No.169333

零距離交差点 第0話「天使のひつぎ」

うたやさん

サイトで公開している作品のプロローグです。ジャンルは現代ファンタジーです。本編は年齢制限がございますので、閲覧の際はご注意下さい。また、プロローグにも多少グロテスクな表現などが含まれます。ご理解の上、閲覧をお願い致します。

2010-08-30 22:40:25 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:463   閲覧ユーザー数:435

 
 

第0話 「天使のひつぎ」

 

 

 

 

 

なぜ、そう思うの?

 

分からない……

 

どこまでゆくの?

 

分からない。

 

いつまで、続くの?

 

分からない。

 

私はそのまま足を踏み出した。

重い。沼地を歩くようにスローモーションになる。

闇夜の中で、その重みだけがリアルだ。

 

「どうして」

 

ざくりと音を立てた地面の音を聴きながら、また足を踏み出す。

 

ざくり。無機質で刺々しい音。

でも如何ばかりか、私の声よりは良いだろう。

 

「どこへ」

 

喉元から剥いだような声だ。

我ながらひどい声。誰も聞くはずはないけれど。

くっ、と急に腹が折れた。なぜか急に可笑しくなった。

 

「誰も聞くはずがないのに、どうして啼くの?」

 

なぜだか、青羽には

啼くという言葉以外を思いつくことが出来なかった。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

その日の天気は快晴であった。

晴れ晴れとした爽やかな空のもと、粛々と葬儀は執り行われる。

 

「何も、こんなに気持ちの良い天気の日にねぇ」

「元気で明るい子だったから、少し急いでしまったのかしら……」

 

開け放たれた会場から、小さな声で囁き合って親類縁者が出てくる。

見知った顔だと青羽が思った瞬間、相手もそのような顔をした。

私達の間で何も言葉は交わされない。ただ少し困惑しているようだった。

私は黙って、入れ違いに会場に入る。

彼らは目を伏せて通り過ぎていった。背中ごしに囁き声だけが聞こえた。

それと入れ替わりに葬儀場の中へと進む。

 

「それでは、最後のお別れのお時間となりました。

どうぞご遺族の方々はお近くまでお進み下さい」

 

涙さえ感じさせる司会の声が響く。

私はまだその時、しっかりとした足並みだった。

そのままつかつかと、中央に置かれたそれに歩み寄る。

白を基調とした美しい花に飾られ、四方を囲む白い壁にゆるやかなカーブを描く蓋。

その白い箱の大きさは、大人の背より少し大きい。

似合ってない。そう、私は鼻で笑う。

あの子は白なんて好きじゃないのに。

そうして見下ろしていると、急にどこからか声が上がる。

 

「あお……っ!」

 

声の主は、ぎょっとした顔をしていた。

目の端に映ったそれも気に留めず、私は傍らに立つ女性の手から花を一輪取り上げる。

何の花かは興味がない。白い、花だ。

 

もう一つ。私はポケットから青いハンカチを取り出した。

長いそれは収まりきらずに飛び出している。黒くて細長い束。

 

「うぇっ……」

 

誰とは分からないが、妙な声が聞こえたようだった。

きっと『これ』に驚いたに違いない。

 

「さようなら、水絵」

 

そう言うや否や、私はハンカチと花を棺桶に入れた。

出来る限り優しく入れたつもりなのに、案の定それはハンカチからバラバラと落ちてしまった。

 

白い棺桶に白い衣装に白い花、その上にこぼれ落ちる真っ黒なそれ。

私の背中まであった長い髪。

今はざっくりと切り落とされて、一束だけここにある。

まるで絵の具を落とすかのように、ほどけて落ちる――

 

姉の真似をしたつもりだった。

まるで運動部の子のように快活なショートカット。

その割に部活になんか入っていなかったけれど。

私のだらしなく長くのびた髪は、それを真似てすべて切ってしまった。

だって、姉がどこかへ行こうと言うのならば、私のことも連れて行くべきだと思ったから。どんな形にせよ、寄り添わなければいけない。

私は姉を真似て髪を切り、私は私の髪を姉にあげる。

お互いがお互いになれる、なんて素晴らしい思いつきだろう。

 

誇らしげに棺桶の中を覗き込んでみせると。

母の顔が、こちらを見たまま、

まるで恐怖したように歪んだ。

 

「あなたはおかしい、おかしいわ……!」

 

金物をひっかいたような、泣き叫ぶ声が辺りに響いた。

私は。何がおかしいのか分からないという顔で、微笑むしかなかった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「母は」

 

呟く声はごく小さい。

 

「きっと私の気が狂ったと思ったんだ」

 

野山を登る格好にして、私はスカートだった。

葬儀の時からずっと同じだ。制服姿のまま地面を蹴る。

 

「もしくは母の気が違ったか、どちらか」

 

くすりと笑う余裕があった。

私はまた一歩踏み出して夜の山をゆく。

カサカサと音をたてる葉が切り傷を作り、あちこちが痛い。

 

「……顔さえ、見られなかったじゃない」

 

これは文句。姉は堂々と棺桶に収まっていたくせに、しっかりと布にくるまれて肌を伺い知ることも出来なかった。

 

――見られぬほど、欠損していたと言う。

人づてに、聞いたことだ。姉は事故で死んだと。原型をとどめないほど酷い事故だったと。

 

「嘘だきっと」

 

うん? 自分で口にして不思議な気分になる。

何がだろう?

 

「事故? 自殺? そんなこと」

 

そう、そんなことではないんだ。

 

私は、もう姉が居ないということを信じられなかった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

……よく似た姉妹である。私達はお互いよく知っていた。

 

「青羽の方が背が高くなったと思ったのに、あっと言う間に追いついたね」

「水絵は伸びるのが早すぎ。体重も増えたでしょ?」

「ふへっ、ばれたか」

 

小さな背のままじゃれ合っているのは小学生の頃。

まるで双子のようにうり二つなので、よく友人らと段ボールを使って遊んでいたものだ。

箱から覗き込んで『さてどっちが青羽でどっちが水絵でしょう?』

 

「でも青羽より私の方が走るの速い」

「私はその分勉強してるもん」

「ふくくっ」

「ふへへっ」

 

私達は変な風に頬を膨らませて笑う。

私達は昔から必ず、笑う時は思い切り笑う。頬を膨らませてにやっと笑い、おどけて目を動かしてみせる。そうやって更に相手を笑わせる。

 

「あっはーはーはっ」

「あふぁあはっ! 水絵へんなかおしすぎ~」

 

よく、笑う姉妹でもあった。

お互い共に居る時間を、ひたすらに楽しんでいるようでもあった。

しかしいつしか、2人で笑わないようになる。

それは経年変化というには少し大きい違いだった。

 

水絵はいつにもまして大きな笑顔で他人に愛想を振る舞うようになる。

反対に、私は一人閉じこもることが多くなっていた。

笑うことを水絵に任せたようにも、見えただろう。

 

「水絵と一緒に居られない」

 

そう私が言った時から、私の部屋のカーテンは閉めたままだった。

そのカーテンを開けることなく、水絵は本当にいなくなってしまった。

 

 

 

 

「馬鹿なはなし」

 

というのは、自分の言っていることがだ。荒唐無稽もはなはだしい。

髪を切り落とし棺桶に入れ、それでも水絵がいなくなることを信じないだなんて。

ならば最初から信じなければいいじゃない。

節操もなく思い出す水絵の笑顔にしてもそうだ。どうして今思い出すのだろう。

 

唇を尖らせたまま呟いてみせる。

 

「ばか」

 

夜道で足下がふらつく。あっと樹に手をついたが、すりむいてしまった。

また歩き出す。

 

「ばか」

 

嘘と呟きながらも、それを信じない訳もない。

水絵はもういない。

そもそもおかしいのだ。

水絵の葬式に出席したその脚で、

一体どうして水絵を探しに行けるというのだろう―――

 

夜道はとても暗かったし、野山はとても危険だ。

それでもなんとか歩けているのはここが墓地のなれの果てだからである。

霊園と言うには少し山奥すぎるそこは、端々まで手入れが行き届かない。

山を切り開いて作られたようなその墓地を、青羽はただひたすら歩いていた。

そこが遠回しな本当の意味の『墓地』であることを噂で知っていた。

緑深い割に時たま発見する人の足跡。草をかき分けた跡は奥へ奥へ向かっている。

都心から遠く離れたそこで、人々は孤独な死に場所を探している。

……正確に言えば、孤独な、人々が。だ。

 

「ばかばかばーか」

 

恐ろしいという気持ちは一つもなかった。

私は多分、髪と一緒に感情を切り落としてきてしまったのだ。

そうでなければ水絵が死んだのに泣かない訳がない。悲しくない訳がない。

真っ暗で孤独な死に場所を歩くことを、怖くない訳がない。

 

「あっちも、きっと怖くない」

 

水絵がいるところもそうだろう。

だから今感情というものが大人しく帰宅してきても、私も怖くない。

はたまた水絵と同じところへ行けるかもしれない。

だから悲しくない、辛くない、怖くない。

 

不思議と気分が高揚し足が進む。

明かりもない道をざかざかとかき分けて進む制服姿の女子高生。

異様でないはずがないのは分かっていた。

 

「おっかしぃ」

 

…………だけど、どんなに進んだって、どこへも辿り着けない。

 

「あれ、またここ?」

 

ぐるりと回ってきてしまったらしいそこは、遠目に高速道路と街灯が見える。

かき分けた草の先にそれを認めるのは2度目だ。

闇と孤独を探しているはずが、上手く行き当たることが出来ない。

探し慣れていないと難しいのだろうか?

 

「どうしてかな、迷ってるのかな。ふくく」

 

笑って見せても、返事はなかった。

……どうせ上手く笑えてない。笑い方なんて思い出せないし。

どんなに高い声で啼いたって。誰も聞いては居ない。

水絵はそこにはいないし。

道はどこにも見つからない。

 

「……そういえば」

 

と、たた、と足下がふらつく。

そろそろ体力にも限界が来ているみたいだ。

当然だろう。もう昼からずっと、こうして歩き続けてるのだから。

 

「水絵が言ってたっけ」

 

私はゆっくりと思い返す。

もうずっとしばらく喋っていなかった、高校に入って2年目の春。

私は、久々に水絵の声を聞いた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「元気?」

 

珍しくリビングに顔を見せた私に、水絵はそう言った。

暖めたミルクにココアの粉末を入れると、口の中に甘苦い空気が広がった。

 

「うん」

 

私は小さな声で答える。

聞こえなかったわけではないらしく、水絵は後ろ姿で首を縦に振った。

キッチンの戸棚を開く音が聞こえる。

冷蔵庫の扉を開き、マグカップに液体をそそぐ。

コポコポ。コトン。ピッピッ。

 

その音で水絵が私と同じ物を飲もうとしてるのが分かった。

 

「最近ね、出るらしいよ」

「出る……?」

 

もうずっと、誰とも喋っていなかったはずなのに。

私の声は案外すんなり疑問を呈した。

 

「月の出る夜にね。化け物が出るんだって」

 

水絵の話し方は、まるで楽しい絵本を読むような調子だった。

 

「人間みたいでとっても綺麗な顔をしているのに、食べちゃうんだって。

人間を頭からバリバリーって」

「頭から――」

「ありえないでしょ? ありえないよね……

ありえないけどね、気を付けてね」

「ありえないよ」

「外、出ないし?」

「うん」

「ふへへっ。相変わらずだね青羽は。

……でも、お願いだから聞いて」

 

チン、と軽快な音を鳴らして止まった電子レンジをよそに、水絵は瞬きさえ拒むような瞳でこちらを見た。

 

「青羽はそんな、変な死に方しちゃだめだよ」

 

何言ってんの。と口からは出なかった。

真面目な笑顔でそう言った水絵は、マグカップを持ってとたとたとドアへ向かう。

 

「じゃ、私試験あるから」

「……うん」

 

水絵の気持ちが、全く量れなかった。

そんな、変な死に方しちゃだめだよ。

 

……?

死んだような生活をしている私への忠告だろうか。

それとも、本気で心配しているんだろうか。

こくり、とココアを飲み干してみる。

 

「…………」

 

なぜだかちっとも、その時のココアの味は覚えていない。

けれど水絵の言葉は今でもはっきり憶えている。

 

『人間みたいでとっても綺麗な顔をしているのに、食べちゃうんだって。

人間を頭からバリバリーって』

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

バリバリーって。バリバリー。

頭の中で繰り返す。

なんだか水絵のその言葉が、まるでおせんべいを食べるような音でおかしい。

 

月夜の晩に、バリバリって?

 

「はは」

 

おかしい。おかしいよ、水絵。

どこにそんな人がいるの? いるなら出てきて欲しい。

そしてバリバリって食べてみて欲しい。おせんべいみたいに音をたてて。

 

それに、何よりもおかしいよ、水絵。

 

――私なんかよりも、あんたが先に死んじゃったじゃない。

 

ずず……と重苦しい音がしたのはその時のことだ。

青羽の耳は妙に冴え、正確にその音を聴き取った。

 

ず、ずず……がさがさ、ず。

 

ひどく、苦い音。自分以上に重い物を動かす時の、ゆっくりとした地面を擦る音。

それは耳から伝わって舌に転がり、口内に苦い味を染み渡らせていく。

錆のような味。音の味がするなんて初めてだ。

ふいにおかしな香りがした。

私はさっきまで頭の中で繰り返し想像したおせんべいの風味を忘れた。

 

それは香の香りだった。

青羽は必死に鼻をひくつかせる。それは遠い異国を思わせる、痺れるような甘い香りだった。見たことのないお菓子のような。

口溶けの柔らかい砂糖のかかった、真っ白なお菓子のような。

 

「だれ」

 

目標を補足するよりもずっと早く、言葉が出ていた。

妙に気分が高揚した。

まるで私が何かを呼び寄せたようなそのタイミングに、体中が鳥肌を立てた。

わずかに月の影になった草むらの奥を睨むようにしながら、私は息を潜める。

 

カサ……

足を踏み換えるような音だった。音の主はこちらに気付いた。

或いは今この瞬間、私を見ているかもしれない。

草と草の間の闇に紛れて、立ちすくんでいる私を。

 

――ふと、月が出ていることに気付いた。

あぁ、今日はそういえば快晴だった。

 

「誰か、いるの」

 

妙に抜けた声だ。子供みたいな声。

私は自分の出した声におかしくなる。

はは、と口の形だけで笑いながら私は重心を前にした。

木々に手をついて、月に照らされながら歩んでみる。

するとますます可笑しくなる。怖い。ホラーみたい。

私ってなんて恐ろしいんだろう。夜中に薄笑いしながら野山を歩く女子高生なんて。

きっともう何も怖くなかったんだ。

 

水絵に、

『あれだけ言ったのに』

と怒られることだって。

ちっとも怖くなんかない。むしろ嬉しい。

 

逃げていく足音がしないことを確認しながら、私はそのまま近寄っていった。

向こうもこちらを必死に探しているかもしれない。見ているかもしれない。

もしくは、もう見つけているかも。じっとこちらを見ているかも。

様子を伺って、息を潜めているのかも。

慎重にならなければならない。逃してはならない。

 

大きな葉を右手で払いのけ、大きな段差を下に見る。

少し開けたその場所で、私はそれを発見した。

 

――月に照らされて輝いている。

闇と光を十分にはらむ、美しい金髪。真っ白な肌。

端正に創られた表情はまるで天使のように美しくて、人ではないもののよう。

黒いジャケットの下に白のシャツを着込んだ上半身からのびる腕はしなやかに下りている。

腕も、脚も、見たことないくらい細くてすらりと長い。

膝小僧の汚れたジーンズだけが、妙に不似合いだ。

宝飾のように顔を飾っているのは、見たことのない赤の瞳だった。

赤いガラス玉のように真っ赤だ。

 

……なんて、綺麗な人。

 

「あ」

 

おかしな声が出てしまった。また子供みたいな声。

その直後、目の前の美しい顔は少し歪んだ。困ったように眉を顰めている。

 

夜の野山を一人歩いている女子高生に対して?

こんな場所でいきなり呼び止められたことに対して?

……いいえ、そのどちらでもないだろう。

 

だって彼の手には、いびつに身体を折り曲げている人間の腕があったから。

ぐにゃり、といった様相で地面に落ちているその身体は、腕だけ持ち上げられて月の光に照らされていた。

その身体がもう動いていないことはすぐに分かった。

泥だらけで脚も首もおかしな方へ曲がっている。まず、息をしていないだろう。

 

命あるべきもの。けれどもう動かないもの。

そういえばそんなものを今日、昼間も見た気がする。

それはリアルとは程遠く、私の感覚を麻痺させた。

 

あぁ、と私の喉からおかしなため息が出る。

どうしてそう考えてしまったのか、結局後になってもわからなかったけれど。

私はその醜い抜け殻を手にした美しい人に、

あくまで静かに、冷静に、けれど切実に

 

「食べるなら、私を食べて。頭からまるごと……全部」

 

そう、言ったのだ。

 

 

――今思えば、あの時気が違っていたのは、

母ではなく私だったのかも知れない。

たぶんね。

 

 

 

第0話 「天使のひつぎ」 了

 
 

 
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