No.1015716

恋姫†夢想 李傕伝 17

陳泰→鄧艾←杜預 これが正史! 鄧艾は魏で一番すごい人じゃないかと思う。
華雄さんがお強い小説だけどしばらく休暇を取ってバカンスに行ったよ。

2020-01-12 20:47:47 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1072   閲覧ユーザー数:1047

『忘年の誓い』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陳留城へと入城した西涼軍は、勝利の美酒に酔いしれる間もなかった。

 

「やはり何度確認しても兵糧の類が見当たらないようです」

 

 郭嘉からの報告に李傕は溜息をつくばかりである。

 陳留城内に居るはずの住民は、人っ子一人存在せず、兵士達が必要とする兵糧等も何一つ無いのだ。

 

―――陳留へ攻め入ることを見透かされていた……?

 

 住民をあらかじめ避難させていた。

 となれば何か根拠があるはずである。

 西涼が濮陽ではなく陳留を目指すという理由。陳留を捨ててもお釣りが出るだけの何かがなければ城を捨てると言うのは不自然である。

 陳留城で敵の反撃は一応あった。しかし魏呉連合の兵は門が破られるや否や城からすぐさま撤退していってしまった。

 楽進による城門攻略の素早さは、すさまじいの一言に尽き、魏呉連合が陳留で徹底抗戦をしなかったのは、正しかったのかもしれない。しかしこれは結果論である。

 李傕でさえ楽進がこれほどの力を持っているなどとは知らず、まして世に彼女の名があらかじめ知れ渡っていたわけではない。

 魏呉連合に何か策がある。そしてその策の内に偶々陳留を捨てるという行為が混じっていたというだけのこと。

 

「撤退していった兵は濮陽へ向かったそうです」

 

「……ますますわからん」

 

 入城してからというもの、郭嘉や程昱に李傕は意見を仰ぎ続けていた。

 しかし二人も何故魏呉連合が陳留を捨てたのかがわからずにいた。

 仮に楽進という存在を知っており、すぐに開門されて市街戦が行われると知っていたならばどうするか。門の強化を図り、城門へと辿り着けないよう打って出ることも考慮するだろう。

 楽進という存在があったとしても、陳留を捨てる理由にはならない。

 さらに言えば、魏呉連合は官渡へと攻めてくるほど戦に対して前向きであった。

 

「嫌な予感がします」

 

「……まずは拠点として陳留を使うかどうかの是非を改めた方が良いのかもしれないな……」

 

「そうですね。城攻めが苦手なら守るのも苦手ですからね」

 

 城門は楽進が派手に壊したため、現在修理中である。

 とはいえ、門などそれこそ岩でも持ってきてとりあえず塞いでおけばどうとでもなる。問題は城を護る際に騎兵でどうするかという点である。

 城壁や城門に敵を引き付けて戦う理由が見当たらない。要するに、打って出て戦う方が良いので、この何もない陳留を拠点として使う理由が見当たらないのだ。

 

「こういうのをなんて言ったかな」

 

「何がです?」

 

「いや、拠点から必要なものを全部移動させたり、そこを焼き払ったりして拠点としての価値を無くすっていうのを……な」

 

 李傕は口にし、それに該当する言葉を探し当てた。

 

 

 焦土作戦。

 

 

「ところで、井戸はちゃんと使えるのか?」

 

「はい。別段何かを壊したりしたような形跡は見当たりませんでしたね」

 

「いや……その、毒とか、入ってないよな?」

 

 李傕は思わず聞いていた。陳留は一応拠点としての価値は一つだけ残されていたのだ。それは井戸水である。

 水が確保できないのであれば本当に陳留に留まる理由が何一つない。

 郭嘉は李傕の言葉を受けて、はっと表情を変えた。

 

「すぐに調べてきます!」

 

 郭嘉が走り去っていき、残された李傕は腕を組んで再び悩み始めた。

 井戸に万が一毒を投げ入れる場合、陳留は拠点としての価値どころか、城としての価値が無くなる。

 西涼軍ががこの地を離れたとしても、陳留の人々はこの地に戻って住むことが出来なくなるのだから。

 

「ぎりぎりまで毒を投げるかどうかを判断するために兵が残っていた……?」

 

 もしも井戸に毒が入っていると仮定するならば、どの時点で毒を投げ入れたかによって、思惑はだいぶ変わる。

 西涼が攻めてくる前に投げ入れたのか。それともあの反撃の為に残っていた兵士達が逃げる際に投げ入れたのか。有力なのは後者であろう。西涼が陳留へ来るかどうかがまだわかっていない。そしてもしかすると迎撃できるかもしれないと引き延ばし、護りきれないとわかり毒を投げた。

 となればつまり、魏呉連合はあらかじめ陳留を捨てる事を決定していたことになる。街の住民が居ない事も裏付けとなるだろう。

 ではその決定を下すに至った理由は何か。

 

「伝令! 郭嘉様と軍医の張衛様より報告!」

 

 兵士が大慌てで李傕へと駆け寄って来た。

 郭嘉と張衛からの伝令。もはや聞かずともわかってしまった。

 

「井戸に毒が投げ込まれているとのこと! 死者は出ていませんが体調不良を訴える者が多くいるようです!」

 

 李傕は天を仰いで目を瞑りたい気分であった。

 何故初めにそれに気づかなかったのか。陳留の人々が居ない事や、兵糧が無い事で察する事は出来たはずなのに。

 しかも投げ込まれた毒も致死性でない分厄介である。そもそも死に至る毒なのか、体調不良に留まるのかもわからないが、軍の全員がその水に口を付けているはずだ。

 

―――毒で弱ったところを攻めるつもりか? だがそれと引き換えに陳留を捨てるのでは、まだ足りない……。

 

 まだ何か決定的な物が足りていないような気がした。

 

「伝令! 劉備軍が益州へ入り蜀を名乗りました! 蜀軍は現在北上し雍州を目指して侵攻中とのこと!」

 

 先ほどの郭嘉の使いとは違い、別の伝令がそれはもう大慌てでやって来た。

 

「……あ?」

 

 間抜けな声が李傕の口から洩れる。

 劉備が益州を獲り蜀を興した。それは別に良い。問題はその後である。雍州へ向けて侵攻中であるという。

 現在李傕達が居るのは大陸の東。

 そして雍州と蜀があるのは大陸の西。蜀が動いたという報告は、何日送れて李傕の元へ届くだろうか。

 雍州は自衛のための戦力はあるはずだが、主力は全て李傕と共に行動している。馬岱一人でどうにかできる程蜀は弱くはない。

 

―――急ぎ援軍を出さなければ!

 

 李傕は気づいた。もしも魏呉連合がそのことをあらかじめ察知していたなら。雍州が狙われれば李傕は援軍を出さずにはいられない。つまり西涼軍の戦力が分断される。

 さらに言えば毒にも気づき、体調不良の者を抱え、戦意も下がっている状況。

 ここを狙わずしていつ狙うか。

 魏呉は事前にこの事を知っており、李傕が雍州へ援軍を出すことを見越していたのか。

 そのために陳留を捨て、兵力が分散し、兵も弱って入る所を徹底的に叩くつもりなのか。

 

「……全員を招集しろ!」

 

「はっ!」

 

「くそっ!」

 

 李傕は足元に転がっていた小さな石を、思い切り蹴飛ばした。

 勝利など無かった。李傕の予想が正しいのならば、西涼は今までにない敗北を喫する事になる。

 せめて雍州さえ無事であれば。

 西涼の本拠地である雍州さえ無事であればこの東でどれだけの被害が出ても再起は計れる。それをただ、祈るばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雍州天水城。西涼の本拠地でもあり、現在は絹織物の産地でもあり、今大陸で最も発展しているともいえるこの地では、政務の鬼―――馬岱と共に三人の官吏がその敏腕を振るっていた。

 武官―――陳泰。

 彼女は現在雍州における数少ない武官の一人であり、武官でありながらも文官と同じように政務に励んでいる。

 雍州は現在武官も文官も幅広く募集している状況であるが、その激務故に離職率が大変高い状況であった。ただ単に辞めていくのであればまだ良いが、時には発狂して走り去っていく者も存在している程。特に武官は数が少ないため一人当たりの負担は大きく、日々の調練を行う兵の数は将一人が行うにはあまりにも多い。さらに陳泰は悲しいことに文官としての能力も持ち合わせてしまっており、それが馬岱の目に留まっている人であった。

 朝から夕まで兵士の調練を行い、夕方から夜まで文官として書簡の処理を行う彼女は、雍州の官吏達は揃って彼女の働きぶりを評価していた。

 文官―――鄧艾。

 鄧艾は一文官から始まり、様々な提言によって雍州を豊かにすることでその手腕を示していた。彼女が手を付けた屯田や、大雨に対応するために川の流れを増やす工事に着手したり等多岐に渡り、政務だけではなく雍州全体の繁栄に目を向ける彼女は、民からの支持も厚く、馬岱の片腕とも称されるほどであった。

 文官―――杜預。

 杜預は鄧艾とは違い、政務に励む文官らの仕事に関して手を入れる少女であった。

 まだ若い少女でありながらも、彼女の言は常に核心を突き、無駄を省き仕事の効率化というものに尽力していた。とはいえ、それによって雍州の文官達の仕事が楽になったかと言えばそうではなく、効率化によりさらに仕事が増えるという悲しい悪循環が生まれてしまうのだが、杜預本人が文官達よりも多くの仕事をこなしているということを知ってしまえば、彼等の声も小さくなってしまうものだった。

 そして馬岱。

 彼女は実に数奇な運命を辿っており、騎兵としての戦いに優れた馬家の一族の人である。

 が、何の縁か彼女はこの雍州にて政務の全てを預かる地位にあり、日々ありえない程の仕事を任されている少女である。

 その仕事ぶりや本人の様子から、政務の鬼という不名誉な呼び名まで付いている。

 彼女が一たび政務の机から離れれば、廊下は裁可を求める文官達で瞬く間に溢れかえる。天水名物―――裁可の列である。

 時には廊下だけに飽き足らず、城下街への視察の際にもその長蛇の列が起こってしまうため、天水の人々は馬岱がどれ程の激務に身を投じているかを察してしまう程である。

 この裁可の列には法として定まってはいないが、文官達の間における不文律というものが存在していた。

 まず、馬岱へ裁可を求める者は一人づつである事。裁可を求める場合は二列に並び、まず右側に並ぶ者が裁可を求め、次に左の列の者が裁可を求める事。

 次に、他者が裁可を求めている場合は決して割り込まない事。いかに火急を要する案件であっても、この列を乱して裁可を求めてはならない。

 等、それはもう厳格に文官の間で決め事が為されており、一度それを破ったものが居ればその者の姿を翌日から見ないという恐ろしい噂まで流れている程であった。

 しかしこの日、そんな不文律がある中、一人の兵士が廊下を歩く馬岱の前に躍り出た。

 

「申し上げます! 漢中より張魯様が馬岱様にお目通り願いたいとの事!」

 

 客人来訪の伝令は、この不文律の中に入らない例外であった。

 勿論その客人の地位や立場にもよるが、五斗米道と西涼は親しくしており、特に西涼軍は五斗米道の信者らが軍医として治療をしてくれている。その教祖である張魯来訪とあれば、文官達は裁可を求める声を止め、馬岱の動向を見守った。

 

「……」

 

 普段であればそれはもう世への恨みつらみを呪詛のように吐き続ける馬岱であったが、その声が途絶えていた。押し黙り、その濁った瞳で伝令兵を見つめていた。

 その出来事に背後に並ぶ文官達もこれはただ事ではないと息を呑む。

 

「あー……早くお連れするのです」

 

「は、はっ!」

 

 馬岱の元へやって来た伝令も、いつもと彼女の様子が違う事に驚き固まっていたが、裁可の列に並んでいた杜預の促しによって時が動き始めた。

 馬岱は伝令の後に続き、一人立ち去っていく。文官達は仕方なく、裁可を求めるのは次の機会であると意気込みながら、自分達の仕事へと戻っていった。

 

「嫌な予感がするのです……」

 

「ほう。嫌な予感とはなんでござるか?」

 

「石蒜さん」

 

 同じように裁可の列に並んでいたのか、陳泰が杜預に声を掛けて来た。腰には剣を佩いているし、武具を付けていることから武官としての仕事が終わってまだ間もない事がうかがい知れた。

 相変わらず忙しなく仕事に追われているらしい。

 

「張魯殿は五斗米道の教祖なのです。名目上領地を治める人では無いものの、実質的には漢中を治める人。おいそれと自分から会いに行く身分ではないのです」

 

「ううむ。確かに……」

 

「その人がわざわざ会いに来たとなると―――」

 

「何かあったというごとでござるか」

 

 杜預は頷いた。

 

「……それで仕事が増えなければ何でも良いのでござるが……」

 

「う……それは勘弁なのです……」

 

 陳泰と杜預はとりわけ常日頃の仕事量が多いので、これ以上仕事が増えないことを祈るしかなかった。流石にこれ以上増えてしまえば自分達も馬岱のように鬼のような姿になってしまうことだろう。

 

「陳泰様、杜預様! 馬岱様より招集でございます」

 

「招集でござるか?」

 

「はっ! 謁見の間へお二方と鄧艾様をお連れするようにとのことです」

 

「……わかったのです」

 

 杜預がそう告げると、おそらく彼は鄧艾を探しに向かっていった。

 大きな溜息が、小さな体の杜預から吐き出される。

 

「何かあるのが確定なのです……」

 

「で、ござるな……」

 

 二人は俯き、とぼとぼと謁見の間へと向かっていく。足取りは重く、顔は話を聞く前から疲れ切っていた。

 鄧艾。杜預。陳泰。

 雍州の三羽烏とも、三苗とも例えられる三人が招集されると言うのは、これまでにない程の何かが間違いなくある。

 仕事が増えて喜ぶのは鄧艾くらいであろうな、と二人は思いながら向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謁見の間に向かった二人は、既に到着していた鄧艾と合流した。とりわけこの雍州では三人の仲は良く、互いに意見を交わし合うことも良くあった。

 謁見の間に集められたとはいえ、馬岱がその玉座に座っているわけではない。

 彼女はあくまでも代理で雍州を治めているという立場を護り、玉座の下―――家臣が並ぶ列に立っている。ただ、現在の地位を鑑みて、形式的に玉座へ最も近いところに立っているのは仕方の無い事である。

 張魯の姿はすでになく、馬岱と張魯の話し合いは終わっていたようであった。

 三人は馬岱に向かい合う様に並ぶと、馬岱は口を開いた。

 

「劉備が益州を獲り蜀を建国。蜀は、ここ雍州へ向けて進軍を開始したそうです」

 

 普段、他者の言葉を聞きながらも呪詛の言葉を吐く馬岱から聞く、普通の言葉。

 思わず三人は顔を見合わせてしまった。

 

「あの劉備が、民の意向を無視して進軍しているのです……?」

 

 益州には張魯が教祖となっている五斗米道の本拠地―――漢中がある。五斗米道は医療教団で、入信していない人々にも治療を施してくれることで有名である。

 雍州は李傕が宗教に対して寛容であり、五斗米道は西涼の地で布教を許されていた。漢中では信者の数もとりわけ多く、劉備が益州を手中に治めたとはいえ、張魯は実質的な漢中の支配者であり、また、民の代表でもあり発言力もあった。

 そもそもにおいて、李傕が雍州から北東へと進むにあたり、南に対して備えをしていなかったのは、五斗米道と親しくしているからということも理由に入っていた。

 五斗米道にとってすれば、自由に布教が許されている雍州を含めた西涼との関係は大変捨てがたいもの。西涼が勢力を伸ばせば伸ばすほど、布教できる地が増えるのである。また西涼軍の軍医として五斗米道が手を貸しているとなれば、信者が多く居る領地へ攻め入ろうとする者が居れば口をはさむというもの。

 五斗米道を敵に回せば多くの民をも敵に回す。益州の劉章に対して西涼の軍師が何も手をうたなかったのではなく、何もする必要が無かったのだ。

 

「劉備は、五斗米道を漢中より追い出す決定をしたそうです」

 

「まさか!」

 

「五斗米道には存続をかけて戦うか、漢中の地を去るかの二択を迫り、雍州へ信者と共に流れてきたのが今回の経緯だそうです」

 

 馬岱の言葉は今までにない程、人らしいものであったが、その淀んだ目はいつものように常に下へ向けられており、より一層歪さを際立てていた。

 

「で、で、では、しょ、しょ、蜀を追い払うために軍を派遣しないと……」

 

 鄧艾がいうと馬岱の瞳がぎょろりと三人を見回した。

 

「ひっ……」

 

 突然の事に杜預が思わず小さく悲鳴を漏らした。

 

「陳泰さん」

 

「はっ、はいでござる! 雍州が出せる軍は二万が限度でござる」

 

「軍は二万。総大将は鄧艾さん。陳泰さんはその麾下に。杜預さんは軍師としてその補佐をするように。以上です」

 

 それだけを告げて馬岱はまたいつものように床に視線を落としながら歩き始めた。

 

「なんで龐徳さんは雍州の危機だっていうのに来てくれないわけ戦が得意なんじゃないのあの人何のために将を名乗ってるわけこっちは無駄に仕事が増えるのになんでなんでなんでなんで―――」

 

 馬岱はいつものように呪詛を吐き始める。

 残された三人は茫然自失といった体でそこに立ち尽くしていた。

 

「わ、わ、私が総大将……」

 

 鄧艾はいまだかつて一度も将として働いたことは無い。根っからの文官であったし、それなりの年齢に見合った筋肉はあるが武に心得も無ければ訓練もしていない。

 それに何と言っても兵を率いたことが無いということが何よりも指揮官として致命的であった。武官の心得を全く知らないとはいえ、兵を率いるということが並々ならぬ難しい事であることは容易に窺い知れることであった。

 

「軍師と言われても、知識はあっても経験が足りないのです……」

 

「知識があるだけ心強いでござるよ。拙者は武官として兵を率いる事は出来るでござるが、策とかそういうものは余り得意ではないでござるからなぁ」

 

「そ、そ、総大将は石蒜がするべきじゃ?」

 

「馬岱様の決定でござるよ莉莉殿。それに、拙者は総大将として構えるより武官として戦場で剣を振るう方が性に合っているでござる」

 

「馬岱様からの命令である以上従わないわけにはいかないのです……」

 

 雍州に仕官している以上、馬岱は絶対の存在であった。

 この雍州でやれないという泣き言は許されていない。やれと言われたらやるしかないのである。

 

「あの! 出立の前にお二人にお願いしたいことがあるのです!」

 

「何でござるか?」

 

「ちょっと待っててほしいのです!」

 

 そう言って杜預は走って謁見の間を飛び出していった。

 待っていて欲しいと言われてしまっては、そこで待つ他ない。しばらくして杜預は、おそらく酒が入っているであろう小壺を一つと、盃を三つ手に持って戻って来た。

 

「お、お、お酒?」

 

「お二人に、私の姉妹にになって欲しいのです!」

 

 その言葉のおかしさに、思わず鄧艾は頭を捻った。

 他人は親しくなれば友となり、友からさらに親しくなれば親友となり、親友からさらに親しくなれば義兄弟ともなるこの世。しかし友人が全くいなかった鄧艾にはそのことが全く理解できていないでいた。

 突然『お前が姉になるんだよ!』と言われても驚き首を傾げてしまうのであった。

 

「義姉妹というやつでござるな」

 

「なのです! 私はこの雍州で、お二人に出会えて本当に良かったと思っているのです……。でも、この戦は先が見えません。蜀は戦慣れした将が多く、私達は素人も同然。全員が生きて帰ってこれるよう願掛けと共に、姉妹になって欲しいのです」

 

「し、し、姉妹って……私の年からしたら……」

 

 鄧艾と杜預の年齢差は顕著で、親子程年齢が離れている。陳泰との間にも十歳前後の差があり、世間で言えば年上を敬う事はあっても友となることはそうあることではない。

 身内の結婚による義姉妹であれば珍しくないが、今彼女達が結ぼうとしている義姉妹の誓いともなれば、さらに珍しい事である。

 

「良いではござらんか姉上。末妹の笋も、それを願っているでござるよ」

 

「あ、あ、姉上……」

 

 友達どころか、両親にも見放された鄧艾にとって、義姉妹という家族が出来るというのは思ってもみなかった事である。姉上と呼ばれた彼女は感動のあまり感慨にふけってしまう。

 

「それに義姉妹の誓いには死す時を同じくすると願うのです」

 

「有名なやつでござるな。生まれた日は違えども、死すときは同じ日同じ時を願わんという」

 

「そ、そ、それは笋が一方的に損をするんじゃ!? わ、わ、私は歳が二回りも上だし……」

 

 鄧艾は陳泰の言葉を聞いて思わず声を上げた。

 寿命で考えればまず真っ先に死を迎えるのは年上の鄧艾である。そして杜預はまだ幼い少女。鄧艾の死に伴い彼女も死ぬと誓うのはいささか問題があるように思えたのだった。

 

「ふふっ。確かに言われてみればそうでござるが、絶対の誓いというわけではござらん。心意気というか意気込みというか」

 

「いつ死ぬかわからぬ戦に身を投じる私達にしてみれば、戦場で死ぬことなく、全員が生きて帰ってくるという願いを込めた願掛けでもあるのです」

 

「な、な、なるほど」

 

 杜預は盃を鄧艾と陳泰に渡し、それぞれの盃に酒を満たした。

 

「さて、これは何の誓いと呼ぶでござるか。謁見の間の誓い、などという野暮な名前は嫌でござるが」

 

「確かにそれは嫌なのです……」

 

「ぼ、ぼ、忘年の交わり」

 

 ぼそりと鄧艾が言う。

 

「ぬ?」

 

「た、た、互いの年齢を忘れて友交を結ぶ。こ、こ、これをもって忘年の交わりとす」

 

 鄧艾、陳泰、杜預。三人は友であった。

 年の離れた友というものは中々に作れないもので、三人の関係は他者からしてとても珍しいものであった。

 

「忘年の交わりでござるか。歳の離れた拙者達を表す良い言葉でござるな。であれば、拙者達がこれより行うは忘年の誓い。うむ。これなら悪くはないでござる」

 

「はいなのです!」

 

「では始めるとするでござる!」

 

 陳泰が真っ先に盃を天井へ向けて突き上げた。

 

「我等生まれし日は違えども!」

 

 続けて杜預が盃を天井へ突き出す。

 

「死すときは同じ年、同じ日、同じ時を願うのです!」

 

 そして最後に鄧艾もそれにならい盃を突き出した。

 

「こ、こ、ここに立てるは忘年の誓い! し、し、姉妹を支え、この誓いを護らん!」

 

 それぞれの宣誓と共に、三人は揃って一斉に盃の酒を飲みほした。

 

「よろしくお願いするのです! 大姉様。小姉様」

 

「こちらこそよろしくお願いするでござるよ。姉上。笋」

 

「わ、わ、私だけ呼び方が変わらないな……よろしく。石蒜。笋」

 

 忘年の誓いを交わした三人。

 後に、忘年の三姉妹と呼ばれる彼女達は、まだこれから待ち受ける運命を知らずにいた。この三人だからこそ進むことが出来た未来。たった一人でも欠けていたら進むことの無かった道を、彼女達は三人で進むことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雍州へと進軍し始めたという蜀の軍勢。それを迎え撃つために出立した鄧艾を総大将とした西涼軍は、その山中の中で布陣する事となった。

 攻めてきているのは蜀。迎え撃つは西涼。

 しかし山中行軍という事もあり、蜀の軍勢はまだ山を抜けて雍州へと辿り着いてはおらず、逆に西涼の軍勢が蜀の領地へと入り、山中にて軍を展開するという状況であった。

 これ以上前に進めばそこは定軍山という蜀の砦が存在する場所。しかし雍州軍は今、迎撃の為に軍を前に進めているだけであり、強引に定軍山に作られた砦へと攻め入ることなく雍州側の山上にて布陣している状況であった。

 山上に布陣するというのは、戦略上かなり大きな意味合いを持つ。

 下から山上の陣へと攻め入る者達にとっては、急な坂道を駆けのぼることとなるため足は遅くなり、逆に山上からは下る事になる為、勢いというものが不可効果として付く。何事も勢いがあれば威力が増すもので、上り坂を駆けあがる者達よりも下り坂を駆け降りる者達の方が威力がある。

 そのためあくまで受け身である雍州軍は山上に布陣し、蜀軍を待つという状況であった。

 蜀軍がこの西涼軍を無視して通過しようとしても、横合い、あるいは背後から襲撃を許すことになる為、無視をすることは出来ない。

 西涼軍の総大将である鄧艾は周囲の地形を見たいと申し出、僅かな護衛と共に、鄧艾、陳泰、杜預の三人は、周辺の地理を明らかにすべく陣を出て、その目、その体にて情報を集める事となった。

 鄧艾は癖とも趣味ともいえる地理の測量を行う人で、現在布陣する蜀の領地にあってもその悪癖を発揮し、測量を行いたいと申し出ていたのだ。

 陳泰と杜預はそれを前向きに受け取り、共に行動していた。

 未だ見ぬ蜀の地がどのような地形であるかは誰も知らぬ事。砦や城などが記載された簡易的な地図こそ存在すれど、さらに詳しく知る為にはやはり実際に自分の目で見るのが正しいといえる。

 

「山。山。山。山しかないのですよここは!」

 

 辟易とした風に杜預が声を上げた。しかし鄧艾はそんな言葉さえ届かぬとばかりに手に持った紙にひたすら地形を書き込むばかりであった。

 陳泰は興味本位でその地図をのぞき込むと、そこには山の形やその高さ。周辺の地理がどのようであるかがひたすらに書き込まれていた。

 それは覗き見た陳泰が、ぞっと怖気のするするほどの書き込み具合であった。

 

「姉上、それほどに地形の仔細が必要でござるか……?」

 

「えっ? う、う、うん。こ、こ、こういうのは何に役立つかわからないから」

 

「そうでござるか……」

 

 鄧艾の趣味が地理の測量であるということは良く知っていた。彼女は休日があれば天水から出て雍州内を自分の目で見て回り、何かに役立てることが出来ないかと思案する。

 それが形となったのが、川の道を増やす工事と屯田である。

 大雨に際して度々氾濫を起す川。川はどこでもいいから新しい流れを切り拓けば氾濫が無くなるかと言えばそうではない。最も勢いを激しくする場所に道を作るとしても、その流れ着く先をどのように線引きするか等、川の工事は構想の段階から困難を極める。

 また、屯田も兵士をただ派遣して田畑を作らせれば良いというわけではない。然るべき場所を選定し、一定以上の作物の収穫が見込める場所を選ぶことが出来たのは、鄧艾が雍州内を測量して回ったからであろう。

 それにしても陳泰が覗いたこの新しい地図は、余りにも細かかった。

 山くらいなら見れば高さがわかるとばかりにその高さや斜面の角度が記載されている。

 

「それで、何か見つかったのですか?」

 

「こ、こ、このあたりの山は高い」

 

「確かに。それで……?」

 

 その後の返事は無かった。一度集中すると周りの音さえ聞こえなくなるというのは、陳泰も良く知っている事であった。

 鄧艾は馬を降りて、周囲の草や木に手を触れ、地図の端になにやら書いていた。

 

「小姉様。蜀はどれくらいの兵を差し向けてきているのです?」

 

「それなのでござるが、先遣隊として同数の二万程が向かってきていると聞いているでござる。将は厳顔。副官が魏延という者だとか」

 

「後詰の情報は?」

 

「今の所見当たらないらしいでござるよ。定軍山が拠点として、そこから厳顔軍がこっちに来ているとか」

 

「……蜀の目的は雍州侵攻ではない……?」

 

「……? どういうことでござるか?」

 

 陳泰は問いかけたが、杜預は顎に手を当てて思案に耽ってしまう。彼女もまたこうなると他者の声が届かなくなってしまう。

 

―――姉妹になったから似たのか、似ているから姉妹になったのか……。

 

 そんな二人には好きにさせるとして、陳泰は適当に時間を潰すことにした。

 測量が出来るわけでは無いし、考えて何かがわかるわけでもない。鄧艾と杜預が考え、陳泰が実行する。それで良いのだ。

 

「陳泰将軍。蜀軍に動き有とのこと。どうか本陣へお戻りを」

 

「わかったでござる。姉上。笋。戻るでござるよ」

 

 陳泰は声を掛けたが、二人の反応は無い。

 溜息を一つつき、彼女は腕を伸ばし二人の襟元を掴むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「羌に動きあり。雍州も動きあり。そして、東も動いたか」

 

「はい。ですが桔梗様、本当に良かったのでしょうか?」

 

「何がじゃ?」

 

「その、桃華様は、五斗米道を追い出すのに反対していたはずじゃ……」

 

 天水へと向けて進軍を開始している蜀軍。

 厳顔と魏延。二人は現在蜀を治めている劉備の前には、この益州を治めている劉璋の配下であった。劉璋の父である劉焉の事も知っており、この親子が五斗米道との間に極力軋轢を生まないよう配慮をしていた。

 しかし蜀を建国した劉備一行は、その五斗米道に対し、その宗教団体の解体を望んだ。

 劉備の民を慈しむその姿勢、思想、夢を知る魏延は、今だその行いに納得が出来ていなかった。さらに将という立場からすれば、劉備はまだこの益州と戦って間もなく、兵士や民の疲れも抜けきってはいない。そんな時期に突然雍州を攻めるというのも、余り納得のいくものではないのだ。

 

「決定事項じゃ。従う他あるまい」

 

「それに今回の雍州へ向けての進軍も―――」

 

「焔耶。それ以上言うでない」

 

「……」

 

「この戦い、単なる戦とはわけが違う」

 

「というと?」

 

「西涼の躍進を最早見過ごせぬのじゃ。これ以上西涼が力をつけ、五胡を大陸へ呼び寄せることがあっては、この漢は間もなく滅びる」

 

「それを防ぐ為に雍州へ攻め入るということですか?」

 

「雍州は守りが手薄。突けば東へ向かった西涼軍は援軍を此方へ回すほかない。そうなれば魏呉が勢いを盛り返し、これを撃破する。ワシらの役目は云わば、東の負担を軽減するための囮。とはいえ、雍州を落とせるならそれに越したことは無い。そして、雍州を攻めるには五斗米道が邪魔となってしまうのじゃ」

 

 魏延はその説明を受けて、初めて西涼という存在がどれ程のものかを知った。

 いずれ敵として相まみえるであろう魏と呉。そこへ蜀が合流し、一丸となって西涼と戦っているのだ。

 

「漢が滅び、五胡が闊歩するこの大陸を許容するか、それとも身を切ってでもこれに対抗するか。御館様も桃華様も、対抗する方を選んだのであろう」

 

「桃華様……」

 

「見えて来たな。案の定、山上か」

 

 魏延は厳顔の言葉を聞いて視線を上へ向けた。山の上にはためく西涼の旗が遠目にも良く見えた。

 

「敵の将の名を聞いたことが無い。鄧艾、陳泰、杜預。焔耶、聞き覚えは?」

 

 魏延は首を振った。

 西涼には名だたる将が在籍しており、その話は益州にも届いていたが、その中に三人の名は無かった。

 

「無名の将とて侮るでないぞ焔耶。馬岱というそれはそれは恐ろしい鬼が従えている将じゃ。弱い事はあるまい」

 

「噂の、ですね」

 

「その姿を見れば人は恐怖で震えあがるそうな」

 

「それはなんとも、見てみたいものですね」

 

 馬家というのは涼州の名門一族である。その一族に名を連ねる馬岱。彼女は出陣した経歴こそ聞かないものの、なにやら不穏な噂は益州にも届いていた。

 曰く、その姿は彷徨う幽鬼が如く。

 曰く、この世を恨んでおり、呪詛を吐き続けている。

 曰く、死して尚現世に魂を縛られており、解放されることを望んでいる。

 単なる噂であり、誇張されたもの。厳顔も魏延もそう思っていた。

 それがまた遠からず当たっている事が、何とも悲しい事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「や、や、山を降りよう」

 

 鄧艾は陣に戻るなり突然そう言った。

 山岳の基本は山上に陣を構える事。それを主張したのも鄧艾であったのに、だ。

 陳泰はその言葉に思わず目を丸くし、鄧艾が気を違えたのではないかとすら一瞬疑ってしまった。

 

「こ、こ、このあたりの山は高い。た、た、高すぎるから、は、は、反対側から降りれば敵には見つからない」

 

「なるほど。となれば北から降りて、山を迂回するです」

 

 杜預は地図が置かれた机の上で駒を動かす。机の脚が長いため、彼女は何かが入っていたであろう空箱の上に立ち、背伸びをして必死に腕を伸ばしていた。

 

「ですが数が少ないと敵は警戒しますです。三十六計にもある通り、声東撃西。この陣には少しだけ兵を残して応戦させるのが良いと思うです」

 

 声東撃西とは、その字の通り声が東からするが西より敵を撃つ。簡単に言ってしまえば囮を使って敵の目を集め、反対側から主力によってこれを打ち破るものだ。

 兵法三十六計は将としての嗜み。陳泰も理解しなるほどと頷いた。

 

「大姉様と小姉様は迂回を。私が山上に残るです」

 

「……最も危険な場所は山上でござるよ」

 

「なればこそ、です。私は小姉様や大姉様みたいに腕の力がありませんから、主力として敵を一気に撃つには向いていないのです」

 

 妹を一人山上で囮にする、という行為に陳泰はそれで良いものかと考えた。が、誰かが結局やらなければならないこと。それは鄧艾が残っても同じように思うだろうし、陳泰が残っても二人はそのように思ってくれることだろう。

 仕方なく彼女は首を縦に振った。

 

「さ、さ、山上にはどれくらい残す?」

 

 杜預はにやりと笑った。

 

「五百です」

 

「ごひゃ―――」

 

 突拍子もない数に陳泰は思わず言葉を失った。

「この杜元凱。山上であれば僅かな手勢で耐えれるということを見せつけてやるのです!」

 


 
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