No.1080074

唐柿に付いた虫 45

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2021-12-20 21:07:01 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:530   閲覧ユーザー数:514

 息を詰めて館を見守る鞍馬の耳に、家鳴りの音がさらに大きく響く。

 中で何が起きているかは、もはや彼女にも窺い知る事もできぬが、この軋みは館というより、それが支えている呪的な空間が上げている悲鳴である事が鞍馬には良く判る。

(早く……早く帰ってこい、吸血姫)

 この音では、もう余裕はない。

 いずれ、この呪的な負荷はそれを支えている実際の建物にも波及していく……そして、それが臨界点を超えた所で、この館は崩壊し、それが支える呪的な空間もまた潰え去る。

 彼女がこちらの世界に戻ってくる、いわば「根」が断たれてしまう。

 吸血姫自身は不死にして不滅に近い存在、あるいはあのような危険な異界に身を置いても何とかなるかもしれない……だが、根を断たれては、この世界への帰還は絶望的。

 これがかなりの難事であるーそれも高い危険を伴うーのを、吸血姫は承知だったのだろう、だからこそ詐術を用いて鞍馬を外に放り出した。

 何も出来ない自分がもどかしい。

 焦燥感が身を焼くのを感じ、鞍馬は一つ大きく息を吐いた。

 焦りを吐き出すように大きく吐く、息を吐き切って空になった胸に、今度は悠久たる天地自然の気を内に取り入れるかのように大きく吸う。

 私の役目を忘れるな……私は軍師、常に心を平らかに保ち、世界を広く大きく見ながら、打開策を見出すのだ。

 見上げた月が未だ高く明るい、その輝きがしらと風景を照らす。

 かなりの長い時間が経っているように感じていたが、まだ事が始まってから大した時間は経っていない。

 主が連れ去られた状況が長く続くほどに、こちらの不利と考えると、時間がさほど経っていないのは、多少の救いにはなる。

 さて、私はどうするか……。

 ふむ、と息を吐き、静かに周囲の状況を伺いだした、その鞍馬の耳が違和感を感じた。

 家鳴りの音が夜を劈く中に、時折混じる自分以外の呼吸の音。

 猿轡越しの少し荒い呼吸音に暫し集中していた鞍馬は、低く笑った。

 ……ほう、これはこれは。

 中々やるな、小さくそう呟いてから鞍馬は口を開いた。

「盗賊にしておくには惜しい」

 そう言いながら近寄り、彼の縛(いまし)めを確かめると、鞍馬が施した結び目が、僅かではあるが緩みを見せていた。

 人体を熟知した鞍馬が、相手の力が入らないように縛り上げた筈だが……この男、このような高度な捕縛の技を承知している上に、余程に柔軟でかつ、手先が器用なのだろう。

(我らが手こずる程の妖怪のみならず、こんな化け物じみた人間が居た盗賊団を相手にしていたのか……領主殿もとんだ災難だったな)

 吸血姫にここの見張りを頼まなかったとしたら、こやつらは恐らく、首尾よくあの棺を持ち去っていたのだろう。

「念を入れたのが幸いだったな……君らには不運だったろうが」

 もう一度、今度は縄を少しきつく締める。

 その間も、男は特に抵抗はせず、気絶した振りを続けている。

 少なくとも、私を罵ったり、無意味に暴れて体力を消耗してくれる類の可愛げは無いか……。

「大したものだ、演技力も胆力も尋常では無いね、気絶した振りをしつつ縄を解く心算だったのかね」

 その鞍馬の言葉に、流石の彼が僅かに身じろぎをし、観念したように目を開いた。

(ふむ、澄んだ目をしているな)

 底知れない程に昏いが濁っていない、何か深く信じられる物を持っている人間の目だ。

 その眼光は初めて見るが、この目許の感じはどこかで、それも最近見た記憶があるな。

「失礼、素顔を検めさせて貰う」

 元々粗暴な言葉遣いや態度とは縁遠いが、彼に掛ける鞍馬の声に自然な敬意が籠もる。

 どうもこの男は、その辺の盗賊のように粗略に扱う気にはなれない。

 しゅる、と軽く、粗めに織られた頭巾と覆面を外す。

 抵抗は無駄だと悟っているのだろう、諦観を宿したその顔を月明かりの下で認めた鞍馬が、すぐに正体に思い至ったか、僅かに顔をしかめた。

 この地の要人や、その周辺の人物に関しては記憶して置こうと一通り覚えた中に、その顔はあった。

 あの榎の旦那と呼ばれる商人に付き従って式姫の庭に挨拶に訪れ、門外で静かに主を待っていた、番頭だと名乗った小男。

「近在隠れなき大商人殿の裏稼業は……という事かな」

 その鞍馬の言葉を首肯も否定もせず、儀助と名乗っていた男は、無表情を保ったまま静かに彼女を見返していた。

 その表情からは、鞍馬ですら内心を読み取れない。

 これは強かだな、少しでもこちらが油断を見せたら、あらゆる手段を講じて顔を潰すなり自ら命を絶って、その先の真相に至る道を閉ざす位は、ためらいなくやれる男。

 念のためと縛り上げ猿轡を噛ませておいたのは正解だったが……しかしこれは、ますます面倒な話になって来た。

 虚飾や虚名、安い暴力を誇る類の酒場の勇者様の類では無い、これは本物だ。

 個人としてはこの手の人物には敬意を払いたくなるが、対立する側の軍師としては頭が痛い。

 吸血姫が危険な事に挑んでいる今、鞍馬はここから動けないし、この館の様子から目を離したくはない。

 さりとて、この男を放り出して置くのはどうも不安がある、本来ならさっさと式姫の庭にでも連行し、信頼できる式姫に監視をお願いしたい所だが。

「指示を出す相手がいない軍師などこの程度か……ええ全く、この体が二つか三つにならない物か」

 我ながら不毛な愚痴だが、少しは声に出さないと腹が重くなる一方だ。

 ふうと、もう一つため息を吐こうとした鞍馬の耳に、木が裂ける音が不吉に響く。

 慌てて上げた眼前で、厨が瓦屋根の重みに耐えかねたように、ぺしゃりと脆く潰れた。

 そして、その急激な崩壊に引き摺られるように、館全体が歪み、崩れていく。

「吸血姫!」

 山の下まで届きそうな轟音が響く中に、鞍馬の悲痛な声が混じる。

 それを聞きながら、儀助は僅かに目を伏せた。

(これでよい……事成らなかった今、ここは潰れてしまった方が) 

 指先で回転し続けるメダルに目を向けながら、真祖は低く何かを呟きだした。

 その口の動き、微かに届く言葉の響きに、対峙する彼女の顔が青ざめる。

「これは……」

「やっぱりー判るー?」

 真祖が、さりげなく男を庇うような位置を取りながら、うっすらと微笑む。

「そろそろー元の世界にー戻ろうかなーって」

 その言葉を彼女の後ろで聞いていた男は、微かな違和感を覚えた。

 元々、白まんじゅうの姿の時と大して変わらぬ、悠揚迫らぬのんびりした口調を崩さない彼女ではあったが、どことなし、言葉の端々が更に間延びしたような、ゆっくりした物になって来たように感じる。

 目を上げれば、彼女は悠然とまっすぐ立ったまま、何かの呪を口の中で唱え続けている。

 その背に、些かの揺らぎも不安を感じさせるものも無い。

 俺の気のせいか……。

 刺し貫かれた手の傷は何とか止血した物の、かなりの血を失い痛みもまだ酷い、揚句、彼女に力を奪われた事もあり、正直立っているのも辛い。

 その、混濁しかかった意識故の不安なのだろうか。

「お兄さんもー手当しないといけないしー、私のからだもー取り戻したいしねー」

 あの棺は闇風に奪取させたとはいえ、その後の消息は知れぬ……何より真祖がこの状態で元の世界に戻れば闇風の支配を彼女から取り戻す程度は容易くしてのけよう。

 あの真なる闇の王の肉体を取り戻されたら、万に一つの勝ち目も無くなる。

(させませぬ……っ?!)

 そう叫び、彼女に切りかかろうとした。

 だが、どうした事だ……声が出ない。

 私の体が動かない。

 影縫いだの呪縛だのという、そういう肉体を縛る術の類では無い、もっと根源的で問答無用な、圧倒的な力。

 少し離れた先で、美しき彫像の如く固まってしまった、自分と同じ姿を見て、真祖は低く呟いた。

「貴女の目の前でー、無防備に事を起こすほどー、みくびってはいないよー」

(一体、これは)

 その彼女の声が聞こえたのか、それとも独り言の続きだったのか。

 真祖の美しい唇が低く言葉を紡ぐ。

「言ったでしょー、このメダルはー時の祭器なのー、だからねー、使いこなせればーこの程度の事はできるんだよー」

 あんまりこんな力使うべきじゃないから……あの城の宝物庫に封じて置いたんだけどね。

 時の流れを進め、停止させる事も意のままにできるこの力は、定命の者が生きる世に有ってはいけない物。

 とはいえ、このメダルを所持し、その力の一端に触れ得るところまで探求した貴女は、その肉体の大半の時を止められながらも、精神と感覚の一部は抗うだけの力を持っている……か。

 彼女の耳には私の言葉が聞こえているし、その声も音を為す事は無いが、精神の波動となって私には届く。

 やはり、我が眷属は大したものね。

 くるくると回り続けるメダルが、徐々に淡い光を放ちだす。

 そろそろ、門が開く。

「残りの話はーあっちの世界でーゆっくり……」

 そう呟いた真祖の口が止まり、極めて珍しい事だが、何か怪訝そうな形に眉宇が微かに動いた。

 最後の力を籠める為に、更に意識をメダルに深くつないだ彼女の感覚が、確かにそれを……もう一つのメダルと、それを手にした存在の事を感じ取った。

「……どうしてー?」

 背後にいる男には彼女の表情は見えない、だがその声音に彼女らしからぬ響きを確かに感じ取った。

「どうした?」

「これは……間違いないねー」

 男の声も聞こえぬげに、彼女の視線が虚空を彷徨う。

 いや、恐らく男には見えない何かが、その感覚には捉えられているのだろう。

 ややあって、その視線が一点に定まる。

「だめー、どらちゃん、にげてー」

 こっちにー来ちゃだめー。

 言葉の響きはのんびりしたそれのままだったが、その声に込められた緊迫感は男にも伝わってくる。

「どらちゃん?」

 あの強敵と切り結んでいた時以上の緊張感を孕んだ声。

 彼女にそんな声を出させる存在。

 ここにいる二人と同じ雰囲気を纏う……どらちゃん。

「吸血姫(どらきゅりあ)か?!」

 無事なのか?

 短い男の声に、真祖が確かに小さく頷き、体の横に下げていた左手が上がり、その指が複雑に印を結ぶ。

「まにあってー!」

 吸血姫の周囲の空間が、他界とのせめぎあいの圧に耐えかねてひしゃげ潰れる。

 小なりとはいえ、一つの世界が滅ぶ、その空間の歪みを体が感じるのか、耳の奥で嫌な音がキンと鳴る。

 自分の力だけを憑代として、無理に急拵した結界が崩壊する、その反動と歪みが、彼女の体に痛苦となって返ってくる。

 不死不滅の身ではあるが、身を裂くような耐えがたい痛みが全身を走る。

 だが、その激痛に対し、吸血姫は奥歯を砕けんばかりにギリギリと噛みしめ、何とか意識を保った。

 ここで意識を失ったら、全てがお終い。

 絶望的な状況は変わらぬが……妾はまだ、ここにいる。

(まだだ……まだ負けぬ!)

 仮令(たとえ)、このまま襤褸切れの如くなり、「どこでも無い地」を彷徨う漂流物と成り果てようと、真祖と主に至る道が見えている今の機を逃さぬ為に。

(どらちゃーん、メダルをはなしてー)

 その時、今までにない程に、くっきりと彼女の声が聞こえた。

(真祖!)

 指示の意図は判らない、だが吸血姫は、躊躇いなく握りしめていたメダルを離した。

 強く握りしめられていた為か、常よりさらに蒼白な手のひらから、真祖の産土とメダルが虚空に漂い出す。

「これは?」

 吸血姫の眼前で、ぴたりと中空にとどまったメダルが回転を始める。

 その回転の作る渦に引き寄せられるように、漂っていた産土が、吸血姫の周囲に無数の輪を形作っていく。

 周囲から感じていた圧が、今や何も感じない。

 恐らくこのメダルの片割れを通して、吸血姫を守るだけの小さな世界を真祖が作ってくれた。

 このメダル自体の力も無論あろうが、それを軽々と使いこなす力と知識……。

「相変わらず、凄まじき力よ」

 彼女が心からの忠誠を捧げた、大いなる闇の王。

(どらちゃん、ぶじー?)

「お陰で愉快な熨斗烏賊にならずに済んだ、礼を言う」

 昔と変わらぬ諧謔交じりの吸血姫の言葉に、真祖の苦笑する気配が感じられる。

(私のだいじなけんぞくがー、ぺらきゅりあにならずによかったのー、それじゃーー)

 真祖の声が間延びして聞こえる。

 その声を聞いた吸血姫の顔がさっと青ざめた。

 覚えがある、真祖の声がこうなる時……彼女は。

(どらちゃんをー、いまからもとのせかいにーー)

 彼女には判った、この小さな世界を作る為に、どれ程の力を彼女から奪ったか。

 そして、その小さな世界が吸血姫が元居た世界に戻ろうとしている事も。

「待て真祖!妾をそちらの世界に引っ張ってくれ!」

(だめだよー、どらちゃんはー、そのめだるでー、わたしとお兄さんをー……)

 向うからよんでねー。

 その声を最後に、真祖の声が途切れる。

「真祖、駄目じゃ!」

 吸血姫の声が、空しく虚空に響く。

「何という事じゃ……妾は……何という事を」

 お主の力は、もう……。


 
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