No.180210

天使舞い降りぬ日々…(中編)(2004/11/21初出)

6年ほど前に書いたSSです。
一部文章が拙いところがありますが、目をつぶっていただければ幸いです(笑)。
舞を襲った突然の悲劇。彼らは悲しみを乗り越えようと前向きに生きますが、
光は見えず、そして…。

2010-10-24 22:42:51 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:706   閲覧ユーザー数:689

 

 

 “ハァ…、ハァ…。お腹が…、赤ちゃんが…!”

 

 

  4年前のあの日、妊娠中の舞を突如襲った激痛…。

 

 ‘せめて、お腹の赤ん坊だけでも助けて欲しい’

 

  脂汗が流れる程の激痛の中でも、舞の願いは自分よりお腹の赤ん坊への思いで

 いっぱいだったが、無情にもその激痛はどんどん増していき、

 舞の赤ん坊への想いを上回るくらいの耐え難いものになっていく。

 

 

“助けて…!潤!皆!”

 

 

 “舞ィィィ~ッ!!”

 

 

  舞が搬送された病院に北川が息せき切って駆けつけたのは、

 舞が突然のお腹の痛みを訴えてからおよそ40分後のことだった。

 

 

  手術を受けているのか、手術中と灯されたランプのそばのソファに佐祐理が

 必死で祈る様に座っていた。舞の勤める幼稚園の園長も付き添いで来ていたのか、そこにいた。

 

 

 “北川さん…”

 

 “佐祐理さん…!舞は…?舞は…!?”

 

 “分かりません…。私もさっき舞が急に倒れたってことしか…”

 

 

 “それしか分かってないんですか?”

 

 “落ち着きなさい!北川さん!”

 

 

  佐祐理に突っかかってしまうほど取り乱している北川を、園長が後ろから一喝した。

 

 “今、我々が慌てたところでどうにもならんだろう!それより、今は舞先生と赤ちゃんの無事を

  祈るしかなかろう。違うかね?”

 

 “そうですね…。すみませんでした…。佐祐理さん…。つい取り乱しちまって…”

 

  大人気ない行動に顔をしかめながらも北川は大人しくなった。

 

 

 “いえ…。でも舞は…?”

 

 “今は舞を信じるしかないですよ…。大丈夫…、舞ならお腹の子供と一緒に

  何事もなかった様にケロッと…”

 

 “そうですよね…”

 

 

 

 

 

 “北川!佐祐理!舞は…、舞は大丈夫なのか!?”

 

  少し送れて、祐一も病院に駆けつけた。

 

 

 “まだ分かんねえよ…。でも今は信じるしか…”

 

 “そうか…”

 

  4人共、歯を食いしばりながら必死に祈り続けた。

 

 

  2、3時間が経過しただろうか。手術中と灯されたランプがフッと消え、

 舞の執刀を担当した医者が出て来た。

 

 

 “先生…、舞は…。舞は…?”

 

 “北川さん。心してお聞きください”

 

 “え…?”

 

  医者の発言に不吉な予感を覚える。

 

 

 

“手は尽くしましたので、奥様の方は無事です。ですが、お腹の中のお子さんは…、

  残念ながらお亡くなりになりました…”

 

 “そんな…。ウソだろ…?”

 

 

  続けて、キャスターベッドで眠る舞が運び出される。今朝まではもうひとつの命が

 こもっていたはずの大きかったお腹はもうなかった…。

 

 

 “舞…。そんな…”

 

 “佐祐理…”

 

 “ヒグッ…、グスッ…”

 

  親友の突然の不幸に佐祐理は祐一の胸に顔を埋め、ただただ泣くしかなく、祐一も佐祐理を

 ただ抱きしめることしか出来なかった。

 

 

 “先生…。何で舞が…?”

 

 “分かりません…。定期健診では何の異常も見られませんでしたし、様々な治療法を

  探してみたのですが、原因が分からないままで結局手の施し様がなかったんです…”

 

 

 “ウソだ…!本当は…”

 

 

  いきり立って、北川は医者の胸倉をグッと掴んだ。

 

 

 “やめろ!北川…!”

 

 “やめて…。潤…”

 

 “舞…?”

 

 

  うわ言の様な舞の言葉に、北川は胸倉を掴んでいた両手を離した。

 術後なので麻酔が効いて眠っているはずだが、舞の閉じている瞳から涙が頬を伝って流れていた。

 

 “先生は…、悪く…、ない…。悪いのは…、私…、だから…、先生を…、責めないで…”

 

 “すいません、先生…。ついカッとなっちまって…”

 

 “いえ…”

 

 “でも…”

 

 

  舞の言葉で冷静さを取り戻したとは言え、お腹の赤ん坊を失った悲しみが癒える訳ではなく、

 それを聞いてすぐに死を納得することもそう簡単には出来るはずもなく、

 北川は床に崩れ落ちて、ただ天井を仰いで涙を流すことしか出来なかった。

 

 

 “でも…、舞だって相沢だって佐祐理さんだって悪くはないはずなのに…。

  皆、赤ちゃんが産まれるのを心から望んでたのに…。何で…?

  何でこんなに悲しい思いをしなきゃならないんだ…?

  こんなのって理不尽だよな…? チキショオ…。チキショオ…!”

 

 

  やり場のない悲しみを遠い空にいる神様に向けながら…。

 

 

 “良かったな、舞。一時はどうなることかと思っていたけど…”

 

 “はちみつくまさん”

 

  3週間後、北川や相沢夫妻、そして職場の先生方や幼稚園の子供達の支えもあって

 舞は無事に退院することが出来た。幸いにして母体の方には影響がなかったので、

 また子供を望めることが分かった。

 

 

 “それではお大事にどうぞ”

 

 ““はい。お世話になりました””

 

 

 

 

 

 “ねえ…、潤…”

 

 “何だい?舞”

 

  岐路の途中、舞が北川に恐る恐る話し掛けた。

 

 

 “本当に…、グシュ…。ゴメン…、ね…。赤ちゃん…、産めなくて…”

 

 “舞が謝ることじゃないよ…。ただ運が悪かっただけだ…。そう考えるしかないよ…”

 

  涙目で申し訳なさそうに謝る舞の頭を、北川は微笑みながら優しい口調でそっとなでてあげた。

 

 

 “でも…”

 

 “仕方ないさ…。舞は本当に望んで、産んで育ててあげようって思ってたんだ。

  それはお腹の中にいた子供にだって分かってるはずだよ。もう流産は過去のことだって

  忘れるのは良くないことだけど、まだ可能性はあるんだ。産まれて来なかった子の為にも、

  次はきっと大丈夫だって前向きに生きて産んであげようぜ”

 

 “はちみつ…、くまさん…”

 

  涙目ながらも、舞は笑顔で北川を見上げる。

 

 

 “そうそう。その笑顔だよ!それでこそ舞ってもんだぜ!”

 

 “はちみつくまさん!”

 

 “よし。そうとなったら早速家に帰ろう!今日は俺が舞の退院祝いに、飯作ってあげるからさ!”

 

 “はちみつくまさん!”

 

 

  それからの2人は力を合わせて前向きに、時には産んであげられなかった子供のことを

 思いながら生きていき、1年後、見事に新しい命が舞のお腹に宿ったのだった。

 

 

  しかし皮肉にも妊娠5ヶ月目にして流産を余儀なくされ、3度目の妊娠も

 4ヶ月目にして儚く散ってゆくこととなった…。そして…。

 

 

 

 

「おわっ!?」

 

 「このエロガキ~…、やっと捕まえた~!」

 

  舞が回想にふけっていた頃、みちるが鈴人を捕まえていた。

 

 

 「離せよ~!」

 

 「誰が離すもんか~!乙女のスカートをめくった罪は

  重いんだから~!国崎鈴人~、覚悟~!!」

 

 「まあまあ、みちるちゃん…。国崎君はまだ4歳だし、許してあげたら?」

 

 

  回想から我に返っていた舞が、すごい剣幕で今にも鈴人に

 ゲンコツをかまさんとしているみちるに、なだめる様に話し掛ける。

 

 「舞先生…」

 

 「助かったよ♪まい先生、ありがとう」

 

 「国崎君も女の子のスカートをめくるなんてことしたら、ダメ。分かった?」

 

 「は~い…」

 

 

 「ねえ、みちるお姉ちゃ~ん…。そろそろお母さんのところへ行こうよ~」

 

  一方、鈴人のおかげで一人たたずんでいた美咲が、待ちくたびれた様子でみちるを呼んだ。

 

 「ゴメン、美咲。そうだったね…。じゃ、いこっか♪」

 

 「うん」

 

 

 「国崎鈴人~!今日のところは勘弁してやるけど、この次は容赦しないからね~!」

 

 「出来るもんならやってみな~♪」

 

 「コラコラ…。2人共…」

 

 「それじゃ、失礼します。舞先生」

 

 「また明日ね、まい先生♪」

 

 「うん♪明日赤ちゃんの話を聞かせてね♪」

 

 「は~い♪」

 

 

 

 

 

  子供達と色んなことがあった舞の今日の仕事も一段落着いて、帰宅後は北川と夕食、

 入浴を済ませ、そして明日の仕事に備えて疲れを残さぬ様、グッスリと寝るだけとなった。

 

 

 「お休み。潤…」

 

 「お休み。舞」

 

  お互いにお休みのキスを交わし、一つの布団を共にして眠りに就いた。

 

 

 “ねえ…、お母さん…”

 

 “…?”

 

  夢の中、舞は霧がかった場所に一人ぽつんと立っていた。そして、

 姿は見えないものの誰かが母親を呼ぶ声が舞の耳に届いた。

 

 

 “お母さん…。舞お母さん…。ここだよ…。お母さんの後ろにいるよ”

 

  どうやら、舞のことを呼んでいたらしく、振り向くと子供が宙に浮いていた。

 面立ちこそ分からないものの、どうやら舞のことを睨み付けている様子で、

 何か憎悪の様なものを感じた。

 

 

 “あなたは…、誰…?”

 

 “忘れたなんて言わせないよ…。ボクは4年前にお母さんのお腹にいたんだよ…!”

 

 “忘れてない…。忘れるはずなんてない…!私はあなたのことを

  産んであげたかったけど、産んであげられなくて…”

 

  舞は産んであげたかったと言う本心を目の前の子供に必死に話すものの、

 子供は聞き入れる様子なく更に憎しみの言葉を吐き捨てる。

 

 

 “産んであげたかった…!?ふざけた言い訳しないでよ…!”

 

 “ふざけてなんかいない…!本当にあなたのことを楽しみに…”

 

 “お母さんのせいだよ…。お母さんのせいでボクはこの世に行けなかったんだ…!

  どうしてくれるの…!?”

 

 

 “あなただけじゃないよ…。私もお母さんのせいで産まれなかったんだよ…”

 

 “ボクもだよ…!お母さんのお腹の中にいなければボク達は産まれてこれたのに…”

 

 

  必死に弁明をする舞に追い討ちをかける様に、更に

 2人の子供が目の前に現れ、憎悪の言葉をぶつけていく。

 

 

 “違う…!産んであげるつもりだった…!本当に産んで育ててあげたかった…!”

 

 “言い訳なんて聞き苦しいよ!お母さん”

 

 “私達のことをお腹の中で殺しておきながら、よくそんな違うって言えるよね!”

 

 “お母さんのこと…。ボク達はいつまで経っても許さないから…!”

 

 “違う…!違う…!”

 

 

  3人に追い詰められ、その場からすぐに逃げ出したい思いに駆られたが、

 恐怖から足がすくんで動けなかった。いや、子供達が舞の動きを止めているのだ。

 

 

  やがて、3人の手が舞の首にかかる。

 

 “やめて…”

 

  涙を流しながら3人に懇願するが、3人は聞き入れる様子はなかった。

 

 

 “お母さん…。ボク達は一生お母さんのこと許さないからね…”

 

 “お母さんさえいなければ、私達は産まれてこれたはずだったのに…”

 

 “お母さん…。ボク達が産まれたくても産まれなかった苦しみ…。

  お母さんには一生味わってもらうよ…”

 

 “やめて…。やめて…”

 

  憎悪の涙を流しながら、3人は舞の首を一斉に締めた。

 

 “やめて…。やめて…”

 

 

 

 

 

 「やめてぇ~!」

 

  悪夢に耐え切れず、大声で泣き叫びながら舞はガバッと跳ね起きた。

 

 

 「はあ…。はあ…。またあの夢…」

 

  枕元の目覚し時計に目をやると2時半を指していた。全身に汗をびっしょりと

 かいていたので、シャワーを浴びてからもう一度眠ろうと、布団から出ようとして、

 

 「舞…。大丈夫か…?」

 

  舞のうわ言で目を覚ましたのか北川が舞に優しく声をかける。

 

 

 「潤…。私…」

 

 「また、あの夢を見たのか…?」

 

 「はちみつくまさん…」

 

 「そうか…。大変だったな…」

 

 

 「グシュグシュ…。潤…。ごめんなさい…」

 

  自分のうわ言のせいで北川を起こしてしまったことに、舞は涙を流しながら北川に謝った。

 

 「良いんだよ…。舞が謝ることじゃないさ…」

 

  そんな舞を北川は微笑みながら優しく抱きしめた。

 

 

 「グシュ…、でも…、最初の流産からもう400回くらいこの夢を見て…。

  その度に潤は起きて私のことを…」

 

 「良いんだよ…。舞が苦しんでるのを放ってはおけないのが俺の性分だから…」

 

 「でも…、潤だっていつも疲れてるのに…」

 

 「気にするなって…。いつもの輝いてる舞が俺にとっての清涼剤だからさ…。

  たまにケンカなんかもしちまったりするけどな…。俺が負けてばっかだったけど…」

 

 「はちみつくまさん…。確かに…」

 

 

  たまにする夫婦ゲンカで舞の強烈なチョップを食らってKOされたこと、祐一に

 吹き込まれたのか北川に紅しょうがご飯の弁当を持たせたりしたこと等、色々とあった。

 どれも長続きはせず、またいつもの仲睦まじい2人に戻っていたものだった。

 

 

 「だからさ…、1人でそんな辛いこと抱え込むなよ…。俺も一緒に抱えてやるからさ…」

 

 「ありがとう…。でも、潤だって職場なんかで辛いこと…」

 

 「大丈夫だよ…。俺はどっちかって言うとストレスは感じない鈍感だから、

  課長から部長から色んなグチ言われても、帰る頃にはケロッと忘れてるからさ…。

  まあ、仕事する上で肝心なことを忘れるのはまずいから、その点には気を付けてるけど…」

 

 「そう…。でも、潤も辛いことあったら言ってね…。私だって潤に守られてばかりじゃないから…」

 

 

  潤の優しい抱擁に、舞の表情もいつしか綻んでいた。

 

 「サンキュ…。舞…」

 

  いつしか舞の汗も引いていたので、シャワーを浴びずにそのまま眠りに就いた。

 

 

 「後、10日くらいで佐祐理はお母さんになるんだね」

 

 「うん、明日には入院するんだ。舞」

 

  2ヵ月後、幼稚園は夏休みに入り、その日非番の舞は隣の佐祐理の部屋に遊びに来ていた。

 

 

  祐一との結婚3年目にして佐祐理も妊娠し、後は子供が産まれるのを待つばかりだった。

 

 「佐祐理のお腹の音、聞いてると何か落ち着く…」

 

 「あはは♪ありがとう、舞♪」

 

 「あ…、今蹴った」

 

  佐祐理のお腹に耳をそばだてながら、舞はお腹の赤ん坊の鼓動に聞き入っていた。

 

 

 「何かこう言うのって私がお母さんで舞が子供みたいですね~♪」

 

 「はちみつくまさん。でも、からかい半分に言ったから…」

 

  佐祐理の頭にポカッとチョップをかます。もちろん、母体に何かしらの影響を

 及ぼすかも知れないので、痛くない程度の力でだ。

 

 

 「あはは♪舞ったら、子供みたい♪」

 

 「子供じゃないって…」

 

  少し膨れた様子で、ポカポカと連続でチョップをかました。

 

 

 「でも…。私なんかがお母さんになって大丈夫なのかな?」

 

 「どうしたの?佐祐理…?」

 

  急に不安げな表情になる佐祐理に、舞が心配そうに声をかける。

 

 

 「私はずっと前に一弥を厳しく育てようとして、結局死に追いやってしまった…。

  そんな私が母親になって大丈夫なのかな…?」

 

  そう言って、右手首に目をやる。そこにはリストカットをした跡が未だに残っていた。

 弟の倉田一弥がこの世を去ったのをキッカケに、自殺しようと佐祐理自らがつけたものだった。

 

 

 「大丈夫だよ…、佐祐理。そのことを分かっているならきっと…、絶対に良いお母さんになれるよ」

 

 「それだけじゃないの…。舞が3回も流産して辛い想いをしているのに、

  私達はこんなに幸せで良いのかなって…」

 

 

 「ぽんぽこたぬきさん!そんなことはない」

 

  佐祐理が申し訳なさそうに言う言葉を舞は力一杯、真摯な表情で否定した。

 

 

 「舞…」

 

 

 「祐一と佐祐理の幸せは私と潤の幸せでもあるから、佐祐理はそんなこと言っちゃダメ!」

 

 

 「……」

 

 「それにまだ私達は希望を捨ててないし、たとえ子供が無理だったとしても、

  私のことを必要としてくれている子がたくさんいるって信じてるから…。

  潤や佐祐理や祐一はもちろん、佐祐理のお腹の子だって…、

  きっと私のことを必要としてくれると思うから…」

 

 「舞…」

 

 「だから、佐祐理も良いお母さんになれるって信じて…。私、楽しみにしてるから…」

 

  舞の言葉に心揺れ動いたのか、佐祐理もいつしか笑顔で涙を流しながら、

 

 「そうだよね…、舞。ありがとう…」

 

 「はちみつくまさん」

 

 

 「よし!私頑張って赤ちゃん産むからね。そうしたら、舞にも抱かせてあげるね」

 

 「ありがとう、佐祐理。お腹の子が佐祐理に似てると良いね」

 

 「あはは~♪そうですね♪祐一ったら、胎教でいつも変なこと吹き込んでるから

  祐一に似ないかと心配なんだけどね♪」

 

 「クス♪」

 

 

 

 

 

 “prrrr… prrrr…”

 

  佐祐理との談笑の最中、舞の携帯が鳴り出した。

 

 

 「ゴメン。携帯が鳴ってるから…」

 

  慌てて、ポケットの中の携帯を取り出し、

 

 “prrrr… pi…”

 

 「もしもし…。あ…、課長さんですか…。主人がいつもお世話になっております。

  はい…、 え…?」

 

 

  携帯を持つ舞の手が震え、顔も蒼ざめていった。佐祐理には舞の声しか

 聞こえなかったものの、舞の様子から只ならぬことを感じ取る。

 

 「はい…。分かりました…。すぐに向かいますので…、はい…」

 

 “pi…”

 

 

 「どうしたの…?舞。北川さんに何が…?」

 

 「潤が…、急に倒れて…、病院に運び込まれたって…」

 

 

 

 突然の北川の異変を告げる知らせに、舞は今にも泣き出しそうな勢いで佐祐理にやっとの思いで告げた。

 

 「え…?北川さんが…」

 

  佐祐理の顔もまた蒼ざめる。

 

 

 「ゴメン…。すぐに病院に行かなくちゃ…」

 

 「待って!私も行く!」

 

 「え…、でも佐祐理…」

 

 「今、舞を支えてあげられるのは私しかいないから…。それに、北川さんはきっと大丈夫だよ…!」

 

 「佐祐理…」

 

 

  今にも泣き崩れてしまいそうな舞にとって、佐祐理のこの言葉はずっしりと胸にこたえた。

 

 「ありがとう…。佐祐理…!」

 

  佐祐理の思いやりに、舞の瞳からブワッと涙があふれ出る。

 

 

 「さあ…、一緒に行こう!」

 

 「はちみつくまさん!」

 

 

 

 

 

 「過労ですね。それに胃と十二指腸に少し潰瘍が見られました」

 

  北川が搬送された病院で、担当医がカルテを見ながら舞に北川の症状を告げていた。

 

 

 「そうですか…。それで主人は…」

 

 「今はグッスリと眠っておられます。症状自体はそれほど大したことはないですが、

  治療と休養の為に2、3週間ほど入院させた方が良いでしょう」

 

 「良かった…」

 

  北川の症状が軽いことを告げられ、舞はホッと胸をなで下ろした。

 

 

 「でも、危なかったですね。このまま行っていれば、手遅れにもなり兼ねませんでしたよ。

  ここ数年、ご主人はストレスか何かを溜めてたみたいですね」

 

 「え…?」

 

 

  担当医の言葉に、舞は胸騒ぎを覚えた。北川はここ数年、出張を除いて、

 舞が早く帰宅する日は必ずと言って良いほど、毎日早く帰っていたし、

 会社の愚痴をこぼしたことも、それにより舞にぶっきらぼうに当たったこともなかった。

 その上、ストレスすら感じていないと聞いていたはずだった。なのに、

 下手したら手遅れにもなり兼ねなかったと言う医師の言葉。

 

 

 

 

 

  北川の上司に後で聞いてみたところ、北川は9時頃まで残業しなければ

 終わりそうもない仕事を半分くらいは無理して退勤時間の5時までに仕上げていたらしく、

 また、舞自身も思い返してみると、過去400回の悪夢でうなされた日には必ずと言って良いほど

 北川が抱きしめて、なぐさめてくれた。それ故に、睡眠不足となって疲労とストレスが蓄積し、

 仕事疲れも相まって今回の様な結果になってしまったのだろう。

 

 

 (まさか…。流産して傷ついていた私の為にここまで…)

 

 

 

 

 

  その日、部屋に戻った舞は一晩中、一人で泣きながら自分自身を責め続けていた。

 

 「グシュグシュ…。潤…、ゴメン…。ゴメン…、ね…。私のせいで潤を苦しめて…」

 

 

  翌日、目を覚ました北川自身は舞のことを笑って許してくれたが、それが逆に

 舞を苦しめることとなった。佐祐理はそれを察してか自分が出産で入院しているしばらくの間、

 祐一と過ごしてはどうかと提案したが、舞はそれを断った。祐一と同居中に

 何らかのキッカケで祐一に北川以上の特別な感情を抱いてしまうことが嫌なのと、

 祐一にまで夜中に迷惑をかけたくなかったからだった。

 

 

 

 

 

  そして、北川の入院中に見た悪夢も相まって、いつしか自分自身は

 この世にいてはいけない人間ではと思う様にまでなってしまった…。

 

 

 

 

 

 “私さえ…、私さえいなければ良かったんだ…。私さえ…”


 
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