No.1023180

一章一節:マミ☆マギカ WoO ~Witch of Outsider~

トキさん

2020-03-16 04:11:48 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:884   閲覧ユーザー数:884

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 額に浮かぶ大粒の汗があった。

 声にならぬ喘ぎにひとたび身が震えれば、張りのある柔肌を滑り落ちていくのは液体には容易い。(まなじり)の窪みに落ち込み僅かな抗いこそあれ、引かれ落ちていくのに変わりはなかった。

 滴は、ただ成るが(まま)に少女の頬に沿い流れていく。

 疎ましいと手で払い除けることもできたはずだ。かゆみに眼をこするといったことも。

 少女の(ししむら)を拘束するものは何もなかった。穢れの一点さえも見受けられない。なのに総身は、まるで氷で出来た棒の淫猥な動きに(なぶ)られているかのような――それでいて快楽の余地など一片もないまさしく嫌悪の連続に、凝然となるほどに縛り上げられている。

 歳月は長いとは言えぬも、この世の、あるいはこの世ならざる場所の醜悪さは嫌というほど目にしてきた。それでもなおしぶとく生きてきた……もし仮にこの暴虐に実体があったとしても、深い中身などなければ、恥辱を受けたとしてもこの少女ならばいつかは自らの力で奮起し得たであろう。

 だが原因は起因に即座に転じてしまった。

 解が出る中身もあってしまったのだ。

 この背筋を凍るように震わせこうも息苦しくしている由来が、目の前で繰り広げられている光景の一部にあると。そして彼女が記憶している、そこに繋がる全てのモノにもあるのかもしれぬのだと。

 成してきたことも――これから成そうとしたことも――何もかもに、だ。

 今や、ただ気高く崇高な精神だけが信念であった少女――巴マミにとっては、何よりも犯されたくない領域まで凌辱の限りを尽くされかけていた。怖れにもがく間もなく、ちぎりもぎ取られ略奪されるしかない。

 固まり目に入る光景を眺めるだけになったマミに、汗の起こす不快感など、もはや(むさぼ)られた後の遠い感覚でしかなかった。

「あ、あの……もしかしてアレもそうなんですか?」

 不意に呼びかけられたのが幸いしてか、ようやくマミは再び呼吸というものを喉奥で感じ取った。

 マミの傍で絞り出すように声を上げひどく怯えながらも指差したのは、ピンクのリボンが印象的な小柄な少女だ。失念していたが先ほどからずっと近くにいた。

 マミにしても三年と少し袖を通した馴染み深いデザインである見滝原中学の服を着ているが、少女の姿に覚えは無く――この場に来るまでにいくつか会話をした中で知ったが、どうやら二年生らしい。

 マミ達の四方(よも)は大量の菓子類が幾つもの山となって積まれていた。

 ほどよい弾力のある地面はスフレの香ばしさを常に漂わせ、皓皓(こうこう)と地平の向こうまで塗りたくられたホイップ仕立ての生クリームが天地の裂け目さえも失わせる。むしろ頭上にはマミ達がいる場所を反転したかのような世界が広がっているのを考えれば、そもそも天上という概念さえ無いのかもしれない。

 狭間の中空にはどちらの大地にも落ちることも叶わないのか、巨大な飴玉や粉砂糖が小惑星帯のように浮かんでいた。どこからか照らされているのか、星芒(せいぼう)のように淡い輝きをどれもが放っている。

 お菓子の国というものがあれば、この場は限りなくそれに近いものであろう。甘味に舌鼓を打ったことがある者ならば、歓喜さえ抱いたかもしれない。が、少なくとも受け入れる心の準備があるならばという話だ。

 突然このような場所に迷い込み、(あまっさ)え出口が常人には見分けられないものであったのならば……。そんな不遇に襲われた一人だったのがこのリボンの生徒だ。

 目的があってこの菓子の魔境に足を踏み入れたマミだったが、即座にこの少女を連れての脱出に切り替えた。

 正しい行き先の道中に最も危険な区域を通過せねばならないと、事前に感じ取ってはいる。面倒なのは確かだったが、その分マミ達にとってのゴールに至るまでにこのメルヘンな世界が如何に危険か、互いに何者であるかを語り合うには時間はけっして少なくはなかった。

 無論言葉などよりも、物陰から襲い来る夢の国の住人達が目の形状以外は人と異なるものであったことや、払い除ける力をマミが声高らかに見せつけたことの方が大きかっただろう。

 時は終点間近。元来からの性質はあったのかもしれないが――爆裂と共に突如足元まで散ってきたのがブルーベリージャムでも、柘榴(ざくろ)のソースでもないと気付いても、リボンの少女は道中に晒されてきた危険でかろうじてでも均衡を保つまでには心の用意も出来ていた。

 そこまでならばマミにも説明ができる範囲だ。染め上げた紅の濁り具合と、全身から黒煙を噴き上げながら倒れ伏した巨獣の姿は、今まさにそこに戦うモノがいたというなによりの証明だった。近くで大地に突き刺さり次第に光となって消え行くのはおそらく手斧であり"振るう者がいた証"でもある。

 辛うじて残ったトルソーを連想させる塊を目にし顔色を悪くした少女に、快方の言葉をかけれるゆとりもあったはずだ。胸元だったと思しき箇所で徐々に輝きを失っていく"宝石"に如何なる思いを込めたのか、質の伴わない夢想も出来たであろう。

 だが、指差す少女の疑問への返答を巴マミは持ち合わせてはいなかった。

 ――否。持ってはいたが、形にする術を持ちたくはなかったのだ。少女の存在にわずかに理性が戻ったとはいえ、もはや現状を否定するしかマミには残っていなかった。

『――――――――――――』

 産声……悲鳴だったのかもしれない。鼓膜を破らんばかりの破鐘(われがね)を上げるのは、マミ達の前で黒々と噴きあがった炎だった。

 ぐにゃりと苦悶の表情とも取れる揺らめきを見せたソレは、身を(よじ)るようにして瞬く間に天上へと駆け上がっていく。菓子の大地の一部が炸裂したかと思うと、その向こうに広がる極彩色(ごくさいしき)の異様な空間に漆黒の炎は吸い込まれ――そしてやがて声さえも聞こえなくなり……

 巴マミとリボンの少女は、心境こそ違えどただ黙ってそれを見送るしかなかった。

『残念。もう一匹は逃げてしまったようだね』

 静寂に、唐突に一石を投じたのは巴マミでもリボンの少女でもなかった。

 聞こえたのではない。頭の中を抑揚のない声音が響き渡ったのだ。脳内で直接発声されたかのようなそれに――耳にした方角というのもおかしいが――マミ達は思わず振り向いた。

 菓子箱が作る瓦礫の山の中腹に、大きな尾を揺らす小動物に似た白い姿が。

「キュゥ……べえ……?」

 覚えのある姿にマミは知らずと呟きを漏らした。白い猫を思わせる体躯にウサギを連想させる垂れ下がった大きな耳を持つ獣……が、どこか地球に住む哺乳類が持つような心肺機能による代謝とは遥かに無縁な、ぬいぐるみや陶器じみた雰囲気を漂わせている。

 キュゥべえと呼ばれたソレは大きく開いた赤い瞳で二人を見つめ返しながら再び人語を解した。

『だがこの結界内の空間を構成していた魔女は殲滅されグリーフシードは落とされた。他者の戦果だがもはやここに当人はいない。せっかくだから貰っておこうよ、マミ』

 キュゥべえには小さな口はあったが、頭に響く平たい声に呼応することはなく……のみならず動くことは一切ない。

 超感覚(テレパシー)の類だとすれば当然かもしれないが、語りかけた相手を前にしてなお些細な変化というものを欠いたキュゥべえの面貌は声と合わさり空虚という(かか)わらず、ただただ知性と理性だけはひどく高さを感じさせるだけの単語の羅列だった。

「……どういうことよ」

 それでも。そんなものであったとしても、巴マミにしてみれば思い入れと愛着のあるものだった。

 零れ落ちた言葉は、文字通りの回答を要望する意思など込められていない。さらなる深淵へと繋がる片道切符であるかもしれないとも、言う前から気付いていた。

 だとしても形にせずにはいられなかったのだ。

 単に己に生まれた混乱に応えられるであろう者に救いや否定を求めたが故だった。言葉にすれば楽になると、優しい労りがあるのだと、どこかで思っていたのかもしれない。

 そこで癒えるわけなどないと止めることも出来たはずだ。自己完結が平穏を保つ唯一の方法だと戦いの日々で見出してもいたはずだった。

 だが心中の葛藤に打ち勝った渇望は怒涛となって、喰いちぎられ空いた穴を満たそうとキュゥべえに叫びすがり付く。

「いったい今のはなに!? どうしてあんな――」

『君が今見た通りさ』

「!?」

 キュゥべえの返答は、予想通りだと言わんばかりに簡素なものだった。

 衝撃に次を見失ったマミに、キュゥべえは僅かに語調を遅くしていきながら説明を続ける。

『真実とは相互によって認識が異なるものだ。だからこの言葉をもっとも正確にそして大まかな全ての状況を理解してもらうことができる回答とした。君が現状を理解に結び付けてくれる程度には優れていると、僕達は評価しているつもりなんだが?』

 聞き逃さないためのキュゥべえなりの措置だったのか――最初の応答にこの説明がつかなければ人間には理解できないだろうと暗に示しているのか――

 いつもと同じ聞きなれた、どちらとも取れるようなキュゥべえの無味な声音と表情は……だとしても今はマミの心を深々と突き刺すには余りあった。

 謎かけめいたキュゥべえの補説だったが、何を言っているか悟りが及ばないわけではない。比例するようにじわじわと喉奥からこみ上げる吐き気と痒みにマミは口を噤んだ。

 まさか。これではまるで、キュゥべえは知っていたと言わんばかりではないか――

『もちろん君に直接関与していると予想できる事象のみについて回答をした。たとえば僕達の成すべきことについてはこの問答で出せる解答とは関連はあっても別問題だ。混乱が生じないならさらなる質問に移行しても構わないよ』

 頭に響く声は鮮明なはずだが……マミには聞こえるたびにキュゥべえが遠ざかっていくかのようだった。さながら鼓膜を少しずつそぎ取られているかのように。

 混乱などすでに生じている。その渦中で見つけたどれもがマミの精神の釣り合いを崩すだけの爆弾に生まれ変わっていた。

 ならば平時の状態であったとしても、マミにとってはこれ以上の質問など火に油を注ぐ愚行でしかない。もしほんの少しでも理解が出来る部分が無かったのならば、自分の首を絞めるだけなのも喉から出掛かった言葉を抑えるたびに胸の痛みが教えている。

 それでも極端な繋がりで出来た過去を持つ者には酷だったのだ。

「じゃぁ……あぁなることも知ってたの?」

 短い呟きは、図らずもマミの人生そのものがこもっていた。苦衷(くちゅう)からようやく絞り出したそんなマミを前に、キュゥべえは体躯と同等はあろう白く大きな尾をたおやかに揺らす。

『現象としては理解はしているつもりだ。顛末としては二極あって、もう片方は精神の消滅だから、あれは予測の範囲だったとしておくよ』

 まるで暗幕に閉ざされていっているかのごとく、もはや音だけでなく視界さえも離れていくかのように、マミの目の前は暗さを徐々に増していっていた。説いたキュゥべえの安穏な姿がなおマミに追い打ちをかけてくる。

 希望とはなんだったのだ? 見出した救いとはまやかしだったのか? ……いや、まだ……まだなのだ――!!

「嘘よね……? ならこれまで私が倒してきたのは……」

『全てがそうではないだろう。人間という生命体の魂の残滓(ざんし)が肥え太ったものだという点では共通かもしれないが』

「いずれは、私もあぁなるっていうこと……?」

『"いずれ"の尺度と破損の有無にもよるが、そういう回答もある』

「だったら捨ててしまえば――」

『無駄さ。言ったろう? 顛末は魂の残滓か精神の消滅だって』

 マミにとってはどれも辞書を引いたが(ごと)く的確な答えだった。

 そして欲する思いとは裏腹の、知りたくもなかった情報が爆弾として膨らむばかり。

 あの黒い炎の正体は、戦いに身を置いてきたマミには形が違えどその発する醜怪(しゅうかい)さを何度も目にしてきたのだ。知らぬと首を振れる場所にマミはいない。

 薄々気づいていたのも加担し、自らの内にある絶望と名のついた爆薬に火が宿るのは当然だった。

「……ねぇ、教えてよ」

 だがいつ破裂してもおかしくない混沌にまみれた心中で、別の熱が沸き立つ部分があった。

 生か死か。突き詰めればその単純な二つしかない戦いに挑んできた少女が、決して認められぬ嫌悪の存在に自らの尊厳を汚されないために、逆に犯し滅すために育んできた――感情。

 握り拳の食い込む爪の痛さも感じられぬ有り様で、マミはキュゥべえに対する最後の砦を呟きとして出していた。

「……成すべきことって言ったわよね。その目的に私が……私たちが戦ってきたことに意味はあったの……こんな連鎖が……」

『人類と僕達での共通を上げれば、種の存続という点では戦うことは貢献してきたんじゃないかな。君の知りたい僕達の側のみで話をしても、新たなる契約に繋がる者を生み出す時間を稼いでくれることは、とても有意義な行動だとしているよ。まぁだから生み出されてきた呪いよる数多の犠牲も、僕達には良い部分はたくさんあった』

 虚偽などないのだろう。確かに現世の裏側を正常化できるという一面は、表で一度その生命も含め多くを奪われかけたマミにとっては対価だとしても許容できた役割だった。寿命が極端に縮まるような契約だったとしても、従容(しょうよう)と受け入れる準備は整っている。

 だとしてもそれは、二度目の死の時まで正常でいられるならば、という(いしずえ)あってのもの。この世を、人々の平和を、守ることに誓いを立て支えに生きてきたマミには……己でそれらを汚泥に浸すなど、決して耐えられもしなければ、判断が出来る限り屈辱でしかないのだ。

 気付いていたのは何も黒い炎とマミ自身を直接結ぶ件だけではない。 

 キュゥべえとの問答は、真実に心を壊されていく中にもこれまでの時間があったからだ。キュゥべえ側にも何か理由があったのだと、信じたかった。過去と現在は断絶せぬと、人間とこの獣は寄り添えるものがあるのだと祈りたかったのだ。

 だがもはや温情の余地など無い。そこにいるのはマミを死の先まで辱めんとする、そしてそんなものを己以外にも生み出し続けようとする悪魔だ。

 絶望とは反する胸の熱が燃え上がる。

 怒りに流され、浮かべた『想像』を腕の延長と成すために走らせ――何もなかったはずの空間から、銀色の鈍い輝きを放つ『形』として引き抜いた。

 長形の銃身は、見る者が見ればいわゆるマスケット銃への近似を感じ取っただろう。木製とは異なる硬質を抱かせる鋼の銃床(じゅうしょう)は、だがしかしどことなく頼りない面をも有していた。フリントロック式の備えこそあれ、施された装飾(エングレーブ)の細かさは武器というよりは美観のための装具か子供に渡す模造品とした方が合致する。

 だとしてもそれは持つ者がいなければ、だ。今や腕の延長として現出したそのマスケット銃は、瞳孔を見開いた所有者の手の内にあるだけで、感情を(すす)るように禍々しい気配を漂わせている。

 マミはまとわりついてくる絶望への抗いも込め、躊躇の一つも無くキュゥべえにマスケット銃をかまえた。

 召喚出来る牙ではなく、召喚出来るようになった牙。連綿と続いた過去と現在の象徴は、一時とはいえこの恐慌の中でもマミが心身全てを委ねるに値する力強さがある。

 だが引き金を引けば確実に当たる距離で――マミの射線上にいたモノがどうなってきたか知っているであろうに――キュゥべえは微動だにしなかった。

 怖れに動けないわけでも、焦り弁解を探している様子でもない。むしろ固い無表情は、マミには嘲っているようにさえ……。

『その行動は無駄なだけだ。引き金を引くのは構わないし僕達からすれば馴れっこだ。でも君も薄々は感ずいてるんじゃないかい?』

「どういうことよ……」

『君たちにそんな力を与えた僕等が、本当に君たちの世界のルールの下で消せると思うかい? この地球上の哺乳動物に類似してるからといって僕達が哺乳類と同じ生死を持つと思うかい?』

 突拍子もないキュゥべえの言葉を聞くうち――気配もなく、眼光を確認したわけでもないのに、マミは不意に目の前にそびえるお菓子の山の隙間という隙間からこちらを伺う幾多の視線を向けられているような感覚に襲われた。

 だけではない。先ほどまで一つだった頭の中に響き渡る声が、どんどん反響の度合いを増して僅かな遅れと共にその問いかけを何度もマミの中で繰り返している。

 平たい声ではその連続は単なる音のズレにも思え……だが届くまでの時間が速いか遅いかだけの、その響き一言ごとにはまるで何十という声が同時に話しているかのような微妙な差と移り変わりが、マミには感じられてならなかった。

『僕たちはこれでもマミが無駄を行うのを案じているんだよ。だってこれまでの君たちがそうだと信じて実行して、たったひと時の気休めの後にすぐ事実で心を壊していったんだから。なら行動を起こさせないよう質問をした方が無駄が省けそうじゃないか――目前から消したことでそれ自体の存在がなかったように扱うのは地球という星の人類の精神安定法の一つだが、それが何の意味もないと知ったとき、逆に君は均衡を保てるかい? ってね』

「それは……」

 キュゥべえは動けないのではなく、動く必要がなかった。ただそれだけだったのだ。

 過去があるのはなにもマミの側だけではない。抵抗し銃口を向けようとすでに撃てないことを……そして本当に撃てなくする文句をキュゥべえは分かっていたのだ。

 もはや音の重なりも、数多の視線のようなものもない。がどこかで恐れていたキュゥべえに対する可能性をこうも露に掘り起こされてみれば、マミには反論のしようも激情にかられて撃つことも叶わなかった。

 巴マミは、そういう女でしかない。

『話がなくなるようだから先に僕は行かせてもらうよ。この程度でジェムが急速に濁るとはマミを評してはいない。もし以後も活動を続けるのなら、疑問の解消ぐらいはしてあげるよ。感情の揺らぎは君たちにとって一大事だろ?』

 言い切るやキュゥべえは踵を返し菓子箱の山を飛び跳ねていく。

「ま、待って――!!」

 照準は白い獣を捉え追い続ける。だとしてもマミには指が触れる引き金に力を込めることさえ叶わなかった。

 銃身を動かしただけで、隙間に消えていく姿を黙って見送るしかない。

 構える必要性が失われたのならば、もう手にした牙には感触以外伝わるものがなかった……。

「嘘よ……そんなの……」

 あれほど楽を求めて吐いた呟きは、たった数度のやり取りの内にもう余計に虚しさを去来させるだけしかないものへと変わってしまっていた。

 反発に沸騰した胸の(たぎ)りは急速に冷め始め、今や瞬く間に呑み込まれてしまっている。マスケット銃をよすがに抑え込んでいたはずの、悲観の爆発が生み出す熱へと次々に。

 この銃で戦ってきたはずだった――(ともがら)として戦っていくはずだった――救ってきたはずだった――救い続けられると信じていた……

"――なのに!!"

 示唆されたものがあまねく真実ならば、これまでに何の意味があったというのだ。築いてきた正義と信念にも……これから成していくはずだった不浄への(はらえ)にも……

 暗い感情がこの役割につかされた自分たちにどれほどの悪影響を及ぼすか。知らぬマミではなければ、続く事態が予期できないわけでもない。

 濁りが即座に心を瓦解させないのは不幸中の幸いであるとも言えた。死に近づく経験をしてきたことや、キュゥべえとの用談で必要以上に想像が掻き立てられなくなったのが奇しくも活きていたのだ。

 だがもう一人で耐えられ止められる段階でもなかった。

 眩暈に(くずお)れそうになる足を支えることすら危うい。

 手に持つ銃に新たな想像が宿る。捻じれるように歪むや瞬時にハンドガン程度までサイズを再構成されたマスケット銃は、創造主の心中に反して雅趣(がしゅ)の輝きをおろそかにはしない。

 それが汚らわしい力のなせる業……いつかは穢れとなって世に悲哀をもたらすかもしれぬものが産出した構造物だと気付いてなお、その変わらぬ形質は消えかけていた頼もしさをマミに、ほんの少しとはいえ再び感じさせてくれた。

 そして口内にねじ込んだ銃口が、引き金を引くだけで頭部を軽く吹き飛ばしてくれることも、これだけ思いを込めれば狙いなどろくにつけずともその先を射抜いてくれることも、愛用してきたからこそ悲しいまでに知っている。

 舌先に触れる硬さが、より強くマミにマミ自身への肯定を思い出させた。

 たとえ未来が端から幻想でしかなかったとしても、自分で都合よく(あつら)え整えただけの虚構だったとしても……こうして少しでも意識がある今ならば、己は己としてどこも汚すことなく理想に寄れる終わりを迎えることができるはず。

 自分の手で、ほんの僅かだろうと流れに抗える――

「だ、ダメ――!!」

 横からの突然の叫びに、マミは引き金への意思を緩めた。

"あぁ……いたんだっけ……"

 漫然とした視線をマミは送る。取り乱しているのか、全身を戦慄(わなな)かせているリボンの少女が眼界(がんかい)に入ってきた。情報の嵐に気に留めることが出来ないでいたが、そういえばずっとそこにいた。

「私その、さっきちょっと聞いただけで何も分かんないけど……でもやめて!!」

 マミの奇行はリボンの少女でも結末を予想できたのだろう。

 が、摩耗し衰弱したマミからしてみれば抑止の言葉一つ、なんだというのだろうか。

「……ごめんなさい。でもね、もうどうでもいいの」

「どうでもいいってそんな――」

 さらに言葉を紡ごうとするリボンの少女だったが、おもむろにその足元が小さくはじけ飛ぶ。

 マミの空いていたはずの片手には、新たなマスケット銃がいつの間にか召喚されていた。銃口から上がった薄い白煙と響いた破裂音は、疑いの余地もなくマミが撃ったことを告げている。

 巻き込まれただけのリボンの少女の口を噤ませるのは、見せつけたその事実だけで充足していた。

 このリボンの少女は優しさがあるタイプなのだろう。撃たれる前からひどく怯えていたが、目の前で命を断とうとする人間がいれば止めなくてはならないと奮い立つくらいには優しいのだ。それがいくつか言葉を交わしただけの相手だったとしても。

 だとしても、理解のできない目を逸らせば逃げられる類の厄介ごとなど、報酬も無ければ背負い込みたいものでは決してない。(いわ)れのない牙を向くなら尚更だ。

 震えが止まらなくなった少女に、マミは最後の理性で知性を持って……だが気だるげに語りかけた。

「東の方から空間が崩れ始めてるわ。早く行きなさい。大丈夫よ、行けば出れる。出たらここでする音なんてもう聞こえないわ」

「でも……」

「私とあなたはこれ以上関係ない。――いいえ関係しちゃダメ。だから今はあなたは一つも悪くない。行きなさい。……あそこの、やり切った子のことも、忘れてあげなさい」

 リボンの少女は思い出したように目をやると、急いで手元に口をやり嘔吐を耐えた。

「…………」

 何かを言いたげだったが……向けられ続ける銃口を前にリボンの少女はしぶしぶと背を向ける。歩き出しただけで、マミには小さなその背中がなおのこと小さく見えた。

"これでいいのよ"

 未来が閉ざされ誇りを毒され、それでもこの粘りつく汚泥の中で再びマミは小さな光を見た気がした。

 この結界内の光景を認識し正気を保ち続けられたとなれば、あの少女にも少なからず自分と同じ役割に就くだけの資質というものがあるということ。

 そしてどう足掻いても末路は、そこに転がっている肉の塊と変わらないのだ。

 音が聞こえないなどマミには分かるはずもない。……たとえ聞こえたとしても、どれほどの地獄に落とされようともその残響が安易に手を取ろうとしない抑止となるならば、小さくとも価値がある気がした。

 この生命を惨たらしくすることで、誰か一人でも同じ間違いを犯さない可能性があるならば――それが少しでも優しい子だったのならば。夢想するだけでまだいくらかの慰めにはなる。

 妙に心が軽い。こんな気持ちはマミには初めてだった。決定的に、疲れてしまっているのだけを除けば――

 引き金を引く指先に、迷いは無かった。

 

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