No.121867

真・恋姫†無双~江東の花嫁達・娘達~(承)

minazukiさん

第二幕です。
多くは語りません。

最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

2010-02-01 19:51:59 投稿 / 全20ページ    総閲覧数:9922   閲覧ユーザー数:7385

(江東の花嫁 承)

 

 一刀が皇帝になり三国を統一し新しい国を建てる知らせは大陸全土に瞬く間に知らされた。

 不満不平分子もいるだろうと予想をしていたが、意外にも平穏が保たれていた。

 新年の宴の席を皇帝即位式と定めたため、その準備が慌しかった。

 そんな中、一刀達の前に蓮華が尚華や思春達に付き添われて遥々呉からやって来た。

 

「蓮華、大丈夫なのか?」

「ええ。せっかくの一刀の晴れ姿をこの子にも見せてあげたいの」

 

 いつ産まれてもおかしくないぐらいにまで蓮華のお腹は大きくなっていることを心配しながら一刀は彼女を椅子に座らせた。

 

「それにしてもいいの?」

「うん?」

「皇帝だなんて本当は嫌なのでしょう?」

「そうだな。でも、この一月で考えは変わったよ。この国すべての民達に悲しみや苦しみがある限りその人達を救わないとってね」

 

 一刀からすれば自分のせいで悲しみを持った者達に対する償いだと思っていた。

 少しでも救える事が出来るのであれば絶対的権力を利用すれば自分の成すべき事が出来ると考えた。

 

「一刀」

「どうした?」

「なんだか私は皇帝を薦めたことを後悔しているかもしれないわ」

 

 できることならばこのまま自分の下で押しとどめておき、今までどおりの平和な日々を送りたいと思っていただけに、蓮華は自分の考えが誤りだったのではと思った。

 一刀から皇帝になるという知らせを受け取り、蓮華は誰よりも驚いた。

 心の中では断固として断るだろうという思いがあったからだ。

 

「大丈夫だよ。俺は変わらない。これからも蓮華達の傍にいるから」

「そんなことは当たり前よ。私達は夫婦なのだから」

 

 だがそれとは違う何かが自分達から一刀を奪い去っていくのではという不安があった。

 自分達の浅はかな考えで彼を失うような事があれば生涯、拭いきれない罪と罰を背負う事になる。

 

「蓮華」

 

 一刀は彼女の真名を呼んで軽く唇を重ねた。

 

「本当に大丈夫だから。俺はどこにもいかないし、皇帝として民が安心して暮らせるように頑張るから」

「一刀……」

「それにもうすぐこの子にも会えるからね」

 

 蓮華にとって第二子となる子供なだけに彼女にはそっちを優先させて欲しいと一刀は頼んだ。

 

「この子のためにも少しは頑張っているところを見せないとな」

「そうね。でも、種馬皇帝ってだけは呼ばれないように気をつけてね」

「あのな、それ物凄く冗談に聞こえないんだけど」

「あら、私はその可能性があると思っているわよ?」

 

 蓮華からしても皇帝になれば魏や蜀からも側室を進めてくるかもしれないという不安があった。

 だがこれ以上増えるのはさすがに雪蓮ではないが蓮華も苦労が耐えないだろうと思った。

 それに、下手に増えて子が授けられでもしたら一刀の跡継ぎをめぐっていらぬ争いが起こる可能性もあった。

 

「俺が皇帝になったら現状のままだよ。これ以上、お嫁さんをもらうほど余裕はないからね。それに」

「それに?」

「出来ればこの子に俺の跡を継いで欲しいから」

 

 まだ男かどうかわからない一刀にとってその言葉は産まれてくる我が子が後継者として決定させたようなものだった。

 蓮華は一刀が将来のことも考えて皇帝になろうとしている事を理解して、今だけは産まれてくる我が子のことを考えることにした。

 それからしばらくして、晴天が広がる新年。

 穏やかな風によって数々の旗が靡き、その中でも十文字の旗はいたるところにその勇姿を見せていた。

 三国の主だった諸将が正装をしており、左右に分かれて立っていた。

 

「いよいよね」

「そうですね」

 

 満足そうに話す華琳と桃香。

 その視線の先には椅子に座っている蓮華とそんな妹を気遣っている姉の雪蓮の姿があり、微笑ましく思えた。

 

「そういえば聞いたかしら?一刀は新しい側室を今後置かないって」

「聞きました。でもそれが正しいと思います」

 

 余計な争いの種になりかねないことぐらいは桃香でもわかっていた。

 

「でも、それだったら一刀さんの後継者は誰になるのですか?」

「それも今日、本人の口から話すはずよ」

 

 それと新しい国を支えるための人材発表も同時になされることになっているため、自分達の誰がどの要職につくか楽しみだった。

 

「それにしてもこれだけの人数が集まるなんて一刀も驚いているでしょうね」

「そうですね」

 

 多少の不満不平はあるもののその多くは一刀が皇帝になる事を容認していただけに数百人の群臣を目のあたりにした時の反応が楽しみだと華琳と桃香は思った。

 

「でも華琳さん」

「どうしたの?」

「一刀さんは私達にどんな事を言うのか楽しみでないですか?」

「そうね。今までは支える側だった者が支えられる側になったことで何か面白い事でもあればいいわね」

 

 実際、自分達が思いもつかないことをしてくれるのではないかと桃香以上に興味を持っていた華琳。

 呉のこれまでの発展を見ている限り、今までと違った全く新しい国が出来るであろうと誰もが期待をしていた。

 

「そういえば」

「どうかしました?」

「あの子がどこにもいないわね」

「あの子?」

 

 周囲を見渡しても華琳の目当ての人物がどこにも見当たらなかった。

 

「おかしいわね」

「華琳さん?」

 

 不思議そうに華琳を見る桃香は誰を探しているのかわからなかった。

 

「まさかとは思うけど、あの子も関係しているのかしら」

 

 もし何らかで関係をしているのであればどのような趣向でここに現れるのか。

 それも想像のつかないことだけに自然と笑みがこぼれていく。

 

「なんだか華琳さんだけずるいです」

「そのうちわかるわよ」

 

 拗ねる桃香を宥めながら華琳は一刀の登場を静かに待つことにした。

 やがて魏代表として稟が全員の待つ式典会場に現れて恭しく礼をとった。

 

「只今より皇帝陛下のご入場でございます。ご準備のほどをよろしくお願いいたします」

 

 そう言い終ると稟はゆっくりと道を開けた。

 音楽隊が音色を奏で始める。

 

「いよいよね」

 

 誰もが息を呑みゆっくりと開かれていく扉の先を見守った。

 一刀はいつもの制服姿に白い外套を羽織り、ゆっくりと雪蓮達の間を歩いていく。

 緊張した表情で真っ直ぐ先にある玉座に向かっていく一刀に誰もが見惚れていた。

 一刀の娘達も重要な式典だけあって誰も騒がなかったが、自分達の大好きな父親のいつも以上に引き締まっている姿を見て笑顔が咲き乱れていた。

 

「一刀……」

 

 椅子に座って歩いていく一刀の姿を見守る蓮華。

 

(見えるかしら?あなたのお父様はこんなにも立派なのよ)

 

 産まれてくる我が子に優しく語り掛ける蓮華。

 それを雪蓮は穏やかな表情で見守っていた。

 

「旦那様」

「一刀」

 

 冥琳や祭も自分達の愛する夫が統一国家の頂点に立ったことを初めは複雑な気持ちだったが今の一刀の姿を見てよかったかもしれないと思っていた。

 多くの群臣の中で一刀と初めから歩んでいた雪蓮、冥琳、祭は他の者達よりも神妙にそれでいて嬉しさがあった。

 

「祭殿」

「なんじゃ?」

「私達はもしかしたらこうなることを予測していたのでしょうか?」

「そんなものを考えて拾ったわけではないじゃろう?」

「そうですね」

 

 あの時はただ天の御遣いかもしれないというだけで保護をした。

 それが今となってよかったのだと二人は思った。

 雪蓮だけではなく冥琳、祭も一刀に救われ、そして愛し愛された。

 出会いから二十年という月日が流れてもなお、変わることのない愛がそこにはあった。

 

「冥琳」

「はい」

「儂らはほんに果報者じゃな」

「はい」

 

 果報者過ぎてる自分達。

 その反動がもしきてしまったらどうするかなどこのとき、全く考えもしなかった。

 

「一刀様、素敵です」

 

 明命と亞莎も冥琳達以上に感動していた。

 大好きな一刀の勇姿を目に焼き付けるように一瞬たりとも視線を外そうとしない。

 

「明命」

「なんですか、亞莎?」

「私達はとても素敵な方と出会うことが出来ましたね」

「もちろんです」

 

 明命も亞莎も一刀が傍にいてくれることが何よりも嬉しかった。

 時には挫けそうになったり不安になったりする事もあったが、その度に一刀が励ましてくれた。

 わからないことがあれば共に考え悩んだ。

 

「一刀様にこれからもついていきましょう。この命がなくなったとしても」

「はい」

 

 親友同士の二人は頷きあい、そしてしっかりと手を握り合っていた。

 

「一刀さんが皇帝陛下ですか~。なんだか不思議な気持ちがしてきますね~」

「穏、式典の最中にやめてくれ」

 

 穏が妙な動きをしていることを注意する思春。

 

「だって穏達の一刀さんが皇帝陛下ですよ~。さっきから胸が苦しいぐらい脈をうっているのですよ~」

「だからこそ落ち着くんだ。式典が終わった後にでも一刀に諫めてもらえばいい」

「我慢できないかも~」

「頼むからしてくれ」

 穏が暴走しないように思春は式典中、苦労する事になったがその内心では一刀が皇帝になることが嬉しくもあった。

 

(あの男が皇帝か。まったく訳のわからない男だ)

 

 その訳のわからない男に惚れている自分に気づくと思わず苦笑いがこぼれてしまった。

 穏もそんな思春を横目で見て楽しそうにしていた。

 また二人の隣で小蓮と山越王の梅花が立っていた。

 

「あの一刀が皇帝か」

「シャオは一刀だったらなれると思っていたもん♪」

「なるほど。でもこれでまた差が開いてしまったかも」

「差って?」

「一刀に少しでも追いつけるように山越王として頑張っているけど、こうもあっさり前に進まれたらいつまでたっても追いつけないわけ」

「ふ~~~~~ん」

 

 さほど興味があるわけでもなく小蓮は軽く受け流した。

 それに対して梅花は自分達を救ってくれた一刀が皇帝として新しい国を造るのであればどこまでもその支えになりたいと思っていた。

 それが返しきれない恩だとしても梅花は彼のためになら身命をかけて尽くすと決めていた。

 そして少し離れた所で悠里、京、真雪が並んで立っていた。

 

「今日の旦那、いつもよりもかっこいいなあ」

「で、でも凄く緊張をしているみたいでしゅ」

「仕方ありません。これだけの者が参列しているのです。一刀くんも予想外だったと思いますよ」

 

 雪蓮達よりも共に過ごしている時間が少ない三人にとっても一刀が皇帝になる事は喜ばしい事だった。

 

「ですが、一刀くんが皇帝陛下となるのならこれまで以上に私達も頑張らなければなりませんね」

「そうだね。旦那のためにもしっかり頑張らないとね」

「はいでしゅ」

 

 京と真雪は一刀の優しさと温かさによって救われた。

 そして誰とも比較することなく平等に愛してくれ大切な愛娘を授かった。

 消えない過去を背負っていた二人をただ包み込むだけではなく、それを糧に未来へと続く道を照らしてくれた。

 そのことが二人にとってどれだけ救われたことか。

 

「とにかく、おめでとうございます。一刀くん。そしてこれからもよろしくお願いいたします」

 

 悠里は玉座にのぼっていく一刀の後姿を見てこれからも共に歩んで行くことを制約した。

 

「父上様……」

 

 将来王としてその定めを受け入れていた尚華は自分達よりもさらに高位に就く父親の姿をしっかりと焼き付けていた。

 

「尚華も負けないよう頑張りましょう」

「はい」

 

 誰からも恥じぬ行いをして真っ直ぐに生きていく。

 いつか一刀や蓮華のように立派になりたい。

 

「大丈夫よ。あんたはパパの娘だもん」

 

 困った時いつも傍にいてくれる氷蓮の言葉に尚華は力強く頷いた。

 他の娘達も将来、自分達が成長して一刀の役に立ちたいと思っていた。

 愛する者達とその親友たちに見守られながら一刀は玉座に座った。

 

「皇帝陛下万歳」

 

 どこからともなく一刀を祝福する声が聞こえてきた。

 そしていたるところから同じように祝福する声が聞こえてきた。

 一刀はより緊張感を高めていき、目の前で自分を祝福する者達をしっかりと見ていた。

 歓声が収まると一刀は全体を見渡して一度、軽く息をついた。

 そしてゆっくりと立ち上がった。

 

「俺はきっとここにいる誰よりも才能もないし武もない。でも、俺に出来ることがあるのならばどんなに困難でもやり遂げたいと思う。そのためにみんなの力を貸して欲しい。誰もが平等で平和で笑いが絶えない国造りをしよう」

 

 一刀の言葉に誰もが耳を傾けた。

 これから自分達を導いてくれる天の御遣い。

 呉だけではなく魏や蜀も同じ国として彼と共に生きていく。

 それが一刀の心からの望みだということをしっかりと理解していた。

 

「そこでこれからの方針として新しく宰相を設けることにした。ただしこれは三国の王でもその群臣達が就くことはない」

 

 自分達からは国の最重要の位につけないと宣言した一刀にほんの少しざわめきが起こった。

 

「宰相にはこの者に就いてもらおうと思う。司馬仲達、ここに」

 

 その名を聞いてさらにざわめきが起こったのは魏の参列者からだった。

 あらかたの予想をしていた華琳だけがそれほど驚きを見せていなかったが、華琳の誘いを何度も跳ね除けていることを知っている他の者達は説明を求めあった。

 その間にも一刀が入場してきた入り口から派手さを抑えながらも着飾った一人の女の子がゆっくりと歩いていく。

 

「あんな小さな子を?」

「冗談?」

「まぁあの天の御遣いだからね」

 

 様々な声が聞こえてくる中、天音はゆっくりと歩いていき玉座の前に立っている一刀に膝をおって礼をとった。

 

「確かにみんなからすれば疑問だと思う。でも、俺は彼女にこそ宰相になってもらいたいと思っている。ただ、幼いゆえ不安を感じる者もいるだろうから当面は彼女に補佐をつけることにする」

 

 意外な人事に驚きを隠せない参列者達。

 だが、皇帝に即位した一刀に文句を言う者もいなかった。

 

「さあ、天音。立ち上がって」

 

 自分を憎み隙あらば殺してもいいと言った相手を立ち上がらせると、天音は一刀より一歩前に出て参列者達のほうを見た。

 

「将来有望ね」

「そうなのですか?」

「ええ。いろんな意味でね」

 

 華琳からすればあ自分のものになってほしかったと思っていたが、宰相にされた以上、一刀から引き離す事は出来ないと残念に思っていた。

 

「これからも俺は身分や国こだわることなく登用したいと思っている。だからこれが好機だと思って頑張って欲しい。この国の民のために」

 

 自分のためではなく国を支えてくれる民のために協力をして欲しい。

 そう言って一刀は雪蓮達の前で頭を下げた。

 

「一刀……」

 

 皇帝が臣下に対して頭を下げることなど前代未聞のことだったが、それだけに一刀が彼女達を必要していた。

 

「わかったわ。私達の身命にかけてもあなたを支えるわ」

 

 一番に応えたのはやはり雪蓮だった。

 彼女らしいなと思いながら一刀を頷いた。

 そして次々と協力するとの声が上がっていき、やがて参列者全員がその意志をあらわにした。

 全員で作り上げる新しい国。

 それが一刀達の目指した最初の目標でありこれからの基盤となるものだった。

 皇帝即位の式典が終わると一刀は天音と共にまず新しい国名を発表した。

 その名も『晋』。

 一刀の知る三国志の末路に待っていた国と同じ名にした。

 呉、魏、蜀、それに南蛮と山越の王位はそのままにして国境などを廃止した。

 そして晋の首都に三国が会議に使っていた江陵城が選ばれ、荊州は皇帝直下の領土になった。

 王にはその周辺に固有の領土を持たせた。

 それには荊州が万が一、外敵に襲われた時に守る役割を与えていた。

 

「蓮華と華琳、それに桃香には宰相に次ぐ位についてもらうよ」

 

 三人の王はそれに納得した。

 幼い天音に不安を感じてものの、外見と思惑とは裏腹に名軍師に劣らないことを華琳から説明をされたため自然と年齢は気にする事がなくなった。

 ただ、極端に感情表現が少なく、一刀ですらめったに笑顔を見ることはないほど天音は淡々としていた。

 

「この子が産まれて成人するまでには体制もしっかりしているだろうな」

 

 そして蓮華がもし後継者たる男子を出産した場合はその子を一刀の跡継ぎと発表された。

 氷蓮を初めとする多くの娘達もそれに反対をするかもしれないと思ったが、意外にも賛成をしてくれた事であっさりと決まった。

 新国家の建国から数日、慌しさの中で一息ついた一刀が三人の王と共にお茶を飲みながら新しい国について話をしていた。

 

「そうね。その頃には司馬懿も十分に大人になっているわね」

「うん?何言いたそうだな」

「こう思っただけよ。その子がもし男ならきっと司馬懿の美貌に引かれて妃にするかもしれないってね」

「冗談に聞こえないから怖いな」

「あら、冗談なんかで言っていないわよ。一刀の血を引いているのだからそうなるだろうって思っただけよ」

 

 そうなったら楽しみねといわんばかりに華琳の表情は意地の悪い笑みが浮かんでいた。

 

「そうなったら司馬家とも縁戚になるわね」

「ということは私達にも好機があるわけですね」

「好機?」

「そうね。今のうちに準備しておくのも悪くないわね」

 

 何の話をしているのかわからない一刀に対して大体の予想がついていた蓮華は思わず笑ってしまった。

 

「なんだよ三人して」

「でも義理の父親がこれだと娘の親としては不安があるわね」

「うっかり手を出したりしそうですしね」

「ちょっとまて。義理の父親ってなんだよ。それに人様のものは手をつけないよ。大体、男かどうかもわからないのによくもまあ勝手に言えるもんだな」

 

 この状況で仮に男が産まれたら今のような会話どおりになってしまうのかと不安になった。

 それを蓮華が手を伸ばして慰めた。

 

「大丈夫よ。この子はきっと一刀に似て優しくて誰からも愛されるわ」

「つまり俺と同じ運命を辿るのか……」

 

 天の御遣いの息子であると同時に天の種馬の血を受け継いだと言われたは可哀想だなあと蓮華のお腹を見ながら思った。

 

「まぁどうなるかは産まれてからよ。しっかり教育をさせておくべきね」

「ご馳走様でした」

 

 二人は休息を終えてそれぞれの政務に戻っていった。

 残された一刀と蓮華は主に華琳が話したことを思い出しては苦笑いを浮かべていた。

 

「蓮華、この子の将来のことを頼むよ」

「できるだけのことはするけどどうしても無理だったら諦めてね」

「おいおい」

「仕方ないでしょう。一刀と私の子供なんだから」

 

 できれば女の子であって欲しいと思った一刀だった。

 そんな夫を見て蓮華はどちらにしても愛情をたくさん与えられてきっと父親のように優しくて温かさを兼ね備え、また強さをもって産まれてきてくれるだろうと思いながら、自分の大きいお腹を何度も優しく撫でていた

 その様子を見ていた一刀はふと視線を感じた。

 振り向くと部屋の入り口の隙間から天音が顔をのぞかせていた。

 

「天音、どうしたんだ?」

「…………」

「入っておいで」

 

 一刀にそう言われてゆっくりと入ってくる。

 そのまま一刀を通り過ぎて蓮華のところにやってきた。

 

「どうかしたの、司馬懿?」

 

 未だに一刀以外に真名を授けていないためそう呼ぶ蓮華。

 一方、天音はじっと蓮華のお腹を見ていた。

 

「もうすぐ産まれるんだ。俺達の子供がね」

「産まれる?」

「ああ。信じられないだろうがこのお腹の中にいるんだぞ」

 

 一刀の説明を聞きながら手を動かしていく。

 

「……触っていい?」

「ええ。いいわよ」

 

 天音はゆっくりと蓮華のお腹に手を当てていく。

 そしてそこから伝わってくる鼓動を感じたのか手を離してしまった。

 

「どう?いるだろう?」

 

 天音は再び手を伸ばしてお腹に当てる。

 瞼を閉じて今度は慎重に何度も手を動かしていく。

 

「!?」

 

 驚いた表情を見せる天音に蓮華は優しくこう言った。

 

「ここにいるって言っているでしょう?」

「……」

「もう少しで会えるのよ。貴女にもこれからお世話になるかもしれないからその時はよろしくね」

 

 次期皇帝とそれを支える美貌の宰相。

 華琳でなくともそんな二人がもし結ばれでもしたらどうなるだろうかとつい考えてしまう。

 十以上も離れていても関係ないだろうと蓮華は思っていた。

 

「天音、俺のことは隙あれば殺してもいいけど、この子はやめてくれよ」

「大丈夫。私はあんただけを殺したいから。この子は言われなくても守る」

 

 父親としては嬉しい言葉だった。

 隙らしい隙を見せても天音はまったく襲う様子を見せることなく、無意識に隙を見せても何も起こらなかった。

 そのことが不安になった時もあったが、今は信頼できる者として一刀は天音を頼りにしていた。

 

「まぁ天音がいてくれれば安泰だな」

「そうね。一刀よりも立派な司馬懿がいればこの子も安心して皇帝としてやっていけるわね」

 

 二人から褒められる天音は顔を俯いて僅かに頬を紅く染めていた。

 

「蓮華、何かあったらすぐに呼んでくれよ」

「ええ、わかっているわ」

「天音、しばらく蓮華といてくれるか?」

「わかった」

 

 天音もまだ蓮華のお腹に触れていたいのだろうか、手を何度も当てては目を閉じていた。

 一刀が退出をすると部屋の中は静けさが漂い始めた。

 蓮華も自分からは言葉を発することをせず、ただお腹を触っている天音の様子を見守っていた。

 

「また動いた」

「そうね」

「凄く元気……」

「それじゃあ男かしらね」

「たぶんそう」

 

 天音の境遇を一刀から教えられた時、蓮華は彼女に声をかけたことがあった。

 だが何を言っても素っ気無く、まるで目標以外は興味を示そうとしなかった。

 それが今、産まれてくる子共に興味を覚えていた。

 

「ねぇ司馬懿」

「なに?」

「もし男だったらお嫁さんになる?」

 

 蓮華の言葉に手の動きを止めた天音はじっとお腹を見て動かなかった。

 

「仇の息子に嫁ぐなんて馬鹿げているとは思うわ。でも憎しみだけを抱いても貴女のお兄さんは戻ってこないわ」

 

 一刀と同様に彼女に同情の気持ちがあったが、それとは別にいつまでも引きずっている姿はどこか痛々しいものを感じさせていた。

 

「私も幼い頃、母を失ったわ。自分ではどうすることも出来なかった。殺した相手すら教えてもらうまでわからなかった。でも、仇を討ったところでお母様が戻ってはこなかった」

 

 報われない心。

 だが彼女には雪蓮や小蓮がいた。

 しばらくして一刀と出会った。

 そうしていくうちに憎しみは消え、いつしか母親を哀れむこともなくなった。

 

「憎んで悲しんでも前に進まないといけない時があるの。胸が張り裂けそうになってもね」

「だから何?」

「忘れろ何て言わない、でも一刀を殺すなんてことも言わないで欲しい」

 

 彼を失うことは母親を失った以上の喪失感に襲われる。

 そうなってしまえば自分を制御することは出来なくなるだろうと雪蓮と同じ気持ちだった。

 

「もう誰かが目の前で死ぬなんてことは見たくない」

 

 蓮華の心からの言葉に天音は顔を彼女の方に向けた。

 産まれる前に兄を失い、それを両親から聞かされて生きてきた天音にとって一刀は決して許せる相手ではなかった。

 それでも彼を必要としている者がいる。

 かって兄を必要としたのように。

 

「もし一刀に含むところがあればいつでも言って欲しい。私はお前の味方になって文句の一つでも言ってあげるわ」

 

 病で両親を失った天涯孤独の天音はこれからはずっと一人ではない。

 そのことを蓮華は伝えると天音は何も言わずにお腹に当てた手を離した。

 

「考えとく」

 

 それだけを言い残して部屋を出て行った。

 蓮華はただ一人部屋に残り、どうすれば天音の心を開く事が出来るだろうか考えたが、何も浮かばなかった。

 

「困ったわね」

 

 そうつぶやいてお茶を取ろうとした矢先、激しい陣痛が彼女を襲った。

 悲鳴が部屋中を木霊し、それを聞いた天音は戻ってくると蓮華が苦しんでいる姿を見つけた。

 そこへ冥琳と話しながらやってきた雪蓮が二人を見つけて状況を把握すると、すぐに出産の準備をするように冥琳に伝えて天音とともに蓮華を寝台へ運んでいった。

 激しい陣痛の痛みを乗り越えて蓮華は無事に男の子を出産した。

 

「おめでとう、蓮華」

「おめでとうございます、蓮華さん」

 

 駆けつけた華琳達からお祝いの言葉をかけられた蓮華は出産の疲れかすぐに眠りについた。

 その傍らで一刀にとって初の男子である赤子が同じように眠っていた。

 

「これで北郷王朝は安泰ね」

「そうですね」

 

 即位して数日もしないうちに後継者が産まれたことで国中が歓喜に満ちていた。

 誰もが一刀のように優しい心を持ち蓮華の美貌を受け継がれているであろうと思っているだけに、将来が楽しみで仕方なかった。

 

「とりあえず年上好みにしてあげないとダメね」

「そうですね~。でも一刀さんの男の子だからきっとその辺りは問題ないと思いますよ」

 

 一刀が祭という呉の重鎮ですら側室とし、子を授かっている事を知っている華琳と桃香は何も問題はないといった感じに頷いていた。

 

「まったく、言いたい放題だな」

「あら、めでたいことでしょう?私達が叶えられなかったものを娘達で叶えられる可能性があるのだから」

「なんだよ、その叶えられるものって?」

「ほらほら、そんなに大声を出さないの」

 

 雪蓮に窘められた一刀達は声を抑えて一斉に蓮華達の方を見た。

 そこには穏やかに眠っている蓮華とその赤子の姿があり、一堂はホッと胸をなでおろした。

 

「それにしても司馬懿がべったりね」

 

 眠る赤子を枕元にずっと座って眺めている天音の姿を見て誰もが不思議な気持ちに包まれていた。

 まるで自分の弟を見守るように優しい瞳を向けているように思えた。

 

「いっそうのこと、あの子を養女にしたらどう?」

「養女?」

 

 華琳の言葉に一刀は考えたが苦笑いを浮かべた。

 

「もしそうしてしまえば何かが壊れてしまうような気がするんだ」

「壊れる?」

「うん。何て言ったらいいのかわからないけどな」

 

 一刀は今のままの関係が良いのだと華琳に言うと彼女も軽く息をつくだけにとどめた。

 

「それで名前はどうするの?」

「一応、晋の後継者だからな。姓もどうするか悩んでいるところなんだ」

 

 北郷の姓をつけるべきか雪蓮に相談をしたこともあったが、それはダメだと否定されていた。

 

「でもいつまでも名無しでは可哀想よ?」

「そうなんだよな」

「それじゃあ司馬の姓を与えたらどう?」

「さすがにそれは不味いだろう」

 

 もし司馬の姓を与えてれば多くの視線がまだ幼さがある天音に注がれ、そこに悪意が生まれないとは限らななかった。

 あと十年もすれば不動の地位を築き、自分を守ることもできるが今はまだ一刀達の保護が必要としていた。

 そういう意味では司馬の姓を与えるわけにもいかなかった。

 

「困ったもんだ」

「そうね。でも皇帝になったんだから早く決めないとダメよ」

「そうする。それにしても俺の息子か」

 

 自分の息子が成人するころにはどれだけの魅力的な女人を傍に置いているだろうかと思ったが、それでは自分と同じ種馬の運命を辿らせてしまうためあまり楽しい未来図に見えなかった。

 そんな中、雪蓮は静かに部屋を出て行きその姿を見つけた一刀は華琳達に任せて後を追いかけた。

 晴天が広がる中、雪蓮は庭におりて適当なところに倒れこんだ。

 

「雪蓮」

 

 その横に一刀は座って彼女を見下ろす。

 

「どうしたんだ、何だか元気がないように見えるけど」

「そう?何時だって私は元気よ」

「そう見えないから聞いているんだ」

 

 よっこいしょと言いながら一刀も雪蓮と同じように身体を倒して青空を見上げた。

 雲ひとつない清々しさを漂わせている青空を眺める二人。

 

「本当は蓮華が羨ましかったの」

 

 愚痴るようにゆっくりと話し始める雪蓮。

 重ねられた手の温もりを感じながらも自分の心の中にある嫉妬にため息を漏らしていく。

 

「一刀の跡継ぎが欲しかったのにって思っているのよ」

「もしかして怒ってる?」

 

 正室であり誰よりも一刀のことを愛している雪蓮ですら、皇帝となった一刀の跡継ぎを産みたいと思っていた。

 呉王としての跡継ぎも氷蓮自身の意思で尚華に譲ったことは別に何も問題はなかった。

 娘が決めたことなのだから親としてはそれを支持するのが筋だったからだ。

 

「さすがの皇后様もどこにでもいる女の子ってことだな」

「失礼ね。私はもう女よ。いつまでも子供でいられないわ」

「でも、そうやって欲しかったって思うのは心がいつまでも女の子のままだと思うけど?」

 

 彼女の性格を熟知しているからこそそのようなことが言える。

 雪蓮もそんな一刀だからこそ笑って許せるものだったが、やはり蓮華が羨ましくて仕方なかった。

 

「ねぇ一刀」

「うん?」

「このまま引退して二人でどこかいかない?」

 

 自分と二人だけでどこかに行く。

 そして人知れず余生を過ごしてみたいと雪蓮の頭の中にふと浮かんだ。

 

「在位数日か。ある意味で斬新だけど、それじゃあ皇帝になった意味がないだろう?」

「それもそうね」

 

 だが雪蓮からすれば蓮華のことを思うと心穏やかに過ごすことは無理かもしれないと不安を感じていた。

 

(私だけの一刀でいて欲しいのに……)

 

 一刀と寄り添って生きていく中で常にその思いが雪蓮の心の中にあった。

 そして彼に惹かれている者達に嫉妬をしていた。

 それを表に出すことがないようにこれまで我慢をするところは我慢をしていた。

 

「私って嫌な女ね」

「なんだよ、急に」

「だってこんなにも蓮華達に嫉妬しているのよ。愛に狂ったって言われても否定できないわ」

 

 一刀の正室とうことで皇后になった雪蓮だが、なったからといって何かいいことでもあったかといえばそうでもなかった。

 ただ毎日を一刀の傍で過ごしているだけ。

 それでも一緒にいられる時間が増えただけまだ喜ばしいことだった。

 

「そのうち蓮華に皇后を奪われるのかしら」

「雪蓮!」

 

 さすがの一刀もその言葉は聞き流せなかった。

 彼女の視界に写った一刀の表情はいつになく怒りを感じさせていた。

「一刀?」

「俺の隣に雪蓮がいてくれないと嫌だ」

「でも、あなたの後継者を産んだのは蓮華よ。今は良くてもいずれ私は必要なくなるわ」

「それでも雪蓮以外になってほしくない」

 

 一刀からすれば常に自分の隣にいるのは雪蓮だと思っている。

 それはただ彼女が一番初めに自分を受け入れたということだけではなく、一刀自身も雪蓮なしではいられなかった。

 

「ずっと傍にいてくれるって約束してくれたのにそれを雪蓮が破るのか?」

「破るわけないでしょう」

「なら傍にいてくれ。確かに後継者は蓮華が産んでくれた。でも、俺には雪蓮にずっといてほしいんだ。誰よりも近くに」

 

 彼女がいたからこそこうして今の自分がいる。

 皇帝としても不安や焦りがあっても前を向くことができるのも雪蓮がいてくれるからだった。

 

「それだけじゃあ、満足できないか?」

 

 後継者をすでに公表してしまった以上、変えることは出来ない。

 これだけはもはやどうすることも出来ない。

 

「それって一刀の自己満足でしょう?」

「そうかもしれない」

「正直ね」

「雪蓮に隠し事をしても仕方ないだろう?」

 

 怒りを静めていく一刀に雪蓮は手を伸ばしていく。

 そして頬に触れて何度となく撫でる。

 

「わかったわ。ずっと離れないから覚悟しなさいね」

「大丈夫だ。今更、雪蓮を離そうなんて思っていないよ」

 

 雪蓮の手を掴んだ一刀はそのまま、彼女に口付けをした。

 唇を離すと雪蓮が起き上がり両手を天に向かって伸ばした。

 

「一刀」

「うん?」

「私はずっと私のままでいられるかしら?」

「どうだろうな。それは雪蓮の気持ち次第だと思うよ」

「私の気持ち次第ね……」

 

 たった一月で何もかもが変わってしまうわけでもない。

 だが、昔と同じように毎日を楽しめることが出来るのか雪蓮にはわからなかった。

 

「北郷雪蓮」

 

 いきなり一刀はそう呼んだ。

 

「なに?」

「いや、なんとなく叫びたくなった」

「なによそれ」

「いいだろう、別に」

 

 笑いがこみ上げてくる雪蓮に一刀も笑顔を崩さない。

 

「そうようね。私は北郷雪蓮よね」

 

 確認するように雪蓮は頷く。

 それは変わることのない事実であり、これからも変わることのない事実。

 

「ねぇ一刀」

「なんだ?」

「もう一人ぐらい産もうかしら」

「欲しいのか?」

「蓮華を見ていたら欲しくなっちゃった♪」

 

 嬉しそうに答える雪蓮に一刀は頭を掻いてみせた。

 後継者とか関係なく雪蓮はもう一人望んでいるのであればそれでもいいかと思いつつ、彼女と肩を並べて寄り添っていった。

 それからさらに数日が過ぎたが、未だに名前が決まっていなかった。

 まさか自分の息子の名前を朝議で決めるわけにもいかず、一刀は暇があれば名前を考えながら部屋の中を歩き回っていた。

 

「何をやっているのかしらね」

 

 呆れてものが言えないといった感じに華琳は一刀の様子を雪蓮から聞いていた。

 自分の子供にどの姓をつけるかなど迷うべきものではないと思っている華琳からして、未だに名前をつけてもらえない赤子が不憫だと思った。

 

「別に北郷だろうが孫だろうが関係ないはずよ」

「私は北郷を名乗らすのは反対なのよ」

「理由は?」

「ひ・み・つ♪」

 

 お茶を飲み一息つきながら雪蓮は華琳の質問をはぐらかした。

 華琳からすれば北郷を名乗らせば何事も問題はないだろうにと思ったが、雪蓮の笑顔を見ていると追求をしても無意味だと悟った。

 

「でもこのままだと可哀想なのは確かね」

「それじゃあ残された手段は孫の姓だけですよね?」

 

 北郷がダメならば孫が無難であろうと誰もが思った。

 

「それも考えたけど、一刀が反対したのよ」

「はあ?」

「孫の姓を名乗らせてしまえば結局のところ、孫家が他の二国を吸収したと思われてしまうのが嫌だそうよ」

 

 新王朝の出だしでここまで困る問題が出てくるとは思いもしなかっただけに、政以上に頭を悩ます雪蓮達。

 そこへ天音が入ってきた。

 

「あ、丁度いいところに来たわ」

「?」

「いいからこっちに来なさい」

 

 雪蓮に言われるままに天音はやってきて空いている椅子に座らされた。

 

「ねぇ、貴女ならなんて姓をつけたらいいと思う?」

「何の話?」

「一刀と蓮華の息子の名前よ」

 

 その話題にわずかばかり反応を示した天音。

 本人からすれば約束かどうかはわからないが、その子供を守ると言った天音にとって他人事のように思えないところがあった。

 

「特に姓についてだけどね」

「知らない」

「あっさりしているわね」

「関係ないから」

 

 だが他人事のように思えなくとも、補佐を受けながらも宰相として多忙な日々を送っている天音にとって重要なことでもなかった。

 

「それにどんな姓でも守るから」

 

 仇の息子を守るなど普通ではありえない事だが、天音からすればそこに自分の使命のようなものを感じていた。

 蓮華のお腹の中にいた時、手で触れその鼓動を感じてから天音は蓮華とその息子にだけ妙に懐いていた。

 思春辺りは警戒心をフル稼働させて天音が少しでも変な動きをすれば斬り捨てるつもりで見守っていたが、今のところそれらしき行動は見えなかった。

 

「それよりもやる事があるから」

「たまには息抜きぐらいしなさい。それに宰相はもっと余裕をもつものよ」

「…………」

 

 華琳の方を睨みつける天音だが何も言わなかった。

 そそて出されたお茶を綺麗に飲み干すと何も言わずに席を離れて部屋を出て行ってしまった。

「愛想がないわね」

「蓮華と赤子の前では少し違うみたいよ」

 

 自分達には心を開こうとはせず、素っ気無い態度を取り続ける天音に対しての不満はかなりあったが、彼女よりも年長の自分達が感情をあらわにしてまで相手をするつもりもなかった。

 

「せっかくの美人もあれじゃあ損するだけね」

「でも今から十五年もすれば美人になるわよ」

「そうして、北郷王朝のお妃様になっていくのね」

 

 冗談のように聞こえたがそれが現実になるかもしれないとわずかばかりに雪蓮達は思っていた。

 

「一刀も困ったものね」

「まぁ一刀だし」

 

 それで納得されてしまう一刀も哀れではあるが、彼女達にとってはそれだけでも十分に意味のあるものだった。

 

「雪蓮」

「な~に?」

「もしあの子が一刀の息子と結ばれたら喜べるかしら?」

「本人同士が納得するのであれば問題はないわ。それに少なくともあの子が一刀を憎んでいてもその息子にまで憎しみを向けていないから心配はないわ」

 

 憎しみを向ける前に誰からも守ろうとしているように見える天音の行動に雪蓮は安心していた。

 だからこそ、宰相であると同時に一刀と雪蓮は彼女に一刀の息子の傅役にも任じていた。

 

「しかし一刀はともかくとして雪蓮までもがこうも簡単に信じているとは思わなかったわね」

「一刀が信じるのであれば妻である私が信じないわけにはいかないでしょう?それに」

「それに?」

「あの子なら一刀が望んでいることを叶えてくれそうなのよ」

 

 一刀が望むこと。

 それはこの国に生きる民達の幸せ。

 そしてその延長線上に自分達の幸せがあった。

 

「憎しみや悲しみ、そういったものを誰よりも感じて誰よりも知っている司馬懿だからこそ一刀は宰相や傅役に任じたのよ」

 

 そしてそのような民を増やさないために一刀の息子に教えることこそが本当の意味での天音が必要だった。

 

「そういうことね。まぁそれならば私達がとやかく言うことでもないわね」

「そうですね」

 

 華琳と桃香も一刀が天音を誰よりも重要な地位につけた理由に納得ができた。

 やはり北郷一刀は自分達では考え付かない方法を見せ付けてくる。

 そのことが特に華琳を喜ばせた。

 同時にある決心もできた。

 

「とりあえず北郷がダメならば孫を私は推すわ」

 

 話を戻した華琳はそう言い放った。

 正直に言えば、これ以上の話し合いをして平行線を辿るのであれば時間の無駄だと華琳は主張をした。

 それよりも新王朝の体制を確実なものにするほうが重要だと思っていた。

 

「私もそれでいいと思います。それに私達が賛同していれば大丈夫だと思います」

 

 かつての魏、蜀の国で君主の座にあった二人の王の賛同に雪蓮は頷きそれを一刀に伝える事にした。

 その途中で雪蓮の表情は笑みで満ち溢れていた。

 それだけに二人が賛同してくれた事が嬉しく思い、また一刀の元で統一されていく自分達の姿に満足していた。

 そして未だに悩んでは部屋中を歩き回っている一刀に自分達の結論を伝え、一刀も散々考えた挙句、彼女達の提案を受け入れる事にした。

 皇太子の名を孫和と定めそれを公表したとき、旧三国の諸将は多少なりに意見をそれぞれに主君にぶつけた。

 特に魏と蜀からは孫の姓を与えるのは自分達をないがしろにするのではないかという不信感を持たせたが、華琳と桃香がそんなことは些細な事だと言って跳ね除けた。

 事実、姓にこだわっていても北郷一刀の息子であり、その息子に自分達の娘を嫁がせれば縁戚になると思えば自然と不満を表す者はいなくなった。

 

「二人には感謝するよ」

 

 一刀としては華琳と桃香が賛同してくれたことで騒ぎが収まった事にいくら感謝をしても足りなかった。

 

「こんなことで感謝をしていれば、これから先、何度でも感謝をしないといけなくなるわよ」

 

 一刀を支える側としては退屈をすることはないと思えるほどだった。

 これであるならば一刀に膝をついた自分達の判断は間違ってもいなかっただろうし、毎日がまったくの未知に溢れているように思えて愉快でならなかった。

 

「でも本当にいいのか?」

「いいから賛同しただけよ。嫌ならきちんと嫌って言うわよ」

「そうです。孫和ちゃんは私達にとっても大切な男の子ですから」

「桃香、もしかして孫和のことを狙ってる?」

「そんなことはないですよ。ただ劉理ちゃんのお婿さんになってくれたらいいかなって思っているだけですよ」

 

 言った後、しまったと思ったがときすでに遅く、一刀達は唖然としていた。

 

(まったく桃香は油断できないわね。こんなところでサラッとあんな事を言うのだから)

(孫和、俺に似て女難の相がもうここにあるぞ。頑張れ)

 

 華琳と一刀は思わずため息を漏らしてしまったが、不快な気持ちにはならなかった。

 

「なんにしても一刀と同等、もしかしたらそれ以上の種馬力は発揮しそうね」

「大丈夫かな、この王朝」

 

 あまり多くの側室を持って子が産まれれば将来の禍根になりかねないと危惧する一刀。

 

「大丈夫じゃないの。一刀の息子ならば問題はないわよ。それに司馬懿がしっかりしてから余計な騒乱は起きないわ」

「なんだよ、華琳は天音のことそんなに評価していただなんて思わなかったわね」

「才あるものは認めるわよ。司馬懿個人の性格はこの際関係ないわ」

 

 多少の問題があっても国を支える才能があれば華琳は気にしていなかった。

 

「一刀だって同じことよ。私が認めるものがあったから皇帝に推したのよ」

「まだまだ力不足だけどな」

「それでもあと十年、十五年もすれば立派な皇帝にはなっているわよ」

「その時には俺は引退して孫和に譲っているさ」

 

 皇帝としての責任は最後まで背負うつもりでいる一刀にとって、華琳の言葉は頑張れと言っているように聞こえた。

 

「ありがとう、華琳、桃香」

 

 頭を下げる一刀に二人は温かく見守っていた。

 誰にでも優しく困っている人がいれば真っ先に動く彼を皇帝とし、これから続くであろう新王朝を繁栄させるために協力は惜しむつもりはなかった。

 

「でも楽しみね」

「何が?」

 

 それまで静かに見守っていた雪蓮がそう言った。

 

「これまで見たことのないものを見せてくれると思うと楽しくなるわ」

「そうね。どんな政をするか楽しみね」

「天の知識って凄いですからね」

 

 雪蓮達から期待を込めた言葉を聞かされ一刀は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 だが皇帝になった以上、この国のために天の知識を使うのであれば何も問題はないだろうと決意を新たにした。

 皇帝としての一日の政務を終えた一刀は毎日のように蓮華の部屋を訪れていたが、そこには決まって天音が先に来ていた。

 

「孫和も天音のことが気に入っているみたいだな」

「…………」

 

 一刀の方を見ることなく孫和ばかりを見る天音。

 

「毎日来ているのよ」

 

 寝台の上で腰を下ろしている蓮華は立ち上がろうとしたが一刀はそれを止めて自分でお茶の用意をした。

 

「孫和も司馬懿のことが気に入っているみたいね」

 

 傍から見れば姉と弟のように見える二人を一刀と蓮華は微笑ましく思えた。

 兄を戦で失い両親や一族をことごとく失ってしまった天音にとって孫和を大切にしたいのかもしれなかった。

 

「大きくなっても司馬懿がいないと不安になるかもしれないわね」

「そうだな。天音、孫和のことを頼むぞ」

「わかってる」

 

 彼らに振り向くことなくただ眠っている孫和を眺めている天音はそう答えた。

 赤子に対して敵意をまったく出さない天音ならば自分達の息子をきちんと導いてくれるであろうと一刀達は思った。

 

「皇帝としてやっていけそう?」

「まぁなんとかかな」

 

 お茶を人数分用意して、その一つを蓮華を手渡しながら皇帝としての日々を話していく。

 新しい政策を打ち出す前にまず三国を統一した時に生まれる不具合の解消や人材の配置、民のことなど山のようにやることがあった。

 だが、華琳が明言したように一刀に力を貸し様々な問題を片付けていくことができた。

 それでもやるべきことは多く、一刀も夜遅くにならなければ蓮華達の元へ行くこともできなかった。

 

「大変ね」

「ああ。でも、華琳達がいてくれる。それだけでも助かるよ」

 

 自分ひとりではどうにもならないことでもこれまれ彼と接してきた者達と協力すれば問題も解決していける喜びがあった。

 

「私も早く一刀の助けになりたいわ」

「蓮華は孫和や自分の為に今はゆっくり休んでくれよ」

「そうね。焦っても仕方ないわ。ありがとう、一刀」

 

 自分達のことを気遣ってくれる一刀がいる。

 それだけで蓮華は嬉しくあった。

 

「ところでお姉様を見かけなかった?」

「雪蓮?さっきまで一緒だったけど、あれ、どこいったんだ?」

 

 てっきり一緒にここにきたのだとばかり一刀は思っていた。

 

「最近、お姉様は少し変わったような気がするわ」

「変わったって?」

「なんだか私が孫和を授かったことを喜んでくれていないように思えるの」

「そんなことはないさ。雪蓮と話したけど羨ましいっては言っていたけど蓮華を避けるようなことはしないさ」

 

 雪蓮が蓮華や小蓮のことを嫌うことなどありえないと一刀は思っていたし、現に雪蓮も祝福をしていた。

 ただ嫉妬しているということは一刀黙っていた。

 

「一刀」

「うん?」

「お姉様のことしっかり捕まえていてね」

「どうしたんだよ、急に」

 

 姉を心配するにしてもどこか思いつめているように見えた蓮華を一刀は不思議に思った。

「お姉様は一刀を愛しているわ。きっと私達以上にね。でも、だからこそ不安になるのよ」

「不安?」

「ええ。お姉様は一刀のことになると人が変わったようになるの。毒矢を受けた時も病で倒れた時も、お姉様はお姉様じゃないように思えたの」

 

 その時の姉を二度も見た蓮華だからこそ感じる漠然とした不安。

 

「だから私はきっとお姉様に避けられているのよ。あなたを私が引き止めているように見えるから」

「考えすぎだろう?」

「私が孫和を利用してお姉様から一刀を奪おうとしていると見えているのだと思うわ」

 

 蓮華自身、そんなことを思っているわけではなかったが、反対側の立場から見ればそう見えてしまうこともある。

 同じ姉妹だからこそ感じるものでもあった。

 

「だから今はお姉様の傍にいて欲しいの。一人にさせないで欲しい」

「蓮華……」

「ここには司馬懿もいるわ。何かあれば思春だっているし。だからお願い」

 

 母亡き後、自分達を必死になって守ってくれた大切な姉に辛い思いをさせたくない。

 その気持ちが蓮華には深く心の中にあった。

 

「わかった。蓮華がそこまで言うならばそれに従うよ。でも、何かあったらすぐに呼んでくれ。蓮華や孫和も俺にとっては大切な家族だから」

「頼りにしているわ」

 

 蓮華にとってそれだけでも十分に幸福だった。

 だからこそ常に先頭に立って進んでいた雪蓮を心から心配をし、自分と同じように、いやそれ以上に幸せになって欲しいと願っていた。

 

「それともう一つお願いがあるの」

「なんだ?」

「お姉様に孫和の真名をつけて欲しいの。だから」

「ああ。それもきちんと話すさ。だから安心して待っていてくれ」

 

 一刀の言葉はいつも彼女達を包み込んでいく。

 

「きっと雪蓮ならいい真名をつけてくれるさ」

「私もそう思うわ」

 

 同じ男を愛するがゆえにその影に隠れている苦しみも感じることができる。

 蓮華の頬に口付けをして一刀は部屋を出て行った。

 天音は一刀が出て行ったのを確認すると、蓮華の方を見た。

 

「意味がわからないみたいね」

「…………」

 

 正気に言えば天音には一刀達のやりとりが理解できなかった。

 一刀に数多くの妻がいることもそれに匹敵する娘達、そして誰一人と仲が悪い者がおらず、誰もがそれが当たり前のように過ごしている姿が異様に見えていた。

 

「私達はずっと固い絆で結ばれているのよ。どんなことがあっても離れる事のない絆でね」

「ありえない……」

「そうね。私も初めはそう思ったわ。でも、今ではよかったって思っているわ」

 

 彼女の大切な人達と共に生きる喜び。

 それが今の幸せでありこれからの幸せにもなる。

 それを天音も取り戻して欲しいと蓮華は心から願っていた。

 

「前にも言ったけど過去を忘れろなんて言わないわ。でも私達とこれからを一緒に生きていけることが出来るはずよ」

「孫和も?」

「ええ。きっとこの子も貴女が傍にいて欲しいと願っているわ」

 

 彼女は決して一人ではないことを諭す蓮華。

 

「だから貴女と家族になれたらきっと楽しいと思うわ」

「…………」

 

 家族という言葉に天音は静かに孫和の寝顔を見ていた。

「雪蓮」

 

 蓮華達を残して雪蓮探しをしていた一刀が彼女を見つけたのは庭の木だった。

 その枝に腰を据えて酒を呑んでいたのだが、木の根元には空になったと思われる酒瓶がいくつも無造作に転がっていた。

 

「お~い雪蓮」

「何よ」

「酔っているのか?」

「酔ったら悪い?」

 

 いつになく不機嫌な雪蓮。

 ついさっきまでそんな素振りなど見せなかったために一刀はまた蓮華に対しての嫉妬が再発したのかと思った。

 

「とにかく降りてくれよ」

「嫌よ」

「そんなに呑んで酔って落ちたりしたら危ないだろう」

「落ちないから大丈夫よ」

「あのな…………」

 

 知っている者から見ればいつもの光景だろうとさほど気にするほどでもないが、これが皇帝と皇后など初めて見る者からすれば信じられない光景だった。

 

「とにかく降りてくれ。さもないと力づくでも降ろすぞ」

「できるものならやってみない」

 

 余裕を見せる雪蓮だが、一刀は本気で引きずり落とすために木に登り始めた。

 

「ち、ちょっと本気なの?」

「雪蓮が言ったんだろう。やれるものならやってみろって」

「わ、わかったわよ。降りればいいんでしょう」

 

 もし一刀に怪我をさせては蓮華達に何を言われるかわからなかったため、雪蓮は諦めて枝から降りた。

 そのまま木の根元に座って酒を呑んでいると一刀はその横に座って杯を強引に奪い取って残っていた酒を一気に呑み干した。

 

「ちょっと私のお酒よ」

「なら俺が呑んでも問題ないだろう?雪蓮は俺の奥さんなんだし」

 

 そう言って杯に酒を注いでまた呑み干していき、空になった杯を雪蓮に渡すと同じように注いでいった。

 

「こうして酒を呑むのは久しぶりだな」

「そうね」

 

 誰に見られようと関係ないといわんばかりに雪蓮は一刀に身体を寄せていき酒を呑んでいく。

 

「もしかしなくても蓮華に対してまた嫉妬しているのか?」

「そうじゃないわ。ただこのところ落ち着かないの」

「まぁいろいろ慌しいからな」

「そういう意味じゃないわよ」

 

 一刀の肩に頭を乗せて身体を預けていく雪蓮。

 皇后という立場で一刀と共にいる時間は多くなったが、二人っきりという時間が皇帝になる前より少なくなっていることが雪蓮の憂鬱だった。

 

「蓮華が心配していたぞ。雪蓮を一人にしないで欲しいってお願いをされたよ」

「あの子ったら……」

「でも蓮華に言われたからここにきたわけじゃないさ。俺も雪蓮と一緒にいたいと思ったからきたんだ」

「それじゃあ今は私が一刀を貸切ってこと?」

「そういうことかな」

 

 一刀としても雪蓮と一緒に過ごす時間が大切に思っていただけに、彼女が酒を浴びるように呑んでいるのが気になっていた。

 交互に杯を受け取り、酒を呑んでいく。

 その様子を見つけた者は二人の様子を少し伺い、声をかけることなくその場から去っていた。

「で、結局のところ、どうなんだ?」

 

 五杯めを呑み干した一刀は単刀直入に雪蓮に聞く。

 このところの雪蓮は彼女を知る者達からすればどこかおかしいのはわかっていたが、それを聞きだすことはしなかった。

 おそらく自分達が言ってもはぐらかされるだけであり、一刀だけが聞きだせることだと彼の妻達は思っていた。

 

「天下は一つにまとまって華琳達が心配していたことも今のところはない。でも、雪蓮が元気ないと俺としては寂しいぞ」

「おかしいわね。そんな風に見せてなかったのに、どうしてわかったの?」

「こうみえても長年、雪蓮と一緒に生きているからな」

「さすが旦那様ってとこかしら」

 

 笑うこともなくどこか気の抜けたような雪蓮の言葉が風に流れていく。

 

「正直に言えば今のままでいるのが嫌かもしれないわ」

「そうか」

「私は物凄く欲張りだって思うわ」

 

 今こうしているのも実は一刀を独占したいからという私利私欲なところがおおくあるかもしれなかった。

 が、雪蓮自身が彼を望んでいたことは本当であり、できることならば誰にも邪魔をされることなく過ごしたいと良く思っていた。

 

「一刀を皇帝にしなければよかったかなって思うようになってるの」

「俺は今でも柄じゃないって思っているさ」

「じゃあさっさと引退したらどう?そうしたら気軽に私と旅に行けるわよ」

「そうだな。それもいいかもしれないな」

 

 皇帝になってからというもの城下街に行くにも一苦労をしていた。

 呉の大都督の時とは状況が変わりすぎており、正直、雪蓮の言うように引退をしたいと思っていた。

 だが、一度引き受けてしまった以上、最低限のことはしなければならず、また蓮華達の期待を裏切るわけにもいかなかった。

 

「せめて孫和が成人するまではダメだな」

「それって随分と長いわね」

「そうだな」

 

 息子達にあまり重荷を残さないためにも今の自分達が頑張らなければらない。

 一刀はいつの間にか重大すぎる責任を背負っていた。

 

「一刀」

「うん?」

「もし、引退したら私と二人で旅に出かけない?」

「そうだな。のんびりと二人で行きたいな」

「本当?」

 

 一刀も昔のように雪蓮と二人で旅をすることを望んでいた。

 それは嘘偽りでないことを雪蓮は知っていた。

 雪蓮はさらに一刀に寄り添っていき、手と手を重ね指を絡ませていく。

 

「爺さん婆さんになっても一緒に旅をしてくれるか?」

「一刀とならいいわよ。あなたを最後まで一人にさせないから」

「なぁ雪蓮」

「う~ん?」

 

 瞼を閉じて温もりを感じている雪蓮に一刀はこうつぶやいた。

 

「俺より長生きしてくれよ」

「どうして?」

「雪蓮達に見守られて死ぬのが最後の望みだからだよ」

 

 この世界の者でない一刀にとって自分だけが最後まで生き残りたくはなかった。

 雪蓮達には残酷かもしれないが、一刀は彼女達と出会い彼女達に見守られながら逝きたいと願っていた。

 

「まだ先のことだけどそう思うんだ」

「ふ~ん」

 素っ気無く答える雪蓮だが彼の手を握っている自分の手に力が入っていく。

 

「ダメかな?」

「ダメよ」

 

 即答する雪蓮。

 彼女にとって一刀を見送ることも見送られることも嫌だった。

 できれば同じ年、同じ月、同じ日、そして同じ場所で一緒に逝きたいと彼と結ばれてからずっと思っていた。

 

「あなたが死ぬ時は私も死ぬ時よ。孫策ではなく北郷一刀の妻としてね」

「雪蓮……」

「それにあなたを失ったらきっと自分が壊れてしまうから」

 

 三度目の奇跡など信じる気にもならない雪蓮。

 過去二度も経験した喪失感に似たものがまた自分を襲えば今度こそ立ち直ることも、人として生きることもできなくなることははっきりしていた。

 

「北郷一刀を死なせていいのは北郷雪蓮だけよ。北郷雪蓮を死なせてもいいのが北郷一刀だけと同じようにね」

「すごい欲張りだな」

「でしょう?」

 

 一刀のためなら何だってする。

 逆を言えば一刀がいなければ自分は生きる意味も何かをする意味すら見つけ出すことはできないということだった。

 

「そんな欲張りな私からお願いをしてもいいかしら?」

「無茶なお願いでなければ何でもどうぞ」

「それじゃ、前にしてくれた膝枕をして欲しい」

「いいよ」

 

 雪蓮は一刀に導かれるままに身体を動かし、彼の膝の上に頭を乗せて身体を横にしていった。

 寒くないようにと一刀は自分の制服を脱いで彼女にかけていく。

 

「寝心地はどうですか、奥様」

「うん、凄くいいわ♪」

「それは何より」

 

 雪蓮の機嫌が少し良くなったことに安心する一刀。

 指を動かし彼女の長い髪に絡めては遊んでいた。

 

「なんだか通り過ぎる人達がみんな、不思議そうにこっちを見ているな」

「そう?私は気にならないわよ」

 

 皇帝と皇后の仲慎ましい姿を見せることは別に悪いことでもなかった。

 

「華琳が見たらさぞ楽しそうにするだろうな」

「そうね。あの性格はきっと死んでもなおらないわね」

 

 かつて強敵であり共に天下を治めるために激突した盟友の性格について語り合う二人。

 だが彼らが本当に語りたかったのはそれとは別だった。

 

「どんなに時代が流れても私と一刀はここにいるのよね」

「そうだな」

「もう元の世界なんて気にならない?」

「そうだな。確かに向こうは俺の生まれ育ったところだ。でも、強く思い出そうとしない限り思い出せなくなってきているから俺はきっと向こうに未練はないと思うよ」

 

 二十年という年月の中で元の世界に戻されると思われるものは何もなかった。

 怪我をすれば血は流れ、病に倒れれば苦しみ死ぬ思いもした。

 それでも北郷一刀はここにいる。

 

「雪蓮達が思い出させないほど愛してくれているからかな」

「なら、もっと愛してあげるわ。私達を遺して逝くなんて考えないぐらいに」

「それは楽しみだな。夜も頑張れるように体力をつけておくかな」

「もう、それ以上つけられたら私達の方がもたないわよ」

 

 そう言って二人は笑いをかみ締めていく。

 その光景が当たり前であるかのように二人はお互いの温もりを感じあう。

「君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待」

「雪蓮?」

「冥琳があなたから教えてくれた歌って聞いたわよ」

「そういえば」

 

 万葉集をいくつか冥琳に教えたことを思い出した一刀だが、それを雪蓮が口にするとは思いもしなかった。

 

「あなたがどこにいても私は迎えに行くわ」

「ああ」

「一刀、私が迎えにいってもいい?」

「雪蓮なら大歓迎だよ」

 

 ずっと前から雪蓮は一刀がどこにいようとも必ず迎えにいっていた。

 死の淵に立っていても手を伸ばして彼の腕を掴むと自分の方へ引っ張って抱きしめていた。

 

「蓮華や冥琳達よりも早く一刀を捕まえてあげる」

「そいつは楽しみだな」

「そうしたらたくさん御礼をしてもらうわよ♪」

「お手柔らかにお願いします」

 

 一刀の言葉に雪蓮は笑った。

 自分の髪を指で絡められながら梳かれていく心地よさに全身の力を抜いて無防備な姿をさらけだしていく。

 

「このまま寝ちゃおうかしら」

「いくら温かいっていっても冬だぞ。間違いなく風邪を引くからやめてくれ」

「じゃあ風邪を引いたら一刀に看病をお願いするわ♪」

「こ、こら」

 

 雪蓮のいたずら心に慌てる一刀だが、彼女とこうしてじゃれ合うことができて嬉しかった。

 

「まったく、冥琳の苦労がよくわかるよ」

「あら、今更そんなことに気づいたわけ?」

「いや、前からわかっていたさ」

 

 手を彼女の頬に触れて指先で撫で回していく。

 それがくすぐったく感じた雪蓮だが、一刀の成すがままにされていた。

 

「一刀」

「うん?」

「大好き♪」

 

 不意打ちの告白に一刀は驚きながらも笑顔で頷いた。

 

「私が一番一刀のことが大好きよ」

「俺も雪蓮が大好きだよ」

「蓮華達より?」

「もしかしたらそうかもしれないな」

 

 一刀からすれば誰一人と差をつけることはなかった。

 だが、心の中では常に自分のことを考えて行動し、どんなに苦境にあっても雪蓮ならと絶対的な信頼があった。

 誰よりも先に一刀を受け入れ、そしてその生涯も捧げた。

 

「俺も雪蓮が一番大好きだよ」

「嬉しい♪」

「なんだか蓮華達が聞いたら怒られそうだな」

「大丈夫よ、きっと♪」

 

 きっと誰もが気づいているだろうと雪蓮は感じていた。

 誰かを守るではなく自分が誰かから守られている。

 

「それじゃあ早速、一刀の部屋に行きましょう♪」

「まだ日が高いぞ」

「あら、一刀だったらいやらしいわね♪」

「は、計ったな!?」

 

 雪蓮の策に引っかかった一刀だが、自然と笑い声がこぼれていき、やがて二人は周りを気にすることなく大声で笑いあった。

 


 
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