No.1022515

ゾイドワイルドZERO NEARLY EQUAL 山彦の守護神

 ゾイゼロ二次創作です
 本編のちょっと……季節一つ前あたりからのお話

2020-03-09 20:08:49 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:738   閲覧ユーザー数:738

新地球歴三〇年 一月一三日 二一三七時

"ヤスリの尾根"

 

 極寒の夜がそこにはあった。

 平らな大地の上ではない。激しい傾斜、深く積もった雪に、襲いかかる吹雪。雪山の夜だ。

 そこを住処とする生物達ですら沈黙するような暗夜。吹雪の風音ばかりが渦巻く中――しかしそこに新たな音が響いた。空気を激しく叩くはばたきは空中から。雪を踏みしだく足音は山肌から。

 宙を行くのは二本角の影に、地を行くのは襟巻きを纏った二本脚。どちらも赤い逆三角形のエンブレムを身に付けている。

 "帝国"軍。今この地球で金属生命体ゾイドを扱う一大勢力の一方だ。地球文明を根こそぎしたかつての大災害の後、この惑星に到達した彼らはゾイドをコントロールして地上に版図を築こうとしている。

『地上班……速度が落ちているぞ』

 空中のゾイドから地上のゾイドへ、その乗り手へと通信が飛ぶ。

『こっちはディロフォスだぜ。恐竜は寒さで滅んだとかなんとか……越冬できるクワーガに比べたら逆境なんだぞ』

『こっちだってこの寒さじゃ大して変わらねえよ』

『私語を慎め……』

 地を舐めるように移動していく二種類のゾイド……ディロフォスとクワーガの頭上からも無線は飛んできた。吹雪を散らす雲の先に浮かぶライトブルーの機影は、翼竜型ゾイドであるスナイプテラだ。

『女子供一人に手こずっている場合ではないんだぞ。気を抜くな』

『はっ、了解でありますぅ――!』

 地上、ディロフォス部隊の返答にスナイプテラのライダーは舌打ちを一つ。そして闇夜に翼が翻るのを見ると地上付近のゾイド乗り達はまた駄弁り始める。

『……いやまったくだよ。捕虜収容所から逃げ出したからって、子供一人にこんなに人員を割くかね』

『そいつが持っているものがマズいって話だぜ。ほら、去年地球に落着した「最後の移民船」に関するものだとか……』

『共和国に渡ったら面倒そうだな……。とはいえ、子供一人じゃこの吹雪で凍死して明日にゃ見つかるだろ?』

『わからないぞ? この山脈を越えるのに、一番使いやすいこの"ヤスリの尾根"を選んでいる。ここは標高が低いってのもあるが、奴がいるからな……』

『奴?』

 クワーガ隊の一人が何気なく漏らした一言に、ディロフォス隊の隊員が疑問を呈する。クワーガ乗りは頷く気配を見せ、

『地上ゾイド乗りは知らないか。帝国軍は基本、この尾根は飛行ゾイドで超えるから』

『勿体つけるなよ』

『有名な奴がいるんだよ。この尾根で、共和国に雇われて活動するゾイド乗りで……』

 そこまで言ったところで、彼のご高説は終わりだった。

 鈍い吹雪の音の中で甲高い音が響き、クワーガの一体が火花を上げて傾いだのだ。対空射撃の直撃を受け、六本脚を広げた機体が吹き飛ぶ。

『――うわっいるぞ! この対空射撃は……』

『へへっ、クワーガ隊はビビってるなら下がりな……』

『バカ! お前達も危ないんだよ! 奴は――』

 クワーガ隊は退避行動を取りながら警告した。

『奴は「煙突掃除夫」……ハンターウルフ種を扱うんだ!』

 そう叫ぶクワーガ乗りの視線の先、尾根に突き出した岩の上にうずくまる影があった。

 長い砲身を背面カウルと共に展開した、鋼鉄の狼の姿が。

 

 彼は詰めていた息と共に言葉を発した。

「今日は三種類もゾイドがいるな……」

 吹雪に晒された場所……ゾイド、ハンターウルフの首元。彼はゾイドに話しかける。

 帝国や共和国が用いるゾイドと違って操縦席は粗末なものだ。彼の荷物と、彼自身を固定するベルトがある以外は若干の計器と簡素な操縦レバーがあるだけ。

 そんな中で彼はゴーグルに表示されるわずかな情報と、ハンターウルフが発する気配を頼りに指示を出す。

 吹雪と岩肌に溶け込むようなグレーを装甲に塗りたくられた機体は、背のカウルを展開しその中から長い対空砲を展開している。レドームも装着されたそれは、この悪天候の中でも空中のゾイドを的確に捉えていた。

 狙いが澄まされ、砲撃が二、三と続く。上空で金属がねじ切れる音が響いて、稜線の向こうへと落ちていった。

 高い仰角の対空砲は、砲口から硝煙を漂わせる。さらに煤まみれにも似た灰の迷彩故の"煙突掃除夫"だ。

 彼とハンターウルフは砲撃を続け、しかしふとゾイドの方が視線を下に向けた。急峻な断崖から見下ろす峰を、数機のディロフォスがこちらに向かってきている。

「索敵力の高い種のようだ」

 ライダーの男も納得し、そしてレバーをクリック音と共に押し込んでいく。

「ワイルドブラスト……」

 レバーに合わせて、石臼のような音を立ててハンターウルフ背面の金属器官が起き上がる。高速タービンを秘めた超音波ブースター。

「『山鳴り』……」

 ブースターを肩越しに前方に向けながら、ハンターウルフは遠吠えを上げた。吹雪を貫き山々を越えていく高く淀みない響き。

 それと同時にブースターから放たれる増幅音波のインパルスが、山肌を行軍するディロフォスの周囲に降り注いだ。

 乱射はその装甲の端を切り飛ばしていくが、直撃は無い。ディロフォス達はハンターウルフを見上げて威嚇の歯ぎしりを見せた。

 だが直後、遠吠えとは異なる重たげな響きが彼らの足下からわき上がってくる。

 軽く堆積した雪はわずかな衝撃で流れ始める。――雪崩だ。

 雪煙が上がり、ディロフォス達の姿は波頭の奥に消えていく。それを見送ると、遙か上空のスナイプテラが舌打ちするように首を振って翼を翻した。

 遠ざかっていく怒濤と翼。それらを見送ると、灰色のハンターウルフは断崖を飛び降りて斜面へと身を躍らせた。

 雪崩に引きずり込まれることのなかった別角度の斜面。そこに鎮座する岩の影に、うずくまっている影が一つ。ハンターウルフはその側まで歩み寄ると、首にまたがる男を下ろした。

 半ば雪に埋まりつつあるのは、様々な文様の装束を分厚く重ね着した人の姿だ。男が抱え上げると、極寒に苛まれ蒼白になった幼い顔立ちがその中に見える。

「さて、どうしたものか……」

 冷静なようにも、途方に暮れたようにも見える表情で男はハンターウルフを見上げた。

 

 覚えているのは、白い闇と滅多刺しにするように体に切り込んでくる寒さ。

 しかしそれらが記憶の中にあり、体を熱に包まれていることに気づいて少女は顔を上げた。

「……?」

 まず目に入ってきたのは目の前で焚かれた火。少女にはこの雪山の中で起こす術の無いものだった。

 穏やかに揺らめく光に照らされた周囲は、一面を雪で固められた空間。二メートルほど先の天井も、衣服が杭に吊された壁も、焚き火日を囲んで椅子状に雪が盛られた床も全て押し固められた雪だ。

 自分は壁際で、合成繊維の寝袋にくるまって眠っていたらしい。さらに着ているものも厚手の防寒着――。

 いや、自分が着ていたのはあまり雪山に適していない衣装ではなかったか、と少女が視線を巡らせると、一人の男がこちらに背を向けて雪の椅子に腰掛けていた。壁に掛けられた衣装をしげしげと眺めている。

 自分が一番内側に着ていたものだ。高山から飛来する赤い翼の文様が刺繍されている。それを脱がされているということは……。

 少女は思わず頬を紅潮させると、寝袋から這い出して男の背後に忍び寄る。火にくべられた枝の一本を手にして。

 ご丁寧に靴下を履かされた足にまた冷たさが染み入ってくるが、あと一歩の距離。少女は焼け枝を突き込む構えを見せる。

 しかしその時、この雪の部屋の外から叱りつけるような声が轟いた。少女は小さく跳ねて枝を取り落とし、男は振り返る。

「――おお君か。もう動けるのか」

 振り向いたのは、防寒服で顔の半ばまでを覆った青年。油断無い鋭い表情をしている。

 そんな彼に忍び寄れた理由は、外からの声が晴れて聴覚が戻ってくることで理解できた。部屋の中には吹雪が渦巻く鈍い音が絶え間なく聞こえていたのだ。

「汗で濡れていた服は、凍死を避けるために着替えさせてある。あー、君の名誉を傷つけるようなことはしていないが……言葉はわかるか?」

「……わかります。助けてくれて、ありがとうございます……」

 少女は口ではそう言いながら、雪の椅子に腰掛ける。

 落ち着かない様子の少女に、男は防寒着のポケットから一枚のカードを取り出した。顔写真と合わせて"共和国"の国籍マークが印字されているものだ。

「俺は共和国軍傭兵……ブルーダーだ。この"ヤスリの尾根"を越えようとする帝国軍を食い止める任務を負っている」

「共和国……」

 その名に、ようやく少女は息を吐いた。

「私はユイン。尾根の向こうから来ました。帝国軍に……追われています」

「そのようだな。最近帝国軍が山の側まで進軍してきているのは共和国軍も察知しているが……」

 ブルーダーは改めてまじまじとユインの背格好を眺める。

 確実にブルーダーよりも頭一つは小さい。一〇代前半の顔立ちだが、それでもなお、という小柄さだ。

「君のような子供を、なぜ?」

「――済みません、共和国の人にも教えられないんです……」

「俺は厳密には『共和国の人』じゃないぜ」

 ブルーダーはユインをのぞき込むが、ユインは首を振る。その頑なな表情に、ブルーダーは根負けしたようだった。

「まあ、教えたくなければ構わない。しかししばらくの間俺達は一蓮托生だ」

「……どういうことですか?」

「俺はしばらくこの尾根を離れられないし、君は一人で山を下りられないってことさ」

 そう言って、ブルーダーは背後の壁に吊したユインの装束を肩越しに指さした。

「この装束は元々山麓での生活のためのものだろう。いくら着込んでも空気を留めにくいのは変わりない……君自身もやせっぽちで、実際凍死寸前だっただろう」

「やせっぽち……」

 自分を着替えさせてそのことを知っているブルーダーに、ユインは複雑な表情を見せた。だがブルーダーは構わず、

「服を貸したとしても寒さに耐えるカロリー源となる食料が根本的に足りない。ここにある備蓄は元々俺一人用だからな。分けたりしたら共倒れだ」

「……ここを離れられないって、ブルーダーさんはなにをしているんですか?」

 淡々と事実を告げるブルーダーに、ユインは口をとがらせる。

「この尾根は山脈の中でも比較的標高が低い。だから帝国軍が共和国を偵察するためによく領空侵犯をするんでな……。この辺の地理に詳しい傭兵が交代で対空警戒をしている。俺達はそのチームの一員というわけだ」

「達……」

 そういえば先ほど外から響いた声。ユインは吹雪の唸りが聞こえる背後へと振り向いた。

 するとそこには、先ほどまであった雪の壁を突き破って巨大な狼の顔があった。灰色の金属で覆われ、耳を立て、そして左目にアイパッチのような機材が当てられている。

 思わずのけぞったユインは、ブルーダーが言うところの"俺達"の実態を理解した。

「ゾイド……」

「そいつはスウィーパー。ハンターウルフという種類のゾイドだ」

 ブルーダーはいつものことだという風情だ。動じぬまま、雪の椅子の上から、

「寒いから穴開けないでくれよ」

 彼の呼びかけに、スウィーパーと呼ばれたハンターウルフは唸りながら頭を部屋から引き抜いた。一瞬外が見えるが、夜空と吹雪が入り交じった灰色が見えるばかりだ。さらにスウィーパーが雪を掻き、部屋に空いた穴をすぐに埋める。

「俺もアイツもこの辺出身だからな。覚悟か準備が生半可なら、生きてこの山を下りられないということだけは確実にわかる。……お前がそのどちらも十分だというなら、止めないけどな」

 そう言って、ブルーダーは焚き火に金属製のポットを吊した。湯を湧かそうという様子だ。

 彼の慣れた手つきや語り口、装備、そして顔を見せたスウィーパーというゾイドを見て、ユインは悔しそうに歯噛みした。

「しばらくご厄介になってもいいですか? 私も、ここで死んでしまうわけにはいきませんので」

「この拠点を維持するのを手伝ってくれればなにも言うことは無い。単純に『死にたくない』からでも構わないぐらいだ」

 焚き火の揺らめきに視線を向けるブルーダーは、起伏の無い表情で考えを見透かせない様子だ。一方でユインは、自分が伏せている秘密を探られているような居心地の悪さを感じずにはいられない。

 緊迫感ある沈黙の中で、ポットは少しずつ湯気を吐き出し始めていた。

 

 撃退された帝国軍部隊を上空から管制していたスナイプテラのライダーは、拠点に戻るとパイロット待機所で沈痛な面持ちを浮かべていた。

 クワーガ、ディロフォスのライダー達は共に寒冷地仕様のサバイバル装備を持っているはずだが、この吹雪の中でゾイドを失っては……。

 スナイプテラでは彼らを回収する手筈も無く、帰投するしかなかったのは事実だ。だがそれ故に後ろめたさは募るし、なによりこの一戦が自分の経歴に落とす影を気にしてしまう自分自身への不甲斐なさ、器の小ささこそが最大の自己嫌悪を生んでいた。

 つい買ってしまった紙カップ入りのコーヒーから立ち上る湯気すら自分を責めているように感じられる。しかしそこへ、不意にけたたましい足音が近づいてきた。

「先ほど帰投したスナイプテラのライダーというのは貴様か?」

 軍用ブーツの分厚いつま先が視界に入り、スナイプテラのライダーは顔を上げた。そしてコーヒーのカップを取り落としそうになる。

 そこにいたのは、攻撃的に髪を剃り上げつつも青いアイシャドウなどで化粧をした男だった。スナイプテラのライダーは思わず誰何しそうになったが、相手の階級章が少佐で自分よりも高いので踏み止まる。

「そ、そうですが……」

「貴様の部隊は『煙突掃除夫』と呼ばれるハンターウルフ乗りに壊滅させられたのであるよなあああ!?」

「ええ……まあ、はい」

「ふふふ、よろしい!」

 アイシャドウの男はくねくねと踊るようにポーズを取りながら頷く。何が良いというのかと若干冷静さを取り戻したスナイプテラのライダーに向けて、彼は自己紹介した。

「申し遅れた。私はアルベルト・ララーシュタイン少佐。エース殺し、『死化粧』ララーシュタインと言えば貴様もわかるだろう?」

「――!? ララーシュタイン少佐でありますか? これは……気づかずご無礼を」

 スナイプテラのライダーは一瞬浮かべていた怒りを押さえ込み頭を垂れた。

 アルベルト・ララーシュタイン。"帝国"がこの地球に移住する以前から続く貴族の家系から生まれたゾイドライダーだ。いささか奇矯な人物だが、高度なゾイド乗りとしての教育を受け実績を上げているエースライダーとして知られている。

「私は常日頃、星人の高貴な血筋を保つフィオナ殿下に捧げる首級を探し求めているのは貴様も知っていよう?

 此度目を付けたのがまさに今日貴様が遭遇した、ヤスリの尾根の『煙突掃除夫』というわけなのだ。煤かぶりの野良狼ごときではいささか格が落ちるというものだが――」

 ララーシュタインはそう説明しつつ、ピアスを刺した舌で唇をぬぐう。

「先日落着した『最後の移民船』……移民船団科学船の生存者から何かを受け取ったお子共がいる。それを追っていた貴様が奴と接触したというなら手土産も増えようというもの。

 貴様、私の指揮下に入り道案内を務めるといい。さすれば此度の失態も拭われよう?」

「し、しかし『煙突掃除夫』は共和国から供与された武装でゾイドを強化しています。地上、空共に油断が無いし地勢にも明るい。……強敵ですよ」

 スナイプテラのライダーはララーシュタインの語り口に圧倒されながらも、指摘を忘れなかった。そしてそんな様子に満足げな表情を見せるララーシュタイン。

「負けに浸るような真の負け犬ではないようでよろしい。ますます頼りになるというものだ。

 そして同時に心配は無用! 我が愛機"ローゼンティーゲル"も斯様な寒冷地は得意とするところである!」

 彫像のようにしなを作ったポーズを取るララーシュタイン。すると基地のどこからか、低く喉を鳴らすような響きが轟いてきたように、スナイプテラのライダーは感じた。

「薄汚れた狼に、金貨をくわえて逃げた兎。雪景色の土産話と共に殿下に捧げるのが楽しみである!」

 ララーシュタインは高笑いを上げ、息を呑むスナイプテラのライダーの手の中でコーヒーは冷め切っていた。

新地球歴三〇年 一月一五日 一四二一時

"ヤスリの尾根"

 

 ブルーダーはユインに告げた。四日後に交代要員がやってくるので、それまで下山は出来ないと。

 期日が来るまでユインはブルーダーが拠点とする雪洞に住まうこととなり、帝国軍のゾイドが迫りブルーダーが出撃したときは帰りを待つ。今も焚き火で湯を沸かし、寒冷地用戦闘糧食を調理しているところだ。

 糧食コンテナから包みを一つ取り出してみると、インスタント麺をメインとした一食分のパッケージだ。昨日も食べたが、カロリーを消費する寒冷地向けかつ水分を保持できるように塩気もあり、有り体に言って味が濃い。

 ブルーダーは平気な顔をして食べていたがユインとしては辛いところだ。ひとまず、自分の分も取り出してアクセサリーパックから粉末コーヒーを取り出して用意をする。

 外で断続的に聞こえていた砲声は止み、先ほどスウィーパーの遠吠えが一度聞こえた。ブルーダーが帰ってくる合図としてユインと取り決めたのだ。

 ほどなく雪洞の入り口をスウィーパーが掘り返し、さらに道すがら集めてきた木の枝を脇に積み重ねる。一抱え分をブルーダーが雪洞内に持ち込むと、ブルーダーは入り口に雪を被せて塞いだ。

「帝国軍はまだ君を探しているのかもしれん。いつもと飛来するゾイドの動きが違う」

 ユインが淹れたコーヒーを受け取りながら、ブルーダーはそんな話を切り出す。

「この尾根を越える偵察ゾイドは一直線に共和国領の奥に向かうのが普通だが、おととい以来尾根全体を探って旋回するようになった。よくもまあそこまで目を付けられたものだな」

「本当に大した理由ではないんですけどね……」

「俺には話せない程度の『大したことはない理由』」

 ブルーダーは探りを入れてくる。素性もわからぬままに、この尾根で生きるための場所に引き込んだ相手だ。信用されないのもやむを得まいとユインは視線を落とす。

「……この辺りが"ヤスリの尾根"なんて妙な名前で呼ばれている理由を知っているか」

 不意にそんなことを言い出すブルーダーに、ユインは首を傾げる。しかしブルーダーは務めて平板な調子で、

「もともとこの尾根には一つの集落があった。

 帝国と共和国の緩衝地帯で、周囲に比べれば標高も低くて過ごしやすく、そうは言っても山の中なので厄介事もそうそう持ち込まれない。たまに山を越えようとする商人や冒険家を案内して……なんて生活が一〇年と少し前まで存在していた。

 ……君の年だと、物心が付く前ぐらいまでか」

 ブルーダーの言うとおり、ユインは知らなかったことだ。

「この辺りには何もないということしか知りませんでした……」

「事実、何もかも無くなってしまったからな。

 二大国の緊張が高まる中でこの尾根が周囲より低いことは注目され始め、集落はどちらかに属するよう求められた。

 だが集落は独立を保つことができた。――コイツがいたからだ」

 ブルーダーは雪洞の外に指を向ける。

「スウィーパーがその頃から?」

「当時は別の名前で呼ばれていたけどな。

 まだ帝国がZ・Oバイザーを開発する前だったから、野生でも中型ゾイドだったヤツは軍の手には負えなかった。そして攻め込んでくる両国とは敵対して、この山に住む人間とは共存していた……」

 ブルーダーの淡々とした語り口に、ユインは息を呑み聞き入る。そして、

「しかしそれが帝国軍の大規模介入を招き、それに対抗するためにアイツはワイルドブラストを使った。

 その影響で大雪崩が起きて集落はきれいさっぱり削り落とされてしまった。生き延びたのは偶然にも俺だけ。

 だからここは"ヤスリ"の尾根で、ヤツは"掃除屋(スウィーパー)"なのさ」

 唐突に話は終わった。一瞬続きを待ってしまったユインから目をそらし、ブルーダーはコーヒーカップに視線を落とす。

「……え?」

 ユインが疑問符を浮かべると、ブルーダーは何か一人で察した様子だった。

「それ以来俺達がここに残っているのは償いのためだ」

「ええと……」

「俺が『狼が来たぞ』よりももっといい警告ができれば、俺達だけになることもなかったかもしれないからな」

 過去に思いをはせた様子でブルーダーは言う。しかしユインは戸惑いつつ、

「そうではなくて……」

「?」

「なぜ急にそんな話を……?」

 ユインの問いに、ブルーダーは硬直した。ユインが思った以上に予想だにしない問いだったらしい。

「……話題が無いと息苦しいかと思ってな。それに、俺達の出自を知っていれば君も少しは安心だろう」

 そう言いつつ、目論見が外れたかとブルーダーは首を傾げていた。

 そんなどことなく間の抜けた様子に、ユインは小さく吹き出す。

 聞いた限りでは悲惨な過去があったようだが、同情を引いている様子ではない。ただ事実を事実として告げて、それがこちらの益になるだろうと、そう素朴に思っている。それが若いユインにも見て取れた。

 そしてこみ上げてきたおかしさに、ユインは保留していた判断をいくつか下した。

「そうですね、ふふ……。

 じゃあ私もちゃんと自己紹介しないといけませんね」

 そう言って、ユインは雪の椅子に座り直す。姿勢を正し、膝に手を置いて、

「……私達は山脈の帝国側に集落を作っている少数民族です。

 帝国が惑星Ziを出発する時に保護されて、地球に着いてからは元の環境に似た場所に集落を作って自治を許可されていた。でも……」

 穏やかに語り出すユインだが、流石にブルーダーのように無感情に語るというわけにはいかない。

「似ていても、地球ではかつてと同じ生活は上手くいきませんでした。特にあの衣装を染めるのに使う、染料の元になる作物は一切育たなかった……」

 ユインは壁に吊された装束を見る。彼女が一番下に着ていたものが大きく広げられていて、そこに染め抜かれた赤い翼がよく見えるようになっていた。

「集落の収穫は生活を続けるのにギリギリ。外と取引をするなら、私達の民族独特のあの衣装を作るしかありません。でもそれもできないし、民族の象徴を作ることが出来なくてみんな落ち込んでいた……」

「じゃあこれは惑星Ziにいた頃の図版なんだな。野生のゾイドをモチーフに?」

「シュトルヒというゾイドを描いているんだそうです」

 話を促すように問うてくるブルーダーに、ユインは表情を持ち直す。

「それで……もう帝国に保護を求めるしかなくて、共和国と緊張が高まっていた帝国も私達の集落を基地にしたくてアプローチしてきていたんです。

 そんな時に、私と同じぐらいの歳の女の子を連れたおじいさんが集落を訪れました」

「……帝国の人間?」

「いえ、彼らは別のところから来ました。移民船団に遅れて、去年地球に着いたとか……」

 ブルーダーの表情は怪訝そうだ。ユインも彼らの言うことを最初は信じられなかった。だが、

「でも現われたおじいさんは科学者で、集落の惨状を聞いて、残っていた染料の元の種を加工してくれたんです。不思議な光を種に浴びせて、それを植えたら確かに芽が出て」

「――移民船団云々というのはとにかく、科学者ではあったというわけだ」

 ユインは頷く。ブルーダーと同じことを言っていた相手がいたのだ。

「その少し後に集落を監視していた帝国軍が彼らに気づき、集落に乗り込んできました。さらに普段は見かけない人達も……。二人を追っていたんです。

 私達は二人を逃がしました。恩人ですから……」

「……軍を相手にそんなことをすれば」

 危惧するブルーダーに、ユインは肯定するしかない。

「帝国に反逆したということで、集落は今制圧されています。基地を作るつもりでいる帝国はそのまま集落を利用してしまうはずです。だから私は共和国に助けを求めるために、収容所から脱走したんです」

 そう言って、ユインは壁に吊した装束に歩み寄った。隠しポケットを探り、一つの巾着袋を取り出す。

「これがおじいさん達が蘇らせた種です。帝国には見せないために、協力してくれる人には証拠にするために、私が全部持ってきています」

「……国力の低い帝国からしてみれば、強靱な作物というのは興味の対象だろうしな。それこそ根掘り葉掘り探られるだろう

 それを持った君を相手に無茶は出来ない。いい判断をしたな、君の仲間は」

 自分達はそうではなかった、という悔恨の色がブルーダーの眼差しにはあった。

「――この尾根の監視部隊を指揮する指揮官に掛け合ってみよう。俺のような孤児も重用してくれる人格者だ。君の話もしかるべき部署に届けてくれるだろう」

 そう言って胸を叩くブルーダーに、ユインは改めて考える。ブルーダーはこちらの素性を聞き出すために手段を講じたのだろうか。だが今となっては些細なことだ。

 仏頂面の中で静かに光をたたえた瞳は、悪辣な企みとは無縁だ。

 そしてもし悪意を隠していたとしたら、あの灰色の巨狼が彼を引き連れるものだろうか。ユインはそうは思わない。

 この吹雪の中で戦い続けられる信じがたい忍耐と、歴史を一人語り継ぐ覚悟。ユインはそれだけの意志を持った者を見たのは初めてだ。

 あるいは、あの老人と少女もそうだったのだろうか。確か二人の名は、ウォルター・ボーマンとサリー・ランド――。

 

 休息と携行食や水の補給を終え、ブルーダーとスウィーパーはまたヤスリの尾根のパトロールに戻る。

 吹雪はしぶとく続いている。陰鬱な暗い景色の中で、しかし一人と一体はどこか暖かな気分だった。

 スウィーパーが尾をばたつかせる響きが、首にまたがるブルーダーには聞こえてくる。

 スウィーパーは小さな生き物が好きなのだ、昔から。だからかつてブルーダーが過ごした集落を守り、ユインをかくまっている今は充実した気分なのだろう。

 思えば、あの夜自分を見つけた時もスウィーパーは己が救われたような声を上げていた。ブルーダーは今でも鮮明に思い出すことが出来る。雪崩を避けて逃げ込んだ岩場で過ごした一秒一秒も克明に。

 あれから一〇年。この極寒の山の中で、自分達は凍り付いた様な時を過ごしてきた。ユインのような、救われるべき存在を身近に感じる機会が、今まであっただろうか。

 この尾根に祈りを捧げる様に力を振るってきたこととは別に、直接守る相手がいる。その実感はまるでかじかんだ手に血が通う様に鮮烈だった。

 自分にしては饒舌だったのはそんな理由もあるのだろうかと、ブルーダーは含み笑いを漏らす。

 そして不意にスウィーパーは耳を立てる。ブルーダーも敵の気配に気づいた。

「……また地上ゾイドか?」

 ユインを見つけた日と同じだ。いくらこの尾根の標高が低いとはいえ、地上を行くゾイドでここを越えようとするものは少ない。

 ブルーダーの手元のモニターには、スウィーパーが捉えた暗視やサーモの映像が転送されてきている。帝国の技術を解析してゾイドに情報を与えるハーフZ・Oバイザーが、この雪山での活動での助けになっているのだ。

 それは元となった帝国のゾイドも同じだろう。だが雪山に不慣れなものがこの尾根に踏み込めば、力尽きかけていたユインのように危難に身をさらすことは避けられまい。

 そして今、この尾根を越えるための最大のリスクはブルーダーとスウィーパーの存在だ。それだけの自負が一人と一体にはある。

「仕掛けるぞ」

 ブルーダーはスウィーパーの簡素な操縦装置ごしに意志を伝える。そしてスウィーパーは斜面へ向けて雪を蹴立てた。

 捉えた相手は以前と同じディロフォス。凍えて動きの鈍い相手を岩陰から視認したブルーダーは、その背後にスウィーパーを走らせる。

 斜面を鋭くカットバックするスウィーパーに、ディロフォスは対応しきれない。スウィーパーの爪はそんなディロフォスの脇腹に食い込んだ。

 動きの鈍い相手は容易い。勝負は一瞬だ。しかし敵を手にかけたと同時に、スウィーパーはさらなる敵の気配を嗅ぎつける。

「……下から後続が?」

 渦を巻く様な軌道で、さらに複数のディロフォスが麓側から接近してきている。間隔は広く、しかし間を突破するには狭い。何者かに管制されているような陣形だ。

 スウィーパーは何か意図を感じている。間抜けな様でいて、警戒心は強いゾイドだ。次に近いディロフォスに回り込むような足取りの中で、スウィーパーは忍び足を手繰る。

「……巻き狩りか」

 山麓から獲物を追い上げて仕留める狩りの仕方がある。ディロフォス達の動きにはその勢子に似た動きがあった。

 人が考えた狩りの手法が相手なら、一刻の猶予も無い。敵を狙うスウィーパーに活を入れ、ブルーダーは拠点へと機体を走らせた。

 しかしすでに敵は来ている。部下に追い立てさせ待ち構えていたのか、斜面の上に立つ影があった。

 スウィーパー、ハンターウルフと同格の中型ゾイド。深紫の装甲に赤いバイザーを身につけているのが見える。あの形態は――、

「ファングタイガー……」

 サーベルタイガー種の、単独生活する気難しいゾイドだ。Z・Oバイザーを持ってしてもそう易々とコントロールできるゾイドではない。

 そしてこの寒冷地に強い哺乳類種でもある。

『「煙突掃除夫」だな……?』

 男の声が紫のファングタイガーから響く。

『アルベルト・ララーシュタインと愛機ローゼンティーゲルがその首もらい受けに参った!』

 居丈高な声が上がるのに対し、ブルーダーは即断した。スウィーパーの左肩に懸架しているミサイルポッドから一撃を放ったのだ。

 ミサイルは弾片をまき散らして広範囲の敵にダメージを与えるためのチャージミサイル弾頭。

 その炸裂は吹雪に波紋を生み、雪原を吹き上げる。敵の姿はかき消えるが、ブルーダーは安心できない。

 ゾイド戦がこの程度で勝負が付くものなら、自分とスウィーパーは何度も仕留められているだろう。

「ユインを回収して脱出するぞスウィーパー!」

 明確に声を出し、ブルーダーは意図を伝える。それに応じて走り出す巨体に揺られながら、ブルーダーは無線機にも手を伸ばした。

 

「挨拶は受け取って貰えずと言ったところであるなあ」

 フルキャノピーの帝国軍共通コクピットに座るララーシュタインはまず一息を吐いた。

 レザーのように黒く艶のある対Bスーツに身を包む彼に、ファングタイガー改造機〈ローゼンティーゲル〉は静かに付き従っている。雪に足を取られることも無い鮮やかな跳躍でチャージミサイルの攻撃範囲を脱した直後だ。

「野良狼に礼儀を求めることが間違いだとも思う、。だからといって私自身が礼節を欠くわけにもいくまい。

 さて――おい貴様」

 ララーシュタインが次に呼びかける先は無線機。その先には、先の戦闘でも上空から管制をしていたスナイプテラがいる。

『煙突掃除夫の動向は捉えています。稜線に沿って移動中……。この先に風を避けられる岩場があるので、そこに拠点を設けているものと思われます』

「狼の巣というとゾッとしないものであるが、相手が一匹狼ではなあ。いや、今は恐らくお子供を抱えているのであろうが」

 そう呟きつつ、ララーシュタインはローゼンティーゲルを敵が去った方角へ向ける。

 追跡の足取りはゆっくりとしたものだ。かくまっているであろう例の少数民族の子とやらと合流するなら手間も省ける。時間は与えるべきだ。

 揃って逃走することは出来まい。巻き狩りの勢子はふんだんに用意してこの尾根を挟み撃ちにしている。クワーガでの空輸や大幅な迂回進行を駆使することになったが、お陰でこのバトルフィールドから逃れる術はもう無い。

 追跡は悠然と、見守る部下達にも見せつける様に。ララーシュタインは己にそうすることを課していた。

 依って立つ大地を失い、多くの善き人々の血によって星人はこの地球にたどり着いた。数少ない貴族の一つであるララーシュタイン家にはそんな歴史への私的な記録があり、そしてそれを学ぶのは家督を得たアルベルトの義務であった。

 貴族とは単に富んでいることやその血だけで貴族たり得るものではない。かつて存在した人々のように『貴い』気概を持ち、為すべきを為す役目こそその本質だ。ララーシュタインは学びの中でそう理解した。

 そしてそれは偉大なる帝国皇帝も同じく。ララーシュタイン家は若き女帝フィオナが示すであろう高貴さをより広く、庶民に行き渡らせる助けにならなければならない。

「首級を捧げるのだ。この大地に新たなる一〇〇〇年帝国の栄光を築くために」

 女帝は若く、ともすれば頼りないとも見做されよう。だがあの若く聡明な女帝は何かきっかけさえあればその威光を真に知らしめることができるはずだ。

 愛機の一歩一歩はその先達としての歩みなのだ。ララーシュタインは防寒着に入れてきたアイシャドウを指で瞼に擦りつけて戦化粧を整える。

 今宵も聖戦だ。相応しい勝利をしなければ――。

 

 合図抜きで帰ってきたブルーダーに、寝袋にくるまっていたユインは驚いたようだった。一方愛機の全力疾走にしがみついてきたブルーダーは息を切らし、

「……この尾根から脱出するぞ」

「どうしたんですか!?」

「敵がこちらを追い詰めに来ている。これまでも俺達を討伐しにきた部隊はあったが、今回の奴らは地理と戦術を理解している……」

 告げながら、ブルーダーは拠点の物資から必要最低限の分を抱え上げる。焚き火も踏み消した。

「敵集団でこちらをエースと有利な地形におびき寄せている。ヤツは俺達を追ってくるし、取り巻きもここを見つけるだろう」

「じゃあ、どう……」

「取り巻きの隙間をなんとか突破する。先ほど共和国軍に通報しているから、俺の仲間が向かっているはずだ。

 対空装備のスウィーパーで同格の敵エースを相手するのは難しいしな……」

 ブルーダーが雪洞に開けた入り口からは、伏せたスウィーパーの横顔が覗いている。耳を伏せ気味にした姿は自信なさげだ。

 だが次の瞬間、伏せられた耳がピンと立つ。そして視線を強めて視線を遠くに向ける姿に、ブルーダーはユインへ手を伸ばす。

「急ぐんだ!」

「は、はい! ……あっ」

 従いかけたユインだが、そこで壁に掛けたままの装束に振り向いた。染料の種に加え、装束一枚ずつが今はまだ作ることの出来ない貴重な物でもある。

 戻ってくることが出来るかわからない拠点だ。ユインは手を伸ばしかけるが、すでに荷物を抱えているブルーダーとの間に視線をさまよわせる。

 ブルーダーはその視線の意図に気づき、

「遠慮するな……!」

 素早く衣装をかっさらい、赤い鳥の模様のものはユインに被せる。その手際に、ユインは思わず目を見張った。

「――あっ、はい! ありがとうございます!」

 礼を言う頃には、すでにブルーダーはスウィーパーへと踵を返している。スウィーパーは周囲を警戒しながら姿勢を落とし、乗り込み態勢だ。

 担いだ装束を吹雪になびかせるブルーダーの背中に、ユインは続いていった。

 

 雪洞を放棄し、二人を乗せたスウィーパーは斜面を駆け下りていく。

 初めて乗る――といっても雪洞に運ぶ際にも一度乗せられているのだが――ユインは速度と揺れと、吹き込む吹雪に目を白黒とさせていた。吹きさらしのシートの環境は過酷だ。

「ゴーグルに隙間は無いか? 口と鼻もしっかり覆え」

「は、はなのなかがしびれてます……」

「氷点下だからな。鼻毛も凍る」

「はなげ……」

 デリカシーの無いブルーダーにユインは一瞬渋い表情を向けるが、しかし肩越しに見える真剣な表情に息を呑む。今は一切の余裕が無い戦場のまっただ中なのだ。

 いや、あの雪洞の拠点ですらも極限環境という意味では戦場と変わらなかったはずだ。そこで精一杯こちらを気遣ってくれいたのが、このブルーダーなのだ。

 その果てしない献身に、ユインはブルーダーに静かに熱い視線を向ける。だがスウィーパーを導くブルーダーは気づかない。

 ともすれば一瞬で滑落に転じてしまいそうな斜面を、スウィーパーはわずかな起伏を蹴って飛び跳ねていく。その俊敏さはスウィーパーの天性の勘によるものだが、

「……! スウィーパー!」

 対地センサー画面を注視していたブルーダーが呼びかける。雪の奥にある地形も見通すことが出来るものだが、それはスウィーパーが足がかりにしようとしている雪下の突起が、地形に固定された物ではなく以前に撃破したゾイドの残骸だと明らかにしていた。

 岩場を踏んで一際高く飛んだスウィーパーの下で雪だまりが崩壊し、特徴的なクワーガの顎が転がり出てくる。もし足がかりに着地していたなら姿勢を崩すことは避けられなかっただろう。

 灰色の狼は速度を落とさない。ゾイドの中でも俊足を誇るハンターウルフ種のスウィーパーはブルーダーのナビゲートの元で快速を発揮していた。だが、

「――ディロフォスと鉢合わせしてしまったか」

 サーモセンサーが写す青黒い闇の奥に、ディロフォスの姿が浮かび上がる。

 小型ながら感覚の鋭敏なゾイドだ。敵もスウィーパーに気づいてか、甲高い叫びを上げ威嚇してくる。

 スウィーパーは姿勢を低く加速した。雪の飛沫をまき散らしながらの突進にディロフォスは思わずのけぞり、しかし反撃の射撃を放ってくる。

 だがその着弾の寸前、スウィーパーは急停止から高く跳躍していた。砲弾に巻き上がる雪煙ごしにスウィーパーの接近を幻視する敵が、眼下に見える。

 前足からの着地で、スウィーパーは敵ディロフォスを真上からスタンプする。雪原に埋められた緑の機体を尻目に、灰の狼はまた跳ねるように駆け出した。

「今ので帝国軍を突破できたんですか?」

「いや、向こうは何重にも包囲を敷いているはずだ。それに今の足止めと射撃で、恐らく気づかれている――」

 一瞬で付いた決着に、ユインは期待を込めて問う。だがブルーダーは浮かない表情で、さらにスウィーパーも背後をちらちらと伺っていた。

 吹雪の奥に赤い光が揺れる。咄嗟にスウィーパーが飛び退くと、元いた空間へ鋭い牙が食らいついた。

 吹雪の中にぼんやりと溶け込む赤い眼光と紫の装甲――。

『捉えたぞ狼……!』

 バイザー越しの眼光に、沸き立つような男の声。ユインが思わず怯える一方で、ブルーダーは歯を食いしばった。

「まだ外部スピーカーをオンにしているのか」

「だっ、誰ですか!?」

「俺は知らないが、向こうは俺達のことをよく知っているらしい」

 前方に飛び出した敵ゾイド、ファングタイガーは横様に滑走しながらスウィーパーを見据えていた。麓への進路を塞がれ、スウィーパーはさらに横に逃げる。

 斜面を横切る二体は横目に睨み合う。剥き出しのシート上にいるブルーダーとユインは、ファングタイガーの首上にある帝国式のコクピットを見た。

 防護スクリーンの向こうに、細面ながら獰猛な顔立ちの男が見える。アイシャドウを濃く塗っているのか、目つきが尋常ではない。ユインはヒッと息を呑んだ。

『例のお子供を拾い上げたな? メイン・ディッシュの盛り付けが終わったということであるなあ』

 唸る敵の男――ララーシュタインの声と共にファングタイガーが背負った火器がグニャリとスウィーパーに向いた。キャノン砲の基部にフレキシブルアームが付いているのだ。

 砲身の先端で砲口がぽっかりと口を開けている。すかさずスウィーパーは姿勢を落とすと、その分折りたたまれた四脚を瞬発させて前方へ飛び出した。

 敵の射撃は間一髪で虚空を射貫き、スウィーパーは吹雪の中を先行していく。だがそれは火器の位置を元に戻した敵からしてみれば撃ち放題となることだ。

 追撃のファングタイガーが射撃を開始。常に鈍い吹雪の音が響く尾根に、突発的な爆発音が連続する。

 対ゾイドの徹甲弾が使われているからか、着弾の衝撃は雪を巻き上げるばかりだ。だが爆風はなくとも、超音速の弾丸とそれが地表を揺るがす衝撃は追いすがってくる。

 走行中の射撃はそうそう当たるものでもないし、スウィーパーも左右にランダムに飛び跳ねながら逃走している。だが狙われていることも撃たれていることも、ブルーダーにとっては気持ちのいいことではない。

 ましてや幼いユインに取ってはそれ以上だ。

「あ、う……ひえぇ……」

 今までに聞いたことが無い響きと揺れに、ユインが涙ぐむ。その様子を肩越しに見たブルーダーは、あまり時間はかけられないと判断した。

 だがこの、傾斜とわずかな起伏がある以外には滑らかな"ヤスリの尾根"では、すでに速度を出しているスウィーパーはこれ以上ファングタイガーを振り切れない。

 なにか切っ掛けになるものはないか。吹雪に目をこらすブルーダーは気づいた。前方の風の中に、雪を切り裂いて切り立つ岩が見えるのだ。

「"王者の角"か……」

 その名を知っているのは今やブルーダーのみ。そんな地形だ。他の者はこの尾根が『ヤスリがけ』されたときにいなくなってしまった。

 ブルーダーは一つの可能性に賭けた。

「ユイン、あと一度だけ我慢してくれるか」

 

 ララーシュタインは先行するハンターウルフの動きに舌を巻いていた。

 視界の悪い吹雪の中で、敵は周囲を砲撃されながら、ハンターウルフ種らしい敏捷性を維持し続けている。晴れの平原でもここまで冷静に回避行動を続けられる胆力の持ち主はそうはいまい。

「あるいはこの環境をホームグラウンドとするからこその自信か?」

 ララーシュタインは軽口を叩くが、その目はぎらついていた。

 煙突掃除夫がここをホームだと思うが故の余裕を持つなら、こちらはアウェー故に侮られているということだ。

 ララーシュタインは腹を立てたが、頭にはこなかった。怒りは抱いたが、冷静さは失わなかった。常に思考し続けることは『高貴さ』の条件の一つだ。

 手綱は握り続けなければならない。感情も、機体も。

「面白い。いつまでその余裕を保てるか見せてみよ」

 ララーシュタインは牽制射撃を続ける。その射撃はハンターウルフの進路にも振られ、しかし片舷一門のみでの射撃だった。

 もう一門は、ハンターウルフが致命的な停滞を見せた時のために装填状態で照準に集中させている。愛機ローゼンティーゲルもその意図を察し、走行のブレを抑える足運びを選んだ。

 その分行き足は鈍る。その瞬間、前方にも弾着の雪煙が上がる中へハンターウルフは加速した。

 捨て鉢とも取れる加速だ。着弾の中に突っ込むなど……何か確信が無ければ――。

「あるのだな?」

 片眉を跳ね上げ、ララーシュタインは操縦装置に活を入れる。瞬時の急停止操作に、ファングタイガー種のしなやかな駆動系は素直に応じた。

 ドリフトして停止したローゼンティーゲルは、反撃に備えてすぐさま駆け出した。尾根の稜線方向――斜面の上へ。

 雪煙を突破した敵に、ローゼンティーゲルも視線を向け続けている。ため息を吐くような喉の唸りには油断が無い。優秀なゾイドだ。

 だがそんな紫の猛虎にもどうにもならないことが起こる。前方の岩場が爆風と轟音を立てたのだ。

「――チャージミサイルの残りである」

 先ほど一撃を受けたララーシュタインは前方で炸裂した爆風を見抜く。あのハンターウルフが搭載していたミサイルポッドの残弾が使われたのだ。

 弾子が満遍なく前方を打ち据え、莫大な雪煙が上がる。ハンターウルフはその中に駆け込んで見えなくなるが、奴も周囲は見えまい。

 いや、しかし敵はここが地元だ。土地勘があるのだろう。ララーシュタインは相手が仕掛けてくるのを見越して、稜線の反対側へ一度待避しようとした。

 しかし行く手を遮るように爆風が上がる。雪煙の彼方から、ハンターウルフが対空砲を放ってきたのだ。

「やはり地の利を得る魂胆。小癪な――いや?」

 足を止めたローゼンティーゲルをまた駆け出させようとするララーシュタインだったが、弾着に違和感を覚えた。

 こちらを狙っている気配――殺気が薄い。当てずっぽうかとも思ったが、それにしては着弾は横一直線に稜線に沿っている。

 何を、と振り向いたローゼンティーゲルの視線の先で雪煙は吹雪に吹き散らかされつつあった。そして明らかになる巨岩の隣に、背面カウルを展開したハンターウルフの姿がある。

 対空砲に続き、巨大なタービンが屹立する。ハンターウルフのワイルドブラストだ。

 遠吠えが斜面を震わせる。先んじての砲撃で緩んだ雪面がずるりと滑るのを、ララーシュタインは目撃した。

 

 この"王者の角"は、幼き日にブルーダーが……ブルーダー達が遊び場としていた岩場だった。

 かつての大雪崩の後も残っているわずかな隙間にユインを待避させ、ブルーダーは追跡してくるファングタイガーに立ち向かう。

 稜線に射撃を加え、さらにワイルドブラスト『山鳴り』で雪崩を起こす。厄介な敵を一掃する手だ。

 皮を剥くように斜面全体が滑り、すぐさま雪が巻き上がる。

 いつかと同じ雪崩だ。ブルーダーは歯噛みし、スウィーパーは咆哮を掠れさせていく。戦術とは言え、気持ちのいいものではない。

 しかしそんな感慨にふけるのを止めるように、雪崩の中から雪煙をたなびかせて真上に跳んだ影が一つ。

「……!? ファングタイガー!」

 赤い眼光は雪崩の上に舞い降りると、波濤の上を接近してきた。

「雪崩の上を……!?」

『その手は知っておるよおおおおお!』

 雪崩の唸り越しにも鋭い咆哮がブルーダーを打ち据えた。同時に背面ユニットが展開し、牙のようなブレードが前方に展開する。

『ヴィルデエクスプロジオン……ブリッツェンシュヴェールトォォォォォ!』

 二つのブレードの間にスパークが行き来する。そして雪崩を蹴り、ファングタイガーは吹雪の中に跳躍した。

 殴りつけるような軌道に、すかさずブルーダーは反撃の対空砲を向ける。

 だが発砲と同時に空中で身を捻った敵の横を射線が突き抜けた。対空砲弾は炸裂するものだが、すでに敵が近すぎて爆煙は吹雪の彼方に咲く。

 やむを得ず飛び退くが、一撃を放った分待避が遅れた。振り下ろされる刃が対空砲の砲身を半ばで溶断する。

『獲物のことはよく調べて臨むのが狩りの基本であるよ。この手は前に見たものがいてな』

 雪に突き刺さって水蒸気を吹く刃を掲げ、ファングタイガーは襲いかかってくる。スウィーパーはタービンと切断された対空砲を収納しつつ、その跳躍の下をくぐって背後へ逃れた。

 だがもう振り切れるような間合いではない。素早く切り返すファングタイガーに、牙を向けるスウィーパー。格闘戦だ。

 そしてその激しいマニューバの中、興奮気味に敵の声が響いてくる。

『そしてこの場所! 記録は残っていたぞ。ここは――かつてその狼が滅ぼした集落のあった場所よ!』

 雪崩に洗われた斜面を背後に、ファングタイガーの男は叫ぶ。そして一変した尾根の景色は、雪の下に隠されていたものをさらけ出していた。

 根こそぎされた家々の基部や、わずかな舗装の痕跡がそこにはあった。

『災厄の獣めが! 己の罪をその目に焼き付けて首を差し出すがいい!』

 過去の風景の中から襲い来るファングタイガーに、ブルーダーとスウィーパーは震えながら対峙する。

 

 ブルーダーから隠れるよう言われ、ユインは"王者の角"の付け根にある隙間に身を潜めていた。

 拠点の雪洞ほどではないが確かな空間だ。開口部が麓側なので、吹き下ろす吹雪も入ってこない。

 戦いの中で高鳴っていた鼓動が耳の奥の方で響いていたが、身を落ち着けるとまた吹雪の唸りが聞こえてくる。その彼方で二体の獣が噛み合う響きも。

「ブルーダーさん……」

 大丈夫だろうかと、ユインは音が聞こえてくる方へ見当を付けて視線を向ける。そこはこの隙間の壁面だが――。

 そこでユインは気づいた。かすかに差し込む光の中、壁に何かが書かれているのだ。岩肌に石を擦りつけたようなかすかな筆跡で。

 ブルーダーから借りたライターで照らし出してみれば、それは子供が書いた絵だった。人影、家々……そしてそれを見下ろす狼。

 ブルーダーが語った、かつてこの尾根にあった営みを表したものだ。無邪気で、何の憂いも無い日々の残滓。

 しかしその下には、明確に刃物で刻まれた傷もある。小さな四本の縦線と、それを横切る長線。日付を数えた痕跡だ。

 かつて存在した集落の生存者は自分だけ――ブルーダーはそう語った。

「ここは……!」

 彼にとって最初の戦場であり、救いがもたらされた場所。だからこそ彼は自分をここに匿ったのだろう。

 守ろうとして集落を滅ぼし、しかし救いに来たスウィーパーのように、また迎えに来るために。

「ブルーダーさん、スウィーパー……負けないで!」

 祈るユインに応じるように、吹雪越しの咆哮が響く。

 

 ララーシュタインは愛機を敵に向かわせながら感嘆していた。

 帝国軍のゾイドはZ・Oバイザーを装備し本能を抑制している。それ故に扱いやすい。

 しかしこのようなインファイトの時はバイザーを持たない、野生に近いゾイドほど本能的な動作をし、強い。

 敵ハンターウルフは片目にだけ簡易バイザーを取り付けているが、抑制効果は無いのだろう。ライダーが振り回されがちな簡易操縦席であるにもかかわらず激しく動いている。

 ローゼンティーゲルが爪で斬りかかれば軌道上の部位を捻って躱し、食らいつこうとすれば全身で飛び退く。ワイルドブラストで展開したツインドファングの切っ先からも逃れ続けている。

「素晴らしい獣性。――だが我々はゾイドとライダーが一体になって戦うことを忘れてはならんなあ?」

 攻めるローゼンティーゲルの隙に、ハンターウルフが食らいついてくる。操縦席がある首へ――すかさずララーシュタインは機体を前に出させた。

 肩口からぶち当たるタックルへ。爪も牙も使わない『体術』がハンターウルフを弾き飛ばす。敵の牙が装甲に傷を刻み込むが、突き抜けるほどではない。

「どうした『煙突掃除夫』! 異名を奉るだけの実力はその程度か!?」

 幾本か牙を欠けさせながら飛び退くハンターウルフに、ローゼンティーゲルは詰め寄る。

 ツインドファングを突き込み、そしてそのつんのめり気味なモーションの中から片前足を踏ん張って身を回し、優駿のような後ろ足蹴りにつなげる。

 攻め手から攻め手に繋がる動作に、ハンターウルフは戸惑っているようだった。

「名を冠すると言うことがなにを意味するかわかっているのか! 貴様らはこの地に根ざした弱々しい文明に生きる者から、力ある存在と認められたのであろうが!

 英雄の責務を果たしてみせろ、野良犬めがっっっ!」

 ツインドファング、当て身、爪、蹴り、食らいつきに、頭突き。高速回転する連撃の中からララーシュタインは吠えた。高みにある者として。

 飛び退き、ハンターウルフはローゼンティーゲルを睨め付ける。そして外装に設けられた高感度マイクが、『煙突掃除夫』の声を捉えた。

『わけのわからないことを……』

「わからないか! 力ある者の責任を果たして見せろと言っているのだ! ただ一人、己だけ生き延びようとするのではななくてな!」

 その言葉に、『煙突掃除夫』が顔を上げた。

『ただ生き延びることが罪だとでも言うつもりか』

「それが力のある者ならば、然り! 数多くの力なき者達を照らすことがなければ、その力がなんだというのか!」

 ララーシュタインは笑う。その間もローゼンティーゲルとハンターウルフはぶつかりあい、ララーシュタインもそこに操作を加えていく。

 猛虎の挙動の中から繰り出されるテクニックに、ハンターウルフは押されていく。野性と理性の技は付け入る隙を与えない。

 幾度となく飛び退き牙を剥いて威嚇するハンターウルフ。『煙突掃除夫』は機体と視線を重ねながら声を上げた。

『傲慢なことを言うな! ただ生き延び続けることが誰かの希望になる者もいる……』

「弱々しい者の理屈だな。この僻地に潜んでいるならそれも良し……だが貴様らは帝国に牙を剥いた!」

 獰猛な笑みのララーシュタインは、ローゼンティーゲルに二つの刃を低く構えさせた。スパークが巻き上がる雪を蒸発させ気流に渦巻く。

「その首を差し出せ! 帝国は逆賊をのさばらせるほどに愚鈍ではないという証左としてなあ!」

 飛びかかるローゼンティーゲル。それに対し、ハンターウルフは唸り声を上げた。そしてその背面が展開する。

「この間合いで火器に頼るつもりか……?」

 跳躍の速度の中からララーシュタインは嘲笑した。

 しかし次の瞬間、吹雪の中でも一際強い風がローゼンティーゲルに吹き付けた。そうして視界が一瞬白い陰りに覆われ、

「……!?」

 そしてハンターウルフは姿を消していた。ただそこには、吹雪の中を何かが突き抜けていった空隙だけがある。

 まるで煙突のように。

「まやかしか……!?」

 うめいたその瞬間、遠吠えは背後から迫ってきた。

 

 ファングタイガーの遙か背後に跳躍したスウィーパーから、ブルーダーは相手を見据える。

 恐るべき敵だ。高度なテクニックを持ち、忠誠心で奮い立ちこちらに迫ってくる。

 だが奴が言うことには承服しかねる。自分も、ユインも、その生存が持つ意味は決して軽視されるべきものではない。

 怒りがブルーダーの心を揺さぶる。そしてそれはこの尾根の営みを見守ってきたスウィーパーも同じだった。

 温厚なはずの狼は敵意を剥き出しにした唸りを上げている。その怒りはブルーダーとシンクロしていた。

 すでに起動し、背部ではタービンが全開運転している。だが改めてブルーダーは宣言した。

「ワイルドブラスト……」

 それはゾイドが戦うための姿と武装。スウィーパーには『山鳴り』というそれがあるが、

「トップギア――『山彦』……!」

 ハンターウルフ種は二つのワイルドブラストを駆使する。

「駆け巡れっ! スウィーパーっ!」

 瞬間、スウィーパーは山肌を蹴立てて奔った。タービンから収束した衝撃波を背後にぶちまけ、その作用を受けて全身を前へと吹き飛ばす。

 疾走という他ない速度の先端で、スウィーパーの咆哮が轟く。そして背後でファングタイガーが砕けた装甲をまき散らした。

 与えたダメージすら上回る速度で、スウィーパーは切り返す。岸壁へ垂直に着地し、そのまま垂直に飛びかかる。よろめく敵を轢き爪にかければ、背面装甲の一ブロックが吹き飛んだ。

 山々の峰の間を飛び交う山彦そのものと化し、スウィーパーはファングタイガーを踏み荒らした。掠れた唸り声が上がり、ファングタイガーはなんとか身を回してスウィーパーを視界に捉えようとしていた。

『それが貴様らのとっておきか!』

 叫ぶララーシュタインにブルーダーは内心首を振る。

 スウィーパーがスウィーパーの名を得る前。この山の営みがあり、このゾイドがその守護者として別の名前で呼ばれていた頃――その頃はこの速さこそが最大の力だった。

 吹雪を貫くその姿が、『煙突掃除夫』の名のルーツなのかもしれない。だがブルーダー達は違う名で呼んでいた。

 エコー……山々に響き渡る『山彦』の主と。

 失われたものと共に封じられた力。償いのような戦いの中では使うことが無く、そして奇しくも守るものがある今、狼は在りし日の姿を取り戻していた。

 そしてついに宙に浮いた相手の脇腹に、鋼鉄の牙が食らいつく。さらに全身の捻りも加わり、ファングタイガーはスウィーパーの前でプロペラのように回転させられながら山肌に叩きつけられる。

 凄まじい運動エネルギーを敵の全身に与え、スウィーパーは余力で宙を舞って着地する。

 だがその背後で、ファングタイガーは即座に身を起こしていた。ふらついてはいたがスウィーパーに視線を向け、そして激しい衝撃によってバイザーの一方が脱落。ゾイド本来の青い目が、ワイルドブラストの光を吹雪の中に揺らめかせている。まるで炎のように。

『素晴らしい……。その首の価値が高まっていくというものだ。ますます欲しくなった!』

 まだやるのか、とブルーダーは口に出そうとして絶句した。敵のファングタイガーは全身を傾げながらも、明らかに戦闘意欲を失っていない。

 彼らにも信念があるのだ。自分達が死ぬわけにはいかないように、彼らも帝国への忠誠に命を賭けている。

 どちらかが死ぬまでこの勝負の決着は着かない。やり過ごせば終わるこの尾根の天候とは違う。

「デッドエンドか……!」

 適者生存とは異なる理。二者択一。それは自然に属さぬ理だ。

 そして全身にダメージを受けた敵――ララーシュタインは勝利できまい。

「お前、こんな不毛な戦いに何の意味を!」

『意味!? よくぞ聞いてくれたな強者! 君にも理解できよう!』

 ファングタイガーの首元、操縦席の防護スクリーンの奥から胡乱な視線が閃いた。

『お前を攻略することが出来ればそれは私にとって最大の冒険だ! お前に敗れるならば私はその程度の存在だ! わかるだろう、この事実が!』

「そんな捨て鉢……!」

『貴様らが生きねばならぬように!』

 双刃はその狭間に稲妻を走らせる。今までで最も強く、その語気と同じように。

『私にも命を賭けるものがあるということよ!』

 吹き荒れる雪風を裂いて、スパークは周囲に走った。

 だが相対するスウィーパーの背後で、衝撃波は吹雪を渦巻かせる。

「世界はお前の思う通りだけではない!」

『証明してみせろ、ヤスリの尾根の孤狼!』

 幾重の激突の果てに訪れた一触即発の瞬間。

 だがそこへ、一つの影が投げ込まれた。もみくちゃにされた一体のディロフォスだ。

『ララーシュタイン少佐!』

 さらに急降下してきた一機のスナイプテラが、麓方向へと機銃掃射をしてフライパスする。だがそれをものともせずに駆け上がってきた機影が吹雪を越えて姿を現した。

『ブルーダー! 一人でお楽しみかしら!?』

 現われたのは、雪上迷彩の白で彩られ、肩にガトリングを担ったゴリラ種ゾイド。バイザーは無い。

「ナックルコング・サスカッチ……」

『共和国のリザーバーか!』

『少佐! 包囲陣を突破されています! 作戦に破綻が……』

『だが奴を仕留めれば……』

 ファングタイガーはスウィーパーに視線を向け続けている。しかし駆け上がるナックルコングは片腕を掲げて見せた。

『残念だが貴様らが求めるものは我々共和国軍が保護した! さらに今回の貴様らの活動は両国間の領土協定、人権協定に違反している疑いがある! 直ちに撤収しなければ共和国は帝国に戦意ありと見做す!

 言っとくけど共和国以外の証人もいるわよ! ええ!?』

「……ブルーダーさん!」

 白いナックルコングが掲げる掌の上で、一人の少女が声を上げる。赤い翼を染め抜いた装束姿はユインのものだ。

『少佐、このままでは局地戦では済まなくなります! 撤退を!』

 ナックルコングを足止めしようと機銃掃射を繰り返すスナイプテラだが、吹雪に巻かれ、コングの対空射撃も受けて決定打は打てない。

 ララーシュタインの鋭い舌打ちが響く。

『私がフィオナ殿下のご意志を侵すわけにはいかぬ……!

 おのれ狼ィ! その首預けたぞ!』

 何かを吐き捨てるように首を振り、ファングタイガーは刃を収納すると背後に跳んだ。

『「死化粧」アルベルト・ララーシュタイン――貴様の首を狩る者の名だ! よく覚えておけ!』

「俺は忘れたい……」

 ぼやくブルーダーに対し、敵のファングタイガーは笑うように口元を揺らした。

『また会おう「煙突掃除夫」!』

 それはもしかしたらララーシュタインではなく、あの紫のファングタイガーが告げたのかも知れない。ブルーダーがそう思ったのは、スウィーパーが応じるような唸りを上げたからだけではなかった。

『ブルーダー! どういうわけこれぇ。アイツ、あんたのファン?』

 ナックルコング・サスカッチの女ライダーが訊ねてくるが、真相を知りたいのはブルーダーの方だった。

 ともあれ、ブルーダーは汗と吐息で湿って呼吸しにくい顔の覆いを下ろし、ナックルコングの掌にしがみつくユインを見上げる。

「……待たせて済まないユイン、山を下りよう。君の目的を果たせる」

「ブルーダーさん! お怪我は!?」

「容易くは死なんさ。スウィーパーが守ってくれる最後の住民だからな……」

 超高速に晒され、こびりついた雪を落としながらブルーダーは応じた。

「俺は、君を守れたかな――?」

 その問いが吹雪に掻き消されたかどうかは、ブルーダーにはわからない。

新地球歴三〇年 --月--日 ----時

"ヤスリの尾根"

 

 ――半年後。

『今回のジェノスピノ暴走事件について、両国首脳陣は――』

 首から提げた携帯ラジオからのニュースを響かせながら、斜面を登る人影があった。

 共和国式の防寒具に身を包んだその姿は、晴天の雪の斜面を着実に登っていく。

 するとその姿を出迎えるように、切り立った巨岩――"王者の角"の側に灰色の影が駆け上がった。

 遠吠えが響く中、登ってきた人影は顔を上げた。そして懐から一つの装束を広げる。

 風にたなびく装束に染め抜かれたのは、狼の横顔だ。

 そしてその文様に応じて、灰色の狼から身を乗り出し手を振る姿がある。半年前と変わらぬ防寒着姿だ。

 その上空を橙色の影がフライパスしていく。共和国が導入した新型航空ゾイド、クワガノス。

 二つの大国の関係は今も動き続けている。あのララーシュタインとかいう男も、別の戦場で戦い続けているらしい。

 そしてそんな風の噂が、この尾根にも吹き込んでいる。かつてのように吹雪に閉ざされた暗い尾根の姿はどこにもない。

 両国首脳部の監視態勢が及ぶようになり、この尾根は少しずつ人が行き交う道になっていくだろう。

 染め抜かれた狼が意味するものも、遠いいつかどこかの誰かに届く日が来る。

 あるいはもう、誰かの耳に届いているかもしれない。山脈を駆け抜ける山鳴りと山彦のように。

 


 
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