空が唸った。
「んん?」
天狗の風に吹き戻されて来た矢で尻に浅く傷を負い、ひでぇ目に遭ったとぼやきながら河童から貰った膏薬を塗っていた獺が、小さく聞こえた不気味な音に顔を上げた。
「やひゃぃ!?」
その目に映った光景に、思わず悲鳴ともつかぬ声が甲高く漏れる。
「かすり傷で騒々しいわ!これだからその辺に隠れ潜んでいる程度の奴は……」
治療が済んだらさっさと持ち場に戻れ!
一見すると青年にしか見えないような姿をしたモノが獺を睨む、だが、その時ぎょろりと上げた目は虫のそれ、きらきらと光を弾く無数の小さな目の塊。
弱い妖を束ねる役を任され、こんな所で人の軍隊の真似事をせねばならないわが身の憤懣もある、しゅうと開いた口からは本当の毒気に満ちた毒舌が漏れる。
ええ、我が親の仇たる式姫を前に、何をこのような迂遠な真似をせねばならぬのか。
奴らの主を不意打ちし、行軍を止めたのなら、一息に我らのような力ある妖が総力上げて襲い掛かり蹂躙すれば済む話ではないか、それをあのような人の浅知恵に乗りよって。
弱妖も統率すれば一つの戦力となるだの、それで相手の戦力を削いでから戦うだの……馬鹿々々しい。
そんな苛立ちを隠さぬ様子の強大な妖に向かい、違う違うと言いたげにぶんぶんと大きく首を振った獺が、空を指さし、震える口を開いた。
「ち、ちが、あれあぶやが」
最後にお助けぇ、と悲鳴を上げながら、細長くしなやかな体が目にもとまらぬ速さで手近な岩の隙間にするりと入り込む。
「何だというのだ、かすり傷程度で混乱しよって、腰抜けが……」
ぶつくさと罵り声を上げながら獺の指さした空を見上げた青年の無数の目の全てにそれが映る。
不気味に唸りながら、急速にこちらに迫る黒い風……。
「敵!?」
襲、と開こうとした口を矢が貫き、緑の体液が辺りに飛び散る。
完全に式姫たちに注意を向けていた妖たちの背に、先程の風に吹き戻されて飛んできた石や矢などとは比較にもならない威力の矢が、追い風に乗って次々と突き立つ。
「何事ぞ、これは!」
完全に想定外の方向からの攻撃に惑乱する妖達の中で、赤入道は自らの背や肩に突き立った矢を引き抜いた。
矢の威力その物もあるが、何より矢傷が妙にじくじくと痛み、再生が中々始まらない、これはただの矢ではない。
「ぬぅ」
矢じりには赤入道の血とは別に、僅かに、茶褐色でとろりとした液体が残っている。それに寄せた鼻に、ツンと強いにおいが抜けた。
「……おのれい、こざかしい真似を」
菖蒲をはじめとした、様々な魔よけの効があると言われる薬草の悪臭を感じる。
種々の魔よけの力持つ草を煮詰めた物を浸した、これはいわば妖に対する毒矢。確かにこれならば、人の射放った矢でも妖気の守りを貫き、ある程度の痛撃を与えられるだろう。
我らが小妖共を糾合したように、奴らも足りぬ戦力を補うために人を引っ張り出したか。
……いや、だが、それはおかしい。
我らは髑髏蜘蛛の報告から最速でここに駆け付けた、人に倍する妖の足で……だ。
この地が戦場になるなど、我らですら知らなかった事。
その誰も知らなかった筈の戦場に、どうやって人を、それも、これだけの威力と数の矢を放てる人数を揃えた。
まさか、奴ら、我らの行動を見通していたというのか。
(敵にも結構な軍師が付いたようだ、十分に気を付けてな)
出立の折に輪入道から掛けられた言葉を思い出す。
軍師、いや、ここまで状況を読めるなど、もはや本物の神が憑いた予言者の領域ではないか。
だが、いかに式姫であれ、完全な未来の予知など出来るはずがない、そもそも未来が読めるなら、むざと奴らの主を危険に晒す訳がない、あり得ぬ。
だが、確かに彼らは想像もしていなかった背後から、かなりの規模の攻撃を受けている。
疑問と惑乱に殺気だった目を矢が飛来した方向に向ける。
その鋭い射手の目が、百間(約180m)は離れた小川沿いに植えられた柳の並木前に立つ、馬に引かせた荷車と、十数人の人の姿を見出した。
その内の数人は式姫、では奴らがこの攻撃を仕掛けた連中か……だが、いかに式姫が速射の技に長けていようと、あれだけの矢をこちらに打ち込める人数ではない。しかも、人間の方はほとんどが弓どころか武具すら身に着けておらぬ身軽そうな一団。
そもそも、あの距離から矢を届かせるなど……ましてあれだけの威力で放つなど、人間には不可能な筈。
どういう事だ、この矢を放ったのは奴らではないのか。
「赤入道!」
戦場の喧騒の中、こちらに凄まじい速度で巨大な百足の一団が這い寄って来るのを認め、赤入道はその単眼を細めた。
「おお、黒森の、眷属共々無事のようじゃな」
「被っておった人の皮は襤褸屑にされたがな、我らの纏う鎧甲は式姫の矢でもそうそう貫けぬ、それよりこれはいかなる事じゃ」
「儂にも分らぬが、このまま棒立ちしている訳にもいかぬ、儂は後ろから矢を射かけられた事で崩れた連中を、何とか堅城から撤退してきた式姫共にぶつけるように誘導してみる、奴らは主が瀕死の今、その力も低下しておる、数で押せば勝てる。 お主達は後方の……それ、あれに見える式姫共に当たって貰えるか?」
矢を放った連中の正体は未だに掴めぬが、あの矢にぬしらの鎧の如き皮を貫ける威力は無い、一息に式姫共に迫り、奴らさえ退けてしまえば、人など残っていた所で。
「我らに傷を負わせたこと、存分に後悔させてやればよい」
あの堅城攻めの折に、無数の城兵をじわりじわりと、その怒りや絶望を共にすする為に生きながら食らったように。
「いかにも我らが適任と心得る、承知した。正直弱っちい連中を指揮するなどという下らぬ事には飽き飽きしておった所、まして親の仇敵たる式姫と戦えるなら猶更望むところ」
任せて貰おうか。
「頼むぞ」
視線を敵陣に向けたままのかやのひめの上から、狗賓の声が降ってくる。
「お嬢様、敵軍は想定外の攻撃を受け、一部が潰走を始めた事により陣形が大きく乱れております。ただ、その中で統率を失わない集団を中心に部隊を再編する動きも見えます」
「包囲網を作るために、慌てて掻き集めた烏合の衆かと思ったけど、この一撃で瓦解してくれるほど甘くは無いのね」
とすると、余程に力ある妖が統率していると思った方が良いか。
頭上を遊弋しながら、上空から敵陣に向かって強風を起こしていた狗賓に向かって顔を上げたかやのひめが声を張った。
「状況は判ったわ、引き続き警戒お願い」
「承知しました」
かやのひめは上空に向けていた目を背後に転じた。
馬に引かせた荷車から、束ねられた大量の矢や小さめの樽や瓶を下ろし、柳の木の下に並べていく黒鍬者の一団、その頭領に手を振る。
「貴方達は準備が出来たら、急いで宿場に戻って頂戴」
「承知しやした、こちら、今少し」
「頼むわ」
敵がこのまま突っ立って射的の的を続けてくれる筈がない、敵陣の混乱した動きに多少の秩序が見えだした所で、上空の狗賓から声が降って来た。
「お嬢様、敵が動きます。多数は背後から攻撃された事で逃げようとする流れを制御して、ご主人様達本隊の方に向かっておりますが、それとは別に一部がこちらに向かってきます……地を這う様から見て恐らくは百足の類」
「良くわからん手段で矢を雨あられと降らせた敵には、硬いのを突っ込ませる、まぁ妥当だにゃー」
釣りの餌にも使えないし、ホント面倒な連中にゃ。
狗賓の声を聞いた猫又が、低くぼやきながら槍を構える。
「そうですね、確かに連中の鎧のような外皮は対処するのが厄介です」
小烏丸も腰に履いた自身の神体たる太刀の束に手を添える。
守勢に入った際の小烏丸の底堅い強さと、猫らしい柔軟で素早く予測不能な動きから変幻自在に繰り出される猫又の槍術は、あの百足の群れを前にしても後れを取るものではない。 だが如何せん相手は多勢の上に、後方から援護しようにも低い姿勢で素早く地を這うあいつらを弓矢で足止めするのは、さしもかやのひめ達名手の腕を以てしても難しい。
結果、彼女たちの守りをすり抜けられ、人に向かわれたら黒鍬衆に甚大な被害が出かねない、それは避けたい。
「予想より立て直しが早いわね」
余裕を見て距離を取ったつもりだが、敵の反撃が早い。 奇襲を受けた後の混乱を収める手腕は、敵を率いている連中の力量を示すものだろう。
まだか、と焦れるかやのひめの耳に、落ち着いた頭領の声が聞こえた。
「準備できやした」
内心、胸を撫でおろしながら、かやのひめは高く美しい声を張った。
「危険な中での助力に感謝するわ!」
「とんでもねぇ、奴らに一撃くらわすのに一枚噛ませて貰えて感謝しかありやせん、式姫の姉さん方、ご武運を!」
「ありがとう、貴方達も無事でね」
流石に、かつては戦場での陣地構築や道の確保なども請け負っていたと評判を取っていただけはある。 不気味な妖が迫る中でも、頭領の号令一下、空荷になった荷車に乗り込み、素早く男たちが退却していく様を、彼女には珍しく感心したような顔で見送ってから、かやのひめは、柳の並木に目を向けた。
「第二射用意」
かやのひめの声に応え、なんと柳の木がざわざわとそのしなやかな枝を地面に下ろし、用意された大量の矢や樽や瓶を器用に絡め取って行く。
かやのひめは、日ノ本の国に茂る草木の司たる古き神が式姫として姿を取った存在。
むやみに振るうことは無いが、彼女の力を以てすれば、この程度の助力を木々に頼む程度は造作も無い。
枝に矢を絡め取っていく柳の木々を複雑な目で眺めてから、かやのひめは混乱する敵陣に目を向けた。
「柳並木の存在すら、軍略に組み入れるとはね」
小川沿いにはずっと、手入れの良い柳の並木が続いている、この道沿いならば、かやのひめと大量の矢を運搬する手段だけ確保すれば、この沿道のどこが戦場になろうと、敵を不意打ちする事が可能。
未来の戦場を点で指定する事は出来ないが、本隊が堅城より撤退する予定の道、すなわち線でなら指定できる、後は本隊と合流するように、宿場町から妖の存在を警戒しつつ堅城方面に進んでいけば自ずと本体を待ち伏せる敵部隊を挟撃する形になる。
(敵は、前回我々を取り逃がした経験からして、堅城の縄張りと骸骨兵団という壁と、自由に動ける妖の待ち伏せ部隊で、我々を緩やかに挟撃する形を取ろうとするだろう、従って比較的堅城近くの位置で仕掛けてくる公算が高い……大体ここからこの辺りまでがその想定範囲となる、そのつもりで動いてくれ。)
(流石ね、僧正坊)
見て来たかのように、鮮やかに先々の事を予見し、乏しい戦力を補強する策を立て敵を罠に落とし込んでいく手並み。
彼女がどれだけの検討を加え、戦場を調査した上で、これらの策を立案しているかという姿を知らねば、それこそ天から声を聴いている予言者かと思う程。
まぁ、彼女にしてみれば、こんな危うい思考の綱渡りめいた大道芸を自分の真価だとは思われたく無いでしょうけど。
本来の軍略という物は、という講義を始めそうな鹿爪らしい大天狗の顔を思い出し、かやのひめは口元に微笑を浮かべた。
「敵本体は柳の攻撃に任せるわ、私たちはこちらに向かってくる連中を対処よ」
「りょ、了解」
「判ったヨー」
黒兎とコロボックルもその辺りは飲み込んでいる。
かやのひめが手を上げると、鮮やかな浅葱色の袖が狗賓の巻き起こす強い風にはためいた。
今や、混乱している中で秩序を失わない集団が、かなりはっきりと見分けられる。
力あるモノ、すなわち彼女たちの真の獲物がそこに居る証。
それを、この一撃で更に炙り出す。
かやのひめは上げていた手を振り下ろした。
「放て!」
その声に応え、柳の木がその柔軟な幹や枝を大きく撓らせたと見るや、振飄石(ふりずんばい:投石機)のそれのように枝を振り抜いた。
枝先に絡め取られていた矢が一斉に放たれ、狗賓の巻き起こす強風に乗り、空を覆う黒い驟雨の如く、不気味な唸りを上げて妖の陣に降り注いだ。
■ふりずんばい解説図
こういう棒を使った投石機です。
あんまり知名度無いんで、ちょいとご紹介。
投石棒自体、創作でもあんまり見かけませんよね、私が知っているのはドラゴンランス戦記のタッスルが使うフーパック位ですね。
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じゃーんじゃーんじゃーん、げぇっ、かやちゃ!