大臣の言うようなことをしようものならば、他の妃達は喜んで王妃を告発するだろう。だから、軍務大臣が真面目に言うようなことがあるわけはないのだ。

そのことを口にしようとする俺の言葉を遮るように、そして自らの興奮を隠しきれないからなのか、いつになく少々早口な口調になった軍務大臣は、

「あの殿下はその淫祠邪教の末に産まれた呪われたお子です。悪魔に魅入られた魔性の子なのです。我々はその証拠も掴んでおります。王太子殿下は王の血を引いてはおりません。貴方こそが本当のこの国の王太子となるお方なのです」

そう言ってきた。しかしながら、冷静に考えれば馬鹿馬鹿しいの一言で片付くその軍務大臣の話に、俺はついつい興味を、いや興味以上の感情を持ってしまった。

別に俺が本当の王太子とか、今の王太子が王の血を継いでいないとか、そういうことに興味を持ったわけじゃない。「悪魔に魅入られた魔性の子」というくだりに興味を持ったのだ。これで全ては納得がいった、と俺は天啓を得た気分ですらいた。

俺のあの人に対する慕情は、俺の兄、そして王太子を名乗る人外の魔物の仕業なのだ。きっと幼少の頃から俺に魅了の呪いをかけているに違いないのだ。目的はもちろん、この国の後継者を根絶やしにすることだ。そして、きっと、本当のあの人は女性で、どこかに囚われて姿を奪われているに違いないのだ。

我ながら頭の悪い、いや正気を疑うような救いの無い考え方だったが、当時の俺はそれで全てを納得してしまったのだ。俺は何処かに囚われ人になっているあの人を助けなければならない、とまで、すっかり英雄物語の騎士にでもなった気分になり、つい舞い上がってしまっていた。

だから、気付けば俺は、その後の軍務大臣の言葉を上の空で半分も聞いていなかったというのに、意気投合して謀反の計画に参画してしまった。そしてその日のうちに軍務大臣に言われるままに檄文を、それもかなり気合の入った檄文を作り上げてしまっていた。

俺に話す前から軍務大臣によって相当の根回しが行われていたからなのか、それとも軍務大臣の優れた手腕がいかんなく発揮されたからなのか、あるいは両方か、謀反の算段は予想以上に上手く運び、多くの貴族達から謀反への参加への密約を得て、数ヶ月も経たずに決起当日を待つにまでいたった。

そして、その決起予定日前日、俺は……怪我を負ったまま一人王都を逃げ惑っていた。

恵雨月は既に過ぎ去ったというのに、酷い勢いで雨は降り注ぎ、俺は腕のまだ真新しい傷口から血が流れ続けていると言うのに、傷口に何かを巻いて怪我を癒す間もなく、額から流れる汗をぬぐうことも許されず、息を切らしながら逃げ惑っている。相手は王都の警備兵達全員で、主だった場所は全て、俺を捕らえるべく王の配下の兵士達が固めていた。まるで、俺は追われる鼠のようだった。

なぜそんなことになったのかと言えば答えは簡単だ。密告によって俺たちの謀反は事前に発覚したからだ。

密告したのはよりにもよって、俺が今回の計画において腹心として信頼していた近衛軍の儀仗隊長だった。王族でありながら、もう20年も儀仗隊長から出世できない、と零していたからこれは使えると思って、宮廷の間取りを知る事も必要だったから、謀反の成就の暁には政府の重要な官位を与えてやる、という約束で仲間に引き込んだのに、あの男は直前になって自分の身の可愛さに仲間を売ったのだ。

所詮、王族は王族かッ!!

ペッ、と俺は血の混じった唾を吐き出した。唾に混じって、軍務府から逃げ出す時の乱闘で砕けた歯の欠片が王都の道を舗装する白色岩の上に転がって暗闇と激しく降り注ぐ雨の中消えて行った。

「こっちにはいないぞ!!」

何処からともなく聞こえてきた、俺を探す兵士達の声に気付き、俺は慌てて近くのゴミの山に潜り込むようにして隠れる。ゴミの山の中は王都を彩る白色とは真逆の黒で、惨めな気持ちになる俺の肩を、馬鹿にするように真っ黒な溝鼠が踏んで通り過ぎていった。

「この付近にいるのは間違いない。大偉壁からも兵士を回して探し出せ!。無駄メシぐらいの魔術師共も動員して探し出せ!」

兵士達の隊長らしき男が言う。

俺は、その言葉に身構え、体を堅くした。

「王からは、軍務大臣閣下を謀反に唆した大逆人クレフを生死を問わぬから捕まえろとのご命令だ!。八つ裂きにしても構わんとの仰せだ!。奴はもはや王子ではない、ただの惨めな敗北者だ!!」

……親父!、あの野郎!!

俺は頭に血が登るのを感じた。

もし目の前に親父の顔があったら、俺は迷わずそれを拳で砕いていたはずだ。俺は今までも親父が嫌いだったが、この日ほど親父が嫌いになった日は無い。まずあり得ないことだが、自分の身可愛さに軍務大臣が俺に全てをなすりつけたのでなければ、親父にとって俺は「いつかこういうことをやらかす人間」で「自分にとっての不幸の元凶」でしかなかったのだ。だから、全てを俺のせいにして済ませるつもりらしい。

隊長が兵士達を引き連れてその場を離れたのを確認してから俺はゴミの山から抜け出し、大偉壁の方へ向かった。

俺を捕まえるのに本当に王都中の兵士達を動員しているらしい、普段は警戒が厳重な大偉壁の周辺にはほとんど警備の兵士がいなかった。

この場に来たから、どう状況が好転するというわけでも、その見込みがあったわけでもなかったが、気付けば俺は亜大陸から取り寄せたという白亜岩で作られた、歴代の王達の姿がレリーフとして彫られている記念碑である大偉壁の先端、この国の開祖、伝説の超大国である義国の戦災より民衆を連れて流浪の旅の末この地に流れ付き、王国を建てたというヴェルドゥラン王のレリーフが彫られている場所まで来ていた。

俺は、疲れのあまりに、その場に崩れるように座り込んだ。体中が痛くて、寒かった。着ていた服からは、洗っても落とせないのではないかと思えるような酷い臭いが漂っていた。口の中で固まった血のせいで、鼻腔に錆びた鉄のような臭いが充満して、俺は思わずむせる。

顔を上げてみると、この国を建国したという俺の先祖である王の姿が13人の家臣の姿と共に彫られているレリーフがあった。兵士達が置き忘れたランタンの明かりのおかげもあって、この暗い夜の中でも、義国から持ち出したと言う槍を手に、13人の家臣達を従え半男半女の悪魔ハザーリャを踏みつける威風堂々とした姿がクッキリと見えた。かつては、捻くれ者の俺にも、大偉壁に彫られたその姿はまぶしく神々しく映ったものだったが、その時の俺にとってはその姿は憎々しくて禍々しい、そして忌まわしい存在でしかなかった。ひどい言いがかりなのかもしれないが、その姿は俺の不幸の元凶の姿でしかなかった。

「全部、お前のせいだ!!」

だから、俺はそのレリーフに向かって叫んでいた。自分が兵士達に発見されるかもしれない、ということも構わず壁に向かって、力の限り、腹の底から感情の赴くままに、なぜ泣いているのかも自身にすら分らなかったが瞳から涙を流しながら叫んでいた。

「お前なんて、あの世の果てでも呪われろ!!」

 

 

義国から受け継いだ技術で、「扉」という魔法があることは知っていた。

空間と空間を繋ぐという代物で、あってもなくても大して世の中が変わるわけでもない魔法やら魔術やらの中でも使える数少ないものの一つだとは聞いた事があった。

だが、準備や発動条件が難しく、魔術の準備がされた決まった場所から凡その目標の場所へ数人の人間を移動できる程度の能力しかない、ということも聞いていた。

王都にも緊急のために、その「扉」があり、その発動方法や「扉」の場所を知っているのは王と王太子、そして一部の政府高官だけであることも知っていた。

だが、よもやその「扉」が大偉壁の先端の、それもよりによって開祖のレリーフに隠されていて、その発動条件が王族の者が「お前なんてあの世の果てでも呪われろ!」と叫ぶことだなんて、分るわけが無い。開祖ヴェルドゥランの偉大さについては子供の頃からまるで脳に刺青でも彫るように教えられてきたのだ。普通に考えて、そんな洗脳同然の教育を子供のことから受けている王族の中に、開祖のレリーフに向かって「お前なんてあの世の果てでも呪われろ!!」なんて言う無礼な奴がいるわけが無い。

いや……何を隠そうこの俺を除いてなわけだが。

だから、俺には次に自分に起きたことが全く分らなかった。

今まで目の前にあった大偉壁と、大偉壁と同じ白亜岩が敷き詰められた道路は突如として無くなり、代わりに俺が立っていたのはどこか森の開けた場所に建てられた神殿の祭壇らしき場所だった。あれだけ激しく降り注いでいた雨はもちろん、空には雨雲一つなく、宝石を散りばめたような星々が瞬いていた。しかも、その周りを松明を手に持った連中が囲んでいる。

祭壇を囲っているのは50人~60人の、誰もが屈強な体つきをした、粗末な服の上から獣の毛皮をまとった男達で、誰もが顔や体に奇妙な刺青をしている。

男達は暫くの間惚けたような顔をしていたが、やがて俺を指差し、なにやら口々に囁き合いはじめた。俺はまだ事態を完全には飲み込めてはいなかったが、どうやら当面の危機は乗り切ったらしい、と根拠の無い安堵のあまりにその場に崩れこむようにして倒れ、そして眠りに落ちた。

 

 

3.

翌日、どこか、粗末だが清掃のよく行き届いた小屋の客間らしい部屋で目を覚ました俺は、俺の看病についていた多国語を喋れるという鷲の刺青の男から、そこがリクシャマー族の集落だと教えられた。それを聞いて、俺はゾッとした。リクシャマー族というのは、ロズゴール王国の北東の開拓地に住む、義国の宿敵にして滅亡の原因となった鈴国の民を祖とする蛮族だ。当然ながらロズゴール人にしてみれば彼らは宿敵ということになる。しかし、鈴国にしてみれば自分達の国が滅亡したのは義国が原因ということになっているので、当然ながらリクシャマー族の人間から見ればロズゴール人は幾ら憎んでも憎み足りない宿敵とも言える関係だった。しかも、俺が「扉」で送られた場所は、ただのリクシャマー族の集落ではなく、鷲の刺青の男によればリクシャマー族の総族長の住む集落だという。

身の危険を感じた俺は、ロズゴール王国の王子であることはもちろん、ロズゴール人であることも隠そうとしたが、

「お前はロズゴール王国の人間、それも貴族か何かなのだろう?」

と、あっさりとその男にばれてしまった。

「分かるのか?」

「一目で分かるさ。それに、今ロズゴール王国の言葉で喋ったじゃないか?」

どうやら半分はカマをかけられていたらしい。

観念した俺は、鷲の刺青の男からの「族長がお前が目を覚まし次第会いたいと仰せだ」という申し出に従うことにした。

鷲の刺青の男の後について集落の中でもひときわ大きな木造の建物に入ると、今まで会った中でも際立って屈強な護衛達に囲まれ、随分と高価そうな紅いクッションを敷き詰めた寝椅子に一人の初老の男がふんぞり返るようにして座っていた。

名前も知らぬ、おそらく猛禽の類なのだろう白い獣の毛皮をまとったその初老の男は、周りの護衛の誰よりも大きく屈強な体をしており、その体中に幾百もの獣の刺青を彫っていた。それがリクシャマー族を束ねる総族長だった。

その睨みつけるような視線に俺は一瞬、竦み上がりそうになったが、交渉は目線を逸らしたほうが負けだというかつて軍務大臣に教わった言葉を思い出して精一杯にらみつけ返し、そして言葉も通じないというのに、総族長が口を開く前に、

「俺と帝国を作ろう」

と話を切り出していた。

自分が話出す前にいきなり話を切り出され、そして鷲の刺青の男に通訳させた言葉を聞いて、総族長は口を惚けたように開き、驚いたように目を見開いて俺の顔をマジマジと眺めるように見つめた。実は俺としても、恐怖と緊張のあまりに頭が真っ白になって思わず口走ってしまっただけで、「帝国を作る」なんてことはその直前まで考えていないことで、頭に浮かんだことをそのまま口にしただけだったのだが、こうなっては最早引くことはできない。

「帝国とは何だ?」

そう、総族長が眉を顰めながら鷲の刺青の男を通して聞いてきたので、

「俺を皇帝とした、俺とお前達によるこの世の全てを統べる新しい秩序だ」

と俺は胸を張って自信満々に答えていた。

もちろん、「帝国」だの「皇帝」などという言葉は数ヶ月前に亜大陸を通じてもたらされた東方についての書簡に書いてあった言葉であり、俺も完全には意味を理解していたわけではない。

俺と総族長は暫くの間、何も言わずに睨み合ったが、やがて総族長は相好を崩し、

「気に入ったぞロズゴール人の小僧!」

と、大きな体を揺すって、見た目通りの豪快な笑方をして言った。何が起きたのかは勿論、言葉もわからないので彼が何を言っているのかも分らず俺は茫然としたが、

「若くて小柄な割りに胆力がある!。ロズゴールの腰抜けにしておくのは勿体無いぐらいだ。風呂敷は広げすぎだがな!」

と、豪胆なこの総族長は、俺の肩を叩き、言葉も通じていないというのにそう言って豪快に笑った。

どうやら当面の危機は乗り切ったようだが、総族長や回りの人間の盛り上がり方から考えて、後から「実はその場しのぎの冗談でした」では通じないだろう、ということを悟った。そんなことが分かった日には、俺は噂に名高いリクシャマー族の拷問にあって生まれたことを後悔しながらなぶり殺しにされるだろう。

そこで一計を案じた俺は、その日のうちに族長に頼み、自分の着ていた服を仕立て直してもらうことにした。そして仕立て直してもらった服を見て、王都にいた頃は彼等を蛮族と馬鹿にしていたが、それは単に相手を理解していなかっただけであることを思い知らされた。リクシャマー族の女達に仕立て直させたという俺の服は、俺が王都で着ていたどの礼服よりも遥かに純白で、着心地が良く、また肌理の細かくて複雑な金刺繍が施された壮麗なものだった。一国の王子の着る服として非常に申し分が無い。

俺はその服を着込むと、最初にあった時の格好が嘘のようにめかしこんだリクシャマー族の総族長と何人かの族長、そしてその護衛を従え、その日のうちに開拓地の駐留兵をまとめる司令官の元へと向かった。目的は騎兵を中心とした兵力、そして武器や防具を中心とした装備を借りることだ。

俺は王都で軍関係の仕事に就いていて、ロズゴール王国軍がリクシャマー族を初めとする蛮族に対して優位を保っているのは装備と騎兵の存在だと考えていた。だから、これからの計画を実行するためには騎兵とロズゴール軍正規軍と同じとまでいかなくても、今以上の装備が必要だった。

「ロズゴール王国は国土防衛のために辺境地帯に植民衛星国を建国することにした」

俺は彫りの深い顔をした、狐を思わせる痩せぎすの顔をした中年の司令官にそう切り出した。辺境に植民衛星国を築いて、蛮族や他の国からの国土本体の防衛を担わせる、というのはロズゴール王国でも他の辺境地帯で既に行われていたことだし、他の国も昔からやっていることだった。その王として王子の一人が派遣されてくることも珍しいことではない。また、この地に植民衛星国を築くことも軍務府にいる際に何度も提案されてきたことだし、その提案をしてきているのがこの司令官だったのだ。

「我々はリクシャマー族と力を合わせてこの地に国家を築くこととした。ついては騎兵と駐留軍の装備を貸してもらいたい」

しかし、さすがにこの言葉に司令官は渋い顔をした。それはそうだろう、リクシャマー族は昨日まで不倶戴天の敵としてこの地域の支配権を巡って何度も争ってきた相手なのだから。

「正式な命令書はあるのですか?」

司令官は一番痛いところをついてきたが、

「それは本国より追って届けられる。王は一刻も早い遂行をお望みだ。それゆえ、命令書の代わりに私を派遣してきたのだ」

と、俺は苦しい嘘を胸を張って言ってのけた。

司令官はしばらく俺の顔を疑わしそうに見ていたが、「王の命とあっては仕方あるますまい。ましてや第二王子を直接派遣してきての御命令とあらば疑う余地などございますまい」と腹に一物を抱えたような笑みを浮かべて答え、俺達に騎兵と装備を貸し出す命令書を書いてくれた。

今まで散々苦しめられたロズゴールの騎兵を従え、また馬車に溢れかえるばかりの装備を見て総族長は俺に

「あの祭壇に現れた時から只者じゃないと思っていたが、実際お前は大した奴だ」

上機嫌な様子で豪快に肩を揺らしながら笑って言った。

騎兵と装備を手に入れた俺の次の目的地はサリュニアという辺境地帯にある国だった。この国は国力こそ小さいが、ロズゴール王国からの文化の影響を大いに受けた文化基準と経済力の高い国だ。だが国内の蛮族との対立による治安問題を大きな国内問題として抱えていた。

俺はリクシャマー族の族長に手紙を書かせてこのサリュニアの蛮族に蜂起させた。リクシャマー族がサリュニア国内の蛮族と通じている、ということを王都にいた頃から知っていたからだ。

そして、総族長に集められるだけの兵士を集めさせて、ロズゴール王国の司令官からせしめた騎兵と装備を施させた兵士達を前面に立たせてサリュニアの国境付近に配備させた。俺は直接現場に出向いてなるべくこれらを整然と配置させたが、所詮は急場ごしらえなだけあって、ロズゴール王国の正規軍に比べて見劣りしていたのは否めないところだった。しかし、今まで組織的にも装備的に劣っていると考えていた蛮族が、騎兵まで従えて自分達と同等の装備で国境に大挙して現れたというのはサリュニアに大きな衝撃を与えたらしい。

しかもそこに国内の蛮族の蜂起が起き、彼等、特に即位したばかりのまだ幼い王は混乱した。

そこで俺が簡潔に「従属か?、さもなくば制圧か?」と書簡を書いてやると、その日のうちに王は全ての関所と城門を開けた。サリュニアは無条件降伏したのだ。

降伏、と言っても表向きはリクシャマー族との軍事同盟を結ぶ、ということになっていたが、内容は全ての兵士の統帥権の譲渡とその維持のための費用を支払い、不足分に関しては国内から自由に調達して良く、またその運用に関してサリュニアは一切口を挟まない、というものだから、完全に制圧したのも同じことだ。

俺は総族長に「一切の略奪と殺戮をしないように部下達に言ってくれ」と言った。苦し紛れに口にしたこととはいえ、俺がやりたいのは単なる小国の制圧ではなく、あくまで「帝国」の建国なのだ。サリュニアはそのための足がかりなのだから、こんな所で内政問題に手を煩わすわけにはいかなかった。

「言われなくても、そんなことはせん」

すると総族長はそう俺に愉快そうに答えて言った。

「我等は鈴国の末裔たるリクシャマー族だ。そんな卑劣で無慈悲で野蛮なことをして先祖の名を穢したりするものか」

その言葉を聞いて、俺は今までリクシャマー族について勘違いしていたことを改めて悟った。俺は彼等を蛮族の一つだと考えていたが、よくよく考えて見れば彼らだって元は鈴国という、義国に勝るとも劣らない高度な文明を誇った大国を祖とした民なのだ。他の蛮族のように無闇に殺戮や略奪をしない程度の頭は持ち合わせていてもおかしくはなかった。

こうして俺は一国を手にしたわけだが、これに総族長は気をよくして「是非俺の一人娘の婿になってくれ」と話を持ちかけてきた。

その話を持ちかけられたのが酒宴の真っ最中で、俺は酔っ払っていたこともあり快諾してしまったのだが、いざ新婚初夜になって私は「やっぱり俺の人生はヤキが回っているのではないか?」と何の獣の物かも分らない毛布を頭から被って震え上がることになった。

何せ結婚式には新婦の姿は現れず、新婦の、いずれも族長に負けず劣らず体の大きな兄弟達が現れたのだ。これはリクシャマー族の風習で、新婚初夜の晩まで新婦は新郎の前に姿を現さないものなのだという。だが、兄達のその姿を見て、総族長の姿を改めて見比べて俺は真っ青になった。

この父親の娘にして、この兄の妹なのだ、どんな娘なのかは想像に難くないではないか。

全身に刺青を彫った筋肉質で粗野な野獣のような女が今にもこの寝室に現れ、震えて怯えている俺を褥に組み敷いて犯す光景を想像して、俺はゾッと背筋が冷えるのを感じ、今更ながら自分の迂闊さを呪った。

だが、しかし、集落の女達にかしずかれて姿を現したのは、蝋燭の小さな明かりで透けてしまうのではないかと思うような、黒く染めた薄絹の夜着に身を包んだ、まだ幼さを顔に残した小柄で美しい、そして可憐な娘だった。

娘は、口を開けて惚けた表情を浮かべる俺の顔をみて、クスッと可愛らしい笑みを浮かべて、「驚かれましたか?」と聞いてきた。

俺が素直に首を縦に降ると、

「私は兄達とは母親が違うんです。それと父が気を利かせて母の国となるべく同じ環境で育ててくれたんです」

と、さらに驚いたことに、ロズゴールの言葉で答えてきた。なんでも彼女はステアト公国の公王の親族の娘とあの総族長との間に出来た子供なのだという。

ロズゴール王国にいた頃から、隣国であるステアト公国が女系の一族であることを生かして各国と盛んに婚姻を繰り返していることは知っていたが、よもやリクシャマー族とも婚姻関係にあったとは……つくづく侮れない国だ。

「あの、私ではお気に召さないでしょうか?」

そうおずおずと聞いてきた娘は、自分が実はロズゴール王国における成人年齢に僅かに足りないことを気にしていたのだが、そんなことなどあるわけがない。なにせ、美しい容姿もさることながら、この娘はどことなくあの人と瞳が似ていたのだ。

だから、俺はその晩娘の純潔を何度も奪いながら、俺の人生はツキがある、と抑えきれない高揚感に身をまかせていた。

それから俺は次々に周辺の国を征圧していった。

並べた積み木玩具を倒すように、とはよく言ったもので、気づけば俺は数カ国の王の座とロズゴール王国の北東辺境開拓地の支配権を得ていた。

予想外にも一枚岩ではなく、総族長に従うのを良しとしていなかった他のリクシャマー族の部族も、上り調子の俺に従うのならば、と次々に俺に従属を申し出てきた。ロズゴール王国の辺境の司令官に至っては、「私は自分の意思で貴方の家臣となりましょう」と、側室にと現地妻との間にできたという美しい娘を差し出してきたぐらいだ。

……皇帝になって、帝国を築くのもあながち夢物語ではないな

自分に従う群臣達の姿を見て、表向きは仏頂面をしていたものの内心ではそう自惚れたのも嘘ではない。

だが、この頃になっていい加減ロズゴール王国本国も俺の存在に気づき、「これは国王の命を捏造した不敬な行為であるので、王都に出頭して裁きの沙汰を待て」という書簡を送りつけてきた。もちろん、俺はこれを笑って使者の前で破り捨てた。この辺境に来た頃ならばいざ知らず、今の俺には逆にロズゴール王国に攻め込むだけの兵士の数と勢力があるのだ。

俺がロズゴール王国からの書簡を破り捨てたのを見て、その場に居合わせたリクシャマー族の家臣たちは「使者を殺して、腸を晒して送り返せ」と囃し立てたが、「待て待て、俺達は最早蛮族じゃない」と恐れおののいた表情を見せる使者を生かして返してやることにした。

ただし、顔に刺青を、それも屈辱的なものを彫ってやった上でだ。

しかし、俺はここで地雷を踏みそうになった。

「屈辱的な刺青を彫ってやれ」というリクシャマー族の言葉に応えて、調子に乗った俺は「ロズゴールの腰抜けどもに相応しく、ハザーリャの顔を彫ってやれ」と言ってしまったのだ。これには今まで囃し立てていたリクシャマー族の族長達はもちろん、俺の横で豪快に笑っていた総族長までもがみんな黙り込んでしまい、あたりに居心地の悪い沈黙が立ち込めた。

目の前で何が起きたのかわからず呆然としている俺に、気を利かせた、ロズゴール王国生まれで辺境育ちのロズゴール人の腹心が耳元で、

「ハザーリャはロズゴール王国では半陽の卑劣な悪魔ですが、リクシャマー族の間では死と再生、そして融合を司る神聖な神なのです」

そう囁いて教えてくれたので、俺はこれが失言であったことをリクシャマー族の族長達にその場で素直に詫び、最も下級の罪人に、それも本来ならば局部に施すはずの刺青を顔に彫って送り返してやることにした。

そうしてから俺は宿敵であるロズゴール王国の土地を掠め取ってやることを宣言し、見返りの多そうな交易地のバキスタ地方への侵攻を行うことにした。バキスタ地方にはあまり軍が駐留していないことを知っていたからだ。

だが、流石に俺はここにきて自分が調子に乗ってやり過ぎていることを思い知ることになった。

今まで諸大国が俺のやることに半ば目を瞑ってくれていたのは、俺がロズゴール王国の辺境地帯周辺で暴れているだけで自分達の利害とは直接関係ないだろうと考えていたから、そして仮に牙をむいて襲い掛かるとしてもロズゴール王国に対してだけでこれはロズゴール王国国内の問題だろうとたかをくくっていたからだった。それがロズゴール王国の領土とはいえ、東方や亜大陸との貿易拠点で、諸大国が多額の投資を行っているバキスタ地方に侵攻してしまったのだ。俺は、最早単なるロズゴール王国の反逆者ではなく、諸国の共通の敵、いや災害でしかなかった。

気が付けば俺とリクシャマー族は、ロズゴール王国の国王によって「邪教を拝む邪悪な異教徒」ということにされ、それを信じた、と言っても頭から信じているかどうかは怪しかったが、諸国から俺の作り上げた国の国境へ「邪教の信徒との聖戦」を旗印に軍隊が集められていた。

俺は自分を貶めることに余念のない親父の執念に改めて腹が立ったが、それ以上に「邪教の信徒」と言いがかりをつけられたことに「冗談ではない!」と腹が立った。

確かに俺には不信心な所もあったし、安息日の説教やらを前の日の晩に酒を飲みすぎてサボることも度々だったがそれだけで邪教の徒にされる筋合いはない。それに、リクシャマー族も多少の宗教の儀式や習慣の違いこそあれ神への信仰が篤い民族であり、俺の制圧した地域で宗教に下手に手をつけると宗教を発端とした騒動が起きそうだから国内においてよっぽどの邪神でも拝まない限りは基本的に宗教を自由にさせていたのだが、それを邪教を拝んでいる証拠とされるのは言いがかりも良いところだ。ましてやメクセトなどという古代の存在したかも怪しい怪人の信徒と言われてもは俺も引き下がれなかった。

「いいだろう、ならば戦争だ!!、ロズゴールの腰抜けどもめ!こちらを邪教の徒呼ばわりしたことをその身をもって後悔させてやる!!」

体に似合わず不安そうな顔をして顔を青くする総族長達の前で、俺は怒りを露わにしてそう宣言した。

俺は、今まで曖昧にしてきた国名を「正統ロズゴール王とリクシャマー族による連合王国」として、国内から兵士をかき集めた。「邪教の信徒」よばわりされて頭にきていたこともあるが、俺は、これを機に本気でロズゴール王国を潰してやるつもりだったのだ。リクシャマー族にとってそうであるように、生まれた時から理不尽を味合わせてきたロズゴール王国は、俺にとっても憎い敵だったからだ。

勿論、王太子であるあの人のことが多少は頭の片隅をよぎらない訳でもなかったが、「邪教の信徒」よばわりしてきたことで頂点に達した俺の怒りはそんなことを掻き消してしまった。

だが、「神の敵」になるのはさして敬虔深いわけでもない占領した諸国の領主や騎士達にとって、そして案外と敬虔深いリクシャマー族にとってはかなり抵抗があることだったらしく、兵達は思いの他集まりが悪く、俺に何があっても従うと言っていた奴らの中にまで離反者が相次ぐ有様だった。

そうこうしている間に諸国からの侵攻が始まり、俺と俺に従う兵達は善戦こそしたものの、圧倒的な兵力差もあって次第次第に領土を失い、追い詰められていった。

兵力差、装備差、士気の差等々俺達が戦うに当たって脅威になるものは沢山あったが、その中でも特に俺達の脅威になったのは、ロズゴール王国の中小貴族から抜擢されたフェルマンという、ロズゴール人とは思えない長身と長い黒髪が特徴的な将軍の率いる軍だった。憎きロズゴール王国の将軍、ということで俺達はいつでもこいつの軍には倍以上の兵力で戦いを挑んだが、奴は易々とそれを打ち破った。何度、どれだけの勇猛果敢な将兵を当てても易々と負けた。

そうこうしている内に奴は諸国から信頼されて連合軍の中でも重要な位置に付け、前線の指揮を任されるようになった。おかげで俺達は各地で惨敗し、気付けばあと一つ負ければ降伏するしかないというところまで追い込まれた。

……俺はロズゴール王国には、あの親父には敵わないのか?……一矢報いることも出来ずに、屈辱を晴らすこともできずに、あっさりと負けるのか……

将兵の前でなければ涙の一つも流したいところだったが、絶望的に負けていることは覆しようがなかった。

だが、幸運の女神は俺に微笑んだ。

そのフェルマンからこちらに寝返っても良い、という書簡が届いたのだ。寝返りの条件は2つ、戦争が終わるまでこちらの軍の全権指揮権を譲渡することと、それで得ることになった領土の二割をやることだ。

欲深な奴め、足元を見やがって!!。

素直に言って、そうは思ったが、それで最強の敵を味方に出来るなら安いものだ。俺は二つ返事でこの申し出を受けた。

だが、おかげで、その日のうちからタイルをひっくり返すように状況は良い方向に向かい始めた。フェルマンに率いらせた軍は各地で連合軍を打ち破り始め、俺達は戦争前の領土を取り返すだけでなく新たな領土まで得ることになった。しかも、今まで静観を決め込んでいた部族や、国内の領主達も俺に協力し始め、以前から援軍を要請していたウィリア騎士団や草原地方の騎馬民族である草の民までもが傭兵という形で俺達の味方としてこの戦いに参戦し始めた。

おかげで、圧倒的な兵力差で始まったこの戦争は次第に俺のほうに風が吹きつつあった。

だが状況が好転するにあたり、こちらに何の損害も無かったわけではない。あの気前の良かった養父であるリクシャマー族の総族長は連合軍との大きな戦の最中に戦死し、また俺にとっての切り札にして最大の攻撃の要であるフェルマンも、ある日前線で流れ矢に当たってあっけなく討ち死にした。

後者は息子が親父に負けない軍事的な才能を持つ傑人であったから後任を任せたので何とかなったが、前者はリクシャマー族の殆どに何らかの形で顔が利く実力者である。この抜けた穴を埋めるのには非常に多くの労力と時間を要した。そのために俺は軍事を部下達にすっかり任せっきりにして、国内を右往左往して苦心することになった。おかげで政治というものについて精通することが出来たものの、俺はなかなか前線に立つことが出来なくなり、戦場からの将軍達からの書簡と使者達の報告でしか戦争の状態が分からなくなっていた。

そうこうしている間に15年の歳月が経った。

 

 

4.

戦場近くに築かれた要塞の一室、朝から続いていた軍議も終わり、俺は連日の疲れもあって、夕刻の茜色の陽が室内に流れ込む中、うつらうつらと微睡んでいた。

政治にかまけて何年かの間出席出来ずにいた軍議で告げられた事実はあまり芳しいものではなかった。この15年で俺に従う部族中、そして国内中から戦えるだけの兵をあらゆる手段で集め戦ってきたが、最早あと数度、いや一度総力戦を行えれば良いほうだろう、という状態にまで俺達は消耗していたのだ。

それまで部下達から受けていた報告では俺達は常に善戦し、敵にかなりの損害も与えてきて向かい風から追い風へと状況は変わりつつあるはずで、実際それは嘘ではないのだろうが、現実として戦いを続けるための国の体力は既に限界に達していたのだった。

だが、この件で部下達を責めるのはお門違いというものだった。政治にかまけていた俺も、族長達の陳情や戦費に逼迫される財政を見てそうではないかと薄々気付いてはいたのだから。

あと、一戦、どこで総力戦を挑むか?、そこに俺達の興亡はかかっていて軍議の半分以上の時間はその点に費やされていた。

無論、講和の準備もしていたが、何せ連合軍を束ねるのはあの父親である。果たして不貞の息子……いや、もう息子とすら思っていないだろう反逆者を許すだろうか?。それだけが問題だった。

それでもロズゴール王国さえ講和に応じてくれれば、後は何とかなりそうなのだ。

……奇跡を待ち望んでいる時点で負け、か……

俺は今更ながら軍務大臣の言葉を思い出していた。俺が王都から逃げ出したあの後、彼はどうなってしまったのだろう?。今は軍務大臣は別の務めていることから、彼は責任を取って辞任、いや更迭されたのだろうが、その後どうなったのかは知らない。

王都を離れて15年か……思えば俺もよくぞ今日まで戦ったものだ……

俺は半ば眠りの世界に引きずりこまれながら、自分を褒めたい感傷と過ぎ去った年月への余韻に浸っていた。

……あれから15年、あの人はどうしているのだろう?

そして、ふと、俺はあの人のことを思い出していた。王としての忙しい日々の中で、あの人のことを忘れることも度々だったというのに、何故か無償にあの人に会いたかった。

……国に謀反を起こした不肖の弟のことを怒っているのだろうか?……もう顔も見たくないと思っているのだろうか?……いや、あの人も王太子として忙しい日々を送っているだろうから、もう俺のことなんて忘れてしまったかもしれないな……

そんなことを考えながらウトウトと座っている椅子の肘起きに身体を預けて現実と夢との境界線に意識を漂わせていると、ふと、誰かが室内に入って来る衣擦れの音を聞き取った。

……家臣の誰かか?……いや、どこかの国の刺客か?

俺は眠ったふりをしながら、こっそりと、羽織っていた黒豹の毛皮のマントの下に隠した短剣に手をやった。

今までに刺客に命を狙われたことは一度や二度ではない。その都度運良く、九死に一生を得てきた俺だったが、今日こそ年貢の納め時かもしれなかった。

だが、恐怖は無かった。ただ、その時が来たのかも知れない、という覚悟と、できれば……という切望に近い願いが一瞬心を過ぎっただけだった。

……できれば、もう一度……せめて一目だけでも会いたかった……

本当に神が居て、そんな俺を哀れに思ったのだろうか?、

「やぁ、クレフ」

そして、そんな俺は、懐かしい、そして人懐こくも優しい歌うような声を聞いた。

その声が誰の声であるか?、それを俺が忘れるわけなど無かった。

慌てて俺が瞼を開いて上半身を起こすと、そこには、どうしてそれを誰かと見間違うことなど出来るだろうか?、昔とはすっかり変わってしまったものの、白い羅紗のマントに身を包んだあの人がいた。

俺は驚きのあまりに見開いた目を何度も瞬きし、そして擦ってみた。だが、何度繰り返しても俺の目の前に居たのはあの人だった。

身長こそあまり伸びてはいなかったものの、今はすっかり体が大きくなり、口髭など蓄えていたが、ロズゴールの国色である白い羅紗の外套を身に着け、同じく純白の衣装を身に着けて俺の前に立っていたのは間違うことなくあの人だった。

「やぁ、クレフ、すっかり見違えてしまったね」

呆然とする俺に、非常に懐かしそうに言う、どこか緊張感の無いその言葉が、時間の流れの中で自分が老いたという無情さを俺に否応なしに教え込んだ。

……これは夢なのか?

俺は、そっと何時からか皺の目立つようになった自分の頬に手をやり、そっと抓ってみた。俺は夢を見ているわけでも、疲れて幻を見ているわけでもなかった。

……それでは本当に……でも一体どうやって、この敵陣の最中に?……

驚きに目を丸くする俺に、「フェルマン君の御子息のグレプス君に手伝ってもらったんだ」とあっさりとあの人は種明かしをした。

……グレプスが?……だが、どうして?

それは一国の王として一番最初に疑うべきことなのかもしれなかったが、俺にはそれよりも聞くべき大切なことがあった。

「何故、ここにやって来たのです?。ここは貴方にとって不倶戴天の敵の居城ですぞ!。貴方の目の前にいるのは、貴方の憎むべき敵の頭領なのですぞ!」

俺が言うと、あの人は一瞬、悲しそうな顔をして視線を俺から外し、

「可愛い弟から、そう言われると傷付くな」

と本当に悲しそうな声で言った。

それが嘘でないことは俺には分った。

何年経って、どれだけ人生の経験を積んでも、俺にはこの人が俺に嘘を付くなどとはまったく思えない。それで俺がお人よしというのなら、人を見る目がないというのならそれで構わない。この人を信じることが出来るのなら、どのようにでも罵られたって良い。

そのぐらいに、俺があの人を信じる慕情にゆらぎはなかった。

「僕は君に二つのことを教えに来たんだ」

その言葉に俺が無言のまま眉をひそめると、あの人は「一つには、父はもうすぐ他界するよ」と衝撃的な事実を伝えてきた。

「王族特有の病気さ。僕らのお爺様も同じ病で死んだ。多分、同族結婚で血を濃くしすぎた結果だろうね。残念だけど、持って数日だろう。もしかしたら僕が帰る頃には既に他界しているかもしれない」

普通に考えれば、俺は悲しむべきなのかもしれなかった。生前対立していたとはいえ、俺と親父は血を分けた親子なのだ。なのに、俺の心は全くそれに対して悲しみを感じなかった。

俺は別に冷血なわけではない。事実、俺の義父にあたるリクシャマー族の族長が戦死したときは心が裂けるぐらいに悲しかったのだ。けれども俺は、この父に対してはその死を悲しいとは思わなかった。

「そうなると僕が次期国王になる。僕は君達と停戦するつもりだよ。今回の戦争に参加した国もそれを望んでいるからね。君達が邪教を捨てると、もちろん僕は君達が邪教の徒だなんて信じていないけど、そう宣言さえしてくれればそれで各国も面子が立つよ」

「それは良い話です」

平然を装って俺は答えたが、正直声が震えていた事までは隠しようがなかった。

俺達はこの滅亡の危機を乗り越えたのだ……

本当は安堵のあまりそのまま椅子の背に腰を預けて崩れこみそうだったのだ。

「それでもう一つというのは何でしょう?」

俺が聞くと、あの人は「うん、それだけど……」と躊躇うように、まるで女性のような仕草で俺から恥らうように視線をそらし、突然言葉を言い澱ませた。

「ご随意に殿下、既に人払いはしてあります」

いつからそこに居たのだろうか、フェルマンの子、グレプスが俺の背後から声をかけた。

俺は、はっと息を呑んで体を堅くした。

彼のいる位置は、俺を斬ろうと思えば斬れる一瞬のうちにそれを成せる間合いだったのた。

俺を暗殺する気か?……今まで俺に従ってきたのは演技か?……だとしたら、何時から、こいつは……いや、こいつら親子はロズゴールの側の人間だったのだ?

そして、そんな疑心に駆られる俺の前で、あの人は自分のやにわに自分の見事な顎鬚を掴むとそれを一気に引き抜いた。突然の行動に俺は驚いたが、良く見ればそれは付け髭だった。

そうしてからあの人は今度は口の中に細い指先を突っ込んで含み綿を取り出し、そして身体を包む純白の服を脱ぎ始めた。服の下には体を大きく見せるためなのだろう、肉襦袢の上から幾重にも包帯が巻かれていた。そして、あの人は少しずつそれらを脱いで、俺の前にその肌をさらし、遂に一糸纏わぬ裸になった。

全て露になったあの人の姿を見て、俺は子供の頃にあの人が言った言葉を思い出していた。

「僕は、君と同じで女の子じゃないよ」

確かにあの人は女ではなかった。

けれど、あの時の俺は疑問に思うべきだったのだ。どうしてあの人はこう言わなかったのか?、と……

「僕は、君と同じで男の子だよ」

その理由は簡単なことだった。

何故、大臣はあの人を「悪魔に魅入られた魔性の子」と言ったのか?、幼い日の俺はあの人に魅かれて、そして今でもあの人に魅かれ続けているのか?

それも理由は簡単なことだった。

それは、あの人は男ですらなかったからだ。

あの人の裸体は男性のものでもなければ、女性のものでもなかった。俺の目の前にはどちらにとっても不完全な身体があった。

……ハザーリャの子!?

それはリクシャマー族にとっては「神聖なる御子」と呼ばれて尊ばれる存在だが、ロズゴール王国にとっては「キュトスの取替え子」とも呼ばれ蔑まされる存在だった。男女どちらの印も持たない、半陽の身体……少年・少女の体のまま老いることを封じられ、その身体に閉じ込められたまま精神と魂の死を迎えるべき、刻の囚われ人……決して子を産み子孫を残すことはない、人として不完全な存在……ロズゴール王国において、庶子にそのような子が産まれたのならば、漏れなく産婆の手によって母親に知られぬように間引きされる存在……

長いロズゴールの王家の歴史においても、過去に二人ほどそのような子供が生まれたことがある、と小耳に挟んで聞いたことはあった。その子はどちらも女性として育てられ、一人は尼僧として修道院で生涯を送り、もう一人はどこか中小の貴族と臣籍降嫁という形で婚姻したのだという。知っている限り彼女が子供を残したという記録は無かったはずで、そのような彼女の人生が如何なるものであったかは想像に難くない。

本来ならばあの人もそのような形で生涯を終えたに違いない。

けれど、どのような運命の悪戯なのか、あの人は王太子として男の生涯を送っていて、そして俺の目の前にいる。

「君が居ない間にロズゴール王国も随分と変わったよ。あの後、軍務大臣は処刑された。君に唆されたと証言すれば命を許す、と王に詰め寄られたけど、彼は最後まで、自分の一存で謀反を謀ったと言い張ったんだ」

……そうか、軍務大臣は死んだのか

それが「悪魔に魅入られた魔性の子」に王国を乗っ取られないためだったのか、それとも俺の身を案じたからかは分からなかったが、やはり軍務大臣は俺が思って尊敬した通りの人間だったことを俺は改めて知った。

「そして君達リクシャマー族の台頭による新国家の誕生に対抗するために王族や貴族を超えて手に手をとるようになった。その証として、僕は王家からではなく中小の貴族、それも秘密を守りきれると信頼するに値する貴族の娘を嫁に貰ったんだ。子供もいる。典医たちと謀って、姉達の一人が身籠った男子の一人を、出産の際に、ひどい死産だったとその姉や周りには偽って引き取り、その子を実子として育てている。きっと彼は僕らの願いを継いで、国内の融和にもう一役買ってくれるだろう」

それは、俺が知っているあの人のやる事ではなかった。

長い時間の流れの中で俺が変わってしまったように、あの人も変わった、いや変わらずを得なかったのだ。

けれど、それでようやく俺はあることを悟って聞いた。

「グレプスとその父親のフェルマンに裏切るように仕向けたのは貴方なのですね?」

あの人は俯いて何も答えなかった。

けれど、俺は聞いてしまったのだ、一瞬だけ俺の背後でグレプスが息を呑むのを……。俺が事実を知るにはそれで十分だった。

だから、もう一つ俺はずっと疑問に思っていたことを聞いた。

「あの謀反の夜、大偉壁から兵士を動かしてくれたのも貴方なのですね?」

やはりあの人は俯いたまま何も答えない。

けれど、その沈黙が全てを物語っていた。

……そう、だったのか……

俺は溜息を吐いて、座っている椅子に力なく背中から沈み込んだ。

それで俺は知ってしまったのだ……自分が過去に行った罪と、その罪の重さと、そしてあの人に残してしまった痕の大きさを……あの時、俺はなんて取り返しのつかないことを言ってしまったのだろう……

「俺が王になるんだ。そしたら、俺の王妃になってくれよ」

王や王妃もあの人を女として生涯を遂げさせるか、それとも自分達の血を引く王太子による王位継承のために男として生きさせるかに拘るかで迷っていたのだ。もし男として生きさせるとしたら、それはロズゴール王国という巨大な国の巨大な権力を手にする代償に、常人には理解できない重圧の中、全てを隠しながら一生を終えなければならない宿命を背負うことになる。だが、もし女として生きるのならば、子を産み育てるという幸せとは味わうことは出来なくとも、静かにその生涯を送ることが叶う。

その二人の迷いが後宮でのあの人の、あの少女の格好だったのだ。

そうでなくても、もし俺がいなくて、あの人が王太子として公式に就任するまでに王子を王妃や他の寵妃達が産むことがあれば、どうして「ハザーリャの子」であるという事実を隠すという危険な賭けを行ってまで王や王妃、そして王に加担して権力の甘い汁を吸う聖職者達があの人を王太子にできただろうか?。

さらには、もし、あの人が女としての生涯を終えると誓ったのならば、どうしてそれを父である王と、王妃は止めることが出来ただろう?。そうなったら尼僧となるか、近親結婚が盛んに行われたあの国のことだ、どこか口の堅い王族の妻として生涯を終えることになったのだろうが、臣籍へと下ることを条件に俺がその夫となることを申し出る事だってできたはずだ。

王族にとって将来厄介な火種へと成りかねない貴族との合いの子と、忌むべきハザーリャの子……この二つを一度に王位継承権を剥奪して厄介払い払いできるのならば、誰も反対などしない。むしろ進んでその背を押しただろう。

あの人は、あの時点ではまだ男になることも女になることも出来たのだ。

けれどあの人は、俺を見て王族と貴族が対立している現状を知って憂い、自ら全てを偽って王子になることを決心していたのだ。なのに……俺はあの人に自分の心を伝えてしまった。あの人に女としての未練を与えてしまったのだ。

「俺が王になるんだ。そしたら、俺の王妃になってくれよ」

心の中でその言葉を反芻して、俺は罪悪感に押しつぶされそうになる。

……僕は君と同じで女の子じゃないよ

あの、一見ただの無邪気な言葉とも思える言葉の裏に、どれだけのあの人の心身を磨り潰されそうな悲しみと決意の重さがあったのか、俺は少しも理解していなかったのだ。

あの人は未練を断ち切るために「僕は君と同じで女の子じゃないよ」と言い、その一方で俺に対する愛情と、そうとまでいかなくとも俺に嘘を吐きたくないがために「僕は君と同じで男の子だよ」とは言えなかったのだ。

今目の前にある昔と変わらないあの人の姿と、俺に対する言動を見て涙が頬を伝いそうになる。

せめて、もし、俺がただの弟であれば、あの人は自分の願いを形にするために何の迷いも無く冷血に生きられたのだ。

俺を冷血に使い捨ての駒に出来たのだ。

それで俺は構わなかったのだ。

なのに、俺のあの言葉のせいで、あの人は俺を野心のための駒として使い捨てにすることができなかったのだ。

自身の片腕を俺のために裏切らせ、そのことによって俺の知るあの人にはできるはずもない想像を絶するような狡猾で、無情な行為を行う負担に耐え、その代償に心を磨り潰さなければならなかったに違いない。

そのことが、本来は無邪気で無垢なあの人の心にどれだけの傷を負わせたのだろう?。

そして、もし、この時代を誰かが振り返り、あの人を悪だと罵るのならば、あの人を悪に染めた元凶は、誰が何と言おうと俺だ。

それが俺の、取り返しが付かない罪だった。

しばらく室内に居る三人の間に、静かな沈黙の空気が漂った。

やがて、俺は自分でも驚くほどに静かな、そして淡々とした口調で、あの人にもグレプスにも目線を合わせないようにして語り始めた。

「俺は、この地に自分の国を作るよ」

「……」

「ロズゴール王国でも、リクシャマー族による国でもない、以前のいかなる国とも違う国家を……俺を絶対者である『皇帝』とした『帝国』をこの地に築くよ」

ひどく滑稽で我侭な言い分ではあったが、それが俺が思いつく限りの、あの人にしてやれる最後の償いであり、お互いを過去から解き放つ唯一の方法だった。罪深い人間である俺には、もう他には何も思いつくことはできなかった。

あの人は嫌な顔もしなかったが、嬉しそうな顔もしなかった。無表情でもなかった。ただ複雑な、だがどこか口元を緩めた、笑ったようにも見える表情をして無言のままだった。俺もまた、同じような表情をして無言のままだった。けれど、もう既に、その心内が分らないほど、お互いおめでたくも、愚かでも、そして無垢でもなかった。

長い時間は俺も、あの人も確実に歳をとらせ、そして変えていたのだ。

「……さぁ、ロズゴール王国王太子殿下、いえ次期国王陛下、お着物を召してください。いつまでもそのような姿でおられてはお身体に障りますぞ。そして貴方は御自分のお国へお帰りなさい。ここは貴方の敵である者達の居城なのですから」

あの人は何も言わず、脱ぎ散らかすようにして足元に散らかっていた服を身につけ、そして含み綿と付け髭をその顔に戻した。

そこにはもう、俺の知っていたあの人の顔は無かった。

そこにあったのはロズゴール王国の王太子にして次期国王の顔だった。

けれど、グレプスに送られ、この部屋の外の茜色の空から差し込んだ夕陽の中に姿を消すあの人の背中は、白と錦糸のマントに隠されていても、まごうことなくあの日のあの人の背中だった。

俺はその背中を抱きしめたい衝動にかられたが、それはもう叶わないことだった。

代わりに俺は、その背中を見送りながら静かに天井を仰いだ。

なぜなら、今ここに居る俺も、ロズゴール王国の王子でもなければ、あの人の弟でもない、ロズゴール王国にとって宿敵とも言えるリクシャマー族の長だったからだ。

どうしてこんな風に道を間違えてしまったんだろう?

あの人の居なくなった部屋で、一人俺は思った。

あの人の為になりたかった……あの人の力になりたかった……あの人の傍に居たかった……けれど、現実は全く逆の方へ進んでしまった。

理由なんて決まっていた。

俺の人生には最初からヤキが回っていたからだ。

脱力感と、張り裂けそうな心の痛みの中、俺はどれだけその場にそうしていたのだろうか?。やがて、すっかり日も暮れて暗くなった部屋の中、俺の傍らに立った誰かが、そんな指一本も動かせないほどに放心していた俺の体にそっと優しく毛布をかけてくれた。

力なく顔を上げると、そこには、今は亡きリクシャマー族の総族長の娘にして、長年連れ添った俺の妻の顔があった。

「とてもお疲れになったのですね。でも、せめて毛布を掛けないとお身体に障りますよ」

そう言って、俺の顔を覗き込んだ妻の顔は全てを悟って受け入れているようにも、そのような俗世のことには関わり合いが無いようにも見えた。そしてその顔には、やっぱりあの人に良く似た瞳があった……けれど、そこにはそれ以外はあの人に全く似ていない、しかし全てを包み込んで許してくれるような優しいつくりの顔があった。

それは、今、一番俺が欲しい、いや、ずっと欲していたもののはずだった。

……なのに俺は、そんな自分の妻の顔すらはっきり見ていないほどあの人を慕っていたのだな……あの人に夢中だったのだな……あの人が俺の心を占めていたのだな……

俺は突然妻の手を取り、その身体を抱き寄せた。突然の俺の行為に妻は最初は驚いたようだったが、やがて優しく俺を抱きしめてくれるように俺の胸の上でその体を預けた。

その体の柔らかさと、暖かさと、そして優しさを感じながら「お前を抱きしめさせてくれ」と俺は妻に頼み込むように言っていた。

「そして、泣かせてくれ……今だけは泣かせてくれ……泣くだけ泣いたら、もう俺は泣かないから」

そんな俺の言葉に、彼女はただ優しく「はい」とだけ答えてくれた。

俺は彼女の胸に自分の顔を埋めて、声を殺して嗚咽した。

そんな俺の髪を、やさしく妻が撫でてくれるのを感じながら、俺は自分で言った通り、人前で泣くのをそれで最後にするつもりだった。

なぜなら俺は、皇帝……なのだから。

 

 

5.

それから3日もしないうちに、ロズゴール王国から軍使が来た。

以前、俺が使者に対して行った仕打ちについて聞いているのだろう、どこか緊張した顔の使者は、震える口調で国王の崩御と、連合軍を代表して新国王からの和睦の提案を告げた。条件はもちろん、俺達が邪教を捨てると宣言すること、そしてロズゴール王国に対しての王位継承権を破棄することだった。占領していたバキスタ地方の南半分の返還という条件もついていたような気もするが、それはどうでもいい。

緊張した面持ちで俺の顔を見る部下達の前、俺は「良いだろう」とあっさりとこの条件を飲んで見せた。

部下達の中から歓声があがり、俺を讃える声があがったが、俺はそれらを聞いていなかった。

ただ、小さく溜息を吐いて、俺の中で何かがこれで本当に終わった、いや終わってしまったことを改めて確認しただけだった。

講和の話は軍使によって諸国にも伝わり、諸国は諸手を上げて俺の国と講和を結んだ。そのことによりロズゴール王国内の反徒にしか過ぎなかった俺の国は諸国から正式に国として認可され、「正統ロズゴール王とリクシャマー族による連合王国」という怒りと若気のあまりに付けてしまった名前の変わりに「リクシャマー公国」という名前が与えられ、俺には公王という位を名乗ることが許された。

部下達と兵士達、そして民衆が喜びに沸く中、俺の顔は彼らに向けて満面の笑みを浮かべていたが、俺の心はどこか空虚なままだった。

 

 

……時の流れなど早いものだ、そんな俺も、家臣の話によれば、もうすぐ55歳になるのだという。

その後は戦争によってではなく息子達や娘達の婚姻によって勢力範囲をさらに拡大した俺のことを、どこでその言葉を聞いて覚えたのか「皇帝」と呼ぶ者もいたし、俺の国を「リクシャマー公国」ではなく「リクシャマー帝国」と呼ぶ者もいた。言葉の意味も知らずに、よく言ったものだ。まぁ、あれから様々な文献を読んで勉強はしたものの、今に至っても俺も「皇帝」の本当の意味も、「帝国」の意味も分らないままだが……。

あの人はその後、新国王に即位した後、見事に王族と貴族の間の対立関係を収めて国内を治めた。見事なものだ。きっと俺には、それは出来なかっただろう。俺は親父と似て、感情と思い込みに任せてそのまま突っ走り易いところがあるから、きっとロズゴール王国の王になっていたなら、それが原因で取り返しがつかない内紛を起こしていたに違いない。親父が「本当の意味で」男である俺を王太子にせず、あの人を王太子にしたのは、そして俺をなんとか廃位しようとしたのは、俺が貴族の血を引いているからだけではなく、その性格を読んでいたからだろう。そしてリクシャマー公国でそのようなことにならなかったのは、総族長の死によって国内を奔走している間に、政治の駆け引きというものが分ったからだ。この歳になって、ようやく俺はそのことが分るようになっていた。

グレプスには、その父親と交わした約束の通り占領地の2割の土地をやった。

国内にもう一つの国を作ることになる、と窘める家臣もいたが仕方あるまい。それが当初からの約束だったのだし、グレプスの知る秘密はその気になればロズゴール王国はもちろん、俺の国だって揺るがしかねない事実なのだ。それを彼自身が最後まで誰にも喋らず、墓まで持って行ってくれるならば、その程度は安い代償だ。

ロズゴール王国とリクシャマー公国の二つの国の間はと言えば、戦争が終わり、講和条約が結ばれても結局険悪なままだった。大きな戦いはないとはいえ、飽きもせずに、まるで恒例行事であるかのように国境付近で毎年小競り合いを繰り返している。

無理もあるまい、ロズゴールの民にしてみればいくらリクシャマー族が国家を持ったとはいえ先祖の代からの不倶戴天の敵であることは変わらないし、それはリクシャマー族にしてもそうなのだから。俺は沢山の跡継ぎに恵まれ、彼らはいずれも武勇や知略に恵まれた王子として育ち、利発で器量良しに育った娘達は各国の王の下へ、あるいは国内の有力部族や領主の下へと嫁いでいったが、すっかりリクシャマーの風習に染まった彼等は何世代かかってでもロズゴール王国を滅ぼすと躍起である。そんな状態だから、きっと俺が死んだ後もこの国はロズゴール王国と戦場で、そして水面下で果てしなく戦いを続けて行くのだろう。それは仕方がないことだし、そうでなくてはならない宿命だ。互いに敵視しあうことで、この国もロズゴール王国もまとまった国として成り立つのだから。対立と闘争は二つの国が存続するための、少々血なまぐさい儀礼であり儀式なのだ。

けれど、互いに祖国は違ってしまったが、俺とあの人の間では戦いはもう終わっていた。今から2年前に、あの人は今の俺と同じ歳に死んだ。その亡骸はロズゴールの王都の王族の墓場に葬られ、その遺体は王族に珍しく荼毘にふされたという。

そして、この俺も、もうそれほど長くは無いだろう。戦場を駆け抜けた頃が嘘のように、近年病気がちで領内に篭りきりのグレプスも多分、それほど長くはない。妻も最近は病気で伏せることが多くなった。

全ては関係者の死と共に闇に葬られるのだ。

だからなのだろうか?最近、あの人のことを頻繁に夢に見る。

……俺の墓にロズゴール王国の王都の土を敷き詰めて欲しい

それで、つい、息子達から誕生日の贈り物に何が欲しいかと聞かれて、俺はそう答えていた。

もし全ての運命が皮肉な方向に向かなければ結ばれたかもしれないのに、結局は結ばれず、袂を分かってしまった二人、せめて同じ墓とはいかなくても、同じ土の下で同じ夢を永遠の眠り刻の中で見ては良いではないか。

そして、その永劫の夢の中で俺とあの人は帰るのだ、あの時、あの時間にあの場所へ。

そこでは俺は皇帝でもなく、公王でもなく、もちろん王子もなく、ただのあの人の弟になるのだ。そして、あの人は……

 

 

リクシャマー帝国開祖、クレフ・ヒュー・ロズゴールは55歳でその波乱に満ちた生涯をリクシャマー公国首都の宮廷の自室で終えた。

葬儀の際に息子達によって発表された彼の遺言は「幾代かかろうとも予の墓にロズゴール王都の土を敷き詰めよ」であり、彼の後継者となった公王、そして後の皇帝達はその遺言を果たそうと何度もロズゴール王国に戦争を挑んだが、結局その願いは叶うことはなかった。

 

 
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