後方を振り仰ぐと、はためく曹の牙門旗が目に飛び込んでくる。 もうあそこには、帰れないんだな・・・ いや、最初からオレには・・・ 『この世界』に居場所なんて無い。 今迄斬り捨てた相手の中には・・・ 前の世界では共に飯を食い、酒を酌み交わし、笑いあった奴もいただろうか。 ・・・いない筈が無い。 直接手を下さずとも、『魔王の軍』が・・・、オレの策で董卓軍が手にかけたのなら、それはオレが殺したという事だ。 共に華琳を『覇王』たらしめんと、戦乱の世を駆けた戦友達をこの手にかけ、その屍を・・・踏み越えていかねばならない。 一影は、楽しかった記憶がフラッシュバックするのを・・・今は封じようとはしなかった。 戦場の中に於いては、そんなモノに気を取られて命を落とす訳には行かない、だから感情も記憶も凍らせ心の奥底に沈める。当然だ、迷いを持って生き残れるほど、戦場とは甘くも温くも無い。 だが、今は違う・・・気を抜くには早いが、すでに戦場の空気は消えていた。 死に追い立てる焦燥感も、誰かを失う恐怖の風も、今は止んでいる。 ここで よみがえってくる記憶を 心の底に沈めてしまうのは ・・・きっとただの逃げだ。 だから、苦しくとも、悲しくとも、その記憶を全部握り締めていよう・・・自分が、どれ程のものを捨てているのか、心に刻み込む為に。 彼らとの思い出を、安っぽいガラクタと、自分の中でしてしまわないように。 心が振るえ、涙がこみ上げて来るのを・・・耐えながら。 北郷一刀なら、泣いても良い。 一影は、泣いてはいけない・・・泣くことは許されない。 そんな弱い姿をうち捨て、虚無の瞳と恐怖を手に入れた ・・・『魔王』は泣かない。 世界は等価交換で成り立っている。 馬鹿な言葉だ いつだって世界は不条理に働いたではないか・・・ なんの先触れも無く、身一つでこの世界に突き落とされ。 右も左も判らぬうちに、いきなり殺されかけ 否応なしに戦乱の世に巻き込まれ 自らを戦場に身を置き 足掻き抜き、ようやく掴み取った先の平和で 愛する少女と引き剥がされた。 彼女の最後の 『いかないで』という ほんの小さな願いも・・・叶えられず ・・・そんな不条理に曝され続けたにも拘らず、またオレは考えている。 世界は等価交換で成り立っている、と。 劉備の軍に入り、定軍山で秋蘭を・・・殺せば 歴史の歪みを無理矢理元に折り曲げてやれば、北郷一刀は消えない・・・そう、簡単に考えていた。 北郷一刀には、歴史は変えられない、そう思い込ませてしまえば良いと。 実際、多分その通りにやれば上手く行っただろうとおもう。多少のフォローは必要になるだろうが、朱里が実際打ってきた手だ、悪手ではない。 そこで、秋蘭を・・・失えば華琳は悲しむだろうが、曹操軍を支える柱である将の一人を失えば、赤壁での勝利は遠のく。それでも華琳は勝ちを掴みに走るだろう、悲しんでいる余裕の無い戦乱の最中であれば、紛れる・・・ 紛れる筈・・・有る訳が無い。 秋蘭だぞ、華琳にとっては姉妹のような相手をその手に掛けて 秋蘭・・・愛する彼女を自らその手に掛けて・・・オレは、本当に耐えられたのか。 確実に北郷一刀を生き残らせる為の道は、愛する女を自ら斬る道。 世界は等価交換で成り立っている。 その道を開く門の鍵は手の中で砕け散った、朧の命を救い上げた代わりに。 愛すべき女を斬ろうとしていた、その両の手は今、儚くも美しい少女を抱き上げている。 代わりに、最愛の少女と真正面から血みどろの戦をし、愛した少女達に殺意を向けられている・・・ 戦友達を斬り捨て、その屍山血河の上に立ちながら。 崩れかける心が、それでも折れず砕けずいられたのは 心の中で満面の笑みを浮かべる笑顔の少女。 腕の中の少女の温もり。 この二つを守るように、両腕を廻し、守るように包み込むように、優しく抱きしめた。 星の引き連れた義勇兵が、此方を包み込むように受け入れ、背後に見える曹操軍の本陣へ、槍を構えて即応の構えを見せると・・・ようやく肩の力が僅かに抜ける。 「先程、勝ち名乗りのような声が上がったようだが、あれは勝利宣言と受け取って良いのですかな」 判っていて態々そう聞いてくる星、判ってはいるが、直接戦場に居たものにはっきりといって欲しいのだろう。 「幽が・・・捕まえた、だから・・・ほめてあげて」 恋の優しい微笑みとともにこぼれ出た言葉に、戦に殺気立っていた兵達の間からも、すっと無駄な力が抜け、笑顔すらもれ出てくる。 「今回の最大功労者は幽に取られてしまったのです」 その言葉に、一影が肩をすくめると、星が怪訝な顔をして右手を見つめる。 「一影殿に一太刀入れる程の豪傑が配下にいるとは、流石は曹操というところですかな」 目ざとく斬られた袖口を見つけた星、朧はしゅんとその言葉にうつむく。 あの時、朧の発した小さな一言が、一影の僅かな隙を生んだ・・・それまで完璧に、間合いも呼吸もはずし、相手の目には、攻撃が体をすり抜ける様に感じていたはずだ。 朧が不安そうな目で一影を見上げる。 「いや、油断した。死に体の相手が最後に出した刃が掠めた」 ほう、と星が少し驚いてみせる。 一影は勝利を目前にしてすら油断する男ではない 斬り捨て、地に転がった相手に再度刃を突き立て、漸く刃を引く・・・そんな男だと星は見抜いている。その一影が油断をしたという、最後の最後に一影の予想を覆した相手。 「何者ですかな、その相手と言うのは」 星がそう声を出した、だがそれはその場の全員の声であった。 「『天の御使い』と、言っていた」 その声を聞いた朧が、今にも泣き出しそうな表情で一影を見つめる、その瞳を大きく揺らし。 何かを口にしようとするも、唇がわずかに戦慄いて、その目は助けを求めている・・・ 星、恋、ねねが『天の御使い』という言葉に驚き、ざわめく義勇兵。 心配するな、一影が朧を見つめ、朧にだけ届く微かな声でそう告げると、フッと微笑んで見せた。 その微笑が・・・余りに寂し過ぎて。 まるで・・・暗闇の中に沈む恐ろしげな廃墟に 光が差し込み、その廃墟に・・・壊れかけの柱しか無いことを曝け出されたような・・・ そのくせ、誇り高く・・・その柱は独り天へとその身を屈せず 誇り高くも平静に、その身をすり減らす事を受け入れいる・・・ その様が悲しくて・・・哀しくて・・・ 朧は腕を廻し強く抱きしめ・・・我慢しきれずに泣いた。 声をあげ、常とは違い、幼い子供の外見のままに、泣きじゃくった。 如何に身近な者達とはいえ、初めて見せる朧の年相応な態度に驚き。突然、大声で泣き出した幼女を見守る他は無く。 その涙の意味を知る者などいる筈も無い。 それは朧だけがたどり着いてしまった、答え・・・ 幼い少女が、何を知りえたのかもまた、その場の誰にもわからなかった。 土の焦げた臭いが、重く地を這うように流れる。 その澱んだ様な空気の中にあって、油の臭いを嗅ぎ取ったのは、仕掛けた星と、一影のみだったろう。 濃い靄の流れる視界の中、汜水関の開いた門の内で、桃香、愛紗、朱里の三人が、董卓軍の面々を迎え入れる為に、静かに並んで佇んでいた。 桃香はたおやかに笑みを浮かべ、朱里は照れたように恥ずかし気に微笑み、愛紗は納得がいかないとばかりに、どこか難しい顔をしつつも、少し頬を朱に染めて。 「汜水関守将として、礼を言う」 桃香がそれを受けて恭しく御辞儀をしてから、顔を挙げ、ふにゃっとした笑みを浮かべる。 「私達は、味方と言うにはまだ隔たりがありますが、敵ではありません。 董卓軍に保護してもらっている今、その後背を守るのは、返すべき礼であり、通すべき義です」 そうか、そんな笑みを浮かべていても、言い回しはなかなかに強かだ、これは朱里の差し金だな。 そう視線を送ると、はわわと慌てふためいたような様子で、ちまちました手を胸の前で振ってみせる。 水鏡女学院では・・・ この世界の女性は、枕言葉的な何かを、小さいときにはつける風習でもあるのだろうか・・・ そういえば月も雛里もそうだな・・・ ねねは・・・背伸びしているから、あえて使わないのかもしれない。 「はわわ・・・あ、あの、出過ぎたことか、とは思ったんですけど。湯浴みと食事の用意も、お願いしてありますから、そろそろ」 返り血と汗と土埃に塗れた体のまま、食事をしても味もわからない。 「それは、手回しの良い事だ。では、それがしは早速」 星は早速という言葉通り、そのまま馬を預け、鼻歌交じりに湯場へと向かって歩き出す。 公式な会見、というような雰囲気はそれで一気に消え去ると、その場の少女たちの視線は一影の胸元に集まる。 泣きつかれて眠ってしまった朧は、まだ目尻に涙の珠を浮かべ、それでも一影から離れないと言う様に、抱きしめた腕を離さない様に、その小さな手が服を掴んで握り締めていた。 皆がその年相応に子供っぽく愛らしい姿を見て微笑む中、唯一人・・・愛紗のみが、痛々しいまでに哀しそうな目で朧を見つめ、その髪を手で優しく梳る。 「この子は、一体何から貴方を守りたいのか・・・」 自分の呟きに我に帰り、頬を朱に染めながら髪を撫でていた手をさっと引く。 「す、すみません。妹君に、思わず無礼なことを」 朧が名乗った名すら咄嗟に出ないほど、慌てて頭を下げる愛紗。 智高く義に厚く、武に優れる、劉備軍の象徴とすら言われる関雲長、だがそれでも愛紗は一人の少女である。 真っ直ぐで、責任感が強く、優しいが、不器用な。 「いや、何も無礼なことは無い」 そんな愛紗だからこそ、朧が泣きながら握り締めた手の意味に気がついた・・・ 愛紗の言うとおり、朧は一影を守ろうと、抱きしめているのだから。 「貴方は、優しい人だな・・・関雲長」 音か湯気が出るのではないか、というほど一瞬で赤面した愛紗、幸いなことに星は既にこの場を離れていたが、皆の注目する朧のすぐ横で・・・ 「おやおやー『魔王』様に懸想でもしてるのかなー」 さっきまで居なかった筈の声が背後から掛かる。愛紗であれば幽の接近する気配を気付かぬ筈は無いのだが、思考が止まっていたのか、それとも幽とは決定的に相性が悪い運命なのか、あっさり背後を取られ、にっしっしと肩口から覗かれるようにして笑われ、さらに愛紗の思考がぐるぐると同じところを回りだす。 「幽、見事だった」 笑うでもなく、いつもと変わらぬ声、いつもと変わらぬ虚無の瞳で、そういわれた幽は、はいっと元気良く答えて、満面の笑みを浮かべる。その頭を撫でてやると、尻尾でもあれば、千切れんばかりに振っているであろう程にうれしそうに。 その様を、じーっと恋が見つめている。 ひょこっと、幽の隣に頭をだし、じーっとさらに見つめる。 幽を撫でていた手で、今度は恋を撫でてやると、少し満足げな顔をする。 「恋も、見事だった。 華が帰ってくるまでは、オレはいけないが、恋はねねと幽と共に風呂に行くといい」 そう返事をすると、恋が小さく首を振る。 「恋は・・・お兄ぃと・・・はいる」 なっ、と絶句する声が複数完全にはもった。 愛紗は先程の事にさらにこれで追い討ちを掛けられ、完全にオーバーヒートを起こし、倒れ。 その愛紗を受け止め、愛紗ちゃんしっかり、傷は浅いよ、と此方もテンパリ掛けている桃香が騒ぐ。 その横では、ねねが恋に男女の何たるかを『男女七歳に・・・』と、どこかで聞いたようなフレーズで、つらつらと説明している。 朱里はといえば、はわわ、はわわと繰り返しているが、なぜか少し幸せそうな笑みを浮かべ、幽はきゃーきゃーと黄色い声を上げている。 まさに、愛紗に視線が集中した瞬間に、皆の死角に入り込んでその場を離れた、一瞬恋がこっちを見たが、人差し指を顔の前で立てると、こっくりうなづいて逃がしてくれるらしい。音も無くその場を離れ、門のほうへと足を向けた。 ・・・まさか、血反吐を吐きながらも身に着けた技を、こんな下らないことに使うとは、思いもしなかった。 だが、そうだな・・・愛する女を、秋蘭を斬るのに使うより、こんな下らないことに使うほうが、ずっといい・・・ 上げた視線の先に、なんとも爽やかな笑みを浮かべた華が、此方を認めて手を振ってきた。 それに手を上げて答える。 世界は等価交換で成り立っている。 魏の皆の隣には立てないが、此処には負けないほどの気のいい仲間がいる。
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ちょっと小休止のようなお話です
まだ、テンションがあがりきりませんが
頂いたコメントや応援メッセージに力を借りて
リハビリ運転です
どなたかお一人でも面白いと思っていただけたら僥倖です
追伸、ちょっと判りにくいかもしれないので、ご質問いただけたら、可能な限りお答えしようと思っております。